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第六十六話「味噌キノコ」

 この世界に来てからの一番の生活の変化は、目覚まし代わりにスマホのアラームを設定しなくてもよくなったことだろう。もっとも、スマホの電池は既に切れていて、アラームの設定はできないのだが。

 だからといって惰眠を貪るような生活を送ることができないのは、日本において有休を取れても朝になって急に呼び出されることに慣れた社畜の性だろう。

 そんな生活を送っているが、夜中になって突然目を覚ますことがある。

 迷宮の中は常に明るく、外に出てみないと現在の時刻がわからない。隣でフロンがまだ眠っているが、それだけではフロンが寝坊しているのか、俺が変な時間に起きたのかもわからないのだ。ただし、フロンが寝坊をすることはほとんどなく、大抵の場合俺が早起きしてしまっただけという日が多い。

 その日も、外に出て俺が早起きしただけだということに気付いた。

 アラーム設定をしなくてもいいのはいいが、室内で時間がわからないというのはとても辛いものだった。

 いつもなら、外に出て星を見ると、二度寝をするために迷宮の中に戻るのだが、しかし今日はいつもと違った。

 腹が鳴っていたのだ。

 別に夕食が少なかったわけではないのだが、どうしても夜中に起きると無性に何か食べたくなることが人間にはある。日本にいた頃もそうだった。子供の頃は冷蔵庫をこっそり覗いてはカマボコや魚肉ソーセージなどそのまま食べられそうなものを見つけては食べ、翌朝になって親に怒られた。

 また、サラリーマンになって一人暮らしをしているとき、夜中にこっそり食べるカップラーメンの背徳感は異世界に来た今でも忘れられないだろう。

「なにか食べるか……」

 ゴクリと喉を鳴らす。

 魔石と交換してなにか食べようと思ったが、しかし、それは背徳感どころの話ではなかった。魔石は自動的に稼げるものだが無限ではない。いまは自分達の部屋に時計を置くために、少しずつ魔石を貯めているところだ。

 ちなみに、目覚まし時計は200M――パン200個分、極小の魔石2000個分で交換できる。

 朝と晩に食べていたパンを朝だけにし、日用品もできる限り自分で作ったり代用品を使うようにしていた。

 そんな状態なのに、ひとりだけ魔石を使ってなにかを食べようという気にはなれない。

 だが、こんな時間に肉を炒めて食べると胃もたれするのは明白。

 ブルーツも朝の分しか残っていない。

 結局、選択肢はキノコしか与えられていない。

「……そうだ」

 俺はこっそり倉庫に戻り、ある物を見つけた。

 味噌だ。

 最近、あの灰汁の強かった海草から出汁を取り、味噌汁を作るようになった。

 これも魔石で交換したものであるが、しかし既に交換したものを使うのならまだ罪悪感は少ない。ついでに包丁とまな板代わりに使っている板を持って地上に戻ると、食用キノコを薄く切った。

 そして、味噌を塗って、亀の甲羅に並べ、消えない松明の上で作った竈の上で焼いた。

 暫くすると焼けた味噌の香りが広場中に広がる。

 焦げ目がついたところで、俺はキノコを箸もどきの二本の棒で挟んで口に運んだ。

「あふっ」

 焦げた味噌が舌について思わず声をあげたが、同時に味噌の香りが口中に広がる。

 味噌汁とはまた違う味噌の味に俺は感動した。

 これは正義だ。

 だが、何かが足りない。

 一体なんだろう?

 俺が考えていると、迷宮から誰かが上がってきた。

 フロンだ。

「とてもいい香りがしますね」

「起こしたか? ……ちょっと小腹が空いて……フロンも食べるか?」

「では、ご相伴に預かります」

 フロンはそう言って俺の隣に座り、一番小さな茸を俺から受け取った箸で食べる。

 彼女は元々器用で、いまでは箸の遣い方もマスターしていた。

「とても美味しいです。食べたことのない味ですね」

「そうだけど、何かが足りないんだよな」

「そうでしょうか?」

 フロンが尋ねる。

 確かにこのままでも十分に美味しい。濃厚な味噌のコクがキノコによく馴染んでいる。できれば酒と味醂で味を調えたい。だが、魔石でこれ以上何かと交換するのはよくない。ただでさえ、あの事件が終わってから味噌、醤油、米を魔石と交換してしまい、散財したと反省しているのだから。

 いまあるものでなんとかできないだろうか?

 俺は残り半分になったキノコの味噌焼きを見て考えた。

「朝のパンも素敵ですが、こういう料理もいいですね」

「そうだな……ん? そうか、朝のパンだ!」

 俺はそう言うと、ロールパン二個と魔石を交換した。これは元から交換する予定のパンだからOKだ。

「ご主人様、もう召し上がるのですか?」

「いや、これは朝に食べる。用事があるのはこの中身だ」

 このロールパンの中にはマーガリンが入っている。

 俺は箸でパンの中のマーガリンを穿り出し、亀の甲羅の中に入れた。

 既に熱せられていた甲羅の内側によってマーガリンは溶けだし、味噌と混ざった。

 そう、味噌バターならぬ味噌マーガリンだ。

 俺は味噌マーガリンキノコを箸で掴んで食べた。

「ジャスティスっ!」

 味噌のコク、キノコの旨味、その二つにさらにマーガリンのまろやかさが加わった。

 味噌とキノコはそのままでも十分に美味しかったが、キノコの味と味噌の味との間に微妙な隔たりがあった。その隔たりをマーガリンが取り崩しひとつの料理として完成させたのだ。

「じゃすてぃす……とはなんでしょうか?」

「超旨いってことだ。フロンも食べてみろ」

 俺がフロンに促すと、彼女は味噌マーガリンキノコをフーフーと少し冷ましてから口に運んだ。

 と同時に彼女の目が見開く。

「これはじゃすてぃすです」

「だろ?」

 味噌とバターの相性の良さに気付いた先人、そしてマーガリンというバターに代わる食品を生み出した先人に敬意を払わなければなるまい。

 そして、魔石交換のすばらしさを再確認させられた。

 マーガリンも味噌も魔石交換がなかったら絶対に作れなかっただろう。

「このような美味しい物を食べられて、私はご主人様の従者でよかったと再確認しました」

 フロンが大袈裟なことを言い、俺は少し恥ずかしく頭を掻いた。

 空を見ると、東の方がうっすら明るくなっている。

 もうすぐ夜が明けるだろう。

 さて、朝ごはんはマーガリンのないロールパンだ。


 こうして、ふたりの何気ない日常は過ぎていく。


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