第十二話「臨時休暇」
迷宮に来てから一週間が経過した。
ドラゴンについては、触らぬ神に祟りなし――あの洞窟には近づかないことにしている。幸い、あの洞窟からドラゴンが出てくることはなかった。
俺のレベルは6にまで上がっていた。また、迷宮の部屋にベッドを二つ。さらにノコギリと釘、金槌などを魔石と交換して手に入れ、船の残骸を運び、テーブルと棚、椅子を作って部屋に置いた。素人DIYによる家具なので不格好だけれども、一応使えるレベルのものだ。
「ご主人様、今日も休まれないのですか?」
「ああ、やることがいろいろとあるからな――」
俺が作っていたのはこの島の地図だ。
魔石と紙を交換し、周辺の地図を作製している。魔石といろいろな物資が交換できるといっても、迷宮の原理がわからない以上、今後も歩きキノコが無限に湧き続ける保証はない。実際、歩きキノコが湧く量には差があり、一日二百匹も現れる日もあれば十匹も現れない日もあったのだ。
地図を作り、畑に適した場所を考え、その地を開墾する。
あと、海までの道は整備しておきたい。いまの獣道は海までの直線ルートではないからな。まず、直線ルートの木々を伐採し、切り株も俺とフロンとテンツユで引っこ抜き、道に砂利を敷き詰めて道にする。
「ご主人様、私が寝た後もなにか書かれていますよね?」
「あぁ、悪い。起こしたか? いろいろとアイデアを書き記しておきたいんだ」
俺は優秀ではない。しかし、日本という異世界で培った知識はいろいろと使えるものがあるはずだ。記憶は劣化するというので、覚えているものは覚えているうちに書き記しておきたい。
料理のレシピ、化学的な知識、農業の知識など。
可能ならば、日本語ではなく、こちらの世界の言葉で書きたいんだが、俺だけでなくフロンもこの世界の文字はわからない。東大陸における獣人の識字率は一割にも満たない。むしろ、文字を学ぶことを禁止しているという。
知識を持つ者は反乱を企てる。知識を持たせないためには文字を与えなければいい。そういう思想でもあるのだろう。
その分、親から子、兄や姉から弟や妹に、様々な知識が口伝されるという。フロンがいろいろと知っているのはそのためらしい。
ということもあり、結局俺はこの世界の文字を修得する機会もなかった。今度、全部フロンに読み聞かせたい。
「ご主人様は働き過ぎです。過酷な仕事なら私にお与えください」
「フロンも十分働いているだろ? フロンこそ休めって思うぞ」
「主人を差し置いて休むことは許されません」
……なんていう社畜精神だ。
上司が休んでいるから私も休まないって言う部下のようだ。
いや、ちょっと待て――これって危ない現象じゃないのか?
「フロン、少し俺の質問に正直に答えてくれ! まず、頭がすっきりしないことがあるか? 頭が重かったり――」
そう、俺が行っているのはいわゆるストレスチェックだ。
俺の日本時代の職場はブラック企業だった。しかし、そういう企業でも表向きは行われている。パワハラ防止の講習会や職場の環境チェック、福利厚生などの制度が。
毎年行われるストレスチェック――それは苦痛だった。
というのも、ストレスチェックに引っかかった人間は、強制的にカウンセリングにかけられる。そして、そのせいで業務が押す。押した業務は自分だけでなく周囲の社員にも振り分けられる。職場の全員に迷惑がかけられ、しかも残業時間がオーバーしてはいけないので表向きは退社させられ、勝手に仕事を持ち帰って勝手に仕事をする羽目になる。
その結果、一度ストレスチェックに引っかかった人間はその後ストレスチェックに引っかかることはない。周りに迷惑をかけられない。
ただし、全員ストレスが全くない状態だと、おかしいので、ストレスチェックの点数を全国平均値前後に揃える必要があった。
そのため、俺はストレスチェックの項目と点数の付け方について、かなり詳しくなった。
もちろん、違法ギリギリではなく、完全にアウトな職場だったが、中にいたときはそれをどこかに言うことはできなかった。そうすれば仲間に迷惑をかけると思っていたから。
しかし――ストレスチェックをしていくうちに、俺は後悔した。
「……ヤバイ」
フロンのストレス値が基準値を大幅にオーバーしていた。
原因はわかっている。
慣れない環境もあるが、一番は休憩時間の短さだ。
フロンから聞いたところ、彼女たちは大陸にいた頃は、夜になるとランプの油の費用がもったいないので早く寝させられていた。それが、ここに来てからは睡眠時間が大幅に減っている。この迷宮の明るさも原因のひとつだろう。明るい場所で寝ると眠りが浅くなる。
しかし、一番の原因は心因によるもの。
つまり、俺が働いているから寝れない。心から休めない。
「よし、フロン! 今日の午前中は――いや、一日休むことにしよう!」
「はい、それが良いと思います。では、私は海で魚を取ってきますので」
「違う、ふたりとも休むんだ! 二度寝しよう!」
人生最大の時間の贅沢な使い方! 惰眠をむさぼる二度寝!
これに限る!
広場で伐採してきた若木の皮をむいて、木材にする作業をしているテンツユにも、今日は仕事を休むように伝えた。
「いいのでしょうか? こんな風に休んでも」
「いいんだよ――人間の睡眠は借金はできても預金ができないようなものらしい。寝貯めはできないけど寝不足を解消することはできる」
「はぁ……」
ということで、俺とフロンは寝た。
寝たのはいいけれど、なんだろう――寝たけど眠れない。
というか、緊張している。
そういえば、ベッドができてからは限界まで働いてから寝ていたので気にすることはなかったが、横でフロンが寝ているんだよな?
ベッドはダブルベッドではないけれど、ふたつのベッドをくっつけている。最初の頃、テンツユも一緒に寝たそうにしていたが、ひとりのベッドに寝させるには狭いため、俺とフロンのベッドをくっつけ、間で寝させていたのだ。
しかし、テンツユにとってベッドは落ち着かないらしく、いまは干し草の上で寝ている。
このため、思惑抜きに俺とフロンのベッドはくっついたままになった。
普段はベッドに横になると同時に寝ているし、俺が起きる前にフロンが先に起きているので全然緊張しないんだけど、いま横を向けば――フロンがいるんだよな?
俺はそう思って横を向くと――フロンがじっとこちらを見ていた。
「……フロン、もしかしてずっと見てた?」
「……はい、すみません」
「……謝ることはないんだけど……ええと、なんで?」
「……ご主人様の寝顔が……その、素敵だったので」
「……ありがと。フロンも……可愛いよ」
お互い目を合わせたまま、そんなことを言った。
「……もしも、この世界が違ったら……フロンが、獣人が人間よりも下なんて意味のわからない制度がなく、俺とフロンが出会ったとき、お互い対等な立場だったら……」
「どうなさるのですか?」
「多分、恥ずかしくてベッドをくっつけて寝れなかったと思う」
それだけじゃない。同じ部屋で寝ることもできなかっただろう。
俺はフロンに甘えていた。
俺の言うことを何でも聞く彼女に。
「……それは寂しいです。私はご主人様の隣で寝たいです。それが無理ならベッドの横で床の上で寝ていたいです」
「それはやめて……起きるとき踏んじゃいそうだし……」
俺はそう言って笑った。フロンも釣られて笑う。
「でも、人間と獣人の立場が同じだったとしたら、ご主人様は私の尻尾をブラッシングできませんでしたね」
「え? そうなのか?」
「はい。獣人は対等の立場の人間に対して、恋人以外には尻尾と腹を触らせることはありません。尻尾をブラッシングしていいのは、恋人か上の立場の者だけです」
「え? そうなのっ!?」
獣人の尻尾ってそんなに大切なものだったの?
「はい――もっとも、たとえ上の立場の者であったとしても尻尾を触られるのは嬉しいものではありませんが」
「そうだったのか――悪い、今度から尻尾の手入れは自分でして――」
「いえっ! してください!」
フロンが大きな声を上げて上半身を起こし――恥ずかしくなって布団に包まった。
「すみません、今の言葉は忘れてください」
いや、忘れろって言われても。
え? 尻尾は上の人間と恋人以外に触られせないけど、上の人間に触られるのは好きじゃない。俺は上の人間だけど、触ってほしい? 俺の手入れがうまいから?
それとも――
「もしかして――」
「ご主人様、お願いです。いまの私の台詞は――」
「……忘れないけど、いまから尻尾のブラッシングさせてもらっていいかな?」
俺がそう尋ねると、フロンは布団から顔を出して、本当に恥ずかしそうに頷いた。
「はい、喜んで」
その後、俺とフロンは二度寝することもなく、ブラッシングしたり面白い話をしたり、一緒に料理を作って食べたりした。
休むというよりかは、親睦を深めただけという感じだけれど、俺とフロンの顔からは疲れなど綺麗に消え去っていた。
こうして、何事もなく初めての休日は過ぎていく。
たまには、こういう一日もいいものだ。
これで第一部は終わりです。
まだ、迷宮師としては駆け出し。
迷宮都市を作るまで、ジョージの戦いは続きます。




