4,懐かしのドーナツ
突然のことにお菓子の店の列に並ぶ人達が皆固まっている中、横にいたニックは窃盗犯に対して足を引っ掛けた。
逃げることに必死になっている窃盗犯は足元を見ておらず、避けることも無く地面に倒れ込んだ。
しかし盗みと逃走には慣れているのか、直ぐに立ち上がると、その場にちらばった野菜をいくつか素早く拾い、そして立ち上がる。
「チッ」
男はニックの方をひと睨みして、八百屋の店員との距離を確かめるように視線を動かした後に、再び逃げようとした。
八百屋の店員は窃盗犯が落とした野菜につまづき足を捻ってしまったのか、地面に蹲っている。
「待て!」
男は逃げると同時に、そばで呆然と様子を見ていた女の子に体当たりをし、彼女が持っていたお菓子まで奪って、人気のない路地裏に駆け込んでいく。
その後を追ってニックも走り出した。
その頃には私もようやく事態が飲み込めてきて、体が動くようになってくる。
それは周りの人も同じだったようで、
「騎士団に通報しなければ!」
と言ってざわめいている。
周りの人が騎士団に通報してくれるのなら、私はニックの様子を見に行こうと思い、2人が消えていった路地裏へ足を踏み入れた。
どのくらい奥へ行ったのか、検討がつくか不安だったが、まるで目印のように野菜が落ちているので、それを辿りながら進むことで、2人のいる場所へたどり着いた。
「ぐぇっ」
「もうすぐ騎士団もやってくる。ちゃんと罪を償うんだ」
行き止まりまで窃盗犯を追い詰めたニックは、がっしりその人の首元を掴んでいた。
「ニック、お疲れ様。周りの人が通報してくれているし、ここへ来るまでの道に野菜も落ちているから、待っていれば騎士団の方もすぐに来てくれるはずよ」
「分かった、それならここで待機していようか」
私が最後の曲がり角から顔を出し、彼と言葉を交わしたその後、急に窃盗犯がニックの手から服だけを残してするりと抜け出した。
そして向かう先は袋小路の入口。
窃盗犯の動きにニックも素早く反応し、また追いかける形となると思われたが……窃盗犯も追いつかれると思ったのか、そのまま逃げるのではなく、こちらに近寄ってきた。
私と言えばまたしても驚きで足に根が生えてしまい、そのせいで窃盗犯に捕まってしまう。
首元に手を回され、ぎゅっと締め付けられる感覚に背筋が凍る。
本当に怖いときは声すら出ないことを初めて知った。
ニックも私を人質に取られたことで、一瞬足を止める。
その隙を見て窃盗犯は私を放り出し、一目散に袋小路を抜けて逃げて行ってしまった。
いきなり支えを失った私は、そのまま地面に放り出されるかと思いきや……すんでのところでニックが助けてくれた。
「あ、ありがとう」
「大丈夫か? けがは?」
「私は大丈夫よ……でも、私があんなところで突っ立っていたせいで、窃盗犯を取り逃がしてしまったわ……」
私のその言葉に、彼は少し怒ったような顔でこう言った。
「何を言っているんだ。俺を心配して様子を見に来てくれたんだろう? それに窃盗犯を捕まえるよりも、君が無事でいることの方が大事だ」
「ニック……」
「頼むから自分の心配をしてくれ」
「分かったわ。心配してくれてありがとう」
「……あ、あぁ」
私が無事なことが分かったニックは、そっと私から手を離した。
あーあ……もう少しこのままでいたかったな……なんて言ったらまた怒られそうだけど。
「とりあえず大通りに戻りましょうか」
「そうだな、騎士団にも説明をしなくては」
こうして、私達は野菜を拾いつつ、急いで大通りへと戻った。
◇◇◇
「あ、来た来た、こっちよニック!」
私はテラス席で、買ったお菓子を広げて彼を待っていた。
あの後、騎士団が八百屋さんの前まで駆けつけてきていて、彼はそこで事情聴取を受けていたのだ。
私はその間にお菓子屋さんに並びなおし、よさげな物を買って待っていた。
「そういえば、あの女の子にクッキー、買ってあげたんだな」
「えぇ、結局あの窃盗犯から取り返せなかったから……」
ニックが窃盗犯を転ばせた後に取られたクッキー。
私がお菓子屋さんに並び直していると、女の子はお店の前で泣いていた。
どうやら母親の病気が治ったお祝いとして買いに来ていたそうで……だから女の子は余計に悲しかったのだろう。
「ああいう時にすぐ人の為に体が動いたらなって、ずっと思っているんだけどね」
願わくば、「女の子のお小遣いで買ったクッキー」を取り返したかった。
きっともっと勇気と正義感のある人なら……マリーなら、すぐに窃盗犯に立ち向かうんだろうな。
「確かにあの子のお小遣いで買ったクッキーはもう戻ってこないけれど、それでもイェレナにクッキーを買って貰えて嬉しそうだったじゃないか。俺は十分だと思うよ」
「……ニック」
「ほら、ドーナツでも食べて元気を出そう」
そう言って彼は手元にあったドーナツを半分にちぎり私に手渡す。
「ふふっ、もうドーナツで機嫌が左右される年頃じゃないわ」
「まぁまぁ、いいじゃないか。食べよう」
彼なりの気遣いに私の気分は上向く。
告白には振られてばっかりだけれど、ニックは別に私に対して嫌悪の感情を抱いている訳では無いと確信したからだ。
……だからだろう。
暫く楽しく一緒にお菓子を食べたあと、私はまたあの「禁句」を口にしてしまったのだ。
「ねぇ、やっぱりニック程のイケメンは何処を探してもいないわ。私、貴方のことが好きなの、だから
「やめてくれ」
彼は普段より低い声で、私を遮って、そして拒絶する言葉を放った。
今までの雰囲気が嘘のように壊れていく。
彼は機嫌が悪そうに唇を噛み締めている。
「今日は帰る」
そう言って彼は、お菓子の代金より少し多めのお金をテーブルに置くと、そのままスタスタとテラス席を出ていった。
「……ねぇ、どうして?」
訳が分からない。
優しい態度……思わせぶりな態度なんてしないで欲しい。
そんな態度をされればされるほど、温度差に傷つくから。
気持ちを落ち着かせるために飲んだ紅茶は、何だかいつもより苦く感じた。
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(ちなみにこの窃盗犯は後日、マリーと第二王子の活躍によって捕まっています)