9,消えぬ思い
「美味しい?」
「えぇ、とっても美味しいわ。私の国にも広めたいくらい!」
「それは良かった」
私達は図書館に行った後、マラサダのお店まで戻ってきた。
図書館と言えば静かな雰囲気だと思っていたが、ここの国の図書館は賑やかだった。
勿論静かに読むための部屋も用意されているのだけれど、多くの人は1冊の本をみんなで囲んで盛り上がっている。
そこにも、私は文化の違いを感じた。
そして次にどこへ行こうかという話になった時、私は一番最初に見かけたマラサダのお店を思い出したのだ。
「ははっ、口の周りに砂糖が付いてるよ」
そう言ってアランは身を乗り出すと、ナプキンで私の口を拭いた。
それに対して「ありがとう」と私が言えば、彼は目を細めて笑う。
多分、一般的にいえばとても良い雰囲気なのだろう。
自分の国では全く男性に相手にされない私にとって、またとない機会だ。
でも……どうしてもニックのことを考えてしまう自分がいる。
彼にこうやって口を拭いてもらえたら。
彼と一緒に、こうやって楽しく二人で遊ぶことができたら。
アランが彼だったらなと考えている私は、とても失礼な人だ。
そんなことを考えながら、ふと窓から見える外の景色に目を向けた時、私はいるはずのない人が見えた……気がした。
でもありえない。
だってニックがここにいるはずがないもの。
彼に会いたいという想いが強すぎて、彼に似ている人を彼と見間違えたのだろう。
……全然諦めきれていないじゃない。
「どうしたの?」
突然窓の外を見つめ始めた私に、アランは心配して声をかけてくれる。
彼はこんなにいい人なのに……こんなことを考えている私に嫌気がさす。
「ごめんなさい、ぼーっとしていたわ」
「僕こそ、急いで連れまわしすぎてごめんね。少しここでゆっくりしようか」
「えぇ、気遣ってくれてありがとう」
「そりゃあ可愛い女の子とデートする男なら、そのくらい当たり前さ」
ふふんと自慢げに笑うアランを見て、私はさらに申し訳ない気持ちになる。
彼はとてもいい人だ。
私ももっと彼と向き合おう。
一旦一人になって、この気持ちを整理しよう。
そう思って私は、彼にお手洗いに行く旨を伝える。
「少し席を外すわね」
「わかった。待ってるよ」
彼はひらひらと手を振って私を送り出してくれる。
私はそのままお店の奥まで歩き、お手洗いへと続くドアを開け、鏡に映る自分の姿を眺めた。
「何のためにここに来たのかを思い出すのよ、イェレナ」
自分自身に言い聞かせると、鏡の中の自分の顔が引き締まる。
そのまま数分考えを巡らせれば、だんだんと留学することを決めた時の感情を思い出してきた。
その気持ちを胸に、私はお手洗いから出る。
アランをあまり待たせてはいけない。
しかし、すこし駆け足ぎみに戻ると、私の席の向かいは空っぽになっていた。
辺りを見渡すも、アランの姿も、その従者の姿も見当たらない。
ただ、私の連れてきたメイドだけが静かに椅子の後ろに立っていた。
「……えっと?」
私がお手洗いに行っている間も、彼女はここにいたはずだ。
何が起こったのか説明を求める表情をすると、メイドは口を開く。
「私にもよくわからないのですが、突然帰ってしまわれました。すみません、引き留めることができず……」
「……いいのよ、ただ少し驚いただけ」
私が何か失礼なことをしてしまったから、あきれられてしまったのかもしれない。
もしかして、彼とのデートに集中していないのがやっぱり嫌だったのかしら?
そうだ、私は失礼なことをしてしまったのだきっと。
「帰ることにするわ」
「……わかりました」
気持ちを切り替えた分、かなり残念な気持ちで、私は帰路に着いたのだった。
◇◇◇
「早めの連絡をありがとう」
「いえ、仕事ですので」
イェレナが知らない男と二人で街を歩くことになったと聞いた時には、ショックで倒れるかと思った。
今日は、俺が直接その男のところに行って追い払うのが間に合ったけれど、次もどうにかなるだろうか?
もし俺が、イェレナのそばにこのメイドを送り込んでいなかったら、どうなったかわかったものではない。
「今後も何か動きがあったら教えてくれ」
「かしこまりました」
そう言ったメイドは、まだ何か言いたそうな目で俺を見つめる。
「何か?」
「あ、いえ」
「言いたいことがあるなら言ってくれ」
俺が促すと、彼女は目を逸らしつつも話し始める。
「このように裏から手を回すばかりではなく、直接会いに行けばよいのにと思いまして」
「……」
一度、イェレナに内面を好きになってもらうことを諦めたこともあったが、やはり本当の意味で好きになってほしいという気持ちは消えない。
でも、今までどれだけ心を通わせようとしたって、イェレナが俺の外見に執着するのは変わらなかった。
もう何をしろと言うのか、俺にはわからない。
イェレナに寄ってくる男に、片っ端から圧をかけていくなんて、ばかばかしいことは自分でもわかっている。
それでも……
彼女のことが好きだから
こんな面を彼女が知ってしまったら、内面に惚れてもらうなんて夢のまた夢なんだろうな……
「出過ぎたことを言いました。申し訳ございません」
俺が黙り込んでいたのを見て、メイドは慌てて謝った。
「いいんだ。参考にさせてもらうよ」
それだけ言い残し、俺は部屋を出た。
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