前編
「エイミー。君との婚約を破棄する」
私がいつものように畑で働いていると、突然、婚約者のダリル様が現れて、そんな宣言をした。
それだけでも驚きなのに、ダリル様の隣には私の妹ブレンダがいて、まるで恋人のように寄り添っている。
「うふふ。ごめんなさい、お姉様。ダリル様は土まみれで雑草を育てているお姉様より、わたくしを選んでくださいました」
「そういうことだ。婚約は伯爵家と男爵家の繋がりを強くするためのもの。君ではなく妹と結婚しても、家同士の約束を破ったことにはならない。俺はブレンダと真実の恋をしたのだ!」
確かにそうかもしれない。
実のところ頷ける話だった。
私の実家の男爵領と、ここ伯爵領は隣接している。
古くから交流が盛んで、私たちの婚約はそれを末永く続けていきましょうという政治的な理由で行われた。
よって結婚するのは私でもブレンダでも問題ない。
私が土まみれなのは一目瞭然。知らない人が見たら男爵家の娘ではなく農民だと思うだろう。
一方、ブレンダは流行のドレスにアクセサリーで着飾り、実にきらびやか。
そりゃそっちを選びたくもなる。
しかし一つだけ修正しておきたい。
「あの。私が育ててるのは雑草じゃなくて薬草なんですけど……」
私はつい一年前まで、王立学園で薬草学を学んでいた。
恐縮ながら、才女として結構評判だったらしい。
それでダリル様はブレンダよりも私に興味を持ってくださり、お見合いからの婚約に至った。
なにせ在学中の私は友人たちの影響で、まあまあ身だしなみに気をつかっていた。男爵家の名に泥を塗らないためという意味合いもあったし、私自身、お洒落にまったく無関心というわけでもない。
だが今は着飾るよりも薬草を育てるのが楽しくて仕方ない。
卒業後は実家ではなく、伯爵家の土地を借りて大規模な薬草畑を作り、毎日頑張っている。
私の作る薬草は取引先の評判がよくて、いまや伯爵領の経済にかなり貢献しているつもりだったんだけど……。
「薬草か。もうそんなものは時代遅れだ。なにせ俺の弟が経営する工場で作られるポーションは、お前の薬草などより遙かに効果が高い。よって薬草畑など土地の無駄! お前も無駄な人間だ!」
「いや、その工場で使ってるポーションの材料は私が――」
「黙れ! もうお前の芋臭い姿など見たくない。今すぐ出ていけ!」
私は一年間頑張って作ってきた薬草畑からつまみ出されてしまった。
とぼとぼと作業着のまま宿屋まで行く。
そして受付で衝撃的なことを言われた。
「エイミー様。一年間のご利用、ありがとうございました」
私はこの宿屋の一室を長期契約で借りて寝泊まりしていた。
もっとも料金を払っていたのは伯爵家。
さっきダリル様が直接来て、今日で契約終了だと告げたらしい。
私は作業服からドレスに着替え、すっかり顔なじみになった従業員たちの哀れんだ表情に見送られて宿を出る。
私物が少ないのでトランク二つに収まったが、それでも重い。
なんとか馬車を見つけ、ポーション工場まで乗せてもらう。
「やあエイミー。随分と荷物が多いね。帰省でもするの? それとも旅行?」
と、私を出迎えてくれたのはポーション工場の社長にして、王立学園の同期だったエドウィンだ。
兄弟揃って美形だけど、エドウィンのほうがずっと優しそうな顔だ。
彼のそばにいると自然と落ち着く。
けれど今ばかりは、急に涙があふれてきた。
「エイミー!? ど、どうしたんだ? ……とにかくこっちにおいで」
急に現れた奴が自分の顔を見るなり泣き出したら、誰だって慌てる。
それでも彼は私をなだめつつ、事務所に連れて行ってくれた。
泣くつもりなんてなかったのに。
仕事の話をするつもりだったのに。
そう。仕事。
私が作った薬草の大半は、この工場でポーションに加工される。
王立学園にいたときから二人で計画していたのだ。
事業は軌道に乗り、私たちのポーションは伯爵領だけでなく、王国全体に普及しつつある。
怪我を治すポーションだけでなく、病気を治すポーション、解毒ポーション。精力剤ポーションなんてのも作ってたり。
その売上で領地の税収が増えたし、ポーションを買い付けに商人が集まるので、この一年で物流が盛んになった。
全てが私の功績だなんて言うつもりはない。けれど評価されていると思っていた。
まさかある日突然、畑も宿も取り上げられるなんて想像していなかった。
私は嗚咽混じりに事情を説明するという、相手からすれば面倒この上ない醜態を晒す。なのにエドウィンは最後まで根気よく聞いてくれた。
「兄さんはなにを考えているんだ!」
そして彼は怒りを込めた声を出す。
「……そうですよね。弟の仕事の邪魔をするなんて……領地の不利益にもなります。なにを考えているんでしょう。ダリル様は次期伯爵だというのに……」
「そんなのはどうでもいいんだ。いや、どうでもよくないけど……自分の婚約者にこんな仕打ちを。しかも君の妹と新たに婚約しただと……そんな横暴、許されない!」
「……確かに。伯爵家と男爵家の婚約を解消したわけではないとはいえ、こんな一方的に……おそらく私の実家になんの相談もしていないでしょうし」
「そうじゃなくて! 家同士の話ではなく! 君という人間にこんな仕打ちをしたというのが許せないんだよ!」
エドウィンは拳を握りしめて叫んだ。
それを見て私は驚き、ぽかんと口を開けてしまう。
「エドウィンがこんなに怒っているのを見るの、初めてです……というか、怒るんですね」
「当たり前だ。僕だって人間だ。大切な人が酷い扱いを受けたら怒るよ。相手が血の繋がった家族だとしても」
大切な人。
その言葉を聞いて心が温かくなる。さっきまで泣いていたのが嘘のようだ。
「ありがとうございます、エドウィン。私もあなたが一番大切な親友です」
すると、どうしてか彼の目が一瞬、細くなった。
私、なにか気に障ることを言った?
「まあ、いい。その笑顔に免じて、今はよしとしよう。そして確かにこれは伯爵家と男爵家の問題でもある。父上が許すはずがない。兄さんの独断に違いないが……どこまで本気なんだ……?」
連絡を受けて、エドウィンとダリル様の父親、つまり伯爵様が工場にやって来た。
事情を聞いた伯爵様は顔を真っ赤にして自分の長男をなじり、それから私に頭を下げて謝った。
「エイミー。本当に申し訳ない。私が伯爵という立場でなければ、土下座したいくらいだ」
「いや、土下座なんかされたら逆に恐縮してしまうので……とにかく頭をあげてください」
もともとさほど高くなかったダリル様に対する好感度は今や地を這っているが、伯爵様にはとてもよくしてもらった。そんな人に土下座されたら申し訳なくて私も土下座してしまう。
「それにしても兄さんは、ポーションの材料がエイミーの薬草だって知らないのか? 僕は伝えたはずだけど……」
「私も言っているぞ。エイミーはいまや伯爵領にとってなくてはならない人間だから、もっと大切にしろと……あいつ、聞き流していたのか?」
三人で伯爵家の屋敷に行く。
するとダリル様とブレンダが待ち構えていた。
「父上、エドウィン。報告したいことがある。男爵家との婚約だが、相手はエイミーではなく、このブレンダに変更だ。俺はブレンダに真実の恋をした!」
と、ダリル様が言い終わると同時に、伯爵様の拳がそのドヤ顔にめり込んだ。
「この馬鹿息子がぁぁっ!」
なお伯爵様は若い頃、王立騎士団に所属していたことがあり、領主になった今でも筋骨隆々だ。
そんな人が細身のダリル様を殴ったものだから『人間ってこんなに飛ぶんだ』とちょっと感動するくらい吹っ飛んだ。
その隣にいたブレンダは甲高い悲鳴を上げる。きゃーきゃー喚くばかりでダリル様に駆け寄るわけでもない。突然のことなので仕方がないけど、もうちょっとなんとかならないのか。私を切り捨て、婚約者同士になったんだから。




