第十三話 だから、私達はお前を守り続ける
私は火が嫌いだ。煌々と燃え上がるその姿を見ると、あの日のことを思い出してしまうから。
「――襲撃だ! 女子供は早く逃げろっ!」
辺りに広がる悲鳴、絶叫。聞き覚えのある声も、やがては虚しい断末魔と共に口を閉ざしていく。幼い私はただ耳を塞ぐことしかできず、それでもなお頭に響き渡る叫び声は脳にこびりついて離れない。
私の故郷、アーデントールが火の海に包まれるまでそんなに時間はかからなかった。
「マイロ、もうこの里に安全な場所なんてない……早く家の裏口から早く逃げるんだ」
そう言うと父は、覚悟を決めたように家の扉の前で剣を構えた。扉の外からは剣を交える鈍い金属音、怒号、悲鳴がとめどなく流れてくる。私はその訳も分からない恐怖に、小さい身体を震えさせることしかできない。
「早く逃げるんだっ! マイロ!」
父はそんな私に怒鳴り声をあげた。その血走った目、そして恐怖と怒りが混ざりあった表情にいつもの温厚な面影はなかった。
「おとうさんも……いっしょに逃げよ……?」
幼い私のその言葉に、父は目を潤ませながら顔を歪めた。ただ一緒にいたかっただけなのに、なんだか父に酷いことを言ってしまったように感じて私の目からも涙が溢れ出した。
「ありがとう……ありがとうなマイロ。お父さんも一緒に行きたいけど、それはできないんだ。……お父さんはこれから、この里のために戦わなきゃならない……」
「そんなのダメ! あいつらになんて、いくらお父さんでも勝てっこないよ!」
全てがおかしくなってしまったのは、あの一行がこの里にやって来てからだ。彼らは自分達を『幽玄一味』と名乗り、この里に法外な要求を叩きつけた。その内容は、「金はやるからこの里の魔剣を全て寄越せ」というものだ。勿論、そんなの受け入れられるわけがない。
その日の記憶として、アーデントールの里長が『幽玄一味』のリーダー格らしき人物と話をしていたのを覚えている。その人物は物腰柔らかな男だった。しかしその表情からは、なにか底知れない恐怖を感じたものだ。彼の仲間には手のつけられないような荒くれ者もいたが、皆が彼を信頼している様子が窺えた。
里長が話を終え戻ってくると、里の人々にこう行った。
「彼らは去っていったよ。“交渉決裂だ、また会おう”という言葉を残してな……儂としてはもう会わないことを祈っているがね」
彼らはどこかで、魔剣の里の噂を聞きつけてやって来たのだろう。魔剣の里とは、アーデントールの別名だ。
鍛冶師の多いこの里は独自の魔剣生産技術を有しており、数々の逸話を生んだ業物を輩出している。なのでよく腕利きの冒険者達が新たな力を求めてやって来るが、殆どがその法外な値段を見て帰っていってしまう。
魔剣は誰でも簡単に扱え、直ぐに強大な力を得ることができる代物だ。無闇矢鱈に配ってしまえば、悲しい事件を生む引金にだってなりかねない。里の者達はそれを重々承知していた。
今までに何件か、この里に盗みに入った者もいた。がしかし、成功した者は一人もいない。この里には大量の魔剣が眠っており、その圧倒的戦力差に罪人はいつも捕らえられていたのだ。
――そう、だからこんなことが起きるとは思ってもみなかった。
『幽玄一味』とやらがやって来たその日の夜。アーデントールは彼らに襲撃を受けた。盗みなんてものじゃない、その様はまるで戦争だ。
しかし戦争と呼ぶにもまたそれは異様な光景と言えよう。なぜなら私達の敵はたったの九人しかいなかったのだ。そのたった九人に私達の里は壊滅に追い込まれた。アーデントールの戦士達は里の誇りを掲げ、皆が死んでいった。勿論、私の父も例外ではない。
「――マイロ、そこの仏壇に飾ってある魔剣を持っていきなさい」
戦いに出る前、父は私にそう言った。仏壇には私の母であるらしい人物の写真が飾られていた。ここで“であるらしい”と言ったのは、母は私が産まれてすぐに病気で亡くなったからだ。幼かった私は母の顔を覚えていない。
たまにそれを寂しく思うことはあったものの、恨んだことはない。父が私を男手ひとつで育ててくれたからだ。たまに喧嘩することだってあるが、父には感謝している。
「……でもこれ、おかあさんのものだよ。私が持ってったらドロボウになっちゃうよ」
今まさに魔剣泥棒に襲撃にあっているというのに、幼い私は父にそんな言葉を返した。すると父は険しい顔をやめて、どこか優しく、そして哀しさを感じさせる表情でこう言った。
「……そういえばマイロには話していなかったな……その剣は確かにお母さんのものだが、作ったのは私なんだよ。お母さんと結婚してすぐの時、『大切な人を守ってくれるように』と願いを込めて彼女に渡したんだ……最も、マイロを産んで直ぐに無くなってしまったけどね」
この話をしている間も、家の外から聞こえる怒号や悲鳴は止まない。それでもこの家の中だけは、ゆっくりと時間が過ぎていくような気がした。
「けれど、その剣も役目はまだ終わってない。まだ私には大切な人がいるからね……マイロ、それはお前だ」
父は再び扉の方を向き、背中から私に語りかける。今思えば、父も里のために戦う決意が揺らぐのを必死に抑えていたのだろう。
「……私達夫婦は、色んな物を失ってきた。そして挙句の果てには思い出の場所すら奪われてしまうようだ……でもそんな私達に残った唯一の希望、それはお前だよ、マイロ。お父さんとお母さんの思いは、全てその剣に込められているんだ。……だから、私達はお前を守り続ける! だから早く逃げなさいっ、マイロ!」
父の熱の篭った声に、私は震えた足を無理やり立ち上がらせる。幼いながらもこれが最期の別れであると知り、私の目から涙が溢れ出す。だめだ、泣いてなんていないで、しっかりした所を見せないと。そんなことを考える度に悲しさが込み上げ、余計涙が零れ落ちてしまう。
「うっ……あぅ……っ!」
私はぐちゃぐちゃに涙を流して、仏壇から剣を手に取り無我夢中で走り出した。家の裏口を出て、深く暗い森の中をひたすら突き進んだ。燃え盛る里の炎が、鬱蒼と茂る草木に道を照らしているように感じた。
どこまで行けば安全なのだろう、どこまで行けば休めるのだろう。そんなことは分からない。ただ走る以外に道はないのだ。
どこまで進もうと、この暗く深い森の終わりは見えない。涙で視界は歪み、足元の草木に擦れて足は擦り傷だらけだ。
それでも終わりは見えない。それどころか、燃え上がる里から離れるほどに森は暗さを増していく。
気づいたら私は暗闇の中にいた。凍えるほどに寒く、終わりも見えない暗黒の世界。
『マイロ……マイロ……!』
どこからか私を呼ぶ声が聞こえる。この声の主は父だろうか。とすると私は結局死んでしまったのか。
『マイロ……きろ……』
よく聞こえないよ、もっとはっきり喋って。頭に薄いモヤがかかったように上手く思考がまとまらない。
そう、その気分はまるで夢の中……
白い霧の中を手探りで進み、私は段々と夢から覚める。どうやら昔の夢を見ていたようだ。
「……お、起きたかマイロ。うなされてたけど、気分は大丈夫か?」
瞼を開くと、薄ぼんやりとした視界には冴えない白髪の少年が映る。途端に私の意識は現実に引き戻され、これまでの自分の情けない姿を思い出した。
「……マヤさん、すみません。私が不甲斐ないばっかりに」
「気にするな、俺がやりたくてやったことだしな」
そう言うと彼はなんてことのないように笑ってみせる。彼お得意の自己犠牲を見るのはこれで二度目だ。
最初は黒騎士として彼と戦った時、そしてまさか二度目は自分が助けられることになるとは……潜入している身で情けない、と自責の念に駆られる。
私の心の底には、まだあの日の記憶が鮮明に残っている。自分に命の危険が迫るとそれが引き金となり、パニックに陥ってしまうのだ。私は未だにあの恐怖を克服することができていない。またこうして、弱い私は助けられてしまうのだ。
「あなたは……いつもそうやって人を助けていますね。……どうしてそこまで一生懸命になれるんですか、教えてください」
彼はそんなこと全く気にしてないようで、うーんと首を傾げて答えを探しているようだ。
「俺、友達少ないしなぁ……だから、かな?」
「……そんなことは初めから知ってます。それに、それは答えになってません! どうして、私を助けたんですか……自分が死ぬかもしれないのに」
私は思わず自分の父親と彼を重ねてしまっていた。私に希望を託して死んでいった父はどのような気持ちだったのだろう。その疑問の答えの一端が見えるような気がして、私はマヤをしつこく問い詰める。
「仲間が大切だから、って言ってもそれは俺のキャラじゃないし……強いて言うなら寂しいから、かな」
「寂しいって、死んだら元も子もないじゃないですか……」
私がそう返すと、マヤは悲しそうに、まるで何かを思い出しているかのような顔をして語りだした。
「確かにその言い分も最もだ、でも俺はそんな強い心を持ってないんだよ……身近な人がいなくなってしまえば、俺は一生その人のことを思って、考えて、悔い続ける。俺はそんな重みに耐え続けることができないんだ」
黒騎士として戦った時も、彼はたしかそんなことを言っていた。……これ以上誰かを失うのが怖いから、身を捨ててでも助ける。随分と傲慢な信条だ。
彼が友達がいないというのも、大事な人を作りたくないからなのでは無いだろうか。思わずそんな勘繰りをしてしまう。
「……まるで既に一度失ったかのような口振りですね」
「……あぁ、まさしくこの迷宮第十四層でな」
その言葉に私は目を丸くする。彼はこの凍てついた階層で、大事な人を亡くしていたのか。そんな重いトラウマを抱えながら、私を救ってくれたその勇気。……この人は、怯えて蹲っていた私より全然強いんだ。私は彼に目をやりながらそんなことを思った。
彼は凍えた手にほーっと息を吹きかける。その姿は酷く寂しげで、この寒さが彼の記憶を呼び起こしているようだった。
私はふと思い立ったように、私の手で彼の手を覆った。白髪の少年は少し驚いたように目を見張ったが、すぐに優しげな微笑みを浮かべて「ありがとう」と呟いた。
彼の手は酷く冷たく、凍えきっていた。そしてそれと同じくらい私の手も冷たい。でも冷えた者同士が手を重ね合えば、少しはマシに感じた。
今も夢に見るあの最悪な日から、私はどこか自分が寂しい人間であると思い込んでいた。でもそんなのは言い訳に過ぎない。結局、私は諦めたような振りをしながらも温もりを求めていたのだ。
いつの間にか、私とマヤの体の震えは止まっていた。寒いのは変わらないはずなのに、どこか安心したような気持ちにさせられる。
この暗く冷たい氷の谷底で私達は二人きり。
静謐なクレバスの奥底で、凍った私の心がじんわりと溶かされていくのを感じた。




