1話.偽の同級生
「ねぇ! キミ、金森くんよね?」
女に声をかけられて振り返った、この男が今回行われた詐欺事件の被害者だ。中肉中背で容姿に特筆すべき点はなく、大学までは付き合っていた彼女がいたが入社とともに上京して自然消滅し、それ以降は公私とも鳴かず飛ばずで無為な日々を過ごしていたから休日といってもやることはなく、日曜の午後3時になったらテレビで競馬中継を見ながらJRAのネット投票サイトで連勝複式の馬券を1点百円ずつ3点買いして度胸のなさを示し、案の定2着3着で悔しがっているような、そういう男である。どこにでもいる男といってよいだろう。しかし、詐欺の被害者になってしまうのだから、よく覚えておいて欲しい。
「えぇ、はいそうですが」間の抜けた返事をする。
「わたしよ、わたし。覚えてる?」
金森は微妙な表情をした。目の前に立つ女のことを覚えていないからだ。たいへん申し訳ないが見当もつかない。しかし、営業として会社に奉仕すること早5年。社会人として、こういうときにどう答えればベターかくらいは知っていた。
「あ、えーと、うんうんうん。あー、喉まで出かかってるんだけどなぁ」
「もう! 本当に覚えてるの? 竹居よ、竹居。竹居若葉。小学校の5、6年で一緒だったでしょ!」
「あー、竹居さんね。はいはいはい!」
調子を合わせたが、誰だっけと思っている。竹居なんていたかな。
「こんなところで会うなんて偶然よねっていうかスゴすぎない? 福井から何キロあるのって話よ。ねぇ、なんで新宿にいるの?」
「いや、営業回りの途中でさ。ちょっと時間があるからメシでも食おうかと」
「えーそうなんだ! じゃあ、これからご飯なのね。ちょうどいいじゃない。一緒にランチしようよ!」
「ああ、でもオレ新宿よく知らないから、そのへんのチェーンとか?」
「もうバカね! 久しぶりに再開した同級生とのランチでしょ。わたし新宿よく来るから案内してあげる。良いお店あるんだ!」
「ああ、じゃあ任せるよ。えーと竹居さんに」
故郷の福井が出てきたものだから、すっかり信じきっている。いや、それ以前に竹居と名乗る女の容姿に心ひかれていた。かわいい。超好みとか思っている。それどころか左手の薬指にリングがないのを確認しちゃったりして、十数年ぶりに会った名前も覚えていない同級生を相手にどこまで行くつもりなんだと突っ込みたくなるような下心の過積載ぶりである。案内すると言われたので、後ろのような横のような、微妙な位置を保ちながら並んで歩いていく。
自称竹居若葉(以降、この犯人を若葉と呼称する)は、慣れた様子で人混みを縫いながら、よく知られた同級生の名前を出した。
「ねぇ、滝口くんって覚えてる?」
「うんうん覚えてる。金持ちの滝口くんだろ」
「そうそう! なんか会社を継いじゃって、もう社長なんだって。スゴいよね」
「へー」
滝口のことは覚えていた。なぜなら家が金持ちだったからだ。新しいゲームをたくさん持っていたので、みんなで家に押しかけては、最新式の格好いい光線銃で撃ち合いをしたり、妙に豪華なオヤツをもらったりしていた。そういう意味で大事な友人とみなしていたわけだ。本人はチビでパッとしない奴だった。金持ちじゃなかったら相手にしなかったかもしれない。
「ここだよー」
「なんだ案外近いんだな」
「えへへ、穴場なんだよ!」
建築基準法をクリアしているのか怪しい、ハシゴのように急で、極端に狭い階段を降りていく。一人では絶対に見つけられない、入ろうとさえ思わない場所だ。穴場どころか看板も出ていない。
金森は、入り口にメニューでもあれば価格の相場も分かるのに心配だなと思っている。いつもは牛丼並盛350円也あたりを食べていて、たまにする贅沢のレベルが「よーし、たまごセット付けちゃおうかな」という質素なランチ事情だから、女子のランチは千円超えしたりするらしいと漠然とした不安を感じつつ、それでも久しぶりに会った同級生となら二千円までは出せるぞとセコく意気込んだ。まあいいか。だって、かわいいしってなもんである。
ギーと鉄扉を開けると、ランチには似合わない印象の、薄暗い空間だった。
むしろ隠れ家バーといった風情の店構えで、カウンターの向こうにマスターとおぼしき初老の男性が一人いる。他の客はいない。確かに穴場だ。ドアを閉じれば新宿の喧騒が全くなくなり、小さく流れるジャズが聞こえるだけになった。
金森は、こいつは敷居が高そうだと慣用句を誤用しつつ、いまさら止めようと言い出すこともできず、予算の上限を三千円までアップしたうえ、身構えるようにカウンターのスツールに着席した。
「いらっしゃいませ」
「マスター、いつものね!」
「──じゃあボクも同じもので」
「かしこまりました」
金森の動揺っぷりは見ていて滑稽なほどである。常連客だけに許された「いつもの」が飛び出したうえ、メニューもないから値段が分からない。ついさっきまでオレだった一人称が、ボクになっちゃうという始末であった。ボボボボクと、どもらなかっただけ頑張ったほうかもしれない。マスターが奥に引っ込むのを待って、若葉に話しかけた。
「ここ、よく来るの?」なぜか小声になってしまう。
「そうなの! わたし気に入ってるんだ、このお店。いい感じでしょ?」
「ああ、そうだね」と見回すが、良し悪しが分かっているわけではない。
「それより金森くん、一緒のって注文したけど大丈夫?」
「いや、実は何だか分かってないけどさ。マスター1人だけみたいだから、手間かけさせちゃ悪いかなって」
「ふーん、あいかわらず優しんだね」
かわいい女に微笑まれて、あっという間に有頂天。しかも「あいかわらず」という言葉から「昔からそう思ってたの」というニュアンスを読み取り、これはもう告白される寸前なんじゃないかと勝手に思い込んだ──この男が詐欺の被害者だ。大事なことだから、繰り返した。よく見ておいて欲しい。
「で、何が出てくるの?」
「ふふ~ん、秘密──と言いたいところだけど、あんまり期待させちゃ悪いわね。割と普通のパスタランチよ。食後のドリンクが付いて、なんと980円!」
「へー、意外と安いんだね」
普段350円の男が言うセリフではないが、そう言ったほうが格好いいかなと思って虚勢を張ったわけだ。
「そのかわり、メニューの指定はできないのよ。お店にお任せなわけ」
「あー、シェフの気まぐれ的な?」
「そうそう」クスクス笑う。
「でも、そういうのも楽しみだね」
予算以下と知ってから露骨に余裕が出た。そうすると改めて若葉の横顔を眺めることさえ可能だ。そして、やっぱり覚えていないなーなんて思う。当たり前だ。金森以外はとっくに気付いていることだが──若葉は同級生じゃない。
個人情報保護法があろうが何だろうが、個人情報を知ることなど容易い。なにしろリアル社会の人間は、匿名で生きているわけではない。オギャーと産まれれば名前がつき、その名を名乗って学校に行き、会社に入り、ときに住まいを移しながら生活をしている。
福井の出身だとか、友人に滝口くんがいるとか、今日はどこを歩いているとか、その程度のことは知ろうと思えば簡単に知れてしまう。オレオレと電話がかかるなんて昔の話だ。きちんと息子の本名を名乗り、勤め先も分かったうえで詐欺のターゲットにしようとしてくる。そう。一度ターゲットにされたら個人情報なんて丸裸も同然なのだ。
だから、金森の勤め先なんて、若葉は聞かずとも知っている。そのうえで行われた茶番劇。それを公開される金森は恥の上塗りもいいところだが、こういう見栄っ張りが詐欺の被害に遭いやすいという一例だ。犯罪抑止のために尊い犠牲となってもらおう。
「ところで、いま仕事はなにしてるの?」
「商社だよ」
「え! もしかして『三』が付いちゃう系?」
「アハハ、さすがに違うけど、似たようなもんかな」
「へー! スゴいんだ!」
商社を名乗り、三が付く井物産、もしくは菱商事と「似たようなもん」とは、よく言った。実際には、倒産した会社の事務所、工場、倉庫から物品をかき集め、他の会社に売りさばくという、知名度も、社会に貢献しようという意識も、サステナビリティとかコンプライアンスといった横文字の欠片もない、木っ端みたいで明日をも知れぬ中小企業である。社員は12人。社長が社長、専務が奥さん、常務が息子という、典型的な同族企業だ。なお社名に三は付かない。
「そっちは何してるの?」
当然その質問を予想していた若葉は、ゆっくりとした動きでスツールごと回転し、金森に向き直った──。そしてニヤリとした。ニコリではなくニヤリだ。
「生命をね、扱ってる会社よ」
「イノチ?」
それ以上は説明しようとしない若葉を見ながら、乏しい想像力で生命保険の会社かななどと思っている。そして、営業員に違いないと決めつけ、これは危ないぞと今更ながら警戒感を持った。ノルマに追われた生命保険の営業員が、親兄弟はもちろんのこと、友人という友人、同級生という同級生に、保険加入のお願いをしてくるなんて話を小耳に挟んだことがあるから、勧誘されたら困るなと身構えつつ、どうしてもというなら、まあ話くらい聞いてやってもいいかと綺麗なショートヘアを眺める。さらに「へっへっへ、そのかわり」などと不埒でアダルティで一昨日見たビデオ・オン・デマンドな妄想までイロイロふくらませたところに、マスターが戻ってきた。
「お待たせいたしました」
「あれ? マスターこれどうしたの?」
若葉がそう言ったのは、パスタの皿が二種類出てきたからだ。
「こちらが手長エビのトマトクリーム、こちらがイベリコ豚のカルボナーラでございます。どうぞ、お二人でシェアしてお召し上がりください」と、取り分け用の小皿を置いてくれる。
「あら、悪いわね。ありがとう」
「いえ、お客様が男性をお連れになったのは初めてですので」若葉に魅力的なウインクを送った。「当店からのお祝いでございます」
「ちょっと! そういうことバラすの!? やめてよ恥ずかしい! もう金森くんも今のは忘れてよ! あー、もうビックリしたー!」
そう言いながらパスタを取り分ける若葉。それを見つめる金森の顔の──まあ何とだらしないことか。初めて連れてきた男性なんて言葉に有頂天メーターは再びマックス。せっかく芽生えかけた警戒心は一瞬で消え失せた。そして被害者になるのも80%くらい確定。マスターもグルだなんて、これっぽっちも気付いてない。
「はい! これ!」ちょっと頬をふくらませて皿を置く若葉。
「大丈夫だよ、気にしてないから」
「ごめんねぇ。迷惑だよね、あんなこと言われて」照れ隠しにパクパク食べる。
「なんで? そんなことないよ」
「だって彼女さんの耳に入ったら、金森くん怒られちゃうじゃない」
「──いや、彼女いないからさ」
「えっ!」若葉のフォークが空中で止まる。「そう、なの?」
「うん、大学出てから独り身だよ」
「へ、へー」
急に無口になった若葉の様子に、金森はチャンスが高まったと思っている。お気に入りの店に連れてくる男性がいないというのは彼氏がいない、つまりフリーと考えてよく、そのうえでオレに彼女がいると誤解していたのは「きっと金森くんモテるわ。だって格好いいし」と思っていたわけで、そのオレもフリーと知って急に黙ったということは、向こうもチャンスと思っている可能性が高く、これはもう両想いといっても過言ではないのではと、やたら都合よく解釈した。しかしながら、ここでがっつくのもいかがなものかと草食系特有の自己正当化能力を発揮し、当り障りのない会話で様子を見ながら、相手が言ってくるまで待つという態度に徹する。ほんと始末に負えない。
「これ、おいしいね」
「うん」
話がもつわけない!
これは、犯人である若葉としても困る展開だ。営業職と聞いていたから多少は調子よく話すのかと思いきや、まったくダメだこいつと心の中で舌打ちしている。
しかし、もう少し盛り上がってもらいたい。契約書にサインさせる時までには、警戒心を限りなくゼロに近付けたい。
仕方なく、一歩踏み込んだ発言を試みる。
「マスターも言ってた通りで、実は浮いた話がないんだよねぇ」肘をついて、正面に視線を浮かすようにした。わたし悩んでますというポーズ。
「へー」内心ドキっとしつつ、実に間抜けな返事をした。
「でも、そろそろさ。実家に帰るたび、まだ嫁に行かないのかとか、ウルサイわけよね」ため息をつき、さらに金森のことをジッと見つめる。
「ご両親も心配なんだよ」視線を感じつつも目を合わせない。しかも、これが理解者発言だなんて思っているのが勘違いだ。
ふぅ…。露骨に餌をまいてやっても、自分からは積極的に食いつかない金森の優柔不断に呆れつつも、逆にこのヘタレっぷりなら大丈夫だろうと判断した若葉は、本業に入ることにした。結果的に、この判断は間違っていない。なぜなら、たかがワンワード「実家」に過剰反応した金森は、既に両親公認も同然という気分になっており、いつご挨拶に行くのが妥当なのか、いやその前に生命保険に加入して若葉を手伝ってやるぞなどと見当はずれの決心をしていたからだ。いま若葉に頼まれれば、どんな書類でもサインするに違いない。もう95%被害者確定!
若葉がマスターに目配せした。速効性とはいえ飲んでから数分かかる。
「ところでさ、玲子ちゃんって覚えてる?」
「うーん、下の名前で言われてもなぁ」
「ああ、そっか、男子はそうよね。宇都宮、玲子」
「うつのみや」
「ほら、身体のちょっと弱い」
「あー、思い出した。宇都宮玲子。あんまり学校に来れなかった人だ」
食後のドリンクが置かれた。ストレートのハーブティ。
「そうそう。それがさ」顔を寄せて小声でささやく。「いよいよ、危ないらしいんだよね」
「ずっと入院してたんだっけ?」やけに喉が渇いてハーブティに口をつけた。
「そうだよ。中学には来れなかったから、それからずっと」
「かわいそうになぁ」感情は全くこもっていない。
「女子はね、結構お見舞いに行ってたんだよ」
「いや、だって男子が行っても迷惑かなって」
一度も行っていないことを非難されたのかと、言い訳口調になる。
「いやいや違うよ、そういうことを責めてるんじゃなくて」あわててブンブンと手を振った。「みんなで、寄せ書きを作ってるんだよ」
「寄せ書きとは、また懐かしい響きだな」
「励ましの寄せ書き。ほら、玲子ちゃんは小学校で時が止まってる人だから、きっと喜んでくれると思うんだ。今日ちょうど持ってるから、金森くんも書いて」
トートバックの中を探りはじめた。
「いやいや、オレはいいよ。あんまり覚えてないっていうか、仲が良かったわけでもないし──」
若葉の手が止まり、顔を上げた。明らかに怒っている。
「言っておくけど、向こうは覚えてるんだよ? 学校生活最後になった、その時のクラスメートのことを。15年経った今でも、さ」
いい雰囲気と思っていた美人の恫喝口調に、男は屈服するしかない。
「悪かった。書く。書きます。書かせてください」
「よかった!」
ピョンと飛び跳ねるように喜び、ペンと色紙を差し出した。しかし、色紙のほとんどを覆うように黒い紙が乗せられている。白紙が出ているのは、わずかに下の部分だけだ。黒い紙をめくろうとすると若葉が止める。
「竹居さん……? これなに?」
「上の部分は私たちが書いたところなの。恥ずかしいから見ちゃダメ」
「なんで?」
「だってさ」甘えるような上目遣い。「好きな男子の事とか書いてるんだもん。だから金森くんでも、まだ見ちゃダメ」
なんで励ましの寄せ書きにそんなものを書くのかと疑問を抱きつつも、女子のやることは分からんからなと半ば諦め、まあオレのことが書いてあるんじゃ仕方ないと半ば確信して、用意された油性のボールペンを取る。すでに身体が揺れ始めていた。その様子に気付いた若葉は焦って金森を支える。
「ほら、まず名前を書いて」
「ん、ああ──ここか?」酔っ払ったような目付きになっている。
「そうそう」
「うん。ええと? か、な、も、り」上半身が回りグラングランしている。
「頑張って!」
「ひ、ろ……と」
そこまで書いてバタッと倒れた。