第三十話「朝の身支度」
俺たちとナンテンが出会った次の日。
いつもなら朝起きたら水で顔を洗うのが日課なのだが、その日はフロンが、亀の甲羅でお湯を汲んできてくれていた。
とても優しい。
現在、奥の入浴施設の中でお湯の管理作業のみしているテンツユのところで汲んできてくれたのだろう。
排水溝の上で少し湯を口に含みうがいをしてから、木の枝を口に咥える。何度も噛むと木の枝がブラシのようになり、それで歯を磨く。
木の枝ならなんでもいいというわけではなく、フロンが言うには歯磨きの木と呼ばれる木の枝らしい。島にも自生しているので、たまに採ってくる。
なかなか歯茎が鍛えられる歯磨きで、初日は血がいっぱい出たものだが一週間も使っていると慣れてきた。この木の枝は十分に数があるので数日使っては捨てている。
再度うがいをして、液体せっけんとお湯で顔を洗い、髪を整える。現在二十歳の俺だが、髭が伸びにくいらしく、手入れはこれで終わりだ。
無人島には病院もなければ歯医者もないので、虫歯には気を付けないといけない。
交代でフロンが整える。
女性が身だしなみを整えるのをじっと見るのはよくないので、俺は朝食の準備をした。
地図を確認して脅威となる魔物がいないことを確認すると、地下二階に降りていく。
氷の精霊ナンテンがこの地に来ていいことがひとつある。
スライム、そしてスロータートルがほとんど動かなくなってしまったのだ。しかも、スライムはスライムイーターがいても動かない。いや、そもそもスライムはその流動体の体を利用し、這うように移動しているのだが、寒さで凍ってしまったら全く動けなくなってしまうのだ。寒さに強いアイススライムという種類のスライムもいるそうだが、青スライムにとってこの寒さはどうしようもないらしい。
ということで、石斧でちょんと叩いたら割れてしまうし、スロータートルも甲羅に引きこもって冬眠状態。ひとりでも安心して魔物を退治できる。
ドロップアイテム一覧を確認した。
「出た、スライムスターチ! あと魔石ハンターも二回発動した!」
テンツユのアビリティ、魔石ハンターのおかげで予定より二個多い魔石が手に入っている。魔石ハンターの発動確率は10%なので、五匹のスライムを倒して二回発動のは幸運だと思う。
そして、スライムがたまに落とすスライムスターチ、これはコーンスターチや片栗粉のようなものらしい。
スライムを干したあとに磨り潰し、水につけてでんぷんを抽出させることで手にはいるというメンドクサイ作業の後に手に入るものなのだが、ドロップアイテムとして定期的に入手できる。
これはまた今度使うとして、いま必要なのはこの魔石だけだ。
パンと交換して朝食にする。
さらに、昨日に引き続き生えていたスライムイーターも刈り取っておく。
こちらも魔石と花蜜をGET。
スライムイーターの蜜って消化液じゃないのか? と思うけれど、鑑定で調べるとちゃんと食べられる蜜らしい。スライムを引き寄せるような副作用もないそうだ。
しかも、財宝一覧から取り出すと、なんと小瓶に入った状態で出てくる。
どういう理屈かはわからないが、綺麗なガラス瓶は無人島では貴重なため、花蜜を使い終わったら食器代わりに重宝しそうだ。
あと、スロータートルも背後から石斧で何度も叩いて殺す。
最初は亀を殺すなんて、浦島太郎に出てくるいじめっ子になった気分だったが、亀の肉は貴重なタンパク源のため今は喜んで倒している。
魔物が死ぬと何も残らないため、返り血の心配がないのは助かる。
時間にして十分もかからない作業であるが、戻ったときにはフロンも身支度を整え終わっていた。
ふたりでパンを食べる。
消えない松明で軽く炙るのは忘れない。
今日は魔石ハンターのお陰で魔石を二個追加で手に入ったから、パンを二個ずつ食べている。
「フロン、花蜜を使うか?」
「はい、いただきます」
花蜜に余裕があること、さらに小瓶を食器代わりに使いたい事情もしっているフロンは、遠慮することなく花蜜をパンにつけて食べる。
この花蜜、ただの花の蜜ではなく、しっかり煮詰めてあるので粘度もあるのだが、甘さは蜂蜜よりも控え目だ。それでも、甘味がブルーツしかなかった俺たちにとっては非常にありがたい素材である。
食事を終えて、フロンはナンテンのことについて尋ねた。
「ご主人様、春の音の検討はつきそうですか?」
「いや、まったくわからん――正直、春の音なら春に来てくださいって思う」
氷の精霊だけに冷たい話ではあるが、ヒントもないのに春の音だけで目的の物を見つけるのは不可能だ。犬のおまわりさんだって、ここまで困ることはないだろう。なにしろ、家の場所と名前がわからなかったとしても、子猫の移動できる距離、猫の種類、服装や見た目の年齢などいろいろとヒントがあるのだから。
最悪なにもしなくても、交番で一日預かっていたら、子供がいないことに気付いた親の方から連絡してくることだろう。
「氷の精霊ですから、春に来るよりは春に帰るという感じですけどね」
「春に帰る?」
「はい。氷の精霊は暑さに弱く、北大陸の北部でしか顕現できない存在なのです。南大陸での報告例も数えるほどしかなく、ましてや初秋では東大陸にすら現れたことがないはずです。ナンテンさんはかなり無理をしているのではないでしょうか? 最悪、自分の存在そのものが危険だというのに――」
「そんなに無茶してまで探したいものってなんだよ」
そもそも、音は持ち帰ることができないというのに、なんで必要としているんだ?
「あぁ、くそ。またナンテンに話を聞いてくるか。いつまでも冬だとこっちの身がもたん」
無人島と冬の組み合わせは相性が最悪過ぎる。
せめて、冬ごもりができる状態になってから来てください。
「はい、私もお供します!」
フロンがとても嬉しそうに言った。
なんで彼女が喜んでいるのかはわからないけれど、とにかくできる限りのことはやってみようと思う。
無人島での生活も慣れてきたよという感じの朝の話です。
日常系ファンタジーというタグも入れておいた方がよさそうですね
(※追記、入れました)