後編
「な、なにをするのですか父上……」
「それはこっちの台詞だ!」
そして伯爵様は、あの工場のポーションは私の薬草で作っていること。その事業計画は、私とエドウィンが在学中から作っていたこと。その計画を見て伯爵様が出資すると決めたことを語る。
「そのくらい知っている!」
ダリル様がそう言い返してきたので私たちは逆に驚いた。
「し、知っていたのにエイミーとの婚約を破棄したのか……?」
伯爵様は我が子を見つめ、声を震わせた。呆れが限界を超えると恐怖に近くなるらしい。
私もダリル様がどういうつもりなのか全く分からなくて、恐ろしくなってきた。
「確かに計画はエイミーとエドウィンが始めたのかもしれない。だが、その計画はもう軌道に乗っている。ならエイミーはいらないだろう。薬草なんて農民に作らせればいい。なのにエイミーは毎日土まみれになって……伯爵家に嫁ぐという自覚がないのだ。ブレンダのほうが俺に相応しい。見目麗しいし、愛嬌があるし、なにより俺を好きだと言ってくれる!」
「そ、そうですわ! お姉様なんかより、わたくしのほうが絶対に貴族らしい振る舞いができますわ!」
ブレンダがそう言うと、伯爵様の視線がギロリとそちらを向く。ブレンダは「ひっ」と短い悲鳴を上げた。
「貴族らしい、だと? お前の言う貴族らしさとは、家の金を使って高い服を買ったり厚化粧することだろう。そんなのは貴族ではなく成金がやることだ。領地を発展させ、領民の生活を安定させるのが貴族の義務だ。エイミーは結婚前から伯爵領に膨大な利益をもたらしている。お前に姉と同じことができるのか?」
「それは……それだけが貴族ではありませんわ! 社交界で夫を支えるという大切な役目が貴族の妻にはあります。それに関しては、わたくしのほうがお姉様より絶対に優れていますわ!」
「ふん。では聞くが、お前は一度でもパーティーに出席したことがあるのか?」
「それは……」
ない。
ブレンダは偉そうなことを言っているが、実家と伯爵領以外の世界を知らない。
「だろうな。一方、お前の姉のエイミーは、学園のパーティーで素晴らしいダンスを披露していたぞ。王立学園のパーティーには王家の方々も出席されるが、誰もがエイミーを褒めていた」
「そんな……お姉様が……いえ、ですがパーティーでいくらそれらしく振る舞おうと、普段が土まみれでは、やはり貴族らしいとは言えませんわ!」
「そうだ! 俺はそんな奴と結婚したくない。薬草なんて農民に任せればいいんだ!」
殴られて転がっていたダリル様は、ようやく立ち上がり私を睨みつけてくる。
そんな兄の言葉を聞いて、エドウィンが首を振ってため息を吐く。
「エイミーじゃないと駄目なんだよ、兄さん。温室の温度管理、土の栄養素の管理……なによりエイミーが魔力を注がないと、最高品質の薬草にならない。もちろん、いずれはエイミーがいなくても高い品質の薬草を栽培できる方法を確立する。けど、今はエイミーが自分の手で薬草を育てなきゃ駄目なんだ」
「な、なんだと……聞いてないぞ!」
「いや。絶対に言った」とエドウィン。
「お前の耳は脳に情報を正しく送れないのか!」と伯爵様。
「何度かお話ししましたけど……」と私。
「そうだったのか……分かった。エイミー、改めて俺と婚約してくれ!」
「え。嫌です」
私は反射的にそう答えてしまった。
婚約は家同士の約束事で、私かブレンダかどちらかが伯爵家に嫁がなければならない。だというのに私は自分の感情をさらけ出してしまった。
だって嫌悪感が我慢の限界を突破しちゃったし。
ダリル様は……いや、心の中でも様付けしたくない。ダリルはなんていうか、こう……クソ野郎だ。
「嫌!? 貴族の令嬢が自分の意思で結婚相手を選べるとでも思っているのか! お前は次期伯爵である俺と結婚するんだよ!」
私が答えに窮していると、伯爵様が低い声を出す。
「ダリル。お前、まだ自分が伯爵家を継げると思っているのか?」
「父上……なにを?」
「お前のような馬鹿に継がせたら伯爵家は滅びる! それが今回のことでよく分かった。後継者はエドウィンだ。お前は王立騎士団の第三師団に送る!」
「だ、第三師団!?」
ダリルの顔が引きつる。
なにせ第三師団といえば、騎士団とは名ばかりで、その実態は『馬鹿息子矯正部隊』だ。
地獄そのものの激しい訓練によって精神的に追い込み、人格を矯正……というより破壊し、真っさらな状態にしてしまうと評判である。
その訓練内容は噂でしか知らないけど、聞きかじっただけで身の毛がよだつ。
「それだけはご勘弁を! 伯爵になれなくてもいい……だから第三師団だけは!」
「うるさい!」
伯爵様の拳がダリルの腹にめり込み、気絶させてしまった。
「やれやれ……なぜこんな馬鹿息子になってしまったのか……親として情けない。だが第三師団なら叩き直してくれるだろう。それでブレンダ? お前はどうするのだ?」
「ダリル様が伯爵家を継げないのであれば、結婚する意味などありませんわ! それよりもエドウィン様……わたくし、実は以前からエドウィン様の素朴で優しい感じが気になっていたのです。今度、お茶をご一緒しませんか?」
「断る。僕に近づかないでくれ。エイミーの妹にこんなことを言いたくないが……はっきり言って君は嫌悪の対象だ」
「まあ! なんて失礼な! いいですわ。わたくし、こんな伯爵家よりもずっと素晴らしい嫁ぎ先を見つけますわ!」
ブレンダは肩を怒らせて屋敷を出て行った。
その後。
ダリルは伯爵様が言ったように、第三師団に送られた。
泣き叫びながら馬車に押し込まれる姿は、どこまでも情けなかった。
ブレンダの行いは、私の両親を激怒させた。
一応、ブレンダにも言い分があった。
いわく、いつもお姉様ばかりズルい、と。王立学園に通わせてもらったり、婚約したり、薬草を作って人から褒められたりして恵まれている。だからお姉様から婚約者を奪いたかった――そんなことを実家で叫んだらしい。
呆れた話だ。
ブレンダが王立学園に行けなかったのは、入試に合格する学力がないからだ。婚約者は焦らずともお父様がいつか見つけてくれたはず。そして私が薬草作りで評価されたのは、僭越ながら私の努力の結果である。
その辺りをなにも考えず姉の婚約者を奪おうとしたブレンダを、お父様とお母様は許さなかった。
結末はダリルと似たようなもの。
ストレスで吐くほど厳しいと評判の全寮制の女子学園に送ったのだ。一度入学すれば卒業まで敷地から出られないらしい。
実の妹のことなので、ちょっとは可哀想だという気持ちが湧く。
しかし世間知らずのブレンダには、家を離れる経験が必要だろう。
お父様とお母様も、今まで甘やかしすぎたと言っていたし。
次に会うときは、もう少しまともな人格を備えていることを祈る。
そして私はダリルとの婚約話がなくなっても、相変わらず毎日、土にまみれて薬草を育て、エドウィンの工場に卸している。
ある日。
珍しくエドウィンが畑に一人でやってきた。
薬草の剪定作業をしている私をじっと見つめ、それからふと呟いた。
「エイミーは美しいな」
「はい?」
私は顔を上げてエドウィンを見る。
「なんのつもりです? せめて仕事が終わって着替えてから言ってくれないと、お世辞としても受け取れませんよ」
「お世辞じゃない。仕事をしている君は美しいよ」
エドウィンは真剣な顔で言うので、私は少しドキドキしてしまった。
「えっと……どうも」
まあ確かに私は真剣に仕事をしている。そして真剣に仕事をしている人は格好良く見えたりする。彼はそういう意味で言ってくれているのだろう。
「……その様子だと伝わってないみたいだな……僕は君が女性として魅力的だと言ってるんだ」
え。ええっ?
「いや、いやいや! 今の私は作業着ですし、化粧もしてませんし、土と泥まみれですし……からかわないでください」
「からかってなどいない。それで、だ。君と兄さんの婚約はなくなった。しかし伯爵家と男爵家の婚約が解消されたわけじゃない。いや、そういう話じゃないな……。家同士のことなんてどうでもいいんだ。そうじゃなくて、僕が君をどう思っているか伝えにきたんだ!」
エドウィンは私に近づいてくる。
距離が縮まるにつれ、私の鼓動が速くなっていく。
なんだ? どういう状況?
「兄さんはそう思わなかったらしいし、ほかの誰もがそう思わなかったとしても、僕にとっては薬草を育てているエイミーが世界で一番綺麗なんだ。兄さんが君にしたことは決して許せないけど、僥倖でもあった。おかげでエイミーが誰の婚約者でもなくなったから」
そこでエドウィンは一度言葉を切り、息を吸ってから続ける。
「好きだ。僕と結婚して欲しい」
私は頭が真っ白になっていた。
好き?
家同士の繋がりを保つための政略結婚ではなく、好きだから結婚?
私が薬草を育てる姿が世界で一番綺麗?
「エドウィンは……私のこと、ずっとそう思っていたんですか……?」
「そうだ」
「だって……そんな素振りありませんでした……」
「あったよ。気づいてないのは多分、学園で君だけだった」
そうなの?
そう言われると女友達から「エドウィンをどう思ってるの」とか何度か聞かれた。
エドウィンからも「兄さんがいなければ僕がエイミーの婚約者なのに」とか言われたことがある。
全て冗談だと思って聞き流していた。
そのくらい私は恋愛に興味がなかった。
そして今頃になって色々思い出して、体温が急上昇している。
「あの、その……!」
私は言葉を絞り出す。
「私、今まで恋とか知らなくて……自分の感情をよく分かってませんけど……多分、今、初恋してます……」
「その相手は僕でいいのかな?」
「当たり前です、言わせないでください、恥ずかしい……!」
「君の場合、ハッキリさせておかないと、やっぱり全然伝わっていなかったというのもあり得るからね。だから、もう一度言うよ。エイミー、君が好きだ」
「はい……! 私もエドウィンが大好きです!」
どうやら私も真実の恋ってのをしてしまったらしい。
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