第五話 挨拶もできない人間はろくな奴じゃない
――マヤ達が黒甲冑の騎士に遭遇する数時間前。
迷宮都市の入り組んだ裏路地、一際目を引くレトロな建物の二階でとある会議が行われていた。アンティーク調の家具で揃えられた内装は暖かみを感じさせ、所狭しに並べられた本棚と相まって図書館のようにも見える。
部屋の中心に置かれた、足に細かな彫刻の施された丸机を挟んで2人の女性が椅子に腰をかける。
「ネイラ様、では私があの甲冑を着て《戦乙女》のリタを襲う、ということですか?」
透き通るような肌が特徴的な、線の細く薄幸そうな少女がなんとも物騒な質問をぶつけた。勿忘草のような薄い藍色のさらさらとした髪の毛と相まって、なんだかこの世のものでは無いような印象を受ける。
「うむ、そうだ。殺す勢いでいけよ、こう、ぐあーっとな!マイロはいつも覇気が足りないからな」
薄紫のボサボサな長い髪を揺らしながら、これまた物騒に返答をするネイラと呼ばれた女性。
彼女の身なりを一言で表すならば『魔女』だろう。よれよれのとんがり帽子に質素な闇色のワンピース、せめてもの装飾にと胸元に添えられた赤いリボンが主張の少ない胸の助けに一役買っている。
「殺してしまってよろしいのですか?彼女はネイラ様の究極の死霊術に必要不可欠、と前に仰られていましたが……」
「いいよ、やっちゃって。こんな所で死ぬならそれだけの器だったってことね。逆に下手に手加減なんてしよう物なら意味が無いじゃない。切迫した命の奪い合い……その瞬間こそが人の魂の絶頂よ、そうして魂は洗練され、より輝きを増していくの……!」
恍惚とした表情を浮かべ、そう熱弁するネイラはまるで何かに取り憑かれたようであった。こうなったネイラ様は誰にも止められない。
「そういえば、あの甲冑を着るという話でしたけど……あれ、とてつもなく動きづらそうなんですが着ないとダメですか?」
迂闊に装備でもしたら呪われそうだ、とマイロは闇のような黒で塗られた甲冑に目を向ける。
「ふふ、それは心配ないさ。あれは特製の甲冑でね。私の死霊術であの鎧には遥か昔王家に仕えた騎士の魂が込められているんだ。だから君が念じれば、魂が呼応して自動で動いてくれるのさ。上質な魂だからきっと遅れを取ることはないだろう、更に圧倒的過ぎないようにも調整済みだ。……何より今は君の太刀筋と顔を隠す必要もあってね。初めは慣れないだろうが、頼んだよ」
「それは凄いですね……そういった装備を量産出来れば、どんな寄せ集めでも優れた軍隊を作れそうじゃないですか?」
「ん……まぁ出来ないこともないがこの装備には一個デメリットがあってね。……それは装備する本人の魂、つまるところ寿命を犠牲にして動いてるのさ。もちろんそれですぐに死に至ることは無い、大体1時間で1ヶ月って所か」
はぁ、やっぱり呪い付きの装備じゃないか、とマイロはため息をつく。
「寿命を犠牲にして戦い続ける最強の軍隊……戦いに勝ったとしても戦士達がその後死んでしまえば意味ないですね……まぁ私はその程度気にしませんが。探索者などをやっている時点で大人しく寿命で死ねるとは思っていないので」
流石私の部下だ、と言わんばかりに肩を竦めるネイラは椅子から立ち上がり、窓から空へ目をやった。
「リタ、君には期待してるよ。君程の美しさと強さを兼ね備えた存在はそうそう見つからないだろう。だが、まだ完成とは言えない……君にはまだ足りないんだ、目を覆いたくなるほどの絶望がね」
今日の迷宮都市の天気は快晴。
――水晶予報によれば、その後天気は荒れ模様となる。
マイロは困惑していた。
この赤目の少年は何者なのか、なぜここまでして戦女神を守るのか。そのどれもがマイロには理解し難いものだった。
鬱陶しい右足の拘束を無理矢理に振りほどき、マヤ、と呼ばれていた少年に目を向ける。先程から彼の魔法は見たことのない物ばかりだ。
超適合者、もしくは色持ちと呼ばれるような存在がいて、彼らの特徴が特殊魔法発動時に変化する目の色であることは知っていた。がしかし、勿論のこと実際に相手取ったことはなかった。
未知の魔法というものがこんなにも驚異となるのかとマイロは認識を改める。
戦女神を逃してしまったので既に任務は失敗だ。しかしこの少年をどうしたものかとマイロは考えを巡らすも、間髪を入れず赤目の少年の奇怪な魔法が飛んでくる。
しかしあの魔法単体ならば回避するのは容易く、軽々とやり過ごす。
マイロは考える、あの少年はどうしたものか。
一人になった今ならばきっと殺すのは容易い。それにここで生かしておけば計画の障害になるだろう。しかし、私は彼を殺したくなかった。単純に興味が湧いてしまったのだ、彼の傲慢なまでの自己犠牲の精神に。
うむ、どうしたものか、と考えを巡らせながら片手間に飛来してきた魔法を回避した。
やはり、慣れないことをするもんじゃないな。後先考えずに体が行動してしまうのは俺の悪い癖だ。
リタを逃がし一人残ってみたはいいものの、勝算なんてものはどこにも無い。先程から魔法を売ってはいるが相手にかすりもしないのだ。
あれだけの動きができる黒騎士を身一つで抑え込んでいたリタはやはり凄い、と改めて感じる。
「かっこつけて一人でやれるかと思ったけど、まぁそんな事ないよなぁ」
このままでは拉致が開かないので、剣を抜き近接戦闘へと持ち込んでみるか。俺は剣の扱いはそこまで上手くはない、先程の戦いも戦力になったのはあの特殊魔法だけだ。
だが、魔法と剣を織り交ぜながらやれば善戦はできるかもしれない。
息を整え、敵を見据える。
「よし……やるぞ」
『念力』で足に運動エネルギーを込め、踏み込みをより強化する。そうして身体能力以上の速度で黒騎士へと一気に接近し、横薙ぎに長剣を振り抜く。
ガンッ、と鈍い金属音と共に腕に振動がはしる。
俺の渾身の剣撃にも、黒騎士は剣を構えることすらしない。甲冑に攻撃を当てても腕がこのざまだ。
「まるで蚊にでも刺された反応だなおい……」
ようやく此方に目をやった黒騎士と目が合う。甲冑の奥は闇夜のように暗く、相手の顔など見えなかった。ただとてつもない相手の絶望を覗いたような、幸福から最も離れた感情がそこにあったのが確かに感じられた。
そして俺の腹部に走る衝撃。
「かは……ぁっ」
剣の柄による強烈な突き。
身体の内蔵が衝撃で押し潰されるのを感じた。吐きそうになるのを堪えるも身体は思うように動かず、息をすることすらままならない。
その場に蹲ってしまった俺は涙目になりながら黒騎士を見上げることしかできなかった。
格好つけた結果がこれか……まぁ俺らしいといえば俺らしいのだが。
悪いなエリー、今日は帰れそうにない。どうやら俺も、お前の兄が辿った道を進むことになりそうだ。
甲冑の奥に見える闇は、まるで俺の命を吸い込むかのように深い。すると、突如その暗闇から黒騎士は俺に語りかけた。
『赤目、なぜお前は戦乙女を助ける』
「っ……お前、喋れたのかよ」
まずに人に出会ったら挨拶だろうってお母さんに教わらなかったのか。やはり、挨拶もできない人間はろくな奴じゃない。
「……俺は、この理不尽な世界が嫌いだ……明日を生きるべき人間が死に、生きる価値もないような人間が朝日をぼーっと眺めている。それでも世界は止まらないし、俺達も変わらない」
持っていた剣を地面に突き刺し、杖にして立ち上がる。度重なる特殊魔法の発動で俺の魔力はもう底を尽きた。最後の気力をかき集めても喋るのがやっとだ。
『それはその通りだ、でもそれは質問の答えにはなっていない。もう一度問う、なぜお前はそれでも助ける』
「……それでも俺の傲慢で、嘘に塗れた正義感がそれを許さない。勿論、本当は失うのが怖いだけだ。ただでさえ孤独な俺が、周りの人間も見殺しにしたら……そんなのはもう死んだも同然だろう」
『……傲慢で、それでいて愚かだ。下らない自己犠牲で、自己満足だ。全てが、いつか失われてしまうというのに。お前は身を捨ててでもそれを手放さないとでもいうのか』
「当たり前だ……また誰かを目の前で失うよりは、よっぽどマシに感じるな」
その言葉で、黒騎士の心が一瞬揺らいだのを感じた。奴もまた、同じ経験をしたことがあるのだろうか。だけど今はそんなことを考える余裕なんてない。
思えば俺はずっと死に場所を探していた。……親友を見殺しにした罪の意識、俺はそれに囚われていたのだ。生きていくにはとても重すぎる重圧だ。
「ジャスター、悪いな。俺もお前がしたように、一つの命を救ってこの世から去るとするよ。……これでお前は許してくれるか……?」
目の前を走馬灯が駆け巡っていく。楽しい思い出も辛い思い出も、等しく頭に流れ込んでくる。無論分かっていたが、満足の行く人生とは言い難いな。
どちらかというと辛い思い出の方が多いじゃねーか。それも俺らしいと言えばそれまでだが。
寂しい人生だった。欲を言えば、もう一度エリーの手料理が食べたかったなぁ……
「俺のくだらない自己犠牲に付き合ってくれて、礼を言うぜ黒騎士」
俺がそう言うと、黒騎士は相変わらずのくぐもった声で言った。
『……生憎、お前はまだ死ぬことはできない。これもまた、お前の嫌いな理不尽とやらだ』
魔力を使い果たし、ぼうっとする思考の中で確かに奴はそう言った。駄目だな、体内の魔力を使い果たしたせいで意識が持たない。
朧気な意識の中で最後、誰かが俺を呼ぶ声が聞こえた。
――そして視界は、暗く閉ざされた。