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92 一陣の風

「いや、いやよ! ラネズ!ラネズしっかりして! 」


 ファータはラネズを守りたい一心で強く彼女を抱きしめるが、その腕の中のラネズはみるみる弱っていく。その姿は顔面蒼白にして、もはや四肢を動かす力も無く、命の火を消しつつある哀れなものになりつつある。

 唐突に突きつけられた魔法とも呪いとも判断がつかぬ白魔術師ラネズの結界を突き破る不可視の攻撃である。黒魔導師のファータはなす術が無く、ただラネズが弱り衰弱していく様を見ている事しか出来ない。


「ラネズ、ラネズ、しっかりして! 目を開けて… 」


 涙を流しながらもファータは周りを一瞥する。先ほどファータが中級上位の広域魔法の炎で一帯を焼き払ったところである。身動きが取れない彼女たちは格好の的である。今の危機的な状況にファータは絶句する。ラネズを置いて逃げ出す事は出来ないが、このままではラネズは命の燈を消してしまうだけである。さりとて今一人で逃げ出そうが、ラネズを看取ってこの場に残ろうが、ファータひとりだけではこのオークハイが群がる戦場で生き延びる事は至難の業である。


 ファータは絶望に一人、ラネズを抱いてへたり込む。


「汝、邪なる目を避けよリーナ・イヴァラル・ミラ・ネサール! 」


 そう叫んで飛び込んで来たのはレンジャーのハンス・フロリアン・ジィマーであった。風の様に二人の前に現れるや、彼女たちを両脇に抱えて嵐の様に走り出した。


 ハンスはあたかも見えない障害物があるかの様にジグザクにウンドの街の通りを駆け抜け半ば倒壊した建物に素早く侵入する。


 建物の廊下に両脇に抱えたファータとラネズをそっと下ろすと「ふぅ」と一息つく。


「やあ、君達は魔法使いのモルガーナ姉妹だね。間に合って良かった。」


 ハンスがそう言うや何事が起こったか理解できておらず呆けていたファータが我に返りすがりついてくる。


「ハンスさん! お願い助けて! ラネズが死にそうなの、私にはどうしようも無くて…」


そう言って目に大粒の涙を浮かべて必死にハンスにすがるファータの後ろでラネズがむくりと起き上がる。


「ファータくん、妹さんはもう大丈夫だよ。」


「へ!?」


 突然思いもよらぬ言葉を聞いてキョトンとするファータ。振り向くとこれまたキョトンとしているラネズ。


「あれ? 私どうして… え!? 苦しくない。私、呪いか何かにかかったんじゃ… 」


 そう言って自分の胸をおさえるラネズにハンスは首を振って答える。


「いや君がかかっていたのは呪いじゃなくて、邪視だよ。」


 そこで驚いたのはファータである。


「邪視ですって!? そんな古の呪術で? 邪視って遠見の術とかよね? そんなものでラネズの結界を貫いてあんなに苛烈な攻撃が出来るものなの? 」


「刺す眼バロール・ビルグデルク… 」


 そうポツリと呟いたのはラネズである。その呟きに青ざめたのはファータであった。


「邪視術使いのバロール… お伽話に聞いた伝説の魔族がいるんだった。そうか魔族の邪視って結界も簡単に貫くんだね。」


「あれ? でも私いま身体なんともない。遠見の邪視術ってどんな所に隠れても見つけ出されるんじゃなかったかしら? 」


 ラネズがそう言うやファータと揃って二人は不安気な表情を浮かべる。それにハンスは小さく首を振って答える。


「安心してください。バロールの邪視は僕が逸らしました。もう大丈夫ですよ。」


 そう言ってにっこり微笑むハンスを見てモルガーナの魔法使い姉妹は驚きの顔を隠せない。それもそうだ。ファータとラネズのモルガーナ姉妹は揃って魔法使いである。姉のファータは黒魔導師であるし、妹のラネズは白魔術師である。その二人は中級上位の魔法使いである。かなりの実力者であると言ってもよい。それを証拠に数百と押し寄せるオークハイの群をラネズは結界で押し留め、ファータはそのオークハイ共を広域魔法で焼き払った。

 その彼女たちがどう言った攻撃か解らなかったのである。魔法なのか呪いなのかその術理を全く理解出来なかった。おかげでラネズは生死の境をさまよった。だが目の前のレンジャーは邪視と見抜いただけでなく、事もなげにその邪悪な視線を逸らしたと言うのだ。

 中級上位の魔法使いの二人は自分達をかなりの魔法の使い手だと自負していたし、周囲もそう言う目で見ていたが、改めて上級職の冒険者の格の違いをまざまざと感じるのであった。


「助けに来るのが遅くなって申し訳なかったね、邪視術の解析に時間が掛かっちゃって。流石は魔族って感じだね。冷や冷やしましたよ。」


「いえ、とんでもないです。私たちはどう言った攻撃なのかすら分からなかったですから。ラネズを助けて頂いてありがとうございます。」


「いや、正直に言って、レンジャーって罠を調べたり、索敵したりって地味な印象しか無かったケド、上級職のレンジャーは私たちとは一線を画す力を持ってるのね。」


 ラネズがしれっと思った事を口に出してしまいバツが悪そうな顔をするファータを見てハンスは苦笑いをする。


 上級中位のレンジャーであるハンスは偵察能力に特化しており、索敵や罠の発見解除に秀でているだけでなくそれらを分析し敵の配置や状況から戦術を立て、罠を解析し作り変え罠を仕掛けた側を逆に追い詰めたりも出来る。そのため魔力感知の能力にも優れ、魔術や呪術の分析と解析を得意ともする。


 以前パイリラスがバロールの遠見の術を掻い潜り魔族の率いるオークの大隊の同行をたった一人で調べあげた事に驚いていたが、それは彼がレンジャーという思わぬ職種だったからである。パイリラスはレンジャーの上位職のストライダーだと思ったのである。


 ストライダーというのはいわゆる野伏の事である。レンジャーと同等の偵察や索敵を行い敵の撹乱を行うのだが、決定的に違うのは戦闘能力である。無論レンジャーも戦闘行為は出来るのだが基本的には戦闘職では無く索敵を含む探索を主にする支援職である。ストライダーはレンジャーが好んで使うダガーなどの短剣や小弓だけではなく、片手剣や拳盾などを用いる事もでき前衛戦闘職と遜色ない戦い方が出来る。そのぶん装備は大型で重くなり索敵や偵察にはやや不向きにはなるのだが。


 しかし未知の敵や多数の敵の索敵偵察ともなると不意の戦闘などは避けられぬ事もあるので、偵察及び戦闘の可能性も考えると今回の魔族率いるオークの一個大隊の偵察はストライダーが適任でもあったのだ。

 だがギルドマスターのトムはレンジャーのハンスに偵察の指揮を一任した。それはハンスのレンジャーとしての偵察能力に極めて特化している特殊性ゆえだ。ハンスは自身の戦闘能力を極限まで削り、レンジャーの中でもかなり軽装である。それはハンス自身がその場の環境に溶け込むためである。彼が偵察先に侵入し潜伏すると居場所を知る味方であっても目視はおろか魔力探知でも彼を見つけ出せなくなる。

 今回のオークの大隊の動向を探るにしても、途中で同行した魔女達を退がらせて一人で探索をしたのはそのためである。魔女を含めたパーティを二つ作って、ある程度遠方の二箇所からマナとオドの流れを掴む事が出来れば魔力の流れの交点から隠蔽された魔族とオークの大隊のおおよその位置は判る。そうなってしまえば後はハンスが一人で重深度探索を行った方が高い探索精度で敵の動向を追える。


 魔族率いるオークの一個大隊の到着日時をピタリと当てたのもその為である。ハンスがいなければ、そもそもこのウンドの住人の避難作戦は成り立っていない。


 そしてウンドに張られたブランシェトの結界が破れた時点からハンスは地に影に潜み魔族とオーク共の動向を探り敵や冒険者達の動きだけでなくウンドの住人の避難状況をブランシェトやコボルト達に伝えていた。この混乱の中でウンドの住人が皆無事に避難出来た事。負傷した冒険者達がコボルト達によって後方に退げられ治療を受けられ被害が最小に抑えられたのはハンスの力も大きい。


 そしてウンドの街を駆け回るその中で刺す眼バロール・ビルグデルクを見つけ出した。不可視の邪視に襲われたのは何もラネズだけでは無い。そこかしこで冒険者達が邪視の餌食になっていた。ハンスはその魔力の流れからすかさずバロールの術であると見抜き、さらにはそれを邪視であると特定した。これは魔術や呪術の分析と解析を得意とする魔力感知に優れたハンス故である。そしてその場でバロールの邪視の魔力の正体を見抜き、さらにその邪視を逸らす魔力術式をこれまたその場で編み上げた。


 そして邪悪な視線に苦しむ冒険者達を助ける為に奔走していたのである。


 そして今まさにモルガーナ姉妹を助け出したのだ。


「それではモルガーナのお二人、私はもう行くけれど君達はここで少し休んで魔力を回復したまえ。ではでは… 」


 そう言ってハンスはその場を立ち去ろうとする。思わずそのハンスに声をかけたのはラネズであった。


「ハンスさん待って。バロールの邪視を逸らせたからといって、バロールそのものの脅威は取り除けたわけじゃないですよね。ハンスさんはこれからどうするんですか? 」


 「ん? 今からバロールを倒しに行くんだけど。」


 さらっと言ってのけるハンスにファータは驚きの色を隠せないといった顔を見せるが、すぐに我にかえり口を開く。


「ハンスさん! 私とラネズも同行します。中の上の戦闘職ですが魔力感知も出来ます。いくらかは役に立つはずです。」


 ファータが意を決したような表情でハンスに進言するが、当のハンスはニコリと微笑んで首を振る。


「大丈夫。さっきラネズくんに向けられた邪視を解析した時にバロールの隠伏している場所はわかったんだ。後は駆り出すだけだよ。そうしたらとどめを刺すのにうってつけの奴はもう待機してるからね。」


 そう言うやハンスは風の様に目にもとまらぬ素早さで建物の外に駆け出してしまった。一拍おいて慌ててモルガーナ姉妹が外に出た時にはハンスは近くの鐘楼に駆け上っているところだった。魔法を使うでもなく己の身体能力だけで垂直の壁を駆け上がりあっという間に鐘楼の屋根の上に登場したハンスはウンドの街の北の方角を指差しながら手先の指の形を次々と変え手信号を差しながら「ピュイッピュー!」と甲高い口笛で何処かに合図を送る。


 ハンスが暗号の様な手信号と口笛の合図を送るや、どこからか轟音と空気を裂くような破裂音が聞こえるやウンドの北側にある城壁の一角が大きな音を立てて倒壊する。


 それを見届けるやハンスは屋根から屋根を駆けあっという間に北方の城壁へ行ってしまう。そしてそのすぐ後、ハンスを追うかの様にこれまた屋根から屋根を駆け北の方角へ駆ける人影がモルガーナ姉妹の頭上を飛び越えて行く。唖然とする姉妹は直ぐに我にかえり頭を振る。


「バロールはハンスさんに任せよう。ファータ、私たちはオーク共を片付けよう。」


ラネズがそう言うと二人は顔を見合わせて頷き、再びウンドの街中へ駆け出して行った。


 ハンスは先程倒壊したウンドの城壁の上に到着すると辺りをくるりと見回す。すると直ぐに瓦礫の下に倒れ伏す魔族を見つける。

 その人影のもとに辿り着くのとハンスを追いかけて来た人影が到着するのは同時だった。


 その人影はエス・ディである。二人は目を合わせると軽く頷いて瓦礫の下に倒れる魔族を見下ろす。その両目には矢がそれぞれ突き立てられている。


「こいつがバロールだな。ハンスよぉ、よく見つけられたなあ。俺の眼でも見つけられなかったってのによ。」


「いえ、あの距離をものともせず正確に一撃でバロールの邪眼を撃ち抜いたんです。エス・ディさんの龍眼の方が凄いですよ。僕は邪視を解析するまでに少なくない犠牲者を出してしまいました。」


「目が二つあっから矢も二本だ。一撃じゃねえよ。つうかハンスの邪視逸らしが無けりゃコイツから一本取れなかったぜ。コイツ俺が何処に隠れようが捕捉しやがる。だが見られて攻撃される感覚こそあれこっちからは見つけられ無えときたもんだ。全く骨が折れたぜ。」


「ていうかバロールと同じくらいエス・ディさんを見つけるの苦労しましたよ。完璧に狩猟態勢に入ってたじゃないですか。側防塔が破壊されてから一切気配を絶っていたじゃないですか。」


「ああ、この近距離じゃあコイツの邪眼の力をまともに受けたら流石に俺もただじゃ済ま無かったからな。街中逃げ回る羽目になっちまった。」


「本当に凄い邪視でしたね。ウンドの街を全域攻撃範囲の中に入れてるんですから。いつ見つかるんじゃないかと冷や冷やしましたよ。」


「つうかハンスお前ぇ結局最後までバロールの野郎に見つからなかったんじゃねえのか? お前ぇこそどうなってんだよ。」


「いや隠れるの私の専門ですから。でもようやくエス・ディさんも本格的に戦闘に参加出来ますね。お待たせしました。」


 そう言ってハンスは城壁の残骸の下で事切れているバロールを見下ろす。魔力感知と生体感知からして完全にバロールは絶命している。しかしエス・ディの本気の射撃を二回も受けたにもかかわらず、人の形を保っている事に驚きを隠せないでいた。ハンスはあらためて魔族の頑強さに背筋が凍る思いがする。一撃もとい二撃で勝負がついたとはいえ辛くも辛勝である。

二人がかりでやっとといった感じである。


「フン、全く休む暇も無えな。ハンス引き続き索敵頼むぜ。気をつけな、魔族はこんなのがごろごろしてやがるぜ。」


 そう言ってエス・ディもバロールを睥睨する。全く辟易すると言うのがエス・ディの感想である。何故ならバロールに撃ちつけた矢はヴァリアンテにマナを込めて貰った特殊なミスリル銀の矢である。その矢を二本も使わねばバロールの邪眼はおろかバロールそのものを止める事が出来なかった。全く想定外である。


 気持ちを切り替えるかの様にエス・ディはパンと一つ手を叩く。


「よっしゃ、これで思う存分暴れ回れるぜ。」


「そうですね、ここから反撃開始です。ウンドの街を守り抜きましょう。」


そう言って二人は顔を見合わせて大きく頷くと、気配を完全に絶ってこの場から消える。


後に残されたのはバロールの遺骸だけである。

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