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どこへいく、ダンボール

作者: quiet



 部屋の隅にイタチが住み着いた。

 というわけで、引っ越すことにした。


 よくある話と言えばよくある話であると思うが、まさか東京中央線沿いに住んでまでなお野生動物の侵入によって転居を余儀なくされるとはまさかまさかの絵空事。てっきりもう二年くらいはここに住むものと思っていたから、大慌てで引っ越し業者に連絡をする羽目になった。


 なにせ、イタチである。

 凶暴なのである。


 あのパッと見いかにも愛らしい感じの小動物が凶暴と言われてもおそらく多くの人間がピンとこないと思われるが、しかし事実である。ある日突然部屋の中に現れたその動物(そもそもどうやって入ってきたのか定かではない――私は窓もカーテンも玄関ドアも平気で二ヶ月くらいは開けないで過ごすのだ。郵便受けからぬるりと入ってきたのか?)を見るや私はすぐさまインターネットサーチングを開始。ちょっと『イタチ 凶暴』と検索窓に入れてエンターキーを押してみるだけで出るわ出るわ世界の真実。正しい知識をつけることで、「どうもこの生き物を相手にどすこいと力比べをするのは難しいらしいぞ」と察しがつき、それゆえ触らぬ獣に痛みなしと言わんばかりにそそくさと縄張りを明け渡して撤退することに決めたのである。


 おお、なんたる腰抜けぶり!

 生態系の頂点に君臨するまで蹂躙の限りを尽くした過去人類たちが今の私を見て、いかなる溜息を吐くことだろう!


 しかしすでに死んだ者の言葉など大して関係のない話である。軟弱、惰弱、大変結構。私は今を生きるのだ。


 そういうわけで私は犬歯を剥き出しにした獰猛なるイタチの視線に耐えつつ引っ越し業者を探すことに決めた。自力でやる、という選択肢ももちろんあった。私の自動車運転技術が人並み以上であるか、もしくは全ての荷物をよっこらせと背負って遥々次の転居先までえいやっと歩いていけるだけの尋常ならざる筋力体力が備わっているかすれば。しかし大抵の場合、人間はその場面場面で最も楽な方法を取るのに必要な能力を持ち合わせておらず、悔しい思いをする羽目になる。私はハンカチをきつく噛みしめながら、インターネットで引越しの見積もりを依頼した。


 そして四件ほど見積りを終えたところで、どうやら私の人生はここでイタチに食い荒らされることで終止符を打たれてしまうらしいな、ということが透けて見えてきた。


 なにせ、三月である。

 駆け込みなのである。


 何も私は引っ越し業者が不当に値を釣りあげているとは思わない――社会が悪いのだ。なぜか揃いも揃って四月から新生活を送れ送れ足並みを合わせろぜんたーい進め!とばかりに同じ方向へと向かわせる社会が良くないのだ。どの業者もてんやわんやの大騒ぎ。ある引っ越し会社など妙に受け答えの途中で息が荒いと思って訊ねれば、「実は今、サバンナで……」「ライオンに……追われていて……」などと言うのである。なるほど確かにこの国に住む誰かがサバンナにまで引っ越していく可能性はそこまで高くないとはいえ、引っ越しのシーズンなのだ。業者に詰めかける何千人の中にはそうした場所で新しい日々を始めたいと思う者が少なからず混じっていてもおかしくはあるまい。おそらく電話先の彼は香ばしい匂いのする羽毛布団を背負ってライオンから逃げ回っていたのだろう。繁忙期とはいずれの業界においてもかくも過酷なものなのである。


 繁忙の中ではどんどん引っ越し価格が釣り上がる。それはもうありえんくらいに上がる。月まで届く。そして残念ながら私にそれを受け止めるだけの資力はない。なにせ人類だって月面に着陸するまで西暦1969年を待たなければならなかったのである。そうなればもう納得だろう。このままこの場に身を置いて、イタチを相手に縄張り争いで敗北し、命を落とすほか私に道はなかったのである。


 ないように見えたのである。

 チラシが入っていた。


 郵便受けに入っているチラシなど大抵は家庭教師とフィットネスと出前のご案内――特に出前のそれを見て「いつかこういうものを平気で食べられるような人間になってみせるぞ」と決意を新たにした上でゴミ箱にシュートするくらいしか用途のないものと思われがちであるが、実は意外とそうではないのである。私はチラシを楽しんでいる。情報を人に伝えようとする営みの中には必ず何かの知恵や工夫が存在し、私はその中に人間理性に対する深い洞察……あるいは理性幻想に対する一方的な眼差しを感じずにはいられない。というわけで私はそれをとても(すごく)粘着質に眺めることにしている。こういうことをしているとどんどん人生の残り時間が少なくなっていくことはわかっているのだが、しかしそれがなんだというのだろう。理解とは決して、解決法の発見を意味する言葉ではないのだ……。


 そのチラシの中に、一枚、とても重要なものが入っていた。

 何でも屋、と書かれたものである。


 私はこの職業を見るたびに驚嘆してしまう――何でも屋。あまりにも凄まじい響きではないか。現代の若者がみな「何者でもない自分」に悩んでいる一方で、「何でもこなす」と大胆宣言。もちろんこれは頼みごとの種類によっては「すみません、さすがにウチでは……」と断るという暗黙の社会了解があるものだと思われるが(だって、どんな「何でも屋」だって「ウチの庭、石油が出るまで掘ってくれるかな?」と言われたら「お前いくらなんでも」と応えたくなるというものだろう。なんなら二、三発殴ってしまっても構うまい。いや、嘘だ。暴力はよくない)、しかしここまで大きく出ては並大抵のことでは引き下がることもできず、また引き下がっても何やらぐちぐち言われるに違いない。想像だけで私は胃が痛くなる。凄まじい言葉だ。


 ところで、話は戻る。

 何でも屋、というからには引っ越しもまたその「何でも」の範囲に入るのではないかと思った。


 私は実を言うと電話というものがあまり得意ではなく(特に電話のうち「話」の部分が得意でない。しかし、では「電」の部分は得意なのかと訊かれたら微妙だ。いちばん適応力の高い原始人にはテレビの扱いで負ける可能性がある)、大変などきどきとともにそのチラシに書かれた番号へと電話をかけた。


 これが、とりあえずよかった。

 引き受けてくれたのである。


 快活な声だった――なぜかべらぼうに流暢なエスペラント語で受け答えをされたのには流石におったまげたが、しかしそれもまた世界中の誰とでもコミュニケーションを成立させてやるぞという気合の現れだったのではないかと好意的に解釈してしまうくらいにはトントン拍子で話はまとまった。あすには梱包用のダンボールをお送りします。引越しの日は再来週のこの日この時間で構いませんでしょうか。え? 部屋にイタチが? はっはっは、何も気にしやしませんよ。こちとらねえ……いや、みなまで言いやしませんがね、へへ……。そんな調子だった。


 私はよろしくお願いしますと言ってうきうきで電話を切った。ちなみにダンボールの配達についてはなぜか全くの嘘で、代わりとばかりに大量の発泡スチロールだけが届いたのだが(これは本当に不可解だった。いまだになぜこの部分が嘘だったのか、その真相は闇に包まれている)、「そろそろ出て行きます」とイタチに伝えると「しょうがねえなあ」と溜息をひとつ吐いて馬鹿みたいにでっけえのをひとつわけてもらえた。こればっかりはサンキューである。


 さて、それから私はしばらく無為な時間を過ごした。

 しかし、これはある意味で前向きな無為だったのである。


 とにかく引越しの準備をすべきだと思っていた。思ってはいたのだ。が、身体がついてこなかった。目の前にある最も重要なタスクを処理しなければならないという認識だけは十分以上に備えていたのだが、残念ながらそれを実行に移すだけの体力気力が湧いて出てこなかった。


 するとどういうことが起きるかと言うと――引越しの準備よりも優先順位が低いと判断される全ての事柄についても「今はこんなことをしている場合ではないぞ」と理性がストップをかけてくるのである。驚くべきことだった。これがいわゆるボトルネックというやつか!と思わず閃いてしまうくらいの驚きだった(そして実際にはボトルネックとはそういうものではないらしかった。少なくともインターネットの上では)。


 一日、二日、三日とただ無為に無為無為過ぎていく。四日目にもなると流石のイタチも私がすでに死んだものかと思ったらしく、区役所への電話連絡を始める有様だった。


 そして、五日目。

 とうとう私は動いた。


 ダンボールの中にありとあらゆるものを投げ込んだ。詰め込んだ。周辺一帯、私の生息に必要とされるものを片端から放り込んでやったのだ。その込みっぷりと言ったら尋常のものではなく、誤解を恐れず言うなら「込みすぎ」とすら称することができるほどだった。あまりの「込みっぷり」になんと町内会の回覧板に私の情報が記載された――それほどの「込みすぎ」ぶりだったのである。


 そしてどうしてそんな「込みすぎ」な作業ができたのか――それは、私が「えらい」から。説明はその一点に尽きる。これもまた、はっきり言ってしまうと「えらい」どころの話ではなかった。「えらすぎ」である。具体的に何かに喩えることすら憚られるほどの「えらさ」だった。私はたった一つのそれを武器に、とにかくそのダンボールの中に全てを詰め込むことに成功した。全てがダンボールに込められてしまった部屋では、春の香りの風が空虚の中を吹き渡る。このようにして部屋は引き払われ、またほとんど同じようにして人はこの世を去っていく。何もなくなったその部屋は、ただいずれの私の鏡写しであった。


 インターホンを押して何でも屋が訪れた。

 でかいすね、これすか、ということをエスペラント語で言い、まあでも任せといてくださいよ、と笑顔と背中で語り、彼はダンボールを搬出し、トラックに詰め込み、去っていった。


 さて、と私も靴を履き、家を出た。不動産屋に鍵を返した。家の周りを散歩して、名残を惜しんだ。それからようやく、新居に向かおうとした。


 そこで気付いたのだが、私は引越すことばかりに夢中で、全く新居を定めていなかったのである。


 困惑した――では、あの何でも屋は一体どこに私の荷物を持って行ってしまったのだろう? 荷物というのは過去だ。あるいは、その人そのものと言っても過言ではない。それを持って、一体どこに消えてしまったのだろう――。


 なにせエスペラント語を操る相手である。世界中、どこに行ってもやっていけている可能性がある。私の荷物を背負ったままインドアメリカムー大陸……。消息不明の一人旅の可能性が、とてもとてもあるのである。


 しばらく茫然として、しかしハッと気が付いた。通話履歴だ。以前にあの何でも屋に依頼したとき――そのとき、確かに電話をかけたのだ。その履歴をもとにして、まずは疑う前に彼に連絡を取って、一体どうなっているのか確かめてみる。私にはその手段が残されていたのである。


 ダイヤルをした。

 プルルル、プルルル……と呼び出し音が、遠くから聞こえてくる。


 通話の繋がる気配はない。けれど私は、その呼び出し音を頼りに歩き続けた。どれほどの距離があっても、どこかで鳴っていることは確かにわかる……そうして、長い長い道のりを進んだ。行く先々には知らない公園がいくつもあって、桜が咲くばかり。子どもが花びらを捕まえようと大きな声を出して駆けまわっている。


 やがて、私は辿り果てた。

 奇妙なくらいにぽっかりと……何もなくなっている場所に。


 しかしどうやら、それは本当の無ではないらしい。手を伸ばせば、少しだけ感触があったのだ。そして私は、それにうっすらと覚えがあった。きっとここなのではないかという場所を押してみれば、そして本当に、予想したとおりの音が鳴った。


 ぴんぽん、と。


 あとはもう、言うべき言葉はわかっていた。

 でかいすね、これすか――見えもしないそれを腕いっぱいに抱えて、運んでいく。不可視のトラックの中に詰める。エンジンがかかり、遠ざかっていく気配を見送る。


 そして、見えもしない私が出てきて、不動産屋へと歩いていく――そのことを感じながら視線を上げれば、空ばかりが澄み渡る。


 私の荷物は、一体どこへ消えて行ってしまったのだろう?


 日々を詰め込んだダンボールは――あるいは時間や、現存在全てを詰め込んだあの箱は、一体どこに、誰に持ち去られてしまったのだろう?


 確かなのは、それが何度も、幾度も繰り返されてきたことであるということ。



 目を閉じる。

 イタチの声はなく、エコーだけが聞こえる。


 その色は、透明だった。



(了)

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 何もかもが気になるのに★5つけてしまう謎の空気…… サブカルチャーーッッ!! [一言] もし仕掛けがあったらすいません。いたちとは……なんだったんだろう
[良い点] めっちゃ共感できました! 引っ越しの段ボール詰めって早くやろうと思っててもついぎりぎりになっちゃいますよね! [気になる点] 最後まで読んだけど何も分からなかったこと
[気になる点] 少しあらゐけいいちさんぽかったかな? (もし全然知らなかったらごめんなさいm(_ _)m) [一言] 難解でしたね、、 自分の読解力では理解しきれなかった、、、
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