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運命の邂逅




「3つ、汝の質問に答えよう。よく考えて問うがいい」


3つ。

賢者という単語が具現化したような古い声が、空気をびりびりと震わせる。

気がつけば、先ほどまではちゃんと上から下に落ちていた水分子の塊が、今は重力を無視するように縦横無尽に周囲を飛び交っていた。

ここは一体どんな空間なのか。視界は宇宙から見た水平線のような深い青に包まれている。中学校の校庭ぐらいありそうな巨鳥の両翼の模様は空のように流動的で、白い雪の塊がゆったり流れて堆積していた。

とりあえず、彼(おそらく彼だ)の正体を聞いてみるべきだろうか。おそるおそる口を開くと、真っ白な息が声とともに溢れかえった。

「貴方は、何者ですか」

「愚問。人は瞳を介した物差しで他者を測るが故に、その答えは定まらぬ」

まるで答えが用意してあったかのように、間髪入れず声が飛んでくる。水晶玉で思考回路を覗かれて先回りされているようなのに、不思議と気まずさや嫌な感じはしなかった。


……やっぱり超常現象じゃないか!


この鳥の声は、貝殻の内側の虹色の部分に目があって、その瞳に見つめられているみたいな、変な気持ちになる。麻酔にかけられて踊っているような、身体の自由をどこか奪われながら甘い多幸感を浴びせられているような感じだ。

この人智を超えた鳥は救いや恵みとなり、果ては災害にまでなり得るのかもしれない。大雨で休校になったときに「学校が休みになって嬉しい」と考えるか、「体育祭が延期になって悲しい」と考えるか、時と場合で変わるのと似たようなものだ。

質問は一蹴されてしまったが、その答えが至極真っ当なものであると妙に納得して、極上の羽毛の上で座り直した。

この羽の触り心地もおかしい。どんな生き物もこの羽に乗ったらこの心地よさと安心感で離れられなくなるだろう。やわらかく優しいのに鋼鉄よりも硬く、ダイヤの鎧でも纏っているかのような堅牢さが窺えるのだ。どんな爆弾でもこの神秘の鳥は傷ひとつつかない。なぜかそう思った。


「流氷」


「え?」

流氷?

何?と思っていたら、冷気を纏った声が静かに空気を裂く。


「“流氷”のフィーゼルムンド。通り名だ」


「あ、ありがとうございます……」

電話越しに礼を言うときそうするように、座ったまま頭を下げた。この鳥、名前あるのか。しかも普通に教えてくれた。

随分変わった名前だな、と思うが、この超常現象を表すのに相応しい名前が他にあるのか?と言われたら何も返せない。神秘に包まれた風貌が偉大すぎて、どんな名前もこの鳥に釣り合わないような気がしてしまう。

こういう名前って、ゲームとかアニメとかにハマる人にとっては魅惑的に聞こえたりするんだろうか。姉が以前、夕飯のときにキャラクターの名前をダサく感じるときとカッコよく感じるときの違いについて両親と論じていたのをぼんやり思い出す。途中で離席したのでどんな結論が出たのかは知らない。

流氷のフィーゼルムンド。

忘れないように、世界史の人名を詰めこむ時みたいに脳内でくり返し呟きながら、家族の記憶もふんわりと思い出す。家から離れてまだ1時間も経っていないはずだが、その家族にもう会えないかもという疑念がふんわりと実体化しはじめていた。

「流氷の」ってなんだろう。

ふと気になった。流氷。氷ずくめの空間を見回して、この超自然()の両翼の白い模様が流氷に見えるのだと察して納得した。

ああ、流氷ね。だから氷を使って魔法みたいなことができるってわけか。

……いや、そんな理屈が罷り通っていい訳がなくないか。

脳内で自分にツッコミを入れながら、頭をぶんぶん振った。どうしてか、この強大な鳥を見ると「魔法は普通に()()もの」だと錯覚しそうになる。一体どういう了見なのか。

周囲の大気を凝結させながら飛翔する鳥の背に乗る自分が死なない理屈を教えてほしい。この異常現象(魔法)の原理が分からないと、理性と論理による思考力が失われてしまいそうだ。

あと欲を言うならこの、子供の頃憧れた雲の乗り心地みたいなふわふわの羽毛の秘密も教えてほしい。これが家の布団だったら何があっても快眠できるだろう。


首を振って、雑念を飛ばす。はやくあと2つの質問を決めよう。できることなら、次は愚問と言われないようにしたい。

どこへ向かっているんですか。これって夢だったりしませんか。俺は家に帰れますか。どうやったら帰れますか。今にも口から溢れそうなたくさんの聞きたいことを、粘土のように丸めてまとめようと苦心する。

「ここは、どこですか?」

そう。ここがどこか分かれば帰り道だって……

……分からないと思うけど、聞かないわけにはいかない。

でも、もしここが死後の世界って言われたら家族や友が恋しくて泣いてしまうかもしれない。

強風にあおられて、鳥がひとつ羽ばたいた。流れるような優しい風と高速で突き刺さろうとする氷柱のような風の両方に煽られて、初めて羽毛の海でよろける。


……まさか、この超常現象さえ超越する()()が、存在するのだろうか。


その可能性に気づいて、息が詰まった。

刃物のように冴えた氷の礫が、周囲を飛び交っている。当たったら間違いなく体に穴が開くだろう。

この流氷の鳥の広い背には安心感があるが、もし……彼が自分をこの氷から守りきれないような事態が起きれば、俺はここで死ぬだろう。深く考えずにこの人智を超えた鳥に信頼を寄せていたが、急に手足の先が冷たくなってきた気がした。顔が凍りつくような寒さに思わず顔を俯けて、両頬を手で挟む。

先ほどは間髪入れず問いに答えてくれた「流氷のフィーゼルムンド」からの返答は未だない。それが彼の意識が自分の問いでなく、空間を支配する鋭利な氷に向いているからだと考えると、手足のすくむ焦燥に駆られた。この雄大な鳥から余裕を奪うことのできる存在なんて有り得ていいのだろうか。

頼む。負けるな鳥。俺を守ってくれ。

自分が誰かに守られる価値のある人間である自信はないけれど、そう祈る以外にできることがなかった。

パキパキと音がして、鳥の周囲にオーロラのような光が現れる。攻撃的に撃ち込まれる青い光雪の礫は鳥や自分の近くまで来ると白く透明になり、オーロラ色のカーテンに遮られて消えていった。

蚊帳のような虹色の布に包まれると寒さが和らいで、氷の寒さから氷に守られているこの状況ってなんなんだろう、と不気味な雪の戦いを眺めた。


「この羽の感触も、凍てつく空を飛ぶ心地も、じきに汝の夢の記憶と為ろう」


漸く返ってきた言葉は、骨に文字を刻まれるような感覚をもたらした。この鳥、その気になったら声だけで地面に亀裂を入れられそうだ。

鳥の言葉を脳内で砕こうとしたが、飴に見える石に噛みつくようなものだった。彼の言った意味がよくわからない。この超常現象は夢といっても差し支えない、ということだろうか。オーロラを纏った自分達を襲う周囲が一瞬、広大な星空に変貌して、鳥ごと強大な宇宙に放り出されたような気がした。が、すぐに雪とはもはや呼べない氷の弾幕が襲ってくる空間に戻る。今のは何だ?意識が錯乱しそうだった。


「だが運命の方舟は飽和してなお世界であり続け、人の世は営みを記すべき事実である」


蒼い氷と白い氷が、戦争のようにぶつかり合っている。

枕投げを皿で執り行ってしまったのかと思うような、ガラスの割れ散る高音の中で、鳥の声ははっきり耳に届いて脳に刻まれた。

方舟?人の世?営み?事実?

理解できない。どういうことだろう。

これは死後の世界や夢想ではなく現実なのだと、諭されているのだろうか。俺は、自分がまだ生きていることを喜んでいいのだろうか。

巨鳥が頭をもたげて、大きく羽ばたいた。バリバリと何かが裂ける音が鼓膜を震わせて、青炎の矢のようだった氷の塊が飛沫をあげて飛び散った。

刹那、見渡す限りの一面に、自分が覆われているのと同じオーロラ色のカーテンがぶわりと広がる。氷の礫を吹き飛ばし、空を支配するように、フィーゼルムンドの生み出したオーロラが辺りを包んでいた。

暴れ回っていた氷の塊に白い綻びが見える。

曇天を鮮やかに彩る美しい光がやさしく目を焼き、言葉で追えないあでやかな垂れ幕の変化は、次第に飛翔の高度が下がっていることを仄めかしてきた。この超常現象(流氷の鳥)の力だろうか、荒れ狂う青く鋭利な霰は仄かに白さを帯びて、勢いが強いだけの雨へと穏やかな変貌を遂げていった。

あとひとつ、質問ができる。目的地にいつ着くのか分からないが、はやく何か聞こう。

何が起きて自分はここに来てしまったのか。

自分がここに来た理由はあるのか。

家に帰ることはできるのか。

聞きたいことは山のようにある。だけど、どうしても、家に帰る方法よりも気になっていることがあった。

「どうして、」

本当にこの質問でいいのか?

自問は口の動きを止めるには至らなかった。


「どうして、父さんの名前を、知っているんですか」


あまり人に自慢したい父親ではない。現実の人間とかけ離れた人間の絵を描いて生計を立てている、冴えないおじさん。母の支えがないと1人では何もできないような、無力な人。

そんな父が、どうして。

「汝の父とは面識がある」

は?

意味が分からなくて、言葉を失った。

面識が、ある?

やっぱりこれは何かのゲームなのか?と思わざるを得なかった。

ビビりで内向的でインドアで、人なんて画面の中でしか救えないような父が、どうやってこの鳥と知り合ったんだ?

ここは本当にどこなんだ?

天使がいて、湖に珊瑚礁があって、人智を超越した鳥がいて、それでもここは、まだ地球であるとでもいうのだろうか。

「聞け。来訪者よ」

深海をも震わせる古い声が、語りかけてくる。無意識のうちにこれから与えられる言葉がお告げだと理解して、すこし冷えた羽毛の海で正座した。


「宇宙の主人は汝を選んだ。神の小瓶は汝なしには立ち行かぬ。星の寵児とともに五つの屍を潜り、その瞳で世界を見抜き、命の行く末を定めるがいい」


「……え?」

なんて?

分からない単語と知らない使い方をした言葉の羅列だった。一周回ってもはや疑問が湧いてこない。何を言われたのか、理解が追いつかないのだ。眼球の裏に彫刻を施すように刻まれた啓示は、ただの文字列であった。

「矜持と尊厳を保ち続けろ。汝の行いすべてが人の栄光たり得るのだから」

雷のように体を震わせるその声は、なぜか体の芯に蝋燭の炎を灯すように優しかった。

「うわぁっ!?」

がくんと体が揺れて、朴葉よりも大きな羽を掴んで縋った。

オーロラのヴェールを抜けて、隼のように巨躯が急降下していく。雨の降りしきる黒い空に、天を貫く槍のような何かが現れた。目を凝らすと、宇宙を燃やしたような蒼を秘めた氷と、絹で織った傷跡のような白い稜線を含む氷が螺旋を描いて聳え立ち、雲を貫いている。

その高塔の麓、眼下に、街が見えた。天と地を貫く氷の塔を中心に、氷の塀で囲まれた大きな都市が広がっている。こんなところに、何が住んでいるのだろう。鳥は僅かに角度を変えその都市の端の方に進路を定めると、ダイヤモンドダストのように煌めく粉塵を撒き散らし、次の瞬間には地面に降り立っていた。


巨鳥の不思議な力に遮られていた雨が数刻ぶりに頭に降りかかり、音が戻ってくる。恐怖を帯びたような、言葉を失った震え声が耳に届いた。何が、何に、怯えているのだろう。おそるおそる、鳥の巨大な背から周囲を見下ろした。

……ここ、人間いるんだ。

流氷の鳥が降り立ったのは、まばらに草の生える、開けた場所だった。自分を中心に、30mほどの距離をあけて円を描くように、沢山の人が立っている。それが本当に人間かはまだ分からないが、とりあえず彼らに異質な威圧感はない。ぱっと見は自分の知る人間と同じだ。未知の生命体との邂逅にならずに済んですこしホッとしたが、こちらを囲む人々の色素の抜けたような髪と瞳が目に入って、言葉は通じるだろうかと不安になる。

目を見開いてこちらを見つめている人間たちは紺の制服に身を包んでおり、帽子を被って、見たことのない何かを携えている。ここの文化は全く分からないが、根っこに自分の知っているものとの共通点が垣間見えていた。彼らの持っているのが武器で、その衣服の堅い雰囲気から、自分を囲んでいるのが兵士や警察官、またそれに類する身分の者であることが何となく察せられる。

銃のような弓のような武器を構えている者もいたが、崇高な猛禽が羽を広げると、全員が脱力したように棒立ちになった。


ざわりと羽毛が逆立って、降りろ、という雲の鳥からの言外の命令を察する。名残惜しく思いながら天空の布団を手放し、濡れた地面に降り立った。

人の円の中央に降り立った、高層ビルぐらいある巨大な鳥は、さも鳥であるかのようにひと鳴きして雨を震わせると、音も風も立てず、空に溶けるように消えていった。

その姿が飛び去り見えなくなった瞬間、夢から醒めたように力が抜けて、雨に打たれるままにぐしゃぐしゃの地面に膝をついた。


「大丈夫?」


物々しい雰囲気の人間たちに囲まれた中央。土砂降り越しのすぐ隣で誰かが話しかけてきた。


そこでようやく、こちらを取り囲む兵士たちは、あの流氷の鳥を歓迎するために円を描いていたのではなく、罪人らしき何者かを糾弾するために集っていたのだと理解した。


そして、今、輪の中心で自分に話しかけてきているのが、おそらくその被疑者だ。

「立てる?」

紡がれている言葉は、あの流氷のフィーゼルムンドが発していたのと同じ、馴染みの深い日本語だ。花びらの筒を介しているような、氷の鱗粉をめいっぱい吸い込んだような声が、可憐に雨をすり抜けてくる。白く華奢な、綺麗な手が伸びてきた。手首には、白い小花飾りの編み込まれた金色の腕輪が巻かれている。

差し出された腕の持ち主を見上げて、心臓を鷲掴みにされたような息苦しさに襲われた。


手を差し伸べてこちらを見おろしているのは、現実にあり得ないような美少女だったのだ。




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