第二十九話「春の音」
ナンテンは言った。
春の音を探してほしいと。
抽象的な表現だ。
「その春の音っていうのはなにかの隠語なのか? 特別な意味があるとか」
『それが思い出せないんだよ。それは春の音で、ヒトから教えてもらったことは覚えているんだけどね』
「……フロン、ナンテンは春の音が知りたいそうなんだが――」
そういえば、いまは秋になったばかりだと言っていたな。
俺は太陽の方角を見る。
太陽は西に沈もうとしていたが、さっきは南にあった。
南大陸と東大陸の間という言葉で勘違いしそうになるが、この島は北半球にあるはずだ。この世界の大陸は全て北半球に存在している。南半球には海しかないのか、それとも別の大陸が存在するのかは不明だけれど、それは確かだ。
だとすれば――
「ここはもうすぐ秋になる。春の音を見つけたければ、南に行かないとだめだぞ?」
この島がもうすぐ秋なのなら、、南半球の国はもうすぐ春ということになる。
そっちに丸投げしてしまおうと思ったのだ。
『それはダメなんだ。この島じゃないと今の僕はヒトと話すことができないからね。ヒントとなるものだけでも見つけてくれないかな』
丸投げ案は却下されてしまった。
顧客の要望にしても曖昧過ぎる。
春の音ってなんだよ。
ウグイスの鳴き声か? 雪解けの川のせせらぎの音か? ツバメの鳴き声か? 五月病で苦しむサラリーマンや学生のため息か?
「フロン、春の音って何を思い浮かべる?」
「そうですね……カエルの鳴き声が聞こえてきたときはとてもうれしかったです。私は春になるのが毎年待ち遠しかったですから」
「へぇ、フロンは春が好きなのか」
「はい。冬になると多くの獣人が寒さによる凍死、また食糧不足で餓死することが多いので――」
聞かなきゃよかった。
『カエルとか動物の鳴き声じゃないな』
ナンテンは首を振って言った。
答えがなにかはわからないけど、違うというのはわかるらしい。
「なにか思い出せないのか? 誰からもらったとか、どこでもらったとか」
『うーん、春に貰ったのは確かだったと思うんだけど……なにかを口に入れていた……かなぁ』
ナンテンが腕を組んで考えた。
『でも、言ってくれたんだ。「また来年の春に聞かせてあげるから」って』
いまは秋だぞ?
冬になったらそのヒトのところへ行けよ――と強く言いたい。
ただ、いまのはヒントだったよな。
聞かせてあげるもの……か。
「歌とかじゃないか? 春の歌とか」
『うーん、どうだろう』
やはりピンとこないようだ。ただ、明確に否定しないということは、歌の可能性は残っているということだろうか?
俺が知っている歌は日本の歌ばかりだ。
「フロン、春の歌ってなにかあるか?」
「そうですね――有名なものでしたら、種を撒く歌、雪解けを祝う歌、あと、サクラの歌ですね」
「サクラ? この世界にサクラがあるのか?」
「はい、南大陸のマレイグルリという都市でボンサイと呼ばれる小さな木の植物だそうで春になると綺麗な桃色の花を咲かせるそうです」
ボンサイ――盆栽かっ!?
もしかしたら、マレイグルリには日本とよく似た文化があるのかもしれない。
「と、とりあえず順番に歌ってくれないか?」
「――他人に聞かせられるような技術はなく、耳汚しになってしまうかもしれませんが」
フロンはそう言うと順番に歌った。
彼女が歌うたびに白い息が宙を舞って霧散する。
どれも童話の歌だったが、フロンが謙遜するほど下手ではなかった。むしろ上手だったと思う。
ただ、ナンテンだけは納得できていないようだ。
『うーん、やっぱり僕が探している春の音とは違うなぁ』
やっぱり違うか。
そもそも、俺とフロンに聞こうっていうのが間違えているんだよな。
俺はこの世界に来て間もないうえ、この世界の文化や風習は何も知らない。
フロンはいろいろと知識はあるが、それでも普通の人とは違う生活を送っていた。
この世界の一般的な春のイメージと少し異なるのだ。
「悪いが、役に立ちそうにない。協力できることがあるのなら協力するけれど……ただ、言ったら悪いが」
『うん、僕もずっとここにいるのは危ないのはわかるよ』
ナンテンは木を見て言った。
木の樹皮には霜がついている。
俺は植物学者や動物学者ではないが、それでも秋を飛ばして冬が来ればこの島の生態系が狂ってしまう可能性が高いことくらいわかる
最悪、洞窟にいる引きこもりドラゴンが出てきて暴れだす可能性すらあった――いや、まぁ寒さで冬眠している可能性のほうが高そうだけど。爬虫類は寒さに弱いっていうし。
『それでも、僕は春の音を探したいんだ。暫く、この島で春の音を探してみるから、その間だけはよろしくね』
ナンテンはどれだけの間この島にいるか言わずに、ふわっと夕闇の空へと飛んでいった。
冬が終わって秋が来るのは暫く先のようだ。




