89 追い詰められる者達
トムは手に持っている魔鋼で鍛えられた片手剣を一瞥するやポトリと手から落とす。ドサリと音を立てて片手剣は地面に落ちるとその刃は根本からポキリと折れてしまった。トムの周りを見回すとそこかしこに折れた剣や曲がった槍にひしゃげた斧が転がっている。そしてトムの眼前には黄泉の白鴉レンミンカイネン・カウコミエリが白剣トゥオネラを担って立っている。
「また剣が折れてしまったな。次はどの武器で私に挑むのだ? ここは戦場だ、武器には事欠かない。さあ選べ、次の刃は私に届くかな。」
トムは側で事切れているオークハイの握っている両手剣を無造作にもぎ取った。選んだ訳ではない。ただ手近にあった武器を手に取っただけである。先程、エリーズから借り受けた双剣の片われはレンミンカイネンと何合か打ち合った後に、傍らで息絶えていた別のオークハイの剣に持ち替えた。何故ならこの双剣の片われ剣はエリーズに返さなければならないからである。剣が壊れてしまう前に壊れても良いオークハイの武器に持ち替えたのであえる。
トムは自身の扱う武器が後どれくらい打ち合うと壊れてしまうのかわかるのである。何故かというと、トムはこれまで幾度となく自分の振るう武器を破壊してきた。決して乱暴に扱っている訳ではない。ただただ単純にトムの力が強いのである。少し本気を出して打ち合うと途端に破壊してしまうのである。下手ななまくらであれば振るっただけで折ってしまうこともあった。トムの斬撃はあまりに速く強いのだ、鋭すぎるが故に武器の方がもたないのである。
そんなトムなので若い時分からよく武器を破壊していた。最初は自分の未熟さ故に剣を折ってしまうのだと自分を責めていたが、自身が強くなり巧みに武器を扱うことが出来るようになってきてもなお気を抜くと武器を壊してしまうのだった。強くなればなるほど武器を振るうたびに壊してしまう。そしてある時に気がつく。自分が本気で剣を振ればどのような剣であれ、へし折ってしまうのだと。そこで自分が強くなりすぎた事に気がついた。トムの体躯は筋骨隆々の大男というようなものではなく背丈はそれなりに高いものの鍛え上げられた肉体は引き締まり、ともすれば彫刻のように研ぎ澄まされた美しさを持っていた。なのでその見た目からそのような怪力剛腕の持ち主だとは他人はおろか自分自身も思っていなかったのである。
そこからトムの武器の扱いに加減というものが付け加えられた。そしてさらに年月を経て武器の扱いが神がかり的に上達する頃には、後どのくらい打ち合えばこの武器は壊れるのかという事がつぶさに解るようになっていた。
果たしてトムはいつから本気で剣を振っていないのだろう。遠い昔のことのようにも思えるとトム自身が半ば自虐的にも自笑してしまうくらいには過去のことである。
なのでレンミンカイネンと打ち合っている時も不意に武器が壊れて窮地に陥る事は無かった。手にしている武器が壊れるとわかればレンミンカイネンとの間合いを上手く取り、武器が壊れれば直ちに次の武器が手に取れる様に戦い続けた。レンミンカイネンがその事に気がつくと彼は何故かトムが次の武器を手に取るまで待つ様になった。先程もトムは後もう一合打ち合えば自らの剣が折れると見切って手放したのである。その見切りは過たず地面に落ちるやその衝撃で折れてしまう。トムの眼力の成せる技であるし、レンミンカイネンもそれを面白がってトムが武器を取り換える様を静観している。
「ふむ。次はその魔鋼で鍛えられた両手剣か。手を合わせてみてわかったが、お主は武器に頓着が無いわけではないのだな。自らの強さに見合った相棒に未だ出会えておらぬ訳か… 」
レンミンカイネンはなんの感慨もその表情に浮かべる事なくポツリと呟くと、トムは無言で口角を上げる。その表情からは憤懣なのか寂寥なのかわからない。チラリとレンミンカイネンの持つ白剣トゥオネラを見る目には多少の寂しさを浮かべる。
「君は良い相棒に巡り会えたみたいだね。俺もいずれは手に馴染む相方に出会いたいもんだよ。」
そう言ってトムは魔鋼の両手剣を大きく振りかぶって構えると、それに呼応する様にレンミンカイネンも白剣トゥオネラを静かに構える。
「ふむ。それは剣士として獲難き願いであるな。お主は良い剣士だ、叶えてやりたいがその願いが叶う事は無い。哀しい話しだがな。」
「なるほど。早くも勝ち鬨をあげるんだね。大丈夫かい? そんな大見得をきっても。」
「フフ。お主もそんな軽口を叩いていて良いのか? まあ、せめてもの手向けだ。この白剣トゥオネラで引導を渡してやろう。」
そう言うやレンミンカイネンは鋭い一歩を踏み出した。
その頃少し離れた場所では惨禍の誘惑者パイリラス・ドゥズヤルヤと舞踏家のフィリッピーネ・ヴァウシュがオークハイの群勢に取り囲まれていた。先程の山の魔女ビローグが引き起こした大爆発でウンドの冒険者達は散り散りになり個別でオーク共と戦っていたが、フィリッピーネの居所はパイリラスがいち早く見つけていた。爆風に吹き飛ばされて愛しのフィリッピーネとはぐれてしまったが、そこはパイリラス魔族の五感を総動員して微かな音や匂いからフィリッピーネの場所を特定し即座に馳せ参じた。
しかしてその執念が功を奏した。一人でオークハイ共に囲まれて窮地に陥っていたフィリッピーネを救い出すことが出来たからである。エルフの秘宝である聖銀の鎧を身に纏っているとはいえ、多勢に無勢ましてやフィリッピーネは戦闘職の冒険者では無い。先だって冒険者登録こそしたものの本職は舞踏家である。
オークハイ共の猛攻をいなしてそこそこに戦えていたが、やはりそこはまだ新米の冒険者であり熟達したウンドの冒険者達の様にはいかなかった。オークハイに囲まれあわやという所であったがパイリラスがその渦中に文字通り飛び込んできて事なきを得た。
そこからの攻勢の巻き返したるや凄まじいものがあった。両手に持つ二本の投擲戦斧フランキスカを自在に操り迫り来るオークハイ共を次々と屠っていったのである。
だが討てども討てどもオークハイの波は押し寄せて来た。それもそのはずでウンドの街に押し寄せるオーク共の数は千を超える一個大隊である。パイリラスが十や二十倒した所で戦況は引っくり返る事は無い。
「わかってはおったが、次から次へと押し寄せてきおって! フィリッピーネ様、私の側から離れないで下さい!」
「パイリラスちゃんごめんね、足手纏いになっちゃったわね。ちょっとくらい役に立てると思ったんだけれどなぁ。」
そう言ってフィリッピーネは慈悲の短剣ミセリコルデを翻し襲いくるオークハイの兜の隙間を突いて動きを止める。オークハイは怯むまもなくパイリラスの投擲戦斧フランキスカで真っ二つに両断される。
フィリッピーネはパイリラスの周りを舞うように駆け飛びまわりオークハイの隙を突いて動きを止める。兜や鎧の隙間から生身を突かれ動きを止めたオークハイ共は端からパイリラスに脳天から一刀両断に破壊されていくのだが、次から次へと怒涛の様に押し寄せるオークハイの群勢にその包囲網は徐々に狭くなっていくのであった。
一方では、ウンドの街を文字通り飛び回っているのは病める薔薇ミナルディエ・ドラクリアである。二度目の城壁破壊によって雪崩れ込んで来たオークハイ共によってウンドの冒険者達は窮地に追い込まれている。ミナは戦鎚グリダヴォルと共に苦戦する冒険者達のもとに馳せ参じオークハイを倒してまわっていた。防戦一方になっている苦境に立たされた者達の下に飛んで来て瞬く間にオークハイ共を撃破し風の様に去って行った。まさに風の如しである。ミナは風の精霊シルウェストレの加護を受けており、風に乗って聴こえてくる音で何処で何者が窮地に陥っているのかを敏く捉え、さらには風に乗ってその身を宙に舞わせて素早く移動して冒険者達を助けていた。
しかしいかんせん敵の数が多い。倒せども倒せども雲霞の如く湧いてくる。これにはミナも辟易する。
「んもう! 倒しても倒してもキリが無いわ! 本当に人手が足りないわね。…あの子達を呼ぼうかしら。不本意だけれど。」
ミナはそう呟いて踵を返して風の如く駆け出した。
モルガーナ姉妹の片われ白魔術師のラネズ・モルガーナは肩で息をしていた。自身の周りに強固な結界を張っているからだ。展開範囲こそそれほど広くはないが、中級上位のかなり強固な結界を展開している。周りには無数のオークハイが押し寄せ結界を破壊せんと攻撃を仕掛けてきている。その数は増える一方だ。
「シリヴリン グゥル ラム 白銀に輝く魔法の壁よ! べレグ ドゥーアス ダル 巨なる闇を止めよ!」
ラネズはさらなる詠唱で結界を強固なものにし、周囲に群がるオークハイ共を押し留めその動きを封じる。だがそのオークハイを押し除け折り重なるように次から次へとオークハイ共は押し寄せてくる。ラネズの結界は押され叩かれ圧力をかけられていく。額から幾筋もの汗を流し眉間に皺を寄せてラネズは荒く息を吐く。
「ファータ! もう限界! これ以上は持たないわ。」
息も絶え絶えそう言うと黒魔導士のファータ・モルガーナがラネズの肩に手を置く。そうするとラネズはガクンと膝から崩れ落ち結界を解く。結界の戒めを解くやオークハイ共は四方八方から雪崩れの如く押し寄せるがそこはファータが許さない。
「スキタイの娘達よ、樹木の災い、家々の太陽、聖火の炉に火を焚べよ、ヘスティア!」
ファータが中級上位の広域魔法を放つや周囲は白く輝く猛火に包まれる。群がるオークハイ共は魔鋼の鎧もろとも灰燼と化す。ファータとラネズの周囲には赤く溶解した魔鋼の鎧であった鉄塊が散乱するばかりとなる。続いて地面に膝を突くのはファータである。
「っはあ、っはあ。取り敢えずは豚共を退けたわ。しばらくはアイツらも襲ってこないだろうけど、そんなの時間の問題ね。ラネズ立てる? どこかに身を隠して魔力の回復をしなきゃ。フィッツとフェンとはぐれちゃったから今敵に襲われたらひとたまりもないわ。」
自身も喘ぎながらラネズに問いかける。ラネズは黙って頷き杖を頼りに立ち上がる。辺りを見回しても倒壊している建物ばかりである。長く隠れおおせるものでもあるまい。その事を悟ってかファータもラネズも一様にため息をつく。
「でもまあ、こんな見晴らしのいい所にじっとしとくのも良くないわね。さっさと移動しましょラネズ。」
そう言ってファータはラネズに向き直ると彼女は疲弊しながらも笑顔を見せる。
「そうよね、どこかの陰に隠れてしょぼい結界を張りつつ魔力の回復をしましょ… 」
ラネズはそう言い終わる前に急に顔色を曇らせ自身の胸を押さえ苦痛に顔を歪ませる。
「ラネズどうしたの!」
「こ、攻撃!? 魔法… 違う、の、呪い? 何これ!? 」
そういうやラネズの顔色はみるみる青白く血の気が引いたものになっていく。突然の出来事に状況が理解できず慌てるのはファータである。
「何? 誰か呪いを飛ばしてきているの? ラネズの結界を貫いて!? 」
ファータが驚くのも無理からぬことで、ラネズのような中級上位の白魔術師になってくると常時展開している簡易結界をその身に張っているものである。これは状態異常を引き起こす特殊な物理攻撃や異常魔法を跳ね返すだけでなく呪いのような魔女の放つ異質なマナの力も跳ね返す事が出来る。よしんば自分より高位の魔術師からの攻撃でも跳ね返すことは出来ないまでも、事前に感知することが出来るので何らかの対策や対応をすることが出来るものなのである。ブランシェトのような上級上位の白魔術師になってくると常時展開している結界はもはや堅牢な壁と言っても差し支えなく呪いや魔法を跳ね返すだけでなく、自身の魔力を乗せて倍返しにすることも出来る。
であるのでファータが驚くのも無理はない。何の兆しも見せずラネズが胸を押さえ苦しみ出したからである。これは一重に非常事態だと言っても良い。
「わ、わからない、呪いじゃないかも… ッグ、グゥゥ… 呪いの兆しも、な、無かったし、何より急すぎ… 」
そう言ってラネズは地面に両膝を付いてうずくまってしまう。なす術の無いファータはラネズを抱きしめる事しか出来ない。
「ラネズ、ラネズ! しっかりして! どうしよう、何処? 何処から攻撃してきているの? 何処に敵がいるの?」
ファータは辺りを見回すが何処にもそれらしい影も無く、異質な魔力の動きも無い。腕の中で次第に弱っていくラネズを唯々見ている事しか出来ない自身の不甲斐なさにファータの眼には涙が滲んでくる。
「ご、ごめんねファータ… 」
「いや、いやよ! ラネズ!ラネズしっかりして! 」
ファータの声は虚空に響くばかりである……
「いてててて。突きを放ったこっちの方が痛い目を見るっていうのはかなわないな。」
そう言って血塗れた自身の拳を見つめる拳法家ロン・チェイニー。彼に駆け寄ってその傷口を舐めるのはフェンリスウルフのアルジェントである。
獣の王ウルフェンとの戦いは苛烈を極めていた。半人前のフェンリスウルフと半人前の拳法家、二人合わせて一人前と気を吐いて戦ってはいるがいかんせん相手は獣の王である。精霊獣の最高峰と言っても過言ではない存在である。その様な存在に、たった二人だけで立ち向かっているのだ、形勢が不利であるのは自明である。
「もう少し本気を出してやろう。」と言ってからのウルフェンの猛攻をロンは完全には躱しきれていない。何とか躱そうとするがウルフェンの拳なり爪はロンの身体をかすめ、その身に傷を付けていく。
ここまでは埒があかないと思い、ロンは何とかウルフェンの攻撃をかい潜りルドガー直伝の体捌きをもってその懐中に潜り込み渾身の突きを放つが、ウルフェンのスイゲツを突いた筈の拳が擦り切れ鮮血をほとばしらせる事となったのである。ウルフェンの身体にはロンの突きの衝撃は十全に伝わっていない。
これはウルフェンの肉体が頑強であるからだけではない。獣の王であるウルフェンの肉体は美しい銀の毛並みで覆われている。その毛並みは硬くまさに天然の鎧と言ってよいものになっている。だがそれだけでロンの拳に血が滲んだ訳ではない。魔鋼の鎧に体重を乗せた突きを放っても打ち負けなかった拳である。
では何故か。それはウルフェンの体捌きとその毛並みによる。細く硬い毛に覆われたウルフェンの身体であるが、これが武器となるのである。ロンの突きがその身に当たるか否かの瞬間にウルフェンは素早くその身を捻ったのだ。そうする事によってウルフェンの細く硬い毛は摩擦により硬質の刃と化す。ロンはその刃に拳をぶつけたのである。言うなれば何百もの細い刃に自らの拳を押し付けた事になる。拳が擦り切れ鮮血ほとばしるのは必然である。
ロンは改めて血濡れた自身の拳を見つめる。傷はそう深くは無い。拳が血にまみれているのはウルフェンの刃のような銀の毛並みによりつけられた数百の傷ゆえである。その傷を見てロンはウルフェンに“攻撃“された事を即座に理解した。並の人間であれば何が起こったか知る術もなかったであろうが、そこはロンは死の道ルドガーの弟子である。この攻撃がウルフェンの体捌きから生ずる物であると推察する事に時間は掛からなかった。
ルドガーの殺手術の体捌きの技の中には攻撃を敢えて受けてそれをいなす術がある。複数の敵、躱しきれない攻撃に見舞われた時に最小の力と動きで攻撃を受けた身体を捻り受け流して被害を最小にとどめるのである。これには熟達の技術が必要であり、達人の域には達していないロンにはまだ出来ない技であるがルドガーより受け流しの技は身を持って体験済みである。一度ルドガーによる殺手術の伝授の折にロンは言われるままルドガーに攻撃を仕掛けた事がある。ロンの拳がルドガーに当たるや否やの瞬間にロンの拳はいなされ躱された。さらに言うとロンの拳がルドガーに触れた瞬間に、彼の絶妙な体捌きによりロンは肩と肘の関節を脱臼した。これは体に触れてさえいれば相手の関節を如何様にも操れるルドガーの絶技である。並大抵の達人のなせる技では無い。
そう言う経緯でロンは体捌きと攻撃は一体であることを知っていたのである。だからと言ってその理屈のわかるロンがウルフェンの攻撃を躱せるようになった訳では無いが。
「ウルフェンの攻撃は見えないけれど、ギリギリ感じて躱せる。でもなんとか攻撃を当てても逆に攻撃されちゃうとはね。どうやってアイツに有効打を与えたもんか。」
ロンは血濡れた自分の拳越しにウルフェンを見つめる。
黒魔導師のエルザは肩で息をしていた。いちじるしく魔力が減衰しているからだ。彼女が一度に放つ魔法は炎、氷、風、土、雷の入り混じった嵐の様な魔法である。これは一度に通常の魔法を放つ時に消費する魔力の四倍から五倍ほどの魔力を消費する。いくらエルザが十一にも及ぶ多次元異世界の自身の同位体と魔法の詠唱を同期させて並列処理しているからといって、放つ魔法の消費魔力が抑えられる訳では無い。
奇警の天才黒魔導師エルザの発見した魔力保存の法則を持ってしても上級上位の黒魔法を幾度となく放てば、それが通常の数倍の魔力消費であれば疲弊するのも目に見えている。
そして如何な強力な魔法でも当たらなければ効果は無い。エルザの相剋魔法をも一度に放てる嵐の様な魔法も百戦錬磨の魔族の黒魔導師、血爛れた証人ヴィルヘルミナ・グストーロフにことごとく相殺されレジストされている。エルザの魔法は激しく強力なものではあるが一つ一つの魔法を見れば一般的な属性を持った攻撃魔法である。一つ一つの魔法に相剋する属性の魔法を当てれば相殺するのも容易である。
エルザとヴィルヘルミナの魔力の絶対量を見ればその差は歴然である。魔力保存の法則を使い魔力量を飛躍的に高めたといってもエルザはまだ十六才の少女である。それに引き換えヴィルヘルミナは五百年前の大戦を生き抜いた魔族である。魔力の絶対敵な総量は体内で練り上げる時間に比例する。単純に言えば魔法使いは長生きであればあるほど魔力が高い。人間と違い、エルフに劣らぬ魔力の高さを誇る魔族であるヴィルヘルミナはエルザの数百倍の魔力を体内に秘めているのは当然のことである。魔法の撃ち合いになればエルザの分が悪いのは明らかである。
それはエルザにしても分かってはいた事であるが、ランスを傷つけられ激昂してしまいヴィルヘルミナに魔法の撃ち合いを仕掛けてしまったのである。多少は自身の魔法が強力であると自負があったことは確かではあるし、魔族であるパイリラスを見て魔族の魔力の総量を推測ってしまっていたところも大きい。もちろんパイリラスは風の精霊使いであり魔力の高い人物なのではあるが、魔法使いというより戦士である。己の身体をもって戦う事を身上としている。それに引き換えヴィルヘルミナは生粋の魔法使いである。それに加えてパイリラスよりもかなり高齢の魔族である。
そしてなによりヴィルヘルミナは魔法の詠唱も展開も早い。エルザの魔法の構築が少しでも遅れようものなら即座に幾重にも魔法を打ち込んでくる。エルザはそれを相剋の魔法をぶつけたり、結界を張って凌ぐ。
ヴィルヘルミナは火の魔法を放ったそのすぐ後に風の魔法を放ち、それを火にぶつけ風の魔力を練り込む。急激に風を送り込まれた火は逆巻く炎の柱となってエルザに迫る。
強大な魔力の塊が炎の柱となってエルザに迫り来る。このヴィルヘルミナの魔法攻撃はかなり強力な威力を持ったものである。それはエルザの繰り出す魔法の間隙を縫って放たれた、エルザの消耗により生じた隙をついたものである。しかし隙を見せれば仕掛けて来るだろうというのもエルザは織り込み済みであった。これまでの魔法攻撃のやり取りの中でエルザの攻撃の隙をいやらしくも見事について的確な魔法を放ってきた事から、ヴィルヘルミナが狡猾老獪な優れた黒魔導師であることがうかがえる。小さな隙も見逃さない。
しかしエルザはそこに勝機を見出した。魔力量に差があるとはいえ攻防入り乱れた魔法の撃ち合いは膠着状態にあり、お互いがお互いの隙を虎視眈々と狙っている状況である。エルザはそこで敢えて大きな隙を見せたのだ。
状況が拮抗している所に隙が生まれる事によって、膠着をひっくり返す好機が訪れるやヴィルヘルミナはその機会を見逃すはずが無かった。まさに自身が望んでいた状況になったのである。ここで一気に畳み掛けてきた。
ヴィルヘルミナが作った巨大な炎の柱は勢いを増しエルザに迫る。もはや逃れる術は無い。退路のないエルザが取った行動は一歩踏み出す事であった。逆巻く炎に身を投じ己が身を焼くエルザ。ヴィルヘルミナの眼には、エルザがもはや逃れ得ぬ死を覚悟し炎に身を投げたかの様に写り勝利の愉悦に眼元を綻ばせる。
が、違った。エルザは炎に巻かれその身を焼きながらもさらに魔力を練り上げ新たな魔法を構築していく。
「ノルニルたち運命の女神来たりて定め、ソールフィヨル太陽の山、スネェーフィヨル雪の山、ハートゥーン高き地、ヒミンヴァンガル天の平原を与え血の蛇を剣に変えよ!」
エルザが炎の中で声にならぬ声で絶叫すると、彼女を焼いていた炎の渦が蛇の様に渦巻きうねり始める。それを見ていたヴィルヘルミナは眉根を怪訝に寄せるが、続くエルザの詠唱にすぐに驚愕の表情を浮かべる。
「天より下る兜白く輝く者たち飛び交い、フギンの死骸、鴉の餌食、ネリの女巨人の狼馬よ平げよ!」
エルザを焼く炎の渦は巨大な炎蛇となり、エルザを飲み込み食い破ると黒く禍々しくも巨大な炎の鴉となってヴィルヘルミナを襲う。
「ば、馬鹿な! 人間ごときがこの禁呪を使うなど出来る筈が… 」
ヴィルヘルミナの驚きも当然の事である。そもそも禁呪は人間が扱えるような代物では無い。なぜなら禁呪というものは術者の身を捧げ破壊し成就するものであるからだ。大きな魔力を扱うには余りにも矮小な身体しか持たない人間にとって、禁呪は発動させようと魔法を構築しようとした時点で身体が崩壊する。それ以前に余りにも大きな魔力を必要とするため人間には容易に発動させることすら出来ない。
大きな魔力を持つエルフであっても禁呪は発動させるのに数十日を要し十重二十重の結界で身を守らねば命の危険を孕む。それは魔族であっても同じ事である。魔族であっても身体の崩壊は避けられないので異化転生を行い命を繋がなくてはいけない。力も魔力も衰える異化転生を行わなくてはいけないほど禁呪は魔族にとっても危険な魔法なのである。
だがエルザにはそれが出来た。人の身でありながら禁呪を発動できるのである。彼女は十一の異世界の自身の同位体と繋がっており、魔力を同期させて並列処理することが出来る。すなわち十一個の魔法を同時に発動できるのである。そしてさらには回復を司る白魔法を使うことが出来る。禁呪を発動させながら同時に白魔法で自身の体を癒し回復させ身体崩壊を防ぐことが出来た。今回はヴィルヘルミナの炎の魔法を足掛かりに自分の身を生贄に、自分とあともう二人分の同位体の魔力と合わせて三人分の力で禁呪を発動させ、残りの八人分の同位体の魔力で結界と回復魔法を展開させなんとか身体の崩壊を押し留めさせた。
大地が揺れるほどの爆発が起きヴィルヘルミナは黒い炎に巻かれる。いかに魔族といえども「王殺しのヘルギの歌」と呼ばれるこの禁呪をくらっては消し炭も残らない。
筈であった。だが爆炎が晴れるとそこには肩で息するヴィルヘルミナが立っていた。憔悴している様ではあるが生きている。今度はエルザが驚嘆と絶望の色を瞳に浮かべ絶句する。
「っは、はぁはぁ… なんて小娘だ… 禁呪まで放つとはね。しかも生きて私の目の前に立っていやがる。到底信じられない光景だよ。久々に死ぬかと思ったね。」
「あ、あの魔力の禁呪をぶつけてもやっつけられないなんて… 」
「信じられないって顔だね。まあ年若い小娘の癖にいにしえの禁呪なんて知ってるなんて驚いたよ。だが残念だったね、他の禁呪だったら私も倒せただろうが、王殺しのヘルギの歌は我らが魔王榛荊のエルコニグ様が作り出した禁呪なのさ。私たち臣下はよく知っている魔法なんだよ。エルコニグ様が放つなら私も消し炭になってたろうがね、あんたみたいな小娘が放つにゃ百年早かったってこった。」
それを聞いてエルザは膝から崩れ落ちる。絶望と魔力切れが同時に襲ってきたのだ。立っていられなかった。まさに身を賭して命懸けで放った魔法が相手のよく知る魔法であったとは。
魔法は属性と構成が分かっていれば相手がよほど自分より格上でない限りレジストすることは難しいことではない。それがヴィルヘルミナにとって敬愛する榛荊の魔王エルコニグのものであれば尚更だ。エルザは不運としか言いようがない。
なけなしの魔力を費やして魔力切れをおこし身動きが取れなくなってしまったエルザの眼前には血爛れた証人ヴィルヘルミナ・グストーロフが悠然と立っている。
ウンドの冒険者達がどんどん窮地に陥っています。




