第二話 肝に銘じたまえよ、紳士諸君
「今日も生きて帰ってきたな……相変わらず悪運だけは強い」
迷宮都市の西部に位置する小料理屋、『海猫亭』の前まで来てようやく俺は一息つくことができた。もう時間も遅いので店は灯りを消し、可愛らしい猫が描かれた置看板にも『Closed』と札がかけられている。
海猫亭は見た通り大きくは無いが、これでも隠れた名店として人気があるらしい。その人気の理由の一つには少なからず、若くしてこの店を取り仕切るあの看板娘の影響もあるのだろうな。
そんな事を考えながら、店の正面口の右横、地下一階へと続く階段を下る。
大して長くもない階段を降りきり、すぐ左に見えるドアを開けた。すると料理の美味しそうな匂いが漏れだして、無機質な夜など忘れるような暖かな光に包まれる。
ここが俺の居候先だ。
「たでーまー」
気の抜けたような声とともに足を踏み入れ、靴を脱ぐ。玄関口からはすぐに居間へと繋がっており、人が暮らすには丁度いいくらいの広さだ。
地下室の味気なさをどうにかしようと居間のそこかしこに観葉植物が置かれており、そのお陰か閉塞感はあまり感じられない。
「おかえり!マヤさん」
キッチンの方からととと、と軽やかな足音を立ててやって来たのは赤茶色の髪の女の子。
彼女こそが海猫亭の店主であり看板娘、エリーだ。
「ただいま、エリー。この匂いは……今日の夕飯はカレーかな?」
「あったりー!ささ、もうできてるから冷めないうちに食べちゃお」
まったくよくできた子だ、彼女には今更ながら感心させられる。
この子はきっといいお嫁さんになれるだろうなぁ。だめだ、結婚式での手紙読み上げまで想像して泣きそうになる、もはや既に潤んでいるまである。
その後すぐに手を洗い、自室で服も着替え、食卓に着く。この間僅か30秒である。何たってカレーが冷めたら大変だからな。
ちゃんとよく手を洗わないと不潔だって思ったそこの君、手洗いに手間取って服が着替えられなかったら大変だろうが。特製手作りカレーが冷めたら責任取れるのか?
はい、冗談です。もう一度手は洗います。
よくよく考えてみれば探索帰りはモンスターの返り血や体液を少なからず浴びている訳で……少し寒気がしてきた。念入りに石鹸で手を洗い、もう一度食卓に着く。
「はい、これスプーン。それじゃあマヤさん手を合わせて」
「おう、せーの」
「「いただきます」」
カレーをスプーンめいっぱいに掬い上げて口に運ぶ。まだ熱々だが、それがいいのだ。
「……めちゃくちゃに美味しい」
「ふふふ、それには流石のエリーも満足だよ」
何だこれ、何を入れればこんなに美味しくなるんだ? 味の素か? よく煮込まれた具とルーが溶け合って、甘口ながら素材を引き出した程よい旨味が感じられる。
やっぱりエリーはいいお嫁さんになれるなぁ。そっか……エリーもいつかは運命の人を見つけて行ってしまうのか……
「マヤさん……美味しいのは分かったけど流石に目の前で泣かれるのは怖いよ」
エリーがこちらを半目で見てることに気付く。
いかんいかん、そんなのはまだ先のことだ。でも念の為彼女に変な虫がついていないか確認はしておかないとな。
「ところでエリー。お前、最近気になってる人とかいないか?」
「急にどうしたの、そんなこと聞いて」
「大した意味は無い、ただ何となく知りたくなっただけだ」
そう、エリーは何も知らなくていい。ただちょっとその男の子に不幸な目に合ってもらうだけだから。
「んー、まぁいることにはいるかな」
ガチャン。
おっと手が滑ってスプーンを手から落としてしまった。俺としたことが、幸い落としたのが皿の上だったので持ち手を拭いて持ち直す。
「いるのか……おい、そいつの名前を教えなさい、先生怒らないから」
「なんでそんなに必死なの……えっとね、確か名前はリタさんっていったかな。最近お店によく来てくれる人なんだけど、凄く強い剣士さんなんだって!あんなに綺麗な女の人なのに腕の立つ探索者さんだなんて凄いなぁ、今度話しかけちゃおっかなぁ……ってマヤさん、聞いてる?」
「……あ、あぁ、勿論聞いてるぞ」
「もう、この話マヤさんから振ってきたんだよ?」
何か今、凄く複雑な気持ちだ。
エリーの気になる人とやらが男じゃなくて安心した反面、あのドS女に憧れを抱いてしまったことに恐怖を覚える。
あの優しいエリーが俺を罵倒なんてし始めた時には……うむ、案外ありかもしれんな、踏んでもらうことってできますか?
「マヤさん、そのどことなく気持ち悪い笑みをやめて。それには流石のエリーも困惑だよ……」
「あぁ、ごめん。また考え事してた」
人は考える葦である、と誰かさんも言っていたな。
考えるのは悪いことじゃない、むしろそれが人を人たらしめていると言えよう。
しかしながら、世の中には考えるだけにした方がいい事だってある。なんでも実行に移せばいい訳じゃないのだ。そう、それを肝に銘じたまえよ、紳士諸君。
にしても、リタはそんなに有名だったのか。確かにあの見た目に強さじゃ無理もない。正直彼女の見た目には目を引くものがある……が、皆は見た目に気を取られて内面が見えていないのだ。
美しい花には棘があるというが、あんなの棘どころじゃない。童貞殺戮マシーンの間違いだろう。見た目に惹かれた初心な男達がその後どうなったのか、想像するだけで恐ろしい。
少なくともそのトラウマで一生彼女ができない体にされてしまうな。彼女いたことないんだけど。
「エリー、悪いことはいわない。あいつ……リタだけはやめとけ」
「えぇー、あんなにかっこいい女の人いないのになぁ。それにしてもマヤさん、リタさんのこと知ってるような口ぶりだね。話したことあるの?」
「ん、まぁ今日ちょっとな、敵に囲まれた時に彼女に助けて貰ったよ。いやー、流石にあれは危険を感じたね」
「……マヤさん、また危ない目にあったの?」
うっ、しまった。
エリーの声のトーンが数段落ちる。なんだか悪いことをしてお母さんに叱られている子供みたいに肩身が狭い。
エリーはあまり迷宮にいい印象を持っていない。だから迷宮での事故には過敏に反応してしまうのだ。それも彼女の過去を知れば当然と言えるが。
「あ、あぁ……でもケガとかはしてないし、大丈夫だよ」
「違うよ、ケガした時にはもう遅いの。エリーは、マヤさんに傷ついて欲しくないから言ってるんだよ」
「それについてはすまん……心配させて悪かった」
こればっかりは俺が悪い。きっと今回だけじゃなく、彼女は一人で迷宮に潜る俺をいつも心配に思っていたのだろう。見守る事しかできない歯痒さはきっと俺には想像できないものだ。
「ううん、分かってくれればいいんだよ。でもその代わり、これからはもっと気をつけてほしいな」
「はい……わかりました」
俺は伏し目がちに頷きながら、丁度一年前のあの日を思い出す。その日、エリーは兄を迷宮で亡くしているのだ。あれは事故に近いものだった……しかし、あの時その場にいた俺は彼を救えなかった。それどころか、見殺しにしたと言ってもいいだろう。
彼女の優しさで俺はここに居させてもらっているが、罪悪感と申し訳なさで息苦しく感じることがある。この俺が、彼女に返せるものなんてないというのに。奪ってしまったものの重みは、俺が背負うには重すぎた。
エリーは暗くなってしまった雰囲気を紛らわそうと、何気なく話を変えようとする。
「……そうだ、今度リタさんがお店に来たら助けてくれたことのお礼をしないとだね。次はいつ来てくれるのかなぁ」
そう言って、リタの話をするエリーは完全に恋する乙女の表情だった。そりゃ確かにピンチを颯爽と助けるなんておとぎ話の王子様みたいだけどさ、助けられてるの俺だからな、せいぜい日本昔話がいいとこだ。
他にも海猫亭でのリタの様子などの話を延々と聞かされる内に、美味しい夕飯は食べ終わってしまった。
「ご馳走様、今日も美味しかったよ」
「はーい、食器は台所の方に持ってっちゃってー」
「あい了解した」
ふくれたお腹を擦りながら、食器を片付けていく。
「マヤさんは明日も迷宮探索に行くつもり?」
「ん、まぁな。今日は収穫がいまいちだったし、明日はその分も稼いでおきたいな」
「そっか、今日命の危機に瀕したっていうのによく行く気になるね……はぁ、むしろ尊敬するよ」
「そんな、照れちゃうな」
「別に褒めたわけじゃないんだよ……明日も行くなら今日は早く寝なよ、今日は疲れただろうし」
「あぁ、そうさせてもらうよ」
そう言って俺は軽く伸びをして一旦自室に向かおうとした。この地下室の部屋取りは単純で、居間に加えて俺とエリーの部屋がひとつずつあるだけ。勿論、それに加えてトイレやお風呂等の基本的なものも完備している。
居候の身分で自分の部屋を持たせてもらえるなんてありがたいことだ。一年前までは、ここにエリーの兄が住んでいたのだが。
「あ、マヤさんちょっと待って」
突如俺を呼び止めるエリーの声。
「なに、どったの」
「紙と何か書くもの頂戴」
随分と久しぶりだな、エリーがこの発作を起こすのは。発作と表したが、これは彼女のもつ特殊能力のことだ。それはまるで病気のように、本人の意思とは関係なく突然発動する。
どうして、何のために、そんなことは分からない。ただこの能力が彼女と彼女の周りを救ってきたことは間違いない。
そんな彼女の特殊能力は『予知』。彼女に、もしくは彼女の身の回りになにか大きな出来事が会った時にそれを事前に伝えることができるというものだ。
近くに置いてあったペンと羊皮紙を渡すと、彼女は何やら文字を書き始める。この文字列は直接彼女の頭に浮かんで来るらしく、彼女以外はその文の意味を知ることはできない。
彼女も頭に浮かんだ文字列を書き出して、そこで初めて文の意味が理解できるらしい。
「……それで、今回の予言はなんて書いてあったんだ?」
「んーとね……えっ、『明日の昼下がり、リタ・エイワーズに死が迫る』だって。……これって、リタさんの事だよね」
「……そう、だろうな」
どうやら彼女のフルネームはリタ・エイワーズというらしい。あれだけ強い彼女に死が迫るとは、一体どんなことが起こるのだろうか。全くもって想像がつかない。
「マヤさん……あの、リタさんのこと……」
「あぁ、助けに行くに決まってるだろ。俺だって助けられっぱなしじゃ性に合わないさ」
不安そうな顔をするエリーを見て、大丈夫だと頭を撫でてやる。
「俺がやると言ったらやる、そんなことお前なら分かってるだろう」
「うん……そうだよね。エリーは強くないから、どっちにしたって信じるしかないや。マヤさんも気をつけるんだよ!」
「あぁ、分かってるよ」
……あの美しい孤高の剣士を助ける、か。
これはそれなりの覚悟がいるかもな。