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「誰かしら」
モードウェンは席を立った。取り次ぎを仲介させるような距離でもないし、自分が対応するのが一番早い。
この部屋を訪ねてくる者の心当たりはないが、誰かが来ても別におかしくはない。ゼランド家と親交のある貴族とか、王宮内の催し物の案内を伝える人とか、そうしたところだとは思うが。
しかし、訪ねてきた人物の用件は違うようだった。
「失礼いたします。ゼランド様でいらっしゃいますね」
淑やかな仕草で礼をしたのは、高位貴族に仕える女性使用人といった趣の人物だった。瀟洒で洗練されているが、腕や足の動きを妨げない服装をしている。
「そうよ。どういった用件かしら」
「お部屋をお移りになるということで、引っ越しのお手伝いに参りました。人員の手配なども私どもにお任せくださいませ。ご本人様でなければできない手続きと、人任せにできない貴重品などの移動以外のことは、すべてこちらに……」
「!? ちょっと待って!?」
モードウェンは慌てて制止した。そもそもの初めから訳の分からない話なのに、その話がどんどん進行していっている。
「あの、私は知らないのだけど……もしかしてゼランドという家が他にもあったりする? 人違いだと思うのだけど」
「いいえ。私はモードウェン・ゼランド様のもとへ遣わされた者でございます。人違いではありません」
「ええ……?」
「カイウス殿下から聞いておられないのですね。殿下はご自身のお住まいの近くにゼランド様のお部屋をご用意なさるご意向です。引越しの費用はご不要ですし、調度品や使用人なども必要なだけお付けするようにと承っております。ご不便はかけないかと」
「!?!? ちょっと待ってちょっと待って!?」
ようやく話が見えてきて、しかし受け入れ難さはどんどん増してきて、モードウェンは泡を食って制止した。背後には、口を挟むこともできず、何事かと様子をうかがっているナフィとリーザの気配がする。
「たしかに私は何も聞いていないのだけど、いきなりすぎるでしょう!? それに、疑って悪いけど、殿下ご本人に確かめないと……」
「言伝を預かっております。お引越しを渋るようならお伝えするようにと。『そんな警備の緩いところでいつまでも無事に暮らせると思うな。第二王子の恋人(笑)になった自覚があるのなら、さっさと引っ越してこい』とのことです」
「ちょっといま余計なニュアンスが加わらなかった!?」
モードウェンは声を裏返らせた。
(……。…………。落ち着け、私……)
伝言の内容についてはもう考えないことにする。ともかく、第二王子からの使いであることは確かなようだ。
そうなると、その状況をふまえた上で動かなければならない。何よりも先に確かめなければならないことがある。
「引っ越し先に指定された場所はどこなの? それと、借りるのにいくらかかるの!?」
そう、まずはお金のことだ。これを確かめないことには先に進めない。
「殿下のお住まいが銀楢宮ですので、その近くの双樹宮にお移りくださるようにとのことです。ご滞在にかかる費用はすべて殿下がお持ちになるそうです」
「えっ……部屋代も!?」
「さようでございます」
「………………」
双樹宮なるところが王宮のどこにあるか知らないが、王子の住まいの近くということなら中心部だろう。そうしたところは当然のごとく部屋代が高額で、目が飛び出るくらいのお金が飛んでいくはずだ。それだけではなく、借りるのに伝手や地位が必要になる場所もあるのだという。
(…………。……嘘でしょう……? お願いやめて……!)
考えただけで気が遠くなりそうだ。華やかな王宮の、いちばん影の濃い部分に住むことになるなんて、悪夢でしかない。多くの人に渇望されるだろう環境は、モードウェンにとっては心の底から避けたいものだった。間違いなくそこは日当たりがよくて、じめじめしていなくて、常に誰かしら偉い人が――そうした人は多くの場合、いろいろな思念を纏わりつかせている――闊歩するようなところなのだろう。
今からでも方針を変更して、領地に戻ることにしようか。まだそこまで雪が深くなっていない時期だから、移動に要する日数は少なくて済むかもしれない。多少の出費が何だ、心の平安には代えられない。
今から馬を都合したらどのくらいお金がかかるだろうかとリーザに問おうと思い、モードウェンは後ろを振り向いた。
そして、きらきらとしたリーザの目と目がかち合った。
(うっ…………)
期待の眼差しに、モードウェンは怯んだ。聞くまでもなく、リーザは部屋を移りたいだろう。きらびやかな王宮に憧れて来た彼女にとっては、この機会はまたとない好機だろう。
そんな眼差しを受けてしまっては、期待を裏切れない。十四歳の彼女はモードウェンにとっては妹のようなものだ。年少者の希望はなるべく叶えてあげたいと思ってしまう。
リーザから視線を逸らすようにしてナフィに目を向けると、にっこりと笑って躱された。彼女からのフォローは期待できない。
「…………。……その、使用人にも部屋が必要なのですが……」
「もちろん近くにご用意いたします。費用も殿下がお持ちになります」
「…………ありがとうございます……」
逃げ道がない。モードウェンは項垂れてお礼を述べた。
(……気持ちを切り替えないと。只で高い部屋に泊まれるのだから楽しまないと。……って、何をどう楽しめと!? さよなら、私の日陰生活…………)
未練がましく部屋を眺める。王宮基準では質素きわまりない部屋だが、じゅうぶん満足していたのに。
「なるべく早くお移りくださるようにと殿下のお言伝です。必要なものがありましたら手配いたしますし、許可を頂ければお手伝いの人員を呼びますし、何なりと仰ってください」
至れり尽くせりだ。モードウェンが一般的な貴族令嬢であれば、舞い上がる心地で浮かれ切っていただろう。
だが、モードウェンはどこまでいってもモードウェンだ。この話を喜ぶ要素など欠片もない。……いや、リーザが喜んでいることを考えれば、それだけが救いか。
「……そうよ、それに滞在費も浮くのだし……」
自分を納得させるように呟く。浮いた滞在費と引き換えに自分の心労が重くのしかかるだろうことは考えないことにする。
第二王子からの招きに欠片も喜ばず、豪華な部屋を紹介されることに浮かれず、滞在費が浮くことだけをわずかな慰めとしているモードウェンに、女性の瞳に隠しきれない困惑が浮かんだ。
だが、困惑しているのはモードウェンも同じだ。本来なら、あの舞踏会でお披露目を終えて、今頃はとっくに領地への帰路についていたはずなのに。
(……どうして、こんなことになったの……)
転がっていく状況を前に、何度目になるか分からない溜息をつき、モードウェンは頭を抱えた。




