第九話「スローライフの定義」
スローライフとはいったいなんなのだろうか? そう聞かれて、明確な答えを持っている人は少ないだろう。それもそのはず、スローライフというのはアメリカのファーストライフに対抗して生まれた言葉であり、明確な答えなんてない。
たとえば、ある人間はこう言った。無人島でひとり、誰に何かを命令されることなく自給自足の生活をしてSNSにアップしているような人間じゃないか?
しかし、朝六時に起床、設備の点検、朝食の準備、朝食、家庭菜園の水やり、家畜の世話、洗濯に掃除、そうこうしている間に昼食、その記録をスマホに打ち込みSNSにアップ、SNSでも相互フォローしている仲間の巡回挨拶や、いいねの確認をし、気付けば夕ご飯の準備。もう一度家畜の世話をし、最低限の生活に必要なものなどを電話やインターネットで注文。気付いたら夜になっていて、あとは寝るだけ。生きるのに精いっぱいで、都会を懐かしんでしまう。
そんな生活は、果たして本当にスローライフと言えるのだろうか?
少なくとも、朝に海草を板いっぱいに敷き詰め、昼から油を作って石鹸作りをしていた俺の一日。そんな一日は俺にとって満足できる一日ではあったが、しかしスローライフであるだなんて口が裂けても言えない。
全然スローじゃない。むしろやるべきことが多すぎて時間に追われていたくらいだ。
そして、俺は忙しいことに喜びを感じている。
完全に仕事中毒者の症状だ。
どうにかしてスローライフを満喫したい。
そんな時だった。
【歩きキノコ討伐数が百になりました。歩きキノコを使い魔として召喚可能です】
へ?
使い魔として召喚可能?
【称号:魔物使いの卵を取得した】
【称号スキル:使い魔召喚を取得した】
この世界では、魔物をいっぱい倒せば仲間にできるシステムでもあるのだろうか?
「フロン、使い魔って知っているか?」
「使い魔? 従魔ではなくてですか?」
「従魔? 使い魔じゃないのか?」
似たような意味の言葉と思うんだが。
「従魔とは魔物使いによって手懐けられた魔物のことです」
「従魔って、召喚できたりするのか?」
「いいえ? 召喚魔法はごく限られた職種の人しか使えない、既に滅んだとも言われるとても珍しい魔法です」
魔物を百匹倒したからといって、覚えられるスキルじゃないってことか。
「俺はいま、使い魔召喚ってスキルを覚えたんだ。一度試してみてもいいか?」
「使い魔召喚? どのようなものを召喚なさるのですか?」
フロンはすんなり俺のことを信じてくれた。
「歩きキノコだよ」
「それなら大丈夫です。MPも満タンですので、歩きキノコに後れをとるようなことはいたしません」
「よし――じゃあ。使い魔召喚、歩きキノコ!」
そう言った瞬間、目の前の地面が光り、一体の歩きキノコが現れた。
ただし、普通の歩きキノコではない。
傘の部分がピンクだし、なにより目と口、そして手があったからだ。
「キュー」
傘の部分が桃色で、随分とデフォルメ化された可愛らしい声で歩きキノコが鳴いた。
「ご主人様……これは――」
「なにか知ってるのか?」
「とても可愛らしいです」
可愛いって……まぁ、可愛いかもしれないな。
試しにもう一匹召喚できないか試してみたが、無理だった。
どうやら一匹しかいないらしい。
あと、このピンクの歩きキノコ、知能は歩きキノコよりも上らしい。
試しに鍋に水を入れてくるように頼んだら、ちゃんと水汲み場から水を汲んできてくれた。
俺の命令を聞くし、いい子のようだ。
「ご主人様、この子の名前はなんというのでしょうか?」
「いや、名前はないぞ」
俺がそう言ったとき、フロンは一瞬とても悲しそうな顔をした。
昔の自分と重ねたのだろうか?
「あ……あぁ、そうだ。フロンがつけてやれよ」
「よろしいのですか?」
フロンが驚きの表情を浮かべた。
「ああ。可愛い名前を頼む」
俺がそう言うと、フロンは必死に名前を考え始めたようだ。
そして、名前が決まった。
「テンツユ……この子の名前はテンツユがいいです」
俺は思わず噴き出しそうになった。
テンツユ? せめてテンプラにしていたら「食べるの前提か」というツッコミも入れられたが、ツユの方か。
いや、きっとフロンなりにいろいろと意味を考えたのだろう。
「いかがですか?」
フロンが心配そうに尋ねてきた。
「いいんじゃないか? こいつも気に入ってるようだし」
ピンクの歩きキノコことテンツユも「キュキュ」とフロンの前で踊っていた。
でも、天汁ってこの世界にあるのだろうか?
だとしたら、本当にキノコを天ぷらで食べたいものだ。いや、この世界になくても油作りには成功したんだし、卵と小麦粉さえあればそれらしいものが作れそうだ。
「テンツユ、俺の言葉がわかるか。わかるなら右手を上げてみろ」
俺がそう言うと、テンツユは右手を上げた。
「七引く三の数だけジャンプしてみろ」
俺がそう言うと、テンツユは四回ジャンプした。
「五十七と四十三を足して二十で割った回数ジャンプしてみろ」
テンツユは動かなかった。二桁の足し算ができないのか、それとも割り算ができないのか。
とにかく、言葉が通じる上に簡単な計算はできるらしい。
これなら簡単な仕事を任せることができるだろう。
「フロン、テンツユを任せてもいいか? 簡単な仕事を教えてやってくれ」
「教育係ですね。はい、お任せください」
「テンツユも――」
フロンの言うことをしっかり聞くんだぞ――と言おうと思ったら、テンツユがなにかを思いついたかのようにジャンプを始めた。
どうやらずっと計算していたようだ。
三回ジャンプして止まったから間違えているけれど。
テンツユは思いの外、よく働いた。
手先はあまり器用ではない――手はあっても指がないので細かい作業がまったくできない――のだが、大雑把な仕事には適していたし、力もあった。
海岸近くに広い穴を掘らせ、満潮時に海水を引き込ませた。この海水が乾燥したら新たに海水を足していき、できるだけ濃い塩水を作り出し、最終的に塩田にする予定だ。
以前は道具もないし無理だと諦めていたが、テンツユのお陰で始まる前から頓挫していた計画を実行に移すことができた。
「このようにして塩を作るのですか?」
東大陸の国では塩は貿易で買うものだったらしく、フロンが意外そうに尋ねた。
「ああ。見様見真似だけど。といってもできるのはかなり先になると思うけどな。雨が降ったら失敗するし、成功率は三割もあればいい方だと思うよ」
このあたりの天気もわからないし、雨が降らなくても津波が押し寄せてきて塩田を押し流す可能性だってある。正直なところ、塩ができればラッキーくらいに思っている。
塩田候補地に海水を引き込み、海水の通り道を塞いだあとは、海草を運んで天日干しをする作業になった。
「テンツユ、疲れたら休んでいいですからね」
一緒に海草を干しているフロンがテンツユに優しく声をかけた。
俺はその間に、手ごろな石で大きな石を削って、手斧を作ろうとしていた。そろそろ森の捜索範囲を広げたいのだが、草を刈り取る道具がなければ全然前に進めないのだ。
しかし、思うようにうまくいかない。残念ながら、俺は工作の才能があまいらしい。森の中や海辺に手ごろなサイズの石がないのも問題だった。
【ジョージのレベルが上がった】
【迷宮師スキル:魔石変換を取得した】
ん? レべルが上がってなにか変なスキルを覚えたようだ。
魔石変換?
なんだ、それは?
少しデジャヴ……