第三話 苦手なものはトマトと責任の伴う仕事
――迷宮第五層、ここは洞窟型迷宮の最終階層。
迷宮は階層によってその姿形を大きく変えることが確認されている。現在確認されているのは確か第四十五層までだったか、噂によると階層主が水生のモンスターの為に手出しが出来ずに足止めをくらっているらしい。
それにしても探索者のトップ層は四十五層まで潜るのか……第三層の子供騙しな罠に引っかかった俺には遠い世界の話だ。
それよりも、今は自分の任務に集中しなくては。
昨日、居候先の家主であるエリーの予知能力によって、今日の昼下がりにリタの身に死が迫ると分かった。以前助けられたことのある俺は彼女を尾行し、必要であれば助けに加わるつもりでいる。
俺は剣の腕にあまり自身はないが、一つ隠し玉を持っている。あまり人に知られたくは無いが命の危機に使わなければそもそも隠し玉としての意味が無いだろう。それがあれば多少は戦力になる……と思う。
それに、俺は何となく彼女のことを信用してるのだ。
話したのは一度だけ、その内容も中々に酷いものではあったが、それとなく彼女の誠実さや実直さが伝わってくるのだ。だからこの能力を人に無闇に言いふらすことも無いと勝手に思っている。
きっと彼女は誰よりも強く、正しくて、真っ直ぐだ。それ故に、曲がりくねったこの世界は生きづらいだろう。そして捻れ曲がった俺の性根とも合わないのだろうな……
完璧というのは、それを意識するほどに身動きが取りづらくなっていく。そのメッキを剥がさないために一歩踏み出すことすら躊躇われてしまうのだ。
だが目を閉じてしまえばそんなものは関係ない。
間違いだらけの世界で生きるのはとても簡単なのだから。
「しっかしあいつ強いな……この辺りの敵なんてほぼ一撃じゃねぇか」
流石孤高の美少女剣士、期待の新人と噂されているだけはある。強さだけでなく、彼女の剣筋は見栄えが良い。
その流れるような動きは風に木の葉が舞うようで、いとも簡単に敵を切り伏せていく。
「これ俺の助けなんているのか……?もしあいつでどうしようも無いなら2人揃ってお陀仏なのでは」
なんだか不穏な気配がする。エリーの予知は百発百中、外れることなんて今まで無かった。
彼女が死が迫ると言えばそれは本当なのだ。だが逆に言えば死は迫るだけ、死ぬと断然されていないだけまだ可能性がある。
それは変えられる未来であるということだ。そしてその運命は確実に俺にかかっている。
苦手なものはトマトと責任の伴う仕事、神はどうしてリタの命運を俺に握らせたのだろうか。
明らかな人選ミスとしか言い様がない。お茶出しくらいなら頑張りますけどね、俺。
もうすぐこの第五層も終わりに差し掛かっている。運良く第五層の階層主には出会わなかったようだ。
階層主と言うのは五層刻みに出現する強力な敵モンスターのことを指す。彼らは雑魚敵とは比べ物にならないほどの戦闘力を持っており、基本的にはパーティを組んでの討伐だ。第五層の階層主、【コロネルオーク】ですら中級冒険者一人では危険が伴うだろう。
勿論、階層主を倒さずとも次のテーマの階層へと進むこともできるが、それには大きなデメリットが伴う。
それは、『帰還ポータル』の使用権限の可否だ。
帰還ポータルは各テーマの最終層、つまり階層主のいる階層の最奥部に置かれており、これに手をかざすだけで地上の転送先へと帰ってくることができるものだ。これの存在のお陰で、探索者は帰りの分の食料や体力、時間を気にせず探索に突き進む事が出来るようになっている。魔力も迷宮内に滞留しているものを吸収して使っているようなので消費することもない。
しかし、その使用権限はその階層の階層主を倒したものにしか与えられない。つまるところ、五階層ごとに現れる階層主は強力だが、倒さなければその階層の帰還ポータルは使用できないということだ。
以上のこともあり、階層主を倒さずに進む者は滅多にいない。大きく環境の変化する迷宮内部では、考え無しに先に進めばすぐに追い詰められてしまう可能性がある。
そうなれば帰還ポータルも封じられているため、ほぼ詰みと言っていい状況に陥ってしまうだろう。
遠足は家に帰るまでが遠足なのだ。その絶対的ルールを守らなければ命を落とす、これが自然の摂理だ。
肝に銘じておけ、小学生諸君。
――ふとまたリタの方に目をやると、彼女が立ち止まっているのが目に入る。
そして、彼女はおもむろに振り返ってこう言った。
「さっきから私の後を付けてきている人、気配がバレバレよ。何か用件があるなら直接言ってきたらどう?」
いや、バレてるじゃん。
さっきからと言うのを聞くに、気付いてながら泳がせていたのだろう。なんと肝っ玉の座ってる女。
しかし別に俺がなにか悪いことをしていた訳じゃない。
昨日出会ったばかりの俺が、「危険が迫っていると予言があったので助けに来た」と言っても信用されないと判断して隠れていただけだ。
そんなことを口実にして、そんなに私と一緒にいたいのかしら?とか言われかねない……本当に言われかねないんだよな。
だがバレてしまったのなら仕方がない、ここは適当な理由でもつけて姿を現すとしよう。
そう考えて岩陰から一歩踏み出そうとすると、他の人間が突如現れた気配がした。俺は慌てて足を止め、ちらりと向こうの様子を見る。
見れば洞窟の岩壁に擬態していた人間が二人、隠蔽魔法を解いて現れたようだ。黒のローブを見に纏い、フードを深く被ったその姿からは人物情報が全く把握できない。
まさか俺の他にもリタの後をつけている者がいたとは。そして彼らが彼女に迫る死とやらなのだろう。
「俺たちの完璧な隠蔽魔法に気付くとは、流石期待のルーキーと言ったところか、《戦乙女》のリタ」
ごめんなさい、多分気付かれてたの俺の気配です。しかし見事に奴らが引っかかってくれたので、こちらもやりやすくなったことは確かだ。
リタも完全に戦闘態勢を整え、迎撃の準備が出来ている。
それにしてもあいつ、《戦乙女》なんて格好良い二つ名持ってたのかよ、素直に羨ましい。
一先ずここは様子を見ることにしようか。あのリタが戦闘で遅れをとる姿があまり想像できないし、ここでみすみす俺も姿を見せるよりは隠し刃として待機していた方がいいだろう。
やがて2人組の片方が行動を起こす。素早い動きでリタへと接近し、懐から短剣を取り出した。
あれが彼の武器だろう、短剣は威力は少ないものの手数の多さ、攻撃速度などにおいて利点がある。もし毒や痺れ薬でも仕込んでいればその乱撃ですぐに身体に回ってしまうだろう。
対してリタの武器はスタンダードな剣が一本。果たしてそれで捌ききれるか、という所だが……
「はっ、なかなかにやるじゃねえか!女のくせによ」
彼女は攻撃を見事に受け流しつつ、何回か攻撃にも転じている。ローブの男の攻撃も決して遅い訳では無い、がしかしリタの精密で流麗な動きと比べると無駄があるように感じてしまう。
手数で無理矢理勝負をつけようとする者に対し、それを最小限の動きで抑え込む者。
その力量の差は歴然だった。
だがしかし、相手側にはもう一人いることを忘れてはならない。もう一人のローブの男は静かにリタの後ろに回りこんで腰の剣を抜き、手薄な背中から強襲する。
これは俺の出番かと身構えて戦場に混ざろうとするも、確かに俺は彼女の目が一瞬後ろから迫り来る男を捉えたのを見た。すると彼女は正面の短剣男に振った剣をそのまま大きく振り回し、背後から来る男にタイミングを合わせて迎撃をする。
予想外の攻撃に男は慌てて剣で抑えようとするも、彼女の体重の乗った攻撃に押し返され、跳ね飛ばされる。そして間髪入れず、後ろの短剣男に渾身の後ろ蹴りを食らわせた。
おいおい、一体どんな戦闘センスしてるんだよ、野生動物かよ。《戦乙女》の名は伊達ではないようだ。
何だったら《女戦士》でもいい気がするが。
現場は再び膠着状態になる。そこで彼女は言い放った。
「……次、2人のうち先に攻めてきた方は道連れにしてでも殺す。それでいいならかかって来なさい」
その強気ながら全く嘘の感じられない発言にローブの男達も気圧される。
いや、この女怖すぎるだろ。二対一の不利なはずの状況が、その一言で大きく覆ったように感じた。
暫くの間双方睨み合っていたが、先に投降を宣言したのは短剣男だった。
無理もない、あの女は必ず殺すと言ったら本当に実行してのける。そんな説得力が彼女のその佇まいからひしひしと伝わってくるのだ。
「はは……そこまで言われちゃ何も出来ねぇな。所詮俺たちは雇われの身だ。お前を生け捕りにしてこいなどと言われたが、金持ちの道楽に命なんてかけてられねぇや。ここらでお暇させてもらうぜ」
そう言うと彼は、腰にかけた袋から手のひらに収まるほどの球を取り出して地面に叩きつけた。
途端その球が破裂し、辺りに白煙が溢れ出す。
「煙幕か……」
煙幕の煙に紛れて隠蔽魔法を使われてしまえば彼らを追跡することは不可能だろう。彼らも雇われなりに対策は取っていたということだ。
それにリタもあの性格だ、変な貴族に恨みを買っていたなんてことも十分有りうるだろう。
しかし短剣男の台詞に一つ気になることがあった。
彼は『生け捕り』にしようとしていたと言ったのだ。つまり、彼らはリタの命を狙っているわけでは無いことになる。
そうするとエリーの予言と矛盾が生じてしまうのだ。ならば予言が間違っていたのだろうか。それはありえないだろう、まだ気を抜くことはできないな。
そしてふと俺は、最悪の考えに行き着く。
「――もし彼女を尾けていたのが俺と彼らだけじゃなかったとしたら?」
第三の勢力がいたとしたら。ローブの男達が姿を現した後も、機会をうかがっていたとしたら。
いつ“それ”は現れ、彼女の命を狩るのだろうか。
「襲うのは、この煙幕に乗じて……!今は敵にとって絶好の状況!」
俺は微かに見えるリタの人影の方に目を凝らし、その瞳の色を鮮やかな深紅に変化させる。身体に魔力を込めるとぼうっと赤い光が漏れだし、瞳の色は更に明るさを増していく。
「特殊魔法、念動力」
これが俺の『奥の手』だ。
迷宮の高濃度な魔力を体に取り込むと、稀にその影響で潜在的な能力が引き出される者がいる。そのような人間は超適合者や、色持ちなどと呼ばれ、畏怖と尊敬の念を抱かれてきた。
その超適合者としての証が、固有の特殊魔法発動時に現れるこの瞳の色だ。人によって発現する色は異なるらしいが、まだ自分以外の超適合者に出会っていないため詳しいところは分からない。
この能力が発現する可能性は極めて低いらしく、身の回りに同族がいないのは決して俺に友達が少ないことが原因ではない、少ないけど。
どうやら昨日オーク相手に発動した時にリタには見られていたようだし、大っぴらに使っても構わないだろう。
「『念力』、煙幕を散らせ」
右手を横に払うと、まるで突風が起こったかのように煙が晴れる。俺の特殊魔法は念動力、これは静から動を生み出す魔法。
煙が晴れるとリタの背後に忍び寄る黒い人影が視認できる。どうやら読みは当たったようだが、その人影はもうリタのすぐ近くまで迫っている。
「リタ!後ろ!」
「えっ?」
必死に呼びかけるも、リタは突然のことに頭の回転が追いついていないようだ。
――彼女目掛けて、襲撃者の剣が振り下ろされる。
洞窟に響き渡る鈍い金属音。反響を繰り返し、随分と長く鳴っていたように感じた。
「あぶね、ギリギリだ」
俺の剣と襲撃者―――全身黒い甲冑に身を包んだ人物の剣が交差し、凄まじい力で押しあっている。
「あなたは……昨日の……」
「マヤだよ、もう名前忘れたのか?まぁ昔から影は薄いんけどな……昨日の借り、今返すぞ」
しかし、俺は腕の力に念動力を加えて強化しているというのに、黒甲冑の敵は涼しげに剣を構えるだけでそれを抑え込んでいる。
その力量の差は歴然であった。さっきのリタとローブの男達のそれを遥かに上回る圧倒的レベル差。
なるほど、これは一筋縄ではいかない。……というかそもそも勝てるビジョンが見えない。
エリーの予言も『死が迫る』とはよくいったものだな、こうして剣を交えてからひしひしと伝わってくるのだ。
――こいつは死そのものであると。