第十九話「甘さと酸っぱさ」
次回はいよいよ第二階層追加!
テンツユと一緒に広場に戻ると、テントの前でサンダーとトニトロスが座っていた。表情は浮かないし、ドラゴンの素材もない。
やはり勝てなかったのだろう。
小さな怪我がいくつかあるが、しかし大きな傷はない。
「サンダー、トニトロス、無事だったんだな。心配していたんだぞ」
「ああ……無事だ。怪我も大したことはない……」
サンダーの表情は暗い。
勝てなかったことを気にしているのだろう。
「まぁ、気にすることはないって。ドラゴンって俺が知ってる限り最強の魔物なんだろ? 負けたとしても、それなら今度は強くなるなり工夫するなりして――」
「負けたんじぇねぇっ!」
サンダーが目を見開き、大きな声で怒鳴った。
しまった、琴線に触れたみたいだ。
「わ、悪い――負けたんじゃないよな。うん、冒険者にとって最悪なのは死ぬことや大怪我を負うことで、見極めて撤退したのなら――」
「最悪が死ぬこと? ふざけるな。ドラゴンに殺されて死んだのなら、俺はそれも運命だと思って受け入れたさ。こっちは殺す覚悟で挑んでるんだから、殺されて文句を言う筋合いはねぇよ」
え? だったらサンダーはいったいなにを怒ってるんだ?
「勝負ににゃらにゃかったのにゃ」
トニトロスが言った。
にゃらにゃかった?
……勝負にならなかったってことか?
「あのドラゴン、俺が近付いても、剣を抜いてもなんの反応もしやがらなかったんだ」
「え? でも、ドラゴンは自分を殺そうとする相手には襲い掛かるって――」
「ドラゴンは、おふたりの実力では万が一にも自分を殺すことはできない。だから敵ではない。そう思われたのでしょう」
フロンが言った。
それって言い過ぎな気がした……がサンダーもトニトロスも何も言わない。
おそらく、彼女が言ったことが的を射ていたのだろう。
サンダーは横に落ちていた朝食用に狩った鳥の残骸を見た。俺もつられてそれを見てしまう。
朝は一匹しかいなかったハエのような虫が、いまは三匹になっていた。
「あのドラゴンにとって俺たちはその辺にいる虫と同じだ。剣を抜いて襲い掛かったら、尻尾や爪で払われて終わり。少し距離を置いたら襲い掛かってこない。俺にとっては命がけの戦いでも、あのドラゴンにとっては睡眠を邪魔する害虫と同じ扱いなんだよ」
サンダーはいまいましげにそう言うと、焚火を点すために使ったと思われる消えない松明を鳥肉の残骸に振り下ろした。
ハエ三匹は火に直接触れることなく飛んで逃げたが、すぐに戻ってきた。
「ちっ――ああ、ムシャクシャする。これで何度目だ――あのドラゴンと勝負にならなかったのは」
「にゃにゃ度目にゃ」
七度目(トニトロスの言葉にだいぶ慣れてきた)っ!?
戦いを挑むのは初めてじゃなかったのか。
「七戦〇勝〇敗か。よし、修業のやり直しだ。今度こそ勝ってやる」
さっきまでの怒りはどこかに飛んでしまったらしいサンダーは、そう言って笑った。
「サンダー、危険じゃないのか? 強くなってドラゴンに強敵だって思われたら殺されるかもしれないんだろ? お前の実力なら、もっと安全に稼ぐ方法があるんじゃないか?」
「親父と同じことを言いやがるな。こんなところで暮らしてるお前ならわかってくれると思ったんだが――」
サンダーは俺を少し幻滅したような、そして軽蔑したような目で見る。
「ああ、確かにそれでも十分に稼げるさ。でも、ドラゴン退治は俺がしたいからするんだ。生きていればいいことがある、死ねば全部終わってしまう。そんな言葉でやりたいこともできない人生なんて、なんの意味がある? それは生きたまま死んでいるのと同じだろ。ああ、くそ、忌々しい親父の台詞が頭によぎりやがった。俺は俺のやりたいことをして生きるんだ! 誰にも文句を言われることはない、誰にも文句を言えねぇ人生だ。それが面白いんだ! わかるだろ」
「……サンダーは言いたいことを言っているせいで、相手はわからにゃいにゃ。相手を説得する気がゼロにゃ。もっと簡潔にはにゃすにゃ」
「にゃーにゃー言ってるお前のほうがわかりにくいだろ」
「にゃにをっ!?」
サンダーとトニトロスが揉めたが、俺の中にサンダーの言葉が響いた。
やりたくない仕事を、お金のためだから、生きるためだから、いま会社をやめたら転職は難しいから、同年代より給料はいいからと理由を付けて辞められずにいた。
サンダーに言わせれば、俺の社会生活は間違っているんだろうな。
「さて、食べたら用を足さないとにゃってか?」
サンダーはそう言うと、森の奥に行く。わざわざトニトロスの語尾を真似して。
「あいつは本当に下品だな。黙っていけばいいのに」
横でフロンが……ああ、全然気にしてないか。
「あれは嘘にゃ。サンダーは緊張したり悔しかったり嬉しかったり、とにかく気が高ぶるとああしてひとりににゃるのにゃ……ああ見えて、いろいろと繊細にゃところもあるのにゃよ」
サンダーと繊細という言葉がいまいち繫がらなかったが、そういうものなのか。
と思ったら、トニトロスは席を立ち、サンダーを追おうとした。
「いいのか? ひとりにしなくても」
「おいらはサンダーの相方だからにゃ。サンダーがひとりになりたいときと、おいらが一緒にいてほしいときくらいの区別はつくにゃ。心配ありがとうにゃ」
トニトロスはそう言って、頭を下げてサンダーを追って森の奥に行った。
「素敵なパートナーですね」
「……だな」
長年連れ添った夫婦みたいな関係性にも思える。
きっと、修羅場を潜り抜けたのも一度や二度じゃないのだろう。
ドラゴン退治だって七度目だって言っていたし。
「帰ってきたときには食欲もあるだろ。慰労会の準備、始めるか」
「そうですね。きっと喜んでくださると思いますよ」
俺たちはサンダーとトニトロスを迎えるための準備を始めた。
海で採ってきた魚や海草はあまり評判はよくなかった。というのも、船の上ではほとんど魚ばかり食べていたらしい。
その代わり、パンとキノコ、そしてブルーツは好評だった。
トニトロスは匂いでブルーツが甘いか酸っぱいか区別がつくらしく、サンダーとふたりで酸っぱい方のブルーツを喜んで食べてくれた。なんでも、酸っぱいブルーツを食べるのは船乗りにとって必要なことらしい。
たぶん、壊血病――ビタミンC欠乏による病気の予防に必要なのだろう。ブルーツなら甘くても酸っぱくても効果は同じだと思うけどな。
まぁ、そのお陰で、俺とフロンは甘いブルーツだけを食べることができた。
ただ、酸っぱいブルーツを美味しそうに食べるサンダーとトニトロスが、そのときは非常に羨ましく思えたのだった。




