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91 魔女

「ヴァリアンテ! ヴァリアンテ聞こえてる? 返事をして! 」


 小さな使い魔の妖精がブランシェトの声でそう叫ぶ。使い魔の傍らには身体中を引き裂かれ砕かれたヴァリアンテが哀れな姿を晒して倒れ伏している。


「ねえ、生きているの!? あなたのオドもマナも感じないわ! お願い返事をして! 」


 ブランシェトからの悲痛な伝言を使い魔は無表情に叫んでいる。血に塗れたヴァリアンテはうっすらと目を開けるとゆっくり身体を起こしてガラガラとしゃがれた声を聞かせる。


「ああ、ブランシェト生きてるよ。安心しな。」


 その応答に嬌声をあげて応える者がいた。魔女のビローグである。


「ギィアッハッハー! その声はあのエルフだね!かの地母神ブランシェトだね、残念だがボロ屑のヴァリアンテはもうすぐくたばるよ! あたしにマナもオドも食い尽くされてね!ギャアッハハハ! 」


 その言葉を聞いてブランシェトは安堵の声をあげる。


「良かった、間に合ったわ。ヴァリアンテ、終わったわ。ウンドの街の住人の避難が完了したわ! 」


 ブランシェトがウンドの大劇場の避難経路となっている地下通路の入口で使い魔にそう話しかけている時にパタパタと足音をたてて近づいてくる者達がいた。


「ブランシェト様、私たちで避難者は最後なんですね。」


 その声を聞いてブランシェトが振り向くとそこにはウンドの住人である若い女性達が何人か心配そうな顔をして立っていた。


「あら、貴女たち戻って来ては駄目じゃない。今から地下通路は結界を張って封印するのよ。遅れたら通れなくなってしまうわ。」


「でも、早くヴァリアンテのお姉様に、私たちウンドの住民たちがお借りしているマナをお返ししなくては! 」


 そう言って心配そうな顔を見せるうら若き乙女達を見てブランシェトは優しく微笑む。


「貴女達がそう思うだけで、あなた達を守っていたヴァリアンテのマナは解放されて彼女のもとに帰って行くわ。」


 その言葉を聞くと女性達は安堵の表情を見せる。


「さあ、早く地下通路に戻って。通路を通って行けば王都方面の街道に出られるから。そこまで行けば安全よ。」


 その言葉と柔和なブランシェトの振る舞いに嬉しそうに頷いて女性達は踵を返して走り去って行った。


その後ろ姿を見送ってブランシェトはクルリと振り返り再び使い魔に話しかける。その声はとても軽やかだ。


「どう、ヴァリアンテ。マナはもう戻っているかしら? 」


 ブランシェトをじっと見つめる使い魔の妖精はその可愛らしい顔とは裏腹にガラガラとヴァリアンテの声で応える。


「ああ、とっくにマナを解放しているよ。良い気分だ。」


 そう言ってのけるヴァリアンテの身体はみるみると内側からマナを溢れかえらせ、生命力をみなぎらせていく。先程までアバラが浮き、手足は枯れ枝の様に細く伏しくれだって老女の様でいた事がウソであったかの様に若くみずみずしい肢体に変化していく。


 枯れた身体にこびりついていた血反吐もパラパラと乾燥し剥がれ落ちていく。剥がれ落ちた血の下からは傷ひとつない肌があらわになる。

 その姿を見てビローグが驚愕の表情に顔をしかめる。


「な、テメエ、ヴァリアンテ! どう言うこった!? …なんだ、その溢れんばかりのマナの量は! 」


「ああ、返して貰ったんだよ、ウンドの住人からね。」


 そう言ってヴァリアンテは小さく息を吐いて大きく伸びをする。そうするとヴァリアンテの身体にかろうじてへばりついていた引き裂かれボロきれの様になっていたローブがハラリと地面に落ちる。


 そこに顕現したのは妖艶な肢体を露わにする魔女のヴァリアンテであった。その瑞々しく美しい身体には一部の隙も無い。


 一糸纏わぬ姿のヴァリアンテはその事に気にも留めぬ様子でいたが、大地や大気からマナが凝縮されヴァリアンテにまとわりつくと真っさらな魔女のローブが生成される。


「あら、精霊たちの仕業だね。私は気にしないのに。でも気遣ってくれたんだね、ありがとう。」


 そう独りごちると虚空を撫でる様な仕草を見せる。理解が及ばず納得のいかないのはビローグである。


「お、お前、ヴァリアンテ、何だその姿は… 」


「何だもなにも私は私じゃないか。」


「あの枯れた身体は何だったんだよ! お前ぇマナが枯れちまったんじゃないのかよぉぉぉ! 」


「枯れたんじゃないよ。貸してたのさ、ウンドの奴らにね。」


「はぁ!? 貸してた…この街中の奴らにか? どういうこった。つうかこの街の住人ってな何人いるんだ… 」


「まあ、二千五百人くらいはいるようだね。」


「おい、今なんて言った。二千五百だと… そいつら全部にマナを分けて与えてたって言うのかぁ!? 」


「ああそうさ。万が一でもオークのクソ豚共にウンドの住人が傷つけられない様にマナで守護してたのさ。」


「オークに一撃喰らっても死なねぇ体にしてたってのかよ! オイオイふざけるなよぉ! 」


「ふざけちゃいないよ、大真面目さ。お陰で瓦礫の下敷きになってもオーク豚共に一撃喰らってもウンドの住人は誰一人傷ついていない様だ。」


 さらりと言ってのけるヴァリアンテの涼しい顔とは裏腹にビローグの顔は驚愕と共に歪に歪められる。


「瓦礫の下敷きになっても無傷でいられる身体にしていただと!? テメェ一体どれだけのマナを分け与えていたんだ!」


「そりゃあ、結構なマナを一人一人に付与していたね。流石の私もマナが枯れちまった。これには往生したね。」


 そう言うやヴァリアンテの目線は舐める様にビローグを捉える。そうするや、やにわにビローグの身体が震え硬直する。


「な、なんだってんだ!? 身体が動かねぇぇ、テメェ! ヴァリアンテ! 何しやがったぁぁ!」


 何か巨大な力に押し潰された様に突っ伏すビローグを睥睨するのは本来の姿を取り戻したヴァリアンテである。呻きもがくビローグを見て嘆息するヴァリアンテは、さながら聞き分けの無い子供に話しかけるが如く言葉を紡ぐ。


「アンタそんな事もわからないのかい? 腐っても魔女をやってんなら気がつきな。このウンドの街に広がるマナは私が掌握してるんだ。お前如きのマナを掌握出来ない訳がないだろうよ。」


 その言葉を聞いて焦燥の色を見せたのはビローグである。


「いくらテメェのマナが膨大であろうと、ここまでの呪縛の力の差があるなんて… 私はウルフェンのマナにも繋がっているんだよ! いくらなんでも… 」


ビローグが語り終わる前に憐憫の目を向けたヴァリアンテが口を挟む。


「ビローグ、獣の王ウルフェンが勝手気ままな精霊獣だって事は知ってるだろう? それに私のマナはウルフェンと親和性が高いんだよ。マナや精霊に嫌われてるアンタと違ってね。」


 ヴァリアンテの言葉を聞くやビローグは全てを悟ったか恥辱に顔を赤らめ目に大粒の涙を溜め唇を噛みしめる。


 魔女は自身の魔力であるオドと自然の力の奔流たるマナの力によって魔女術を発現させる。魔女の肉体の中に収まっているオド、人間やエルフでいうところの魔力にあたるものであるが、マナと比べると小さなものである。何故ならマナはこのフーケ世界にあまねく広がる大地の力であるからだ。人間たちの扱う魔力とは比べ物にならない大きさなのである。

 人間やエルフさらには魔族などはマナに精霊という力を介して触れる。グリエロやミナ、パイリラスが精霊に帰命して力を借りるという形でマナの力の一端を扱っている。あくまでも力の一端である。何故ならマナの力は大きく何物にも属さない力そのものだからである。その力そのものを水や風の精霊に属性を持った魔力という人間に親和性の高い力に変換して分けてもらっているのである。人間やエルフや魔族、さらには魔物もマナそのものに触れることは出来ない。その力が大きすぎる故に精神および身体が持たないのである。ビローグにオークが触れられるだけで爆散したのは、ビローグによって身体の中に直接マナを流し込まれたからである。


 魔女はマナに精霊を介在させることなく直接繋がることが出来る。そこに理由は無い。魔女という存在がマナと共にあるというだけであるのだ。魔術師や魔導師は職業であるが魔女は違う。鍛錬や修行によって魔法を学び魔術師や魔導師になるのであるが、魔女は血でなる。ある意味、種族の様なものと言ってもいいだろう。存在としてはエルフという種族と並ぶ、太古からフーケ世界にいる者達なのであり、太陽神セオストが七葉の精霊と共に地上に遣わしたと言われる古き存在なのである。


 自然を慈しみマナに愛される存在が魔女とも言える。ヴァリアンテはまさにそれを体現した魔女である。自然とマナの恩恵によりこの世界に顕現し、それ以来マナと共にあるのが魔女ヴァリアンテなのである。

 しかし魔女とて人間やエルフと同様に感情があり、様々な事に心揺れる存在である。ビローグの様に己の欲望を肥大化させ魔道に堕ちる者もある。それは大き過ぎる力を持つがゆえの傲慢でもある。

 ヴァリアンテからするとビローグはまだ幼く未熟な魔女である八百年前に戒めてその力を奪ったが、それに懲りずに力を求めるあまりマナの力の顕現そのものである獣の王ウルフェンに魅入られ、その力にすがり新たな力を手にした。ビローグはウルフェンの力を我がものにしたと思っていた様だが、それは間違いである。ウルフェンの気まぐれで力を分け与えられていただけに過ぎない。ウルフェンはこのフーケ世界に獣を生み出したマナの力そのものと言っても過言ではない精霊獣である。その力を我がものに出来るわけがないのだ。魔女であればその様なことは自明であるのであるが、我欲に溺れ堕ちた矮小な存在に成り果てたビローグには世界の理が見えなくなっていたのである。精霊やマナに嫌われているのはそのためだ。


「思い出したようだね、魔女本来の力の在り方と世界との繋がりを。」


ビローグはぼろぼろと大粒の涙を流しながら小さく俯く。


「うぎぃぃ、なんだよぉ何でなんだよぉ〜!あたしはただ力に溺れていただけだってのかよぉ!」


 そう言って突っ伏しながら頭を掻きむしるビローグに、自ら屈んで目を合わせるヴァリアンテ。


「力への欲望で曇っていた頭がすっきりしただろう? 何故だかわかるか? 私のマナをあんたの頭の中に通したからだよ。私のマナは美しくて清々しいだろ。それが本来のマナの姿だよ。」


 ヴァリアンテが言うところの、私のマナというのは魔女ヴァリアンテの身体を通して紡がれた自然の力という事である。その力は動物や植物あらゆる存在を癒し育てるものである。自然と生命の調停者それが魔女である。


「あ、あたしにマナを通しやがったのか!? いっいやだ! 嫌だ嫌だよぅ死にたく無いよぉ… ねえ殺さないでヴァリアンテ! ねえヴァリアンテお願い! いやいやいやぁぁ!」


 突っ伏していたビローグは飛び起きて尻もちをつき、そのままズルズルと後退りする。涙に濡れるその目は恐怖に怯え、歯の根はガチガチと震え噛みあわない。それもそうだろう魔女のもたらす魔女の死は虚無である。無ですらない。生命の輪廻から外れるのだ、絶望や孤独すらも感じる事が出来ない虚無に消えるのだ、ビローグの恐怖は計り知れないものがあろう。


「駄目だね。ビローグ、あんたを赦すと思うかい? 」


 ヴァリアンテはそう言い放ちビローグを覗き込む。その目は暗く底なしの色をたたえている。その視線に飲み込まれたビローグは顔面を蒼白にし、もはや声も出ない。出るのは涙ばかりである。


 ヴァリアンテがゆっくりとまばたきをすると、一瞬我に返ったビローグは涙に濡れる顔を哀しく歪めて放心する。さらには失禁するに至ってそれを見たヴァリアンテは腰に手を当て嘆息する。ヴァリアンテに睥睨されたビローグは嗚咽をしゃくりあげるように小さく声をもらす。


「…ヴァリアンテ。…殺さないで…」


「馬鹿な子だね、ビローグ。あんた今まで何人もの命を弄んできたと思っているんだね。私に許しを乞うても仕方が無いんだよ。それだけの事をしてきたんだからね。」


「いっ嫌だよう。怖いよぅ。ねぇヴァリアンテ、何でもする、何でも言う事きくからさぁ!」


「しょうがない子だよ。何でもするって言ったね?」


「っする! 何でもするよぅ!」


「じゃあ、あんたを私の中に封印するよ。百年か二百年か、あんたの魂をゆっくり浄化して悪業因縁を綺麗に濾してやる。そうしたら私が産んでやるよ。次は真っ当な魔女になりな。」


「ご、ごめんねぇ。ありがとう…」


 ビローグはそう言うと光の粒子となってヴァリアンテに吸収される。


「ふぅ、甘ちゃんだね私も。ビローグ、私の中で良い子でいるんだよ。」


 そう言ってヴァリアンテは自分のお腹を優しくさする。

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