9
「出たとは何だ、出たとは。人をまるで幽霊みたいに」
よく通る声で――仕掛けがなくても、その声は豊かに深く響いた――近付いてきた人物は呆れたように言った。姿勢の良さがそうさせるのか、発声方法の訓練を受けているのか、おそらくは両方だろう。それが必要とされる立場――第二王子――であるのだから。
(王女殿下! 話が早すぎます……!)
第二王子の都合を知らせる誰かが来るものだと思って待っていたのに、まさか第二王子その人がやって来るとは思わなかった。たしかに王女は王子の都合を確かめさせるとは言っていたが、ちょっと待っていれば誰かが知らせを届けてくれると、普通はそういう含みの言葉だろう。いったい誰が、王子が直にやってくると思うのか。
モードウェンは慌てて目を伏せた。まじまじと見つめるのが失礼だからという以前に、眩しくて見ていられない。見ていたくない。
王女プレシダも強烈だったが、第二王子カイウスはさらに強烈だ。端正な顔立ちに均整の取れた体躯、舞踏会の時よりは砕けた服装だとはいえ、それでも肩章だの飾緒だのとよく分からないきらびやかなものを付けて眩しさが倍増している。外見だけでもそれなのに、放つ雰囲気が尋常ではない。
少年の幽霊が姿を消した理由が分かった。こんなものを前にしていたら跡形もなく消えてしまいそうだ。
幽霊が出たところでまったく驚かないモードウェンだが、さすがにこれには参った。心づもりをしていなかったこともあり、素直な驚きが口から飛び出てしまった。幽霊が出てくれた方がずっとよかったのに。
「……大変失礼いたしました」
「いや、別に気にしてない。少し言い過ぎたか? 楽にして、顔を上げていい」
「…………」
楽にしてとは無茶を言う。モードウェンはこうした人が一番の苦手だ。きらきらした美形で、爽やかで、いかにも人好きのしそうな若い男性が。
そんな苦手の塊が、顔を上げたモードウェンに笑いかけた。笑顔になると破壊力が倍増し、モードウェンの心臓が止まりかけた。
「さて。熱烈な告白を聞かせてくれると聞いたんだが」
「!? いえ、その、あの、ちょっと誤解があるというか……方便です!」
誤魔化すことさえ満足に出来ず、モードウェンは正直に白状した。これもある意味告白ではある。
「そうか。残念だな」
ちらっと笑いながらそんなことを言うのは止めてほしい。真に受けることはないが、目と心臓に悪い。
「それなら、私に何の用があるのかな?」
どうやらカイウスは話を聞いてくれるらしい。モードウェンは息を整え、一気に伝えた。
「お呼びたてするような形になってしまい、本当に申し訳ございません。こうして殿下のお時間を頂戴したのは、警告を伝えるためです。殿下の従者でいらしたネアーン伯爵家のキース様、彼は事故死ではなく殺害されたのであり、その犯人が殿下のお命を狙っていると情報を得たので、お伝えしなければならないと思ってお目通りを願ったのでございます」
カイウスは聞きながら、すうっと目を細めた。金髪に緑の瞳、キースと同じ色合いだ。
「……冗談ごとでは済まされないぞ?」
取っつきやすい雰囲気が剥がれ、緑の瞳が剣呑な色を湛える。だが、威圧には屈しない。きらびやかさの方がよっぽど苦手だ。
「冗談に聞こえることは分かっております。それでも、この情報を私に伝えた方との約束ですので。警告を第二王子殿下にお伝えすると」
「……にわかには信じられないな。そもそも、その情報源は誰だ?」
「言えません」
「下問に答えない、か」
たかが男爵家の娘が、という心の声が聞こえてきそうだ。爽やかな王子の仮面が剥がれ、その中身はなかなかに「いい性格」をしているように見える。
「どなたからの問いであっても同じです。身分の上下に関わらず、言えないものは言えません」
身分社会の頂点たる王族に向かって、この王宮の主たる者に向かって、命知らずな言い草だということは分かっている。それでも、唯々諾々と従うのは真っ平だ。間違ったことを言っているとも思わない。
「……ふうん」
目を細めて笑う様子に、どきりではなくぞくりとする。
「情報源を庇っているのか? あまり庇うとその者がさらに疑わしく思えてくるし、君にも疑いの目が向くと思うのだが」
「えーっと……」
モードウェンは目を泳がせた。情報源は幽霊で、すでに天の御国に昇っていますなんて言えない。気は確かかと疑いの目が向けられるだろう。疑いの内容が違うが。
「……とにかく、私にお伝えできるのはそこまでです。私もそれ以上のことは知りません」
「国王陛下がな、毒を盛られたんだ」
「はあ…………ええっ!?」
唐突に話題が変えられ、しかも内容が内容で、それなのにカイウスが淡々と言うものだから、モードウェンはついていけなくなって思わず声を上げた。
鎌かけか何かだろうか。だが、豊穣の祝祭に国王陛下のお出ましがなかったのは事実だ。辻褄は合う。
「陛下が臥せったから、舞踏会だけではなく、いろいろな予定が狂った。私や姉上が急用に対応できたのもそのためだ。いろいろな予定をキャンセルし、陛下の不在の穴を埋め、流動的な状況に対応しようとしていたんだ」
「そうなのですね……。その、陛下のご容態は……?」
尋ねていいものか分からなかったが、尋ねずに流していいものとも思えない。
「芳しくはない。しかし幸いなことに、命に別状はない」
「それは何よりです」
「ああ。それはいいんだが……」
カイウスが意味ありげにモードウェンに目を向ける。
「陛下が狙われてばたばたとしている中、聞き捨てならない情報を持ってきたのが君だ。普段ならばもっと慎重に情報を吟味しているところだが、今はその余裕がない。私を狙う者がいたとして、陛下を狙う者と無関係である保証もない。キースのことも調べるなら調べて弔ってやりたい。情報の真偽を確かめるためにも、情報源を是非とも教えてほしいのだが」
「…………」
そう言われ、モードウェンは返答に窮した。第二王子の危機を知らせてそれで終わりのはずが、現在進行形の国王陛下の事件と関係があるかもしれないという。もしもここでキースの名前を出さずにいたら、カイウスは存在しない情報提供者を探して無駄な労力を割くことになるのかもしれない。国王が倒れ、ただでさえ余裕がないなかで。
さすがに、それは気が咎めた。モードウェンは小さな声で答えた。
「…………です」
「何?」
「……キース、です。私にそれを伝えたのは」
「…………は?」
カイウスは瞬き、まじまじとモードウェンを見つめた。先ほどから視線は合っているが、今はじめて、きちんと見られたような気がした。
悪質な冗談なのか、気が触れているのか、そのどちらでもないのか、カイウスは測りかねるような顔をした。
「あのキース?」
「そのキースです。他に同名の方がおられるか存じませんが」
「彼は……死者だぞ?」
「金樫宮の庭で、彼の幽霊に会いました。私に伝言を託して、もう消えてしまいましたが」
「…………何をどう考えるべきなんだ……」
カイウスは首を振った。
たしかに、いきなりこんなことを聞かされても対応に困るだろう。内容もそうだし、目の前の得体のしれない人間をどう扱っていいかも困るだろう。
「それでは、私はこのあたりで」
彼が混乱している隙をつき、モードウェンは逃げ出そうとした。しかし混乱していても手がかりを逃がす彼ではなかった。
「待て」
「……まだ何か?」




