87 エルザとランス
エルザとランスは追い詰められていた。
ギラついた目で二人を睥睨する無数のオークやオークハイが今にも飛び掛からんと武器を手に構えている。
それを率いているのは漆黒のローブに身を包んだ魔族の女である。ざんばらな黒髪からは幾本もの捩くれた角が突き出ており、黒髪の隙間から見える眼は妖しく紅く潤んでいる。そしてその肢体は分厚いローブを着ていても女性とわかる豊満さを供えていた。
元々エルザとランスは後方支援に当たっており、コボルト達が運んで来る怪我人を治癒し再び戦列に復帰させたり、避難して来るウンドの住人の誘導をしていたりしたのだが、城壁の破壊によって危機に陥ったウンドの住民や冒険者達をオークやオークハイ共から助けるために戦場の直中に足を踏み入れる事にしたのだ。
街の中心地は混乱の真っ只中にあったが、最初のうちはエルザとランスは快進撃を続けていた。ウンドの住人や冒険者達に襲い掛かるオーク共を結界の力で押し留め、負傷者を治癒し、攻撃魔法で魔物共を薙ぎ払った。
エルザとランスは見事な連携でオーク共を撃破していっていた。鼻の効くランスは物陰に隠れるオーク共を素早く見つけ、その位置をエルザに伝えたし自身もまたエルザの前に立ち、襲いくるオーク共から彼女を守っていた。
ランスは襲い来るオークやオークハイの攻撃を矢面に立ち受け止めると、すかさずエルザが反撃の魔法を放つのであった。最初はオークに怯え、緊張で身を固くしていたエルザだったが、ランスが身を挺してオーク共からの攻撃を受け止めてくれたので、一呼吸の間を持つ事が出来たのだ。
それが良かった。自身と一緒に戦ってくれるランスの背中に勇気づけられると共に、ランスが作ってくれる攻撃を止める僅かな時間。この一瞬の余裕がエルザに魔法を練る間を与えてくれていた。
エルザはいまだに魔物を見ると身体が萎縮し一瞬の間ではあるが動きが止まってしまう。それは戦場では命取りになるのだが、その一瞬をランスは受け止めてくれている。
それで良いのだ。その一呼吸でエルザは魔法の多重無詠唱でオークどころかオークハイですらまとめて灰燼に帰する事が出来た。
エルザとランスは非常に息の合った立ち回りでオーク共を撃退していたのである。しかしそこに暗雲が立ち込めた。そう、まさに暗雲の様な黒いローブに身を包んだ魔族が目の前に現れたのだ。
その魔族も黒魔導師であった。オークハイに放った多重魔法を、それを上回る魔力を持った魔法で跳ね返したのだ。
これにはエルザ自身も驚いた。突如として目の前に現れた魔族がさしたる詠唱も無しにたった一つの魔法で自分の放った多重詠唱の魔法を掻き消したのである。
ここからわかるのはエルザとこの魔族の魔法を放つときに放出する魔力量の違いである。エルザの放つ複数の魔法を属性の相剋を問わずたった一つの魔法でかき消したのだ、この魔族の持つ魔力の破格の高さがここから垣間見える。
エルザの魔法が効かない事に驚きの顔を見せるランスと口を真一文字に結び渋面を作るエルザに悠然と笑うのはざんばら髪の魔族の女である。
「アッハッハ。脳みその小さな人間にも多重詠唱出来る奴がいるんだねぇ! それがこんなチビっこい女の子だなんてねぇ! でも魔力が足りないねぇ、そんなんじゃぁ実戦では役に立たないね! まるで子供のお遊戯じゃあないか! イッヒッヒ! 」
そう言って女はエルザを指差して笑う。それとはうらはらに面白くないのはエルザである。チビっこい女の子である自覚はあるが、自分の魔法がお遊戯扱いされたのは納得がいかない。確かに年若いとは言え自分の人生は魔法の研究に捧げてきたと言っても過言ではない。
それにエルザは思う。決して自分は目の前の魔族に劣ってはいないと。目に映る、手に取れる魔法だけでなく、もはや時代遅れになり使われなくなった魔法や神話や御伽噺と化した魔法にまで目を向けて研究してきた。そんな中でエルザは自身の魔法を練り上げ、研究と探究によって失われた魔法までも復活させ、あまつさえ人々がまだ観ぬ超魔弦理論まで見い出し多元宇宙の存在をも実証してみせた。
そんな彼女が目の前の魔族の女と、その魔族が率いるオーク共の群れを見ても臆する事なくいられるのは、自身の魔法は決して魔族の魔法に劣らないという確信と自負があるからだ。
目の前の魔族の女は自分を遥かに凌駕する魔力量を誇ってはいるが、自分の多重詠唱は通常の結界と魔法陣を併用した異種同属性の魔法の行使では無い。
エルザの魔法の多重詠唱は十一もの多次元空間、いわゆる異世界から自分の同位体すなわち異世界のエルザ達と魔力を並列掛留させた異種異属性の魔法の発露である。
異種異属性、すなわち炎と氷といった相克関係にあるお互いを打ち消し合うため同時に発動出来ない魔法も放てるのである。さらに言うと白魔法までも使えるようになったエルザは攻撃と回復を同時に行える様になっていた。
これは身を滅ぼす様な高位の呪術魔法もその身一つで放てるという事である。
それに隣りには頼りになるコボルトのランスがいる。彼がいれば心強い。安心して魔力を練る事が出来る。
さらに言うとエルザが目の前の魔族に負けないと自覚する理由はもう一つある。彼女はまだ自分の持つ力の半分も出していないという事だ。オークハイなど葬るには自身の力の十分の一も出さなくても良い。オークハイを倒すために放った魔法を、その倍の魔力で練られた魔法で跳ね返されたとしても恐るに足りない。何故ならエルザの本来の魔法の力は、先程彼女の魔法を跳ね返した魔族の魔法の数倍の力があるためだ。
決意にも満ちた目でエルザは魔族の女を見据えると、まるで通せんぼの様に両手を広げて大きく息を吸い込んだ。
「あ、あなた魔族ですね。ここから先へは通しません! これ以上あなた達の好きにはさせません。」
エルザはそう言って広げた両手をやおら前に突き出して魔術仗を魔族に向ける。
「アハハ、かわいい顔して言うじゃないの、お嬢ちゃん。でも死にたくなければそこをどきな。今すぐ尻尾巻いて逃げるのなら命ばかりは見逃してあげるよ。」
そう言って魔族の女は薄く笑う。だがエルザは口を真一文字に結んで一歩も引かない。少し脚は震えるがエルザは魔族の女を見据えたまま大きく息を吐く。
「私の名前はエルザ・サリヴァーン・ランチェスター。黒魔導師です。私の魔導書には敵を目の前にして遁走する魔法は載っていません! 」
エルザが真っ直ぐ射るような目でそう言うや魔族の女の目から冷笑的な色が消える。
「ほう、いい顔しやがるね。お前、いやエルザと言ったね。私の魔法を見た上でなお自分を黒魔導師と言ったね、いいだろうエルザお遊びじゃなく黒魔導師として相手してやるよ。」
そう言うと、魔族の女も手にしている魔術仗をエルザに向け口を開く。
「我が名はヴィルヘルミナ・グストーロフ。血爛れた証人ヴィルヘルミナ・グストーロフ。」
そう言うや、ヴィルフェルミナは挨拶がわりと言わんばかりに簡易詠唱で巨大な火球を放ってきた。
巨大な火球が迫りくるがエルザは動じる事なく魔術仗を地面に突き立て魔力を展開する。すると間髪入れずエルザの周りに結界が張られる。もちろん無詠唱である。それに顔をしかめたのはヴィルフェルミナであった。
「無詠唱の防護魔法だって!? こざかしいね! ファンダ・エフテ! 」
ヴィルフェルミナは自身の魔術仗を閃かせるや強力な雷撃の魔法をエルザに向かい一閃させる。
「どうだい、チンケな防壁なんざコイツでいちころだろう! 」
「ドルン! 」
エルザの簡易詠唱とも言えぬ一言で結界はより強固なものとなり放たれた雷撃を掻き消した。驚いたのはヴィルフェルミナである。それもそのはず自身の放った雷撃が簡易詠唱にもならぬ様な呟きでより強固になった結界に掻き消されたのであるから。ドルンとはもちろん魔法の詠唱に使われる詞章の単語であるが元をただせばエルフ語である。エルフ語でドルンとは硬くと言う意味である。エルザは結界に硬くなれと命じただけでその威力を倍増させ、ヴィルフェルミナの雷撃を霧散せしめたのだ。
その事ヴィルフェルミナをいつになく苛立たせた。下等な種族と蔑んでいた人間に自身自慢の魔法を掻き消されたのだから。
しかしそれがヴィルフェルミナに決定的な隙を生み出させた。ヴィルフェルミナは目の前の憎たらしい小娘を睥睨していてふと気がつく、一緒にいたコボルトが見当たらない。小娘エルザの側にぴったりくっついていた狗っころはどこに行った?
そう思った時には既に遅かった。ヴィルフェルミナの背後、十分に刃の届く位置にランスは忍び寄っていた。
一瞬の油断。それが決定的な隙を生む。それが戦場というものだ。
音も無く忍び寄っていたランスを視界の隅に見とめるやヴィルフェルミナも大慌てで無詠唱で防護魔法を発動させる。だが慌てて無詠唱で張った魔力の防壁はランスの剣を押し止める事は叶わなかった。
ヴィルフェルミナは背中に白刃の一撃をくらい前方につんのめる様にして倒れ込み、苦痛にのたうち回る。
しかし、厚手のローブは裂け鮮血が滴ってはいるが致命傷にはならなかった様だ。咄嗟の事で無詠唱で展開せざるを得なかった未完成の防護魔法である。本来なら無詠唱の結界や防壁術など脆弱なもので、コボルトの一撃で突き破られてもおかしく無いのだが、そこは流石に魔力の高い魔族といったところか、いくばくかの効果は有り命を繋げる事は出来た。しかしその差は歴然としている。
無詠唱で張られたエルザの堅牢な結界と、ヴィルフェルミナの脆弱な防壁。その差はヴィルフェルミナの自尊心を傷つけた。
さらに背中から流れる血が地面に滴るのを見るにヴィルフェルミナは激昂した。
「刺しやがったな! コボルトの分際でこの私を! 二人とも消し炭にしてやる。」
怒りに歪んだヴィルフェルミナの顔からは殺意が溢れている。ギラリと光る狂気じみた目は爛々と輝いていたが、やおらヴィルフェルミナは自身を覆っていた分厚く黒いローブを脱ぎ捨てた。
そこに現れたのはか細いとは言い難い妖艶な肢体に薄衣を纏っただけの露わな姿である。それには同じ女性であるエルザも赤面してしまった。コボルトのランスは距離を取りつつも別段何も思わないようだが。泡を食っているのはエルザだけである。
「な、何でいきなりローブを脱いじゃうん、です、か…… 」
途中まで言いかけてエルザは口をつぐんでしまった。それもそのはず、目の前にいる魔族の気配があからさまに変化したからである。
「ふん、流石に気がついたようだね。私は日頃から魔力の無駄な発散を抑えているんだ。お前たちみたいな小賢しい奴らを恐怖に慄かせて始末するためにね。」
そう言って脱いだ自身のローブを持ち上げ裏地をエルザに向けた。それを見たエルザは血相を変えて絶叫する。
「ランスこっちに来て下さい! 私の側に来て!」
エルザが叫ぶやランスは唯ならぬ気配を感じ直ちに傍らに飛んで来る。
「くく、わかったようだね、私がどれだけの魔力を抑えていたのか。」
ヴィルフェルミナの言葉にエルザは緊張に顔を強ばらせる。エルザの鬼気迫る表情にランスは言葉を失いながらもエルザの前に立ち剣を構えようとするが、それをエルザに制される。驚いた顔をして振り返るのはランスである。
「ランスは私の後ろにいて。じゃないとあなたを守れない。」
「エ、エルザ何ヲ言ッテイルンダ。エルザハ私ガ守…… 」
「あのローブに縫い込まれているのは多重反射魔法陣。それも高位の。ヴィルフェルミナは魔力の大半を封じ込めた状態でさっきの高威力の火球を放っていた…… 」
エルザはそこまで言って口をつぐむ。ヴィルフェルミナがやおら呪文の詠唱を始めたからだ。それはすなわち本気でこちらを始末しにかかって来ているという事がわかったからだ。
ヴィルフェルミナは低くくぐもった声で詠唱を続ける。
「オージン エルフ ヴァン ノルン !万象使役し、来たる凶事見分け、迫りし凶事を知悉し、凶兆を啓示せよ ! 」
その文言を聞きエルザはやにわに魔術仗を地面に突き立て呪文の詠唱を始める。
「シラ グゥル ラム 輝く魔法の壁よ! ドゥーアス ダル 闇を止めよ! 」
ヴィルフェルミナはエルザの詠唱を聞き怪訝な顔をしつつも自身の魔術を完成させる。
「イーヴィジア、マニエルシュ スルス ヴィズリル! 怪異なる子を産み、災禍を堪え、時を待望し、争を渇望する! 」
ヴィルフェルミナがエルザ達を取り囲む様に無数の雷嵐撃を放つのと、エルザが結界を展開するのは同時であった。
雷撃の嵐が巻き起こした爆煙が収まると無傷のエルザ達が現れる。それを見てヴィルフェルミナは忌々しそうに舌打ちをする。
「ッチ! 本当に結界なんだね。魔術防壁じゃ無かったんだ、無詠唱だから気が付かなかったよ。ていうかエルザって言ったねあんた、あんたは黒魔導師じゃなかったのかよ!? 」
ヴィルフェルミナの疑問はもっともである。結界を展開出来るのは白魔術師である。さらに言うなら結界と防壁は根本的に違う。黒魔導師が展開させる魔術防壁は術者の視認出来る眼前を守る魔法の壁であり、守護範囲は術者本人だけである。効果範囲が狭く限定的である故に低級低位の黒魔導師でもそれなりに強固な防御を展開する事が出来る。
反対に白魔術師が展開させる結界は術者の周囲に構築され、人や物に関わらず術者が護りたいものを何でも護る空間を作り出す。結界の大きさ強さは術者の魔力と術式の精密さに委ねられる。
ヴィルフェルミナは防壁であると思ったからこそ広範囲に渡りかつ全方位から攻撃できる雷嵐撃を放ったのだが結界に阻まれてしまった。さらにいうならばそれはかなり強固な結界である。ローブを脱ぎ戒めを解いたヴィルフェルミナの魔法は強力であるし、それはヴィルフェルミナも自負しているところである。しかしたった一層の結界に阻まれた。
ヴィルフェルミナの黒魔術に対する自尊心を傷つける程の結界を展開したのは後にも先にも上級上位の白魔術師であり、数多の魔族に忌避される地母神ブランシェトぐらいである。
まあエルザの結界術はもとより白魔法はそのブランシェトから教授されたものであるがヴィルフェルミナは知る由も無い。
嫌な過去の記憶が掘り起こされ苦い顔を見せるヴィルフェルミナに平然と言い放つのはエルザである。
「私は黒魔導師ですが、白魔術師の下で白魔法も学んでいます。まだまだ拙いですが白黒相克の魔法を操ります。」
魔術仗を掲げ真剣な顔で応えるエルザにヴィルフェルミナは半ば呆れた様に相貌を奇妙に歪める。
「エルザあんたって見たところ人間としても年の若そうなもんなのに珍しい相克の魔導士なんだね。しかしまあ敵に手の内を明かしてどうするんだ!? 色々ゴマかしゃあんたにも勝機があったかもしれないのにね。それともまだまだ奥の手が有るって言うのかね。……まあ、そんな真っ直ぐな魔導士も嫌いじゃないけどね。」
そう言うやヴィルフェルミナも魔術仗を掲げて目付き鋭く呪文の詠唱を始める。
「あんたが相克ってなら私は手数だ。捌ききれるかい!? ペト・ウーレー! 」
ヴィルフェルミナは簡易詠唱で火球を放ってくる。それをエルザは結界で弾き返すがヴィルフェルミナは反撃の隙を与えない。
「グワエウ・シリス!」ヴィルフェルミナの風の魔法で弾き返された火球を熱波を伴う火柱にしてエルザに向かってさらに弾き返す。
「ラム・ドルン!」エルザはより結界を強固にして火柱を耐え凌ぐ。
「ニク・エフテ!」火柱が猛威を振るううちにもヴィルフェルミナは間髪入れず氷の刃を打ち込んでくる。
火柱の熱波で揺らいでいたエルザの結界にヴィルフェルミナの氷の刃が突き刺さる。辛くも結界が破られる事は無く氷の刃は結界の半ばで押しとどめられたが、そこで攻める手を緩めるヴィルフェルミナではない。
「リング・フィング!」結界により推進力を失い止められた氷の刃は、その場で大きく平く広がりエルザの結界を半分ほど覆う形になる。
「ペト・ウーレー!」消えずに残っていた火柱にヴィルフェルミナさらに火の魔力を注ぎ込む。
「ラム・ネスタ!」エルザは咄嗟に結界を再構築しようと魔力を込めるが氷の刃はもう結界の中にまで侵入している上に、さらに形を変えて結界を覆っているため、即座に結界を張り直す事が出来ない。
「ロルン・グウェル・ラク!」ヴィルフェルミナは炎の勢いをさらに加速させ、結界に食い込んでいた氷の刃を一瞬で蒸発させる。
結界内の氷の刃が一瞬で蒸発するや大爆発が起こる。水が急速に熱せられ水蒸気になった場合、その体積は千七百倍に膨れ上がる。水の魔法元素を凝縮した氷の刃が高熱を浴び、瞬間的に魔力の膨張が起きたのだ。
エルザの結界は内側から大破する。ヴィルフェルミナは瞬きするかの一瞬の間に魔法を次々と繰り出しあっという間にエルザの結果を破壊した。エルザが十一もの魔法を同時に展開出来るといっても、ここまで見事に魔力を素早く操り魔法の属性転換を利用した攻撃をされると反撃はおろか防御もままならない。
魔法は火や水といったものの概念をどの様に心象として捉えるかが重要になってくる。発想の豊かさと思考の柔軟性が魔法を構築するのだ。魔力の大きさや詠唱の速さも大切な要素だが、それだけでは経験豊かな魔導士には勝てない。
エルザは膨大な魔力と無詠唱による魔法構築の速さを誇っているが、ヴィルフェルミナはそれに加えて数百年にも及ぶ魔法の豊富な蓄積がある。
ヴィルフェルミナが一枚上手だったのだ。
魔法の爆発による土煙が晴れると吹き飛ばされたエルザとランスが折り重なって倒れているのが露わになる。その姿を見てヴィルフェルミナは目を見開き口を開く。
「あきれたねぇ、あきれた頑丈さだ。あの爆発を受けて五体満足でまだ生きているなんて大したもんだね。関心するよ。」
ヴィルフェルミナの言葉にエルザは目を覚ますと、自分の上にランスが庇う様にして覆いかぶさっている事に気がつく。
エルザは慌てて起き上がり、エルザの上から崩れ落ちようとするランスを震える両手で受け止め抱きしめ癒しの魔法を唱える。
「ランス、私を庇ってくれたの? 私の後ろにいてって言ったのに…… どうして…… 」
エルザは目に涙を滲ませながら癒しの魔法にさらに魔力を込めるとランスはうっすらと目を開ける。
「私ハ大丈夫デス、ブランシェト様ニ護リノ加護ヲ頂イテイマス。エルザニモ私自身ニ守護結界ヲ張ッテ貰ッテイマスシ。ソレニ…… 」
そう言いながらランスはフラフラと立ち上がり力無くニカリと笑う。だが剣は折れ、皮の胸当ては破れ身体のいたる所から血を流している。見るからに満身創痍である。
「ソレニ、エルザヲ守ルト誓イマシタ。」
ランスは震える両手を精一杯広げてヴィルフェルミナに向き直る。
「血爛レタ証人ヴィルヘルミナ・グストーロフ、私ハ貴方ニハ屈セヌ。エルザニハ指一本…… 」
ランスはそこまで言って言葉に詰まる。「指一本も触れさせ無い」その言葉が口から出ない。しかしそれも無理からぬ事である。
眼前には今まさにエルザの結界を破り自分とエルザに深刻な傷を負わせた黒魔導師がおり、その背後にはヴィルフェルミナが率いるオーク共が無数に控えている。
まさに追い詰められた状況だ。
「フン! コボルトのクセになかなか気骨があるじゃないか。だが指一本どうするって言うんだ!? お前がどう頑張っても何も覆せない。わかっているだろう? お前はただの足手まといだ。」
「ウゥ…… ググゥ…… 」ランスはその場で小さく唸るばかりである。確かにこの状況は絶望的である。ランスはエルザを見る。ランスが見つめるエルザの目は、不安と恐怖に揺れランスを見つめ返すばかりである。
やはりエルザは自分が守らなければならぬ。彼女を生きてロンのもとに行かせなくてはならない。エルザはかけがえのない友達だ、自分に名前を授けてくれた愛する友だ。この身に代えても守らなければ。そう思った瞬間ランスの震えが止まった。
覚悟が決まった。刺し違えてもエルザをこの場から救う。
「エルザ、逃ゲテ下サイ。」
「え!? 駄目だよ、逃げれないよ、ランスを置いてなんか! 」
エルザの懇願する目を振り切りランスは踵を返しヴィルフェルミナを睨む。
「エルザ逃ゲテ、ロン様ヲ探スノデス。オ二人一緒ナラ魔族ナド恐ルニ足リマセン。」
ランスはそう独り言ちエルザを振り切って駆け出す。
「グワウ、ワウ、ワウ! 」
ランスは折れた剣を握りしめヴィルフェルミナに向かい突進していく。コボルトである自分は捷い、ヴィルフェルミナの魔法をいくつかは潜り抜け幾許かの時間は稼げる筈だ、エルザならばその隙に周りを取り囲むオーク共を掻い潜って逃げ延びる事が出来るだろうと思った。そう思いたかった。
だがそんな淡い期待など直ぐに取り払われる。当然だ、エルザの結界を一瞬で破壊せしめる力を持ったヴィルフェルミナの魔法を安易に躱せる筈もなかった。
「グワエウ・シリス」
ヴィルフェルミナのその一言でランスは全ての希望を取り払われる。走って躱せるとは思えぬ魔法の風圧がランスに迫る。
「ランス駄目!」
エルザが絶叫するやランスの前に小さな結界と防壁が現れる。だが咄嗟に張った魔法防御では満足にランスを守りきれなかった。
風の力で大きく後方に吹き飛ばされるランス。受け身を取れず地面に強かに打ちつけられたランスにエルザは慌てて駆け寄る。
「ランスなんて事をするの!」そう言ってエルザはランスを抱えて治癒魔法を施す。だが痛々しい傷はそう簡単に癒える事は無い。ヴィルフェルミナの魔力がいかに禍々しくも高いのかがよく伺える。
ランスは苦痛と恐怖に身を震わせる。ヴィルフェルミナの痛烈な魔法の威力は一撃だがランスに死の恐怖を与え心を折るに足るものだった。
エルザはランスの目に宿る恐怖を目にし自分を見るかの様な感覚におちいる。それと同時に自分と決定的に違う事も理解する。ランスはこの恐怖を前にしてなお立ち向かったのだ。エルザを守るために。
エルザは自身の弱さを恥じると共にランスの勇気から力を得た気がした。
「ランスごめんね。私が弱いばっかりに無茶させて。オークやオークハイからもずっと守っててくれたものね。」
そう言ってエルザはすっくと立ち上がり背筋を伸ばす。その顔には先程の恐怖に震えるものとは打って変わり決意を湛えた鋭さがあった。
「今度は私が守るからね。」
そう言ってエルザはランスに改めて強固な結界を張る。ランスの目を見て微笑む彼女からは先程の弱さは微塵も感じられない。
「ランス逃げて。ウンドの街から出て街の人達と合流して避難して。」
「エルザ、何ヲ言ッテ…… 」
そこまで言ってランスはエルザの手に口を閉じられる。エルザの小さな手に。
「大丈夫。結界に隠蔽魔法も重ねているからランス一人くらいならオークにも気づかれずに街を出られるわ。」
ランスはエルザのこの言葉に何も言い返す事が出来ず、ただ涙を流した。
「大丈夫、怖くないよ。」
エルザの言葉にランスは駆け出していた。心とは裏腹に恐怖と不甲斐無さでいっぱいになった身体は意に反して逃げ出していた。その目からは涙がとめどなく流れて落ちていった。
ランスの姿が見えなくなると、エルザはあらためてヴィルフェルミナに向き直る。眼前には不敵な笑みをたたえた血爛レタ証人ヴィルヘルミナ・グストーロフが立ちはだかっている。周りのオーク共は居なくなっていた。
「おや、エルザは逃げなくていいのかい?」
ヴィルフェルミナが揶揄うような口振りでエルザを煽る。しかしエルザは動じない。
「ランスを守るためです。あなたからじゃない、私から守るためです。」
「ふーん、言うじゃないか、たいした自信だね。それにいい顔になったじゃないか。」
ヴィルフェルミナの軽口もまるで意に介す事もなくエルザは魔法を放った。炎と風と雷と氷の刃とが入り混じった嵐の様な魔法を。
これにはヴィルフェルミナも意表を突かれる。エルザいきなり魔法を放ったからではない。
そこは想定していたが、放たれた魔法が雑多だったからだ。同時に展開している魔法の属性が相克関係を無視したデタラメさだったからである。それをさしたる詠唱もなく高威力で放ってきた。
「ケネドリル!」ヴィルフェルミナは咄嗟に防壁を張るが様々な属性の入り混じる魔法の嵐に防壁はいとも簡単に打ち崩される。
「ケネドリル! ベリア! ベリア! ベリア!」ヴィルフェルミナは慌てて再度防壁を張り、それを重ねていくが、防壁を張ったそばからエルザの魔法に打ち崩されていく。
十数度の防壁を張り直したところでエルザの魔法の嵐を霧散させる事が出来た。
エルザの魔法をようやく押しとどめ、肩で息をするヴィルフェルミナ。驚きに満ちた顔をしてはいるが、その目には高揚感が見て取れる。
「初めて見たよ、相克関係の属性魔法を一度に展開できる奴なんてね。相克の魔法を一時に放つとあんな嵐のような魔法になるんだね。面白いね、初めて知ったよ。」
楽しげに言ってのけるヴィルフェルミナとは対照的にエルザの目は怒りにも似た激情を宿らせた光を見せる。
「ランスを傷つけちゃうし建物や周りも壊れちゃうから使わなかったけれど、街を壊してランスもこの街の皆んなも傷つけようとする貴方をやっつけるために私の全力で魔法を放ちます。」
「ハハハ、ご丁寧に解説をどうも。私も久しぶりに本気を出せそうだ。オークの豚共も下がらせて正解だったね。巻き添えにしてひき肉にしちまうのは忍びないからね。」
ヴィルフェルミナはどこまでも軽く、エルザは珍しく激昂しているが両者の魔力はこれまでになく高まって来ている。
まさに一触即発。凄惨極まる黒魔法の戦いの火蓋が切って落とされようとしている。
お読みいただき誠にありがとうございます。
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