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 双樹宮は名前の通り、その出入り口を守るように二本の大樹が聳え立っている建物だった。それぞれの枝が伸びて絡み合うようになっており、天然のアーチができている。どちらも落葉樹らしく、晩秋の今は骨組みのように枝が見えていたが、堂々たる佇まいのおかげで寒々しくは見えない。名工の手になる彫刻のようにファサードを飾り立てていた。

 下を通り、建物へと続く道は、当然のごとく丁寧に掃き清められている。辺りの景観もモードウェンが想像していたよりもずっと草木が多く、目に楽しいものだった。春や夏はさぞかし緑が美しいのだろうが、今の季節は物寂しい趣が強い。しかし、そうした寂しさも雅趣としているところが流石だった。絢爛に飾り立てるばかりが王宮の美意識ではない。

 大陸中に知られていることだが、アールランドの王宮ウィア・サイキは、施政の中心地であるばかりではなく、文化面においても大陸随一だ。社交の舞台になるばかりではなく、芸術や学問もここウィア・サイキで花開いている。

 学問的な知見を深める研究会や、議論を戦わせる討論会、各種の楽器の腕を競う演奏会、絵画作品や彫刻作品の即売会、いろいろと挙げればきりがないが、そうした催し物が連日のように開催されているのがアールランドの王宮だ。

 王族をはじめ、貴族たちは競うようにして研究者や芸術家、その卵たちのパトロンになり、そうした者が名声を博すれば面目を施す。労働から解放されており、高度な教育を受けることのできる貴族の中には、自身がいっぱしの研究者あるいは芸術家という者も少なくない。

 貴族と文化人との立場は制度上で厳然と分かれているが、実態としては連続している。著名な文化人であれば、下手な貴族よりもよほどたくさんの人を集めてサロンを開くものだ。

 聞くところによると、第一王子は法律をはじめとする社会学系の学問に秀でているという。それを補完するように、第二王子は理数系に適性があるのだとか。武術も嗜んでいるらしく、文武のそれぞれを兄と弟で分担する形だ。ちなみに第一王女は芸術関係に明るく、とくに歌唱は専門家顔負けだという。

 余程のことがない限り、次の国王は第一王子だ。アールランドは長子相続が基本で、継承権は年齢順、男女の区別もないので、王位継承権第二位は第一王女になる。第二王子は継承権第三位だ。

 第一王子の配偶者が王妃ということになるので、当然のごとく第一王子を狙う令嬢は多い。二十歳そこそこの彼はまだ婚約さえ整っておらず、才気を見せたり王子に気に入られたりした令嬢にはチャンスがある。将来の王妃候補とされている令嬢は何人もいるが、そこに食い込むのを狙うのも現実的に可能なのだ。

 しかし、第二王子を狙う者もまた多い。彼を王に押し上げようと画策するのは現王への敵対行為だが、あわよくばと狙う者がいないではない。しかし、それを差し引いても彼は慕われているらしい。優しげな第一王子とは趣が違い、颯爽とした佇まいに熱を上げる令嬢も少なくないのだ。

 第一王子が王になり、子を得た暁には、第二王子は臣籍降下することになる。公爵位を賜り、王家を支える立場になるのだ。

 しかし、それを却って好都合と見做す令嬢もいる。王妃という立場は荷が重すぎても、公爵夫人であれば務まるだろう、ということだ。

 臣下とはいえ、王家から降下した血筋には継承権が保持される。直系に高い継承権が与えられるのは当然だが、直系が絶えた場合に備えてのことだ。傍系で王族の血を継ぐ者は、王家に近く、王家を盛り立てていくことを期待される。王家を害して成り代わろうとする野心を持たないとは言い切れない立場だが、歴史を見る限り、そうした企ては悉く失敗している。正当性を持たない王は、貴族からも国民からも認められないのだ。

 ……と、そうした知識を茶飲み話として詰め込まれているのが今のモードウェンの状況だった。

 カイウスから遣わされた侍女――王子の侍女なので彼女も当然貴族だ――は、モードウェンの所作をいちいち訂正しながら、そうした話をしていく。正直に言って、お茶の味がさっぱり分からない。

 モードウェンのマナーを確認するため、双樹宮の自室にお茶のセットが用意され、模擬的なお茶会が行われている。カイウスはあれで忙しいようだから不在だ。いなくてよかったと心から思う。お茶のカップを彼の顔面に叩きつけたくなる衝動と戦わずに済む。

「あ、またカップの持ち手に指を入れておられますわ。入れるのではなく、摘まむ。蝶の羽をそっと摘まむように」

「蝶にそんなことをしたら暴れるし、鱗粉で指が汚れると思うけれど……いえ、何でもありません」

「もののたとえですわ。そういうことを申しているのではありません」

 侍女の冷ややかな眼差しに、モードウェンは反論を引っ込めた。

 別に侍女を怒らせたいわけではない。思ったことがついつい口をついて出てしまっただけだ。

「詩歌においても、蝶は儚さの象徴として頻出しますのに。魂を婉曲的に表す言葉でもありますわ。文学系のサロンに参加されるなら必須知識ですし、このくらいのことは単なるお茶会であっても要求される場合がございます。お教えしなければならないことが多うございますので、殿下に相談させていただいて、さらに人を増やしましょうか」

「ええ……!? いえ、あの、そこまでは……。それよりもまず、おおまかなことを教えていただければ……!」

 お茶会という名の扱きを増やすのは止めてほしい。それを言い出したらきりがない。足りない知識だらけなのは自覚している。

「まあ、折を見て必要そうなところから追加いたしましょうか。あっ、また左手を遊ばせていらっしゃる! 頭の先から指の先まで、神経を張り巡らせるのです! そのうえで、力まないように!」

 神経を張り巡らせるのだから力は入って当然なのだが、と思いつつもモードウェンは神妙に口をつぐんだ。理屈ではない、感じろ、ということなのだろう。さすがにそこは察した。

 目の前の侍女はモードウェンと同じくらいの年齢だが、積み重ねてきた経験が天と地ほども異なる。先達の言うことは聞くものだ。

 お茶を飲む合間に口にした焼き菓子の糖分が頭に回っていく感じがする。要は、頭を酷使しているということだ。侍女に靄が憑いていないから気持ちは楽だが、だからといってこうした社交が苦手なことには変わりない。これが練習で、相手が侍女で、それでも気疲れするのだ。

 侍女が少し躊躇ってから聞いた。

「……ゼランド様は、王族がたの異名をご存知?」

「異名? いいえ」

 うっかりすると、本名すら忘れそうになるくらいだ。

「そうですか……」

 侍女は何か言いあぐねているようだ。モードウェンは首を傾げた。

 そこへ助け舟を出すようにリーザが口を挟んだ。

「あの、口を挟んでごめんなさい。第一王子殿下が『優美の君』、第二王子殿下が『光輝の君』と呼ばれていることじゃありませんか?」

「ええ。そのことよ」

 そうなのか、とモードウェンは納得した。よく知られている異名なら、確かに知っておいた方がいいだろう。だが、侍女はなぜこんなに言いにくそうなのか。

 リーザが声を潜めるようにしてつづけた。

「……その、第一王女殿下の異名は、『女王様』だとか。高いヒールで踏まれたいと願う殿方が後を絶たないとか……」

 モードウェンはお茶を吹き出した。

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