2話.真の同級生
金森は目を覚ました。ここはどこだろうなんて思っている。いまだ薄ぼんやりした瞳を凝らして周囲を見回すと、人工灯にギラギラと照らされた白い壁と緑のカーテンに囲まれた清潔感のある部屋で、経験上のイメージでは病室もしくは手術室と思われたが、場所──こと住所を示すものは何もなく、少なくとも今まで来たことのない場所だということが、かろうじて理解できるだけだった。そして、目を逸らしたくても逸らせない、強烈な個性を発揮する頭上の機械が、違和感、不安感、もしくはデジャブをかきたてた。知らないはずなのに妙な既視感を持ったのは、映画やテレビアニメで見たことがある、例の機械のように思われたからだ。
身体を動かそうとするが、やはり動かない。まるで首から下の感覚が無くなったようだった。
「やっと起きたわね」
そう言いながらドアを開け、部屋に入ってきたのは、先ほどまで一緒にランチを食べていたはずの自称同級生であり詐欺の犯人、竹居若葉その人である。目覚めてすぐのタイミングで入ってきたのは、どこかで見張っていたか、あるいはバイタルをモニターしていたか、いずれかに違いない。満面の笑みを浮かべているように見えるが、その瞳の奥にはマッド・サイエンティスト特有の冷たい光が灯っていた。
「ここは、どこら」金森は呂律が回っていない。まだ少し薬が残っている。
「第十三手術室よ」
若葉は正直に答えたが、金森が求めていた答えとは、違う。もちろん金森も期待していなかったから質問を変え、頭上にぶら下がっている機械について尋ねることにした。
「その転送機は、なんら」
なぜソレを転送機と表現したのか、金森自身にも分かっていなかったが、若葉はちょっと眉を上げ、あらまぁと驚いた顔をしてみせた。
現実の技術が追いついたとき、開発者が子供の頃にテレビで見たであろう「夢のマシンとデザインが似てしまう」現象は、よくあることだ。スマートウォッチ然り、レールガン然り。将来、四次元ポケットが付いた夢のマシンが開発されたら、きっと青い猫型になっているだろう。
それはともかく、今回についても同様で、当たらずとも遠からず。ただし、若干の訂正が必要だ。
「転送? イヤねぇ、物質を一方的に送りつける──ワープさせるなんて、非現実的なものはありえないわ。物理の基本法則くらい知ってるでしょ? 質量は保存、等価交換が原則よ。そこにあるのは、ただの物質“交換”機」
「交換? なにを?」だんだん発音が戻ってきた。
「あなたの身体の一部を、彼女と交換してもらうわ」
「彼女って?」
「もちろん、契約書通り。宇都宮玲子ちゃんよ」
身体の一部、物質交換機、契約書、宇都宮玲子──? 突っ込みどころ(で済ませてよいか不明)が満載だが、いくらか回転が戻りはじめた頭で、必死に話を整理する。
ここはどこ。第十三手術室。それ以上は教えてもらえないだろう。
私はだ~れ。金森裕人。
なぜここに。バカか! 騙されたに決まってんだろうが!
さて、残った疑問を一つひとつ問いたださなければならない。
「宇都宮玲子はどこにいる」
「カーテンの隣よ。物理的に近くないと“交換”できないからね」
「なら、そのカーテンを開けて、証拠を見せろ」
「ダメよ。玲子ちゃんも、あなたと同じ格好なのよ?」
そう言われて、視線を最大限の下目遣いにする。気付くのが遅すぎだ。
「うわぁぁああああ!」
「玲子ちゃんにはプライバシーってものがあるわ」
「オレのプライバシーはどうなってる!」
若葉はチラッと目をやり、心の底から気の毒そうに言った。
「そんな粗末なものには、1円の価値もないわ」
カーテンの向こうにいる玲子の姿が、ここで表現されることはない。全年齢向けだからだ。もちろん金森のことも書かれない。1円の価値もないどころか、2年以下の懲役または250万円以下の罰金が科されることがある。
「……契約書はどこにある」屈辱に耐えつつ、最低限の確認をする。社会人として当然のことだろう。
身体を動かせない金森の目の前に、元・寄せ書きが差し出される。案の定、上部には契約条項が細かい字でびっしりと並び、最下部に「かなもりひろと」とサインがあった。いちおう判読可能だが汚い字である。これは向精神薬の影響下だったので仕方ない。
しかし条項を読むこともなく、ひと目見ただけでフンと鼻を鳴らした。
「こんな契約書は無効だぜ? 黒い紙で隠されていたから、オレは契約内容を知らされてないし、たぶん薬を盛られたか何かで酩酊していた。詐欺による無効、錯誤による無効、公序良俗違反、何でもいいぞ」
「さすが法律スレスレを渡るバッタ屋ね。民法は分かってるじゃない」若葉は金森の職業に触れつつ、アハハハと笑って続けた。「でもね、この契約書はあなたのために作ったんじゃないわ。これは玲子ちゃんにとっての御守よ。万が一交換に失敗した場合『本人承知のうえでした』と証明する時に使うの」
言っている意味を理解するのに、時間がかかった。
「つまり、契約が無効であろうとやるつもりか?」
「もちろん、実行するわよ。成功すればよし、失敗しても死人に口なし」
「くそがっ!」
客観的に見れば、初めから騙す気満々の詐欺犯を相手に「契約を遵守しろ」とか「無効だ」とか、いまさら何を主張しているのだろうと苦笑するが、中途半端な知識を持つと、得てしてこういうことを言いだすものである。
しばし、金森は思いつく限りの罵詈雑言をガナリ続けた。もっとも、語彙が乏しかったので、書き記しておくほどの言葉も、ウィットの利いた皮肉も飛び出さなかった。やがて、ただニヤニヤして待つ若葉の態度に気付き、何を言ってもムダだと悟ると、少し冷静さを取り戻した。
物質交換機(?)について聞く──のは止めておく。若葉は嬉々として説明するかもしれないが、たぶん理解できない。理解しようとも思わない。
だから「なんのために、こんなことをする」と端的に聞いた。
「もちろん、玲子ちゃんの生命を救うためよ」
若葉に張り付いていたニヤニヤ笑顔が消えた。急にまじめな顔になる。
「どういうことか、ちゃんと説明しろ」
「いま、玲子ちゃんは、危険な状態よ。助けるためには、健康な人から身体の一部を提供してもらって、交換する必要があるの」
「それを、オレに出せ、と?」
「そういうこと」
当然のように浮かんだ疑問を口にする。
「強制的に──それこそ、さっき寝ている間にやっちまえばいいじゃないか。どうせ契約があろうとなかろうと、オレの意思なんて関係ないんだろ?」
「ドナー本人が、自分で『この部分を提供する』って指定しなきゃダメなのよ。だってボランティアなんだから」
「無理やり拉致してきてボランティアだあ? まったく理解できないね」
「この交換機は“人道的な医療器具”だから、差し出す人の意思を確認する機能が付いてるの。だから、あくまでも自由意志で提供してもらう。ドナーカードと同じことよ。でもね、ここに来た経緯について、交換機は判断しない。実行するにあたって大事なのは、今ここで、あなたの口から出た指定が、自主的かどうかだけ」
「機械の目の前に無理やり連れてきても、自分の口で言えば自主的だと?」
「だから自由意志でいいってば」
若葉の詭弁にムカッとしつつ、確認する。
「じゃあ、交換を断ったらどうなる」
「こうなる」若葉が取り出してみせたのは、メスなどが持つ医療器具らしい厳粛さと少しかけ離れた金属──無骨な出刃包丁だ。ブンと素振りする。「いちおう秘密だから、協力しない人を黙って返すわけにはいかないのよ」口調だけは、それはもう残念そうに言った。顔はびっくりするほど笑顔だ。
「──要するに、交換するまでここから出さない、と」
「生きては出さない、ね」死体なら出られるわよと、正確さを要求した。
金森の頭脳は、回転をボイコットしかけている。思考停止寸前。どうにでもしろと諦めつつあった。あまりに非現実的な状況に、ついていけなかったからだ。
オレは新宿を歩いていた。同級生に会った。一緒にランチを食べた。今そいつが言っている。身体の一部を差し出せ、さもなくば殺す。
確かに脳細胞にしてみれば、ストライキやむなし。しかし、このままでは生命ごと共倒れだ。出刃包丁で一突きされそうな心臓サイドとしては「そこを一つよろしくお願いしますよ」と協調路線を模索。大脳は「今回だけですよ」と応じて、必死(実に的確な表現)で考え、何とか共通の譲歩回答を導き出した。
「交換するのは──髪の毛だ」
ポンという受付音を発し、交換機のLEDがチッカチッカと点滅する。いったん全消灯してから、タララララ、タララララと、3列に並んだインジケーターが高さを増していく。ポーン、ポーン、ポーンと鳴って全てオッケー、オールグリーンを示した。続いてキュィィィイイと響き始めた金属的な回転音が次第に大きくなり、空気をビンビンと震わせる。
一連の動作は「髪の毛交換の意思表示は自主的な発言」と判断した交換機が、その実行を開始したものと思われた。
これなら生命に別状なし。身体の一部を交換するという、条件も果たせる。
「(ざまあみろ)」声を発せず、口だけ動かした。
目をつぶって交換を待つ間に、金森は余計なことを思っている。女子の髪と入れ換わったらどうなるんだろう。トリートメントを買う必要がある? いや、もしかして病気で髪がないとか? そうしたら、オレは一生ハゲか? 生命と引き換えとはいえ、ひどい話だ──。
キュウウウゥゥゥ……ン……プシュン
音が次第に小さくなり、交換機が実行準備を中止した。
金森が目を開けてみると、若葉の手に手動キャンセルボタンが握られている。その顔には、怒りとも呆れともとれる表情が浮かんでいた。
「あんたバカ? 髪の毛を交換して、どうやって生命を救うのよ?」
「そんなこと知るかよ! オレは条件さえ満たせば──」
「死にたいわけね?」
どこから出したのか、#400番手の砥石で包丁を研ぎ始める。恐る恐る「何番手まで?」と聞くと若葉は無言で三本指を返した。この後は次第に番手を上げ、最終的に#3000番手の細かい砥石で仕上げるつもりらしい。ピカピカに磨き上げ、ひと思いにスパッと殺るわけだ。実に人道的。
しかも、恐ろしく手際がいい。おそらく残された時間は──数分だ。
すでにドキドキが止まらない心臓だけではなく、首筋サイドもヒンヤリした危機感を覚え、大脳にハリアップを要求した。
金森は、人間の臓器って何があったっけと、彼なりに急いで考えている。肝臓、腎臓、肺、胃、小腸、大腸、心臓──。悲しいかな、医学的知識が少ないため、もう次が出てこない──脳、いやいや死んじゃうから。
しかし、ここではたと気付いた。
ここで致命的な臓器を差し出せば、死んでしまう。もしくは、いずれ死んでしまう。宇都宮玲子はそのせいで生命の危機にあるのだ。即死ではないにしろ、彼女に代わって病魔に侵されていくことになるだろう。彼女を生かすために、オレを殺すというのは、やはり辻褄が合わない。もし、オレも彼女も生かすという「正解」があるのなら──2つあるやつか?
「肺」──カチと、即座にキャンセルボタンが押された。
「じ、腎臓」カチ。
「うーん、膀胱?」カチ。(せっかく、もう一つ思い出したのにね!)
あっという間にアイデアが尽きた。沈黙する。
若葉は、出刃包丁を人工灯にかざして、研ぎ具合を確かめながら言った。
「あのさ、金森くん。キミにとって、玲子ちゃんは本物の同級生なんだよ? 本当はね、病気のことも知っている──知っていたはずなんだ」
「……」
「それなのに、思い出すことさえできないんだね……? ねえ? そんな人でなしって──この世に必要なのかな?」
問いかけの形をとったが、死ねと言ったも同然だ。脇に置いてあったティッシュを1枚引き抜くと、水平にした出刃包丁に乗せた。すると音もなく二つになって、ふわりふわりと揺れながら床に落ちていく。先端に乗ったトンボが切れてしまったという名槍「蜻蛉切」ならぬ、出刃包丁ティッシュ切り。
さて。
詐欺に遭って謎の手術室に連れてこられたうえ、95%くらいの確率で命を奪われようとしている、この男に対して我々は同情すべきだろうか?
確かに、このケースの犯人は若葉で、金森は被害者だ。
しかし、多くの詐欺被害者には心の隙がある。持ちかけられた儲け話に目がくらんだとか、素敵なお金持ちに結婚を求められたとか、同級生を名乗る見知らぬ美人に鼻の下を伸ばして付いていった、とか。
さらにいえば、偽物の同級生にはヘラヘラと一目惚れするくせに、本物の同級生が病気で生命を失いかけている時には、何もできないどころか病名を思い出すこともできない。なんとだらしないクズ。
そんな男に対して同情する? それとも死んで当然?
それぞれ、判断してから読み進めて欲しい。
ただし、その判断は自分にも返ってくることを忘れずに。たとえば15年後に同級生が病気で生命を失いかけているとき、詐欺で拉致されたうえ身体の一部を交換して欲しいと言われ、その同級生を思い出せずに答えに窮したあなた本人が──同情されるか殺されるか。
自分には関係ない? ホントかな?
では、話を進めよう。
いま金森は、ブンブンと素振りを繰り返しながら近付いてくる若葉を前にして無惨に青ざめつつ、最後の悪あがきを試みている。もっとも、大脳はストライキではなく退職を考えはじめていたから、気が焦るばかりで実際にはほとんど思考能力を失い、走馬灯がグルんグルんと回って過去の思い出を順次上映し始めていた。
これが噂の走馬灯。これが見えたら終わりだと覚悟し、金森は目をつぶる。
しかし、なんという偶然だろう──。
走馬灯機能が動いたということは、普段ろくに働いていない、この男の長期記憶が、ほんの少しだけとはいえ、働きだしたということだ。
退職を前にして忘れ物を取りに立ち寄った、気まぐれな大脳皮質がたまたま見つけた、ただそれだけの昔の記憶が、思い出の走馬灯を通して、ただし過去向きにさかのぼって、しかし目の前で見ているように、映写されていく。
(誰だっけそいつ)(覚えてない)(覚えてないの?)
(ほら、なんて名前だっけあの子、生きてるのかな)
(たまに思い出すんだよな)(やっぱり中学に来れなかったね)
(そういうのやめなよ男子!)(宇都宮は小卒になっちゃったりしてな)
(応援の寄せ書きしようよ)(宇都宮さんって卒業できるの?)
(金森くん知ってる? 玲子ちゃんって、実はね──)
再び開かれた金森の目は、真っ赤になっていた。あろうことか涙まで浮かんでいる。おおかた過去の思い出に触れて、幼い少女の境遇に同情したのだろうが、そもそも思い出した事さえ偶然の産物だ。今の今まで忘れていたくせに。まったく、おこがましいにも程がある。そう思うでしょ?
しかし、この男はハッキリと、少年のような口調で、こう言ったのだ。
「宇都宮さんに、ボクの骨髄を」
交換機がポンと鳴った。
*
金森が目を覚ましたのは、自宅(築25年のボロアパート)にある、学生時代から使っているベッドの上だ。頭はすっきりしていたが、経過時間の感覚がないため手元のリモコンでテレビをつけると、水曜日の朝7時だと分かった。新宿にいたのは火曜日の昼下がりだったから、あれから丸1日も経っていない。
ただ、昨日は午後の営業回りを全てぶっちぎり、しかも無連絡で直帰したことになっているだろうから会社に行くのは気が重いと考えつつ、しかし顔には充実した笑みが浮かぶのを止められない。
いつもは8時過ぎまで寝ているくせに、今日は手早く準備を済ませ、カバンを肩にかけて外に出る。いつもより低い位置にある朝日に射られ、目を細めた。
*
これが、今回行われた詐欺事件の顛末だ。被害者が、被害を受けたと思っていないのは、非常に特殊なケースだということを肝に銘じて欲しい。しかも、それは偶然の幸運によってもたらされたのだ。そのことは見てきた通り。
しかし現在、若葉と同様の犯罪グループによる詐欺事件は多発しており、多くの被害者は悲惨な最期を遂げている。どうか、どうか注意して欲しい。
テンテンテン、テテン!
ストップ詐欺被害! 私はだまされない
「道ばたで同級生を名乗る女に注意!」
「わたしよ、わたし。覚えてる?」などと声をかけて同級生を装ったり、共通の友人の話題を出して信用させたりするのは、詐欺グループの手口です。こんな同級生いたかなと違和感を感じたら、安易に信用せず、いったん立ち止まって確認するようにしましょう。特に顔が好みだからといってホイホイ付いていかないこと。思わぬ生命危機に陥ることがありますよ!
おしまい。
反省文(https://ncode.syosetu.com/n3508ff/)を書いたからには、言い出しっぺの法則によって自ら責任を取るべき。というわけで、ロリ女声というか内田彩カスタムで書きました。ちょっと短いけれども。