第七十二話「交易所開設」
一応、文字の基礎は全て覚え、文字を見れば発音できるようになった。
そうしたら面白いことがわかった。
意味がわからない文字を口に出して読んでみたときのことだ。
読むまではどういう意味か全く分からない文字が、口に出してみると途端に意味が理解できたのだ。
どうやら、音として認識した言葉は自動的に翻訳されるらしい。
これなら書類作成はまだできないが、書類確認の仕事くらいならできそうだ。
いちいち音読しないといけないのが難点だが。
「ご主人様、テンツユが宝箱からアイテムを回収してきました」
「お、確認する」
フロンに言われて確認に向かう。
迷宮の奥にある宝箱からアイテムを回収してくるのは、テンツユの仕事である。
宝箱の周辺は魔物が多いからな。俺も魔物を倒すことはなんとかできるのだが、確実に無傷で帰ってこられるかと聞かれたら疑問だ。
アルミラージも怖い。
魔物たちは俺のことを殺すつもりで襲い掛かってくる。
その敵意は俺に恐怖を抱かせるには十分すぎた。
ミノタウロスを倒したこともあるのだが、あの時の自分は今思い出してもおかしい。
よくあんな化け物を相手にしたものだ。
もう二度と戦いたくない。
というわけで、俺はできる限り二階層までしか行かないことにしている。
水飲み場を挟んで隣の部屋に行くと、テンツユが運んできたアイテムが置かれていた。
「これは魔法薬か……まなぽーしょん……マナポーションか」
ラベルが貼ってあったので口に出して読み、意味を理解する。
「マナポーション。魔力を回復する薬ですね。少なくとも銀貨で取引されるアイテムです」
この世界は銅貨、銀貨、金貨の三種類の貨幣が一般的に流通している。
銅貨百枚で銀貨一枚、銀貨百枚で金貨一枚となる。
サンダーと話したところ、クロワドラン王国の衛兵の給与は日給銀貨一枚程度らしいので、銀貨一枚が一万円だと想定している。
「……銀貨で取引と言われてもな。そもそもお金に意味がないんだよな」
「アルミラージの角もだいぶたまってきましたからね」
倉庫の中にはアルミラージの角がかなり溜まっている。
フロンが修業のため、三階層でアルミラージやミニタウロスを倒しては、戦利品を持ち帰って来る。
肉は俺たちの食事になるし、毛皮や角など使わないものは倉庫の中で肥やしになっていた。
さらに、マシュマロが拾ってきたアイテムは、迷宮師の能力により収納されている。
こちらもかなりの数になっていた。
「一度、サンダーに町に売りに行ってもらうか。代わりに魔石を買ってきてもらおう」
金は使い道がないが、魔石の使い道は無限に等しい。
銀貨一枚でどのくらいの魔石が買えるのかもしっておきたい。
そう思い、俺はフロンとともに外に出て、外で肉を焼いて食べていたサンダーに声をかけた。
「いや、当分この島から出る予定はないぞ? ここは修業には最適だからな。ほら、ミノタウロスの魔石だ」
サンダーはそう言って、俺に歩きキノコの魔石の数倍は大きな魔石を投げて渡した。
俺が二度と戦いたくないと思っているミノタウロスを、サンダーは散歩気分で倒している。
それより問題は、サンダーが島から出て行かないということだ。
航海術を持たない俺が島から出たら遭難するのは目に見えている。
「まぁ、交易所に売ればいいさ」
「交易所?」
「あぁ。ブナンがあたってくれている。一応、クロワドラン王国の領地になるんだからな。この地に交易所を置く予定だ。港がないから、規模はそれほど大きくならないがな」
「そんなの聞いてないぞ?」
「……言ってなかったか?」
どうやらサンダーの奴、忘れていたらしい。
「交易所にはどのような方がいらっしゃるのでしょうか?」
「さぁな。商業ギルドのことは俺はさっぱりわからん。ただ、ブナンに任せておけば変な奴はこないさ」
サンダーはそう言って、豪快に肉にかぶりついた。
交易所か――それができたら便利だがな。
※※※
サンダーが言っていた交易所の人間が来たのは、話のあった三日後だった。いつもは海岸で誰かが発見するのだが、今回は俺たちが発見するより先に上陸していたようだ。
最初に遭遇したのはガモンで、迷宮の中で文字の勉強をしていた俺とフロンを呼びに来た。
地上に向かうと、広場にサンダーと……そして何故か女の子がいた。
小学一年生か二年生くらいの女の子だ。
「こいつが話していた領事のジョージだ」
サンダーが少女に紹介する。
一緒に俺のことを話していたのか。
少女は俺の前に立つと、
「初めまして。私の名前はシャルです。宜しくお願いします」
「うん、よろしくね。えっと、お父さんかお母さんはどこかな?」
周囲を見回しても他に人はいない。
周辺の調査に向かったのだろうか?
それとも船から荷物を下ろしているのか?
俺の話を聞いて、シャルちゃんはクスクスと笑った。
「ジョージさんが迷い人というのは本当なんですね。私の父と母はクロワドラン王国の王都の交易所でいまも働いています。ここには私ひとりで参りました」
「え?」
こんな小さな子がひとりで?
「ご主人様。彼女は恐らく小人族です。私より年上だと思いますよ」
「え?」
「はい、フロンさんのおっしゃる通りです。私はこれでも二十五歳ですよ」
「えっ!?」
俺より年上!?
シャルちゃんじゃなくて、シャルさんだったのか。
フロンの言葉がなければ冗談だと思うだろう。
「失礼しました」
「いえ。人間族の方はほとんど気付きませんから仕方ありません。いまでも町の門に入る度に呼び止められます。獣人族の方には匂いでバレるみたいですが」
匂い?
人間と匂いが違うのかと思ってフロンの方を見ると、彼女は俺の視線に気付いて笑顔で頷いた。
「こちらが商業ギルドのカードになります。ご確認ください」
シャルさんはそう言って、俺に一枚のカードを渡した。
文字が書かれているが、なにが書かれているかはよく理解できない。
「ありがとうございます……一応声に出して読んでもいいですか?」
「はい、構いません」
「では、失礼して」
俺は咳をつき、
「しめい、しゃる。せいべつ、女、ねんれい、24さい、くろわどらんおうこくしょうぎょうぎるどしょぞく、さいしゅうこうしん、あざわるどれき391ねん」
と読み上げながら意味を確認した。
アザワルド歴というのはこの世界における西暦みたいなものだろうか?
数字は翻訳無しに理解できるのはありがたい。
彼女は25歳って言っていたが、カードは24歳となっている。
ということは、いまはアザワルド歴392年ということだと思う。
あとでフロンに確認を取ることにしよう。
「ありがとうございます。問題無さそうですね」
「どういたしまして。では、まずは私の仕事の説明をさせていただきます。少々長くなるので、どこか座って話せる場所はありますか?」
「では、私の家で――」
俺はそう言って、迷宮の中に案内した。
「本当に迷宮の中に住んでいるのですね。私は子供の頃から迷宮は恐ろしい場所だと教わっていたので不思議な気分です」
シャルが感心したように言うが、子供の頃からという言葉に違和感しかない。いまでも子供にしか見えないからだ。
俺の住居に行く。
椅子は四つしかないので、誰か立つか地面に座るかしないといけないかと思った。
フロンが「私が立っています」と言ったが、そんなことさせられない。
そうだ! と俺は思いつき、隣の部屋で休んでいたうどんを連れて来た。
「うどん、背中に座っていいか?」
「メー(いーよー)」
ということで、俺はうどんの背中に座ることにした。
「この子、新種の魔物ですか? とても大人しいようですが」
「いえ、スロータートルの亜種ですよ。私の従魔です」
俺は丁寧な口調で説明をした。正しくは従魔ではなく使い魔なのだが、細かい説明は後日することにした。
「スロータートル……全然見た目が違いますね。こんなにかわいくて大人しいなら、ペットにしたい貴族もいるでしょう」
「この子は売るつもりはありませんよ」
「それは残念です」
シャルは本当に残念そうに言った。
冗談ではなかったのか。
そして、詳しい話が続く。
交易所は、本来は税金を納める立場にあるが、今回は俺の依頼という形で交易所を設置してもらうため、逆にお金の支援をしなくてはいけないこと。それはお金、もしくは実績という形になる。
交易所として成り立足せるために必要な資金は年間金貨三十枚の利益を上げることになる。
「要するに、交易所の利益になるようにいろんなものを売ったり買ったりしたらいいってことでいいんですか?」
「そうですね。ただ、この場所は特殊ですから、商品の買取価格はかなり変動します」
どうしても船で運ぶ必要があるため、重い物や場所を取るものは買取価格が安くなったり、買い取り拒否になるようだ。
逆に、商品を仕入れる時も、重い物や場所を取る物は高くなるという。
それは仕方がない。
「とりあえず、アルミラージの角と魔石類は買取したいと思います。特にアルミラージの角は相場が上がっているので、高く買い取らせていただきます」
「アルミラージの角ですね」
俺は倉庫の中から五十本くらいにまで増えていた角を渡した。
さらに、ミニタウロスやミノタウロスの角、スロータートルの甲羅、ゴブリンの腰巻や、持っていた古い剣、宝箱の中に入っていた物などを持ってくる。
「確認しました。ミニタウロスの角は銅貨十三枚。ミノタウロスの角は銅貨二十枚。あとゴブリンの腰巻は銅貨一枚――」
彼女は全ての商品の値段が頭に入っているかのように続けた。
「古い剣は査定が難しく、マナポーションは薬師ギルドの専属買取商品のため、買い取り対象外とさせていただきます。申し訳ありません」
「いえ、それで合計は?」
「九千七百四十三センスですが、ジョージさんから素敵な贈り物をいただいたので、ちょうど一万センス――金貨一枚とさせていただきます」
「素敵な贈り物?」
彼女になにか贈り物をした覚えなどない。
「うふふ、これですよ」
彼女はそう言って、荷物の中から使いさしの花蜜の小瓶を取り出した。
当然だが、彼女にそんなものを渡した覚えがない。
俺が花蜜をプレゼントしたのはクラリスさんくらいだ。
余裕があったので、彼女が帰るとき、いくつか渡していた。
「もしかして、クラリスさんから?」
「ええ、彼女は私の友人なんで、分けてもらったんです」
「そうなんですか」
「はい。それで、これから私を送ってもらった船が出発します。なにか購入したいものがあれば仰ってください」
「そうですね――日常的に食べられる主食とかはなにがありますか?」
「小麦、大豆、あと米が一般的ですね。もちろん豆類も多いですが」
「米? お米があるんですか?」
「はい。南大陸の一部地域で栽培されています。値段は高いですが、日持ちがするので重宝しています」
それはいいことを聞いた。
「米を……銀貨数枚分くらいお願いできますか? あとは魔石を銀貨十枚分で」
「魔石ですか? 失礼ですが使い道は?」
「迷宮に食べさせると効率よく成長すると聞いたので」
これはブナンと一緒に考えた魔石を買うための嘘だ。
「大きさはどうしましょう?」
「屑石みたいな魔石で十分です。質より量の方が重要ですから」
「かしこまりました。他に必要な物はありますか?」
「あぁ、俺は酒を頼む。あと、塩だな」とサンダー。
「儂は来たばかりだから必要な物は揃っておる。今後利用させてもらう」とガモンがそれぞれ言って、シャルの視線はフロンに向けられた。
「奥様はなにかご入用でしょうか?」
「私は奥さんではありません」
フロンがきっぱりと否定した。
少しテンションが下がる。
「私はご主人様の恋人です」
直ぐにテンションが上がる。
そうだった、恋人同士という関係性だった。
ていうか、シャルさん、フロンが隷属の首輪をしている事に気付けば、俺と婚姻関係にないことくらい直ぐに想像できただろう。
さっきまでも奥様ではなく、フロンさんと呼んでいたし。
さては、ブナンかクラリスさんが余計な入れ知恵をしたに違いない。
「失礼しました。フロン様はなにかご入用でしょうか?」
「私はなにも必要ありません」
「かしこまりました。それでは交易所に入荷次第、お知らせします」
「シャルさんが仕入れにいくのですか?」
「いえ、仕入れの担当は私の夫が行います。いまは浜辺近くに家を建てているのでいませんが、あとで挨拶に来させますね。昔は名の知れた船乗りでしたので、ご安心ください」
――まさかの既婚者だった。




