85 ロンの拳に乗る重さ
戦い続けるロンは自分の思い描いた突きを放てる様になるのでしょうか?
地面を強く踏みしめ一歩前に踏み出したロン・チェイニーはその勢いのまま肩腰をグンと回転させ拳に速度と威力を乗せる。
その拳はオークハイの身体の真芯に向かって真っ直ぐ突き立てられる。もちろんこのオークハイも魔鋼の鎧を身につけているのであるが、速度に重さが乗った拳に打ちつけられ思わずのけ反り後退する。
オークハイが後退するやロンは体を入れ替え構えを逆にしつつ大きく一歩踏み込む。力強く踏み込まれた足にロンは体重を乗せる。
そして体重を乗せた瞬間に肩腰を入れた拳をオークハイに叩き込む。
無防備にのけ反っていたオークハイの土手っ腹に拳が突き刺さる。ゴンと低く鈍い音を立てて叩き込まれた拳にオークハイは苦悶の表情を浮かべて膝から崩れ落ちうずくまる。
ロンはその勝機を逃さずオークハイの頭を蹴り上げた。オークハイは再びのけ反るとともに被っていた魔鋼の兜も弾き飛ばされる。剥き出しになった醜い豚面に向かいロンは三度地面を踏みしめて一歩踏み込み、その勢いと重さをのせた肘打ちをオークハイのこめかみの急所であるカスミに打ち込む。
カスミを撃ち抜かれるやオークハイは白眼を剥き糸の切れた様に崩れ落ちる。
ロンは単身で魔鋼の鎧に身を包むオークハイに勝てる様になってきていた。
何故ならロンの攻撃が魔鋼の鎧を通す様になってきたからである。先程、仲間と散り散りになる前に落下してくるフィリッピーネを受け止めた時に感じた重さに閃くものがあったためである。
いつもは羽の様に軽いフィリッピーネが高所から落下してくる事によって、それを受け止めたロンは相当な重量を感じたのである。その時にロンは攻撃に重さを付与するためには落下が必要だという事に思い至る。
今までは攻撃のための身体の重心の移動は、前進するという一方的な横方向の移動であった。そのため速度は乗るが攻撃自体は軽いものであったので、ロンは落下という縦方向の重心の移動を加え、攻撃に重さという更なる威力を付け加える事に思い至ったのだ。
果たしてロンの思惑は十全に果たされる事になる。ウンドの街中を仲間を探すため駆けずり回っている間に何十体ものオークやオークハイに行手を阻まれる事になったのだが、それがロンの拳に重さを乗せるための修練となったためだ。立ちはだかるオーク共にあらゆる角度から、様々な機や瞬間に落下を加えた攻撃を放ったのだ。
最初はその場で飛び跳ね、そこから落下しつつ攻撃を仕掛けたが、ただこれでは飛び跳ねただけでフィリッピーネの様に高所からの落下の様な勢いがつかず速度も乗るどころか踏ん張りがきかないので攻撃にもならなかった。幾度か飛び跳ねをためした後に助走をつけて相手に飛び込み攻撃をするという方法にかえたものもためすが、攻撃が当たれば威力の高い攻撃にもなったのだが、いかんせん予備動作が大きく直ぐに見切られ攻撃をかわされてしまう。
そこでロンは考える。飛び跳ねと飛び込みの違いは何であるかを。動作としては共に落下を伴うものである。フィリッピーネの落下の再現と言う点では、助走をつけて飛び込む動作は落下の軌道は放物線をえがくので飛び跳ねよりも高度の低い所からの落下である。だが飛び跳ねるという飛び込みよりもやや高い位置からの落下を伴う攻撃より威力が高い。
二つの動作の決定的な違いは攻撃を繰り出す瞬間である。飛び跳ねは落下をしつつの攻撃であるのと対照的に飛び込みは落下し着地した瞬間に攻撃を放っていた。
落下には大きな力が加わるがその力が最大限に相手に伝わるのは着地した瞬間である。中空に浮かんだ状態での攻撃は前方に向けての攻撃の力は相手に当たった瞬間に後方に逸れるのだ。それに引き換え着地した瞬間は落下の力に体重が合わさった威力が地面を踏み締める事により逃げる事なく相手に伝わるのだ。
それによりロンは重くなった拳を相手に叩きつける事が出来る。ただ飛び込みは飛び跳ねるという純粋な落下と違い助走を必要とするので攻撃を始めるためには相手と距離を置かねばならない。
そのため攻撃を見切られ易い。相手の目の前で飛び跳ねるのも充分な隙を相手に見せる事になるのだが、戦っている相手が急に飛び跳ねるという思わぬ行動は逆に、不意の行動に驚いた隙を突く事になったりもしたのだが、もちろん全く驚かない者もいたので隙を突くどころか反撃を受けて危ない一面もあったので、やはり飛び跳ねはどの角度からみても有効な手段では無くロンはこの攻撃方法を早々に手放す事にはなった。
さりとて飛び込みも予備動作の大きい攻撃なので相手に当てずらい。そこでどうするべきか考えたロンは攻撃の動作を解体して考えてみる事にした。
助走、飛び込み、着地、攻撃の四つの動作に分ける事が出来る。この時に予備動作が大きく隙が生じているのは助走と飛び込みである。さらにいうと着地の時にその力が重さとして十全に拳に乗るのである。では着地に着目してみてはどうか?
ロンはいつもの一歩踏み込んでの攻撃と飛び込み着地した時の攻撃の動作の違いを考察する。違いは地面を踏む力である。踏み込んでの攻撃は前方に移動する力の流れがあるのに対し飛び込みは下に落ちる力の流れがある。
ではいつもの一歩踏み込んでのその一歩の踏み込みを強くしてはどうか。今までは前に進む力だけを意識していたが、前に進みつつも下に落ちる力を加えてはどうか。今までの踏み込みをさらに強く地面に突き刺さり穿つほどの踏み締めにしてはどうか。
今までの一歩に落下の力を一瞬だけ加えるのだ。そこからロンは様々な瞬間に攻撃を放ってみた。突きを放つ前に地面を踏む。突きと同時に地面を踏む。突きながら地面を踏む。突いてから地面を踏む。などなど。避難するウンドの街の住人や苦戦する冒険者達を手助けする傍らロンはオーク共に突きを放ち続けた。
結論としてロンの攻撃が最大の重さを持って鋭く相対する者に突き刺さるのは、地面を踏み締めるのと同時に自らの拳を相手に当てる事であるとわかった。
その突きが重さを与えるのに一番正しい事は、突きを放ったロン自身が瞬時に理解した。相手の身体の真芯を突きが射抜いたのが自分の拳を通して身体に伝わった。衝撃が前に突き抜けたのである。今までは魔鋼の鎧に阻まれて自身の攻撃の衝撃がある程度は自分に跳ね返ってきていたのだが、それが無く相対するオークハイが後ろに大きく後退したのだ。さらに一拍置いてオークハイは地面に膝を突いた。
地面に膝をつくほどの衝撃を与えたにもかかわらずロンの拳は傷つく事は無かった。攻撃の威力がオークハイの身体を突き抜けたからである。以前オークのこめかみに肘打ちをねじ込んだ時の感覚に少し似た感触があった。その時は偶然にも急所であるカスミを打ち抜いてオークの命を刈り取ったのであったが、自重を乗せた突きもその様な威力を持ち合わせていた。
片膝をつくオークハイの首筋にロンは回転の勢いと体重を乗せた回し蹴りを捩じ込む。魔鋼の鎧と兜の間に出来た隙間に正確に蹴り脚を叩き込まれたオークハイはそのまま頸椎を破壊され頓死する。
この時にロンは攻撃に重さを乗せる術を会得したという事をその身に実感として染み込ませた。
そこからオークハイを倒す度にその実感を噛み締めていた。
ウンドの住人に襲い掛からんとするオークとオークハイの集団を退けた時もそうだった。
「やった…… これか!? まだ完璧とは言えないけれど自分でも攻撃に重さを感じたぞ。」
ロンは思わず自分の拳を見つめ独り言ちる。
「あ、あの、冒険者さん? ありがとうございます。」
そう言って話しかけてくるのはウンドの住人である。ロンは襲われているウンドの住人を助けに入ったのであるが、助ける事を目的とするのとはまた別に、いかに拳に重さを乗せるのかという修練も兼ねてオークハイと戦っていたので「拳に重さが乗る」という一つの目的を達成した感動によってウンドの住人を置いてけぼりにして一人の世界に入ってしまっていたのだ。
そこに聞き慣れた声も差し挟まれる。
「ロンさん、すごいね!オークハイを殴ってやっつけちゃった!」
そう言って目を輝かせているのはモリーンである。
「でも、ボーッとしないで! 一瞬の油断は命取りだよ。エス・ディ先生も言ってたよ!」
さらにそう言って腰に手を当てため息を吐くのはポレットである。モリーンとポレットが合流してウンドの住人の避難誘導をしていたのだが、今やウンドの街中に跋扈するオーク共を避けて通れなくなってきていた。モリーン達は最初は路地裏などを通りオークを巧妙に避けていたのだがいかんせんオーク共の数が多くなってくると、細い路地裏を通っていたために逆に溢れかえるオークに追い詰められてしまったのだ。
逃げに逃げていたモリーンにポレットだがとうとう逃げ場がなくなり戦わざる得なくなってしまった。モリーンの魔法はオークハイの魔綱の鎧を貫く事は出来ず、ポレットの矢は魔綱の鎧の間隙を縫ってオークハイを貫くことは出来るのだがとてもじゃないがオークの群れに対して矢の数が足りない。しかしここで抵抗せねば生き残る術は他に無い。
万に一つも勝ち目は無いとしても、ただ手をこまぬいているよりかは幾ばくかマシと言うものである。
それはモリーンにしてもポレットにしてもわかっている事である。ポレットは弓に矢をつがえながら不安そうに構えているが、モリーンは何を思ったか閃光の魔法を空に向かって打ち上げた。
魔法の光が空中で炸裂し辺りを強く照らす。隣でいたポレットは目を丸くしてモリーンを見つめる。ただでさえ状況が逼迫しているのにさらに敵を誘き寄せる様な事をしてどうするのか? そんな眼差しでモリーンを見る。
それは当然ながらモリーンもわかっている。こんな事をすれば自分達がここに居ると喧伝している様なものである。しかしこれはモリーンの賭けでもあった。オークが見つける事が出来るのであれば、当然それよりも早く聡く自分達の窮状を察する事が出来る者達がいるはずである。
そう冒険者ギルドのいつもの面々である。彼等ならきっと見つけてくれる。オーク共よりも早く駆けつけてくれる。そう信じたからだ。
果たしてその賭けにモリーンは勝つ事が出来た。いの一番に駆けつけた者は彼女達がよく知る人物だった。
拳法家ロン・チェイニーである。
ロンは現れ、状況を一瞥するやいなや猛烈な勢いで居合わせるオーク共を薙ぎ倒していった。一撃のもとにオーク共を屠り、次いで裂帛の気合とともに魔鋼に鎧われたオークハイに鋭い突きを放った。大きく鈍い音を立てて震える魔鋼の鎧、次いで膝を突くオークハイをみてモリーンにポレットは目を丸くする。
それもそうだ。モリーン達が驚くのも無理は無い。ロンはギルドの男達の中でも比較的に小柄な男である。ロンの身の丈を超える巨躯を持つオークハイを相手に怯むどころか一撃のもとに膝を突かせたのだ。ギルドの孤児達もとい小さな冒険者達はロンの毎日の修行を横目で見ていたので、彼がが何となく強い者であると思ってはいた。しかし、いつもギルドの中庭でグリエロやトムにコテンパンにやっつけられているのを見るにつけ、その強さの加減もほどほどなものだろうと皆ぼんやり思っていたのだ。
だが疾風の様に現れ怒涛の如くオークやオークハイを攻撃し倒してのけた様を見せつけられると、今までの認識を全く変えざるを得なかった。
呆気に取られるモリーンにポレットだが、自分の拳の威力に自分で感心している能天気なロンを見るにつけ我に返る。
そこから出た言葉が先程のモリーンの賞賛とポレットの苦言である。
「あ、ああ。ごめん、ごめん僕とした事がぼんやりしていた。モリーンとポレットだね。大丈夫? 怪我は無い? 」
あれだけ苛烈にオーク共を攻撃していた者とは思えない眼差しと声色で語りかけてくるロンに二人は一瞬キョトンとするが直ぐに我に返る。
「ありがとうロンさん。私達は大丈夫。ロンさんが駆けつけてくれたおかげで誰も怪我をしなかったわ。」
モリーンがそう言って頭を下げようとするのをロンが制する。
「待って。まだ油断は出来なさそうだ。オークハイの集団に見つかってしまった様だ。」
そう言ってロンは振り返り軽く腰を落とす。その視線の向こうには数十体のオークハイ達がいた。それを見てモリーンとポレットだけでなく、一緒に行動していたウンドの街人も絶句し息を飲む。
「これだけの数を一度に相手する事は出来ないな。モリーンとポレットはウンドの人達と一緒に逃げる準備をするんだ。その合間に魔法や矢でオークハイに攻撃を仕掛けてくれるかな? 」
「わかったわ。でも私の矢もモリーンの魔法もオークハイにはあまり効かないわよ。」
「いいんだ。オークハイは僕が倒すから、二人は矢や魔法で援護して。あいつらを足止めするだけで良い。僕はあれだけの数をいっぺんに相手には出来ないからね。」
ロンが二人に向かってそう言うや、モリーンにポレットは自信なさげな顔をする。
「モリーンの魔法はあの鎧のせいで効かないんでしょう? それに私の矢も二十本しか無いよ。一本でオークをやっつけられる訳ないし...... 」
ポレットがそう言いながら自身の弓を不安げに握ると、ロンはポレットの不安を感じ取ってか少し腰を落としてポレットと目線を合わせる。
「出来るよ。ポレットとモリーンと僕がいればね。ちょっとその矢を一本貸してごらん。」
そう言ってロンはポレットから矢を一本拝借すると、矢を握って意識を集中する。
「ふう。何とか出来たかな? 」
「何したの? 」とポレットは返して貰った矢を眺めながらそう呟くとモリーンが「あっ」と小さく声をあげる。
「その矢、魔力が籠ってる。ロンさんがやったの!? 」
「そうだよ、これでも僕は元白魔術師だからね。弱いけれど魔力付与が出来るんだ。まあ魔力総量が少ないから、無属性の魔力を小さな物に一回しか付与出来ないケド。」
「この矢でオークを射るの? ……言いにくいけどあんまり威力は変わらないと思うんだけど。」
ポレットは怪訝な目をロンに向けてそう小さく呟く。
「いいんだ、それで。その矢、魔力を通しやすくなっただろう?その矢はモリーンの魔法を通す事が出来るだろ? 」
ロンの言葉を聞いて二人は目を丸くする。それを見たロンは一つ頷くとオークハイ達に向き直り口を開く。
「ポレット、君の矢でオークハイの眼を狙えるかな? 出来るだけ遠くで油断している奴がいい。……アイツなんかどうかな。」
そう言ってロンは離れた所で突っ立っているオークハイを指差す。
「兜の隙間を縫ってアイツの目を射抜けるか? 」
「うん。あれくらいの距離なら出来る。エス・ディ先生との練習ではもっと遠くのもっと小さな的を狙ってたもの。」
「そりゃ凄いな。よし! モリーンは矢が命中した瞬間に矢に向かって雷の魔法を放てるか?」
「大丈夫。いつでも魔法を放てる様に魔力を練っているもん。」
「よし! じゃあ早速やってみよう!」
ロンがそう言うやポレットは目にも留まらぬ早技で矢を番えるや放つ。ビュッと風切る音を立てて矢は棒立ちのオークハイの眼を射抜く。
目を射抜かれたオークハイは油断していた。子供二人と素手の男一人。あちらの攻撃は遠く離れた自分に届こう筈も無く、よしんば届いたとて身に纏う魔鋼の鎧を通す筈も無い。
その油断が命取りであった。何故なら矢を放った子供は上級上位のアーチャー、龍眼のエスラン・ディル・プリスケンの薫陶を受けたいっぱしの冒険者なのであるから。
周りにいたオークやオークハイも油断していた。子供二人と素手の男一人。多勢に無勢だ。こちらに圧倒的に有利であると。だが恐ろしい精度で魔鋼の兜の間隙を縫って矢が突き立てられるとその場の空気が一瞬で凍りついた。
だが二の句を告げる間も無く矢を突き立てられたオークハイの頭は爆散する。間髪入れず細い矢の先にモリーンが雷の魔法を命中させたのだ。
これもまた凄い事である。矢の先の様な細い的に魔法を当てるのは至難の技である。これも奇警の黒魔導師エルザ・ランチェスターの魔力制御術の教えの賜物である。
オーク共の顔から余裕が消える。オークハイの身に纏う魔鋼の鎧もこの子供達の前では役に立たない。一歩前に出た者から矢を突き立てられ魔法で爆散させられる。
オーク共の歩みが止まった。
ロンはそれを見て無言で頷くとモリーンとポレットに向き直る。
「ポレットは弓を構えていつでも矢を放てる様にしてるんだ。モリーンも魔力を練っていてね。」
「でも、ロンさん。魔力の通った矢はもう無いよ。私の魔法もさっきみたいに矢を通ってオークハイの体内に浸潤しないよ。」
「いいんだよ。オーク共はその事は知らない。でも今の攻撃でオーク共は君達がオークハイをも倒してのける力があると思い知った。まあ、今の一回だけだけれど。でもそれが牽制になるんだ。奴らはこれでおいそれと行動出来なくなる。」
ポカンとするモリーンとポレットにロンは悪戯っぽくニカリと笑うと、「僕が危なくなったら援護はしてね。」とだけ言って、踵を返しオーク共に向かって駆け出す。
ロンは先頭に立つオークハイの前に躍り出ると地面を踏み締めて肩腰を入れ真っ直ぐその土手っ腹に拳を叩き込む。突きの衝撃が鎧を通しオークハイの生身に届くとオークハイは苦痛に表情を歪め地面に片膝を突く。
そこに頭部に蹴りを受け仰け反ると剥き出しになった頚部に体重を乗せた肘打ちが決まる。
頚椎をへし折られ気道を潰されたオークハイはそのまま崩れ落ちる。もはや虫の息だ、放って置いてもそのうち絶命するだろう。
ロンの意識はもうそこに無く、次なる獲物に目をつけるや飛びかかる勢いで大きく一歩を踏み出して眼前のオークハイに鋭く重い攻撃を放つ。
ただオーク共も黙ってはいない。直ぐに気を取り直しロンに向かって行くがその途端に矢で膝を撃ち抜かれる。もんどり打って転けるオークに炎の魔法が浴びせられる。燃え盛りのたうち回るオークに他のオーク共は一瞬怯むが、直ぐに標的を小さなアーチャーと黒魔導師に切り替える。
しかしロンに背を向けるのもまた命取りだった。背面からだと脊柱を狙い易い。特に頚椎は背面から見ると体表に突出している部位がある。ロンはそこを目掛けて回し蹴りを叩き込む。
狙いをモリーンやポレットに向けるや背後からロンに狙われる、さりとてロンに意識を集中するとやはり背後から矢や魔法で狙われる。
こうなるとオーク共とオークハイ達の隊列が崩れ魔物達は軽い恐慌状態に陥いる。どちらを今倒すべき敵とするのか少しでも逡巡すると拳や蹴り、さらには矢や魔法が飛んでくる。
混乱するオーク共の只中でロンは拳を振るい暴れ回る。次々とオークやオークハイはロンに撃破されていくが、その攻勢もポレットの矢が尽きると次第に雲行きが怪しくなってきた。
矢が尽き、ポレットが攻撃出来なくなると必然的にモリーンの魔法だけになってくるのだが、そうなるといかんせん火力不足である。魔法だけではオークに致命傷を与え戦線から離脱させる事が難しくなる。
そうなるとオーク共も気がつき始める。最早モリーンとポレットは脅威では無いと。
そこからはロンの攻勢にも陰りが見えてきた。モリーン達が脅威では無いとなると、今まさに優先して倒すべきはロンただ一人である。コイツさえいなくなれば後に残された者達は蹂躙し放題である。したがってモリーン達は後回しにしても構わない。
そうなるとロンには分が悪い。オークやオークハイ達の只中に飛び込んだロンは四方をオーク共に取り囲まれてしまう。
そこからのロンは防戦一方である。モリーンやポレットだけでなくウンドの住人も守らねばならない。モリーン達にオークの意識を向けさせてはいけない。今の彼女達には魔物に抗う術が無い。
続々と増えるオークとオークハイにロンは窮地に追い込まれる。
「コレは不味いかも。どこかの機を狙っていったん退いた方が良いが…… あの子達を置いて行くわけには行かないからな。」
そう独り言ちながらロンはオークハイの繰り出した斧を紙一重で避ける。しかしオークハイの攻撃を躱したとて反撃の隙は無い。間髪入れず他のオークの攻撃がロンを襲う。
オーク共の攻撃にロンがその場に足止めをくらっている間に別のオークの部隊が押し寄せる。
間の悪いことに標的はロンでは無かった。
「うわあ!」と言う叫び声があがるやゴンと言う鈍い音と共に吹き飛ばされる一人の男がいた。モリーンとポレットと共に避難行動をしていたウンドの住人である。オークの大きな槌による攻撃を受けたのである。
大きく振り抜かれた槌の一撃をまともに受けウンドの住人であるその男は大きく弧を描いて飛んでいく。ロンは声と音のする方向に向き直るや渋面を作る。
ロンは素早くオーク共の虚を突き、振り回される武器の数々をくぐり抜け、オーク共の間を駆け抜けウンドの住人のもとに駆けつけるや、まずは住人を襲ったオークを蹴り上げ吹き飛ばす。
オークが後方に吹き飛び、倒れ伏し動かない事を確認するとロンはウンドの住人に向き直る。
「大丈夫か!? 何処か怪我は…… 無いな。アレ? 結構派手にぶん殴られてた様だったけれど。」
「え!? あれ? 本当だ。もう駄目かと思ったが何とも無いぞ?」
槌で攻撃された張本人であるウンドの住人も己の身に何も起きていない事に首を傾げながらも立ち上がる。ロンは改めて立ち上がった男を見るが何処もおかしな所は無い。
「なんだろ、当たり所が良かったのかな。運が良かったのかな。」
「大丈夫ですか? 」モリーンがそう言いながら駆けて来る。
「ごめんなさい。私達がいながら皆さんを危険に晒してしまって…… 」
ポレットが申し訳無さそうにうなだれて小さく呟くと、遅れて集まってきたウンドの住人達は声を揃えてポレットを慰める。
「いいんだよ、ポレットちゃん。あなた達はよくやってるわ。それに運良くこの人も何とも無かったし、気に病む事は無いわよ。」
「そうだよ。ここまで来れたのも君達のお陰だ。」
そう言って口々にウンドの住人はモリーンとポレットを慰める。そこに割って入って来たのはロンである。
「いいんだけれど、次も無事でいられる保障は無いからね。ここから逃げ出す算段をしよう。とは言えオークに囲まれちゃってるケド。」
そう言ってロンはモリーンとポレット、それにウンドの住人達を背に庇いながらぐるりと周りを一瞥する。
「こりゃ、この数のオーク共をかわして切り抜けるのは至難の技だぞ。どうしたもんかな。」
ロンは腰に手を当てため息を吐く。どことなく緊張感の無い、しいては余裕まで垣間見えるようなロンの佇まいは、窮地の唯中であり切迫した状況であっていつ恐慌状態に陥ってしまうかもわからないウンドの住人をいくばくか安堵させた。
だが窮地であることには変わりは無い。
「そうだな、あそこのオークの部隊はたいして強く無いな。あそこは包囲が手薄だ。あそこに僕が突っ込んで行って連中を足止めするから、モリーンは魔法で牽制しながら皆んなと逃げるんだ。ポレットは殿を頼むね。いいかな? 」
「え!? じゃあロンさんはどうするの一人でオークに囲まれちゃったら…… 」
モリーンがそう言って心配そうにロンを見るがロンはどこ吹く風である。
「僕一人なら何とかなるでしょ。それじゃ行くよ! 」
そう言うやロンは一気に駆け出す。モリーンとポレットは慌ててウンドの住人を引き連れロンの後に続く。
ロンはオークの前に躍り出るや地面を踏み締め真っ直ぐ突きを放つ。顔面を殴られ顎をかち割られたオークは血反吐を吐きながら崩れ落ちる。一気に周りのオークの注目を集めたロンは、次なる標的の前に躍り出る。
ロンが大暴れしている側をすり抜ける一団。モリーン率いる避難者達である。素早くオークの包囲を抜けようとするが、後から後からやって来るオークの集団にあっと言う間に取り囲まれてしまう。
「ロンさん! 」モリーンとポレットが同時に声を上げる。ロンはその声を素早く聞きつけて即座に踵を返す。
だがロンが囲まれたモリーン達に追いつくには少し距離がある。ロンが追いつく前にオーク共の得物はモリーンやポレットに振り下ろされてしまうだろう。ロンが最悪の状況を想像して歯を食いしばった刹那、モリーンに迫っていたオークの体が粉々に砕け散る。
さらに間髪入れずにポレットに襲い掛かろうとしていたオークハイもその身を引き裂かれた。
一瞬の間が空いて何者がオークを引き裂いたのかわかると、オークやオークハイだけで無くモリーンやポレット達も恐怖で絶句する事になった。
目の前にいるのは巨躯を誇るオークハイの身の丈を超える狼だった。
「アルジェントか!? 来てくれたのか! 」
ロンがそう言って大きな狼に駆け寄るとアルジェントと呼ばれた狼はその大きな鼻先をロンの胸に押し当てる。
「ははっ! 本当にアルジェントなんだな。なるほどそうか、フェンリスウルフってのは本来はこんなに大きいんだな。」
そう言って頭を撫ぜてやるとアルジェントは嬉しそうに目を細める。
「アルジェントって、あの踊る子猫亭のアルジェント!? 」
ポレットがそう言うと、アルジェントは「ワン」と一声吠える。
「ロン様も、皆様もご無事でしたか。」
そう言ってアルジェントの背中からランペルを始めとしてコボルト達が降りて来る。
「ランペルも来てたのか。ちょうど良かった、この人達の避難を助けてくれないか。」
「もちろんですとも。そのために我等がいるのです。」
そう言ってランペルは呆気に取られているウンドの住人とモリーンとポレットをクルリと見渡すと「ワンワン」と後ろに控えているコボルト達に指示を出す。すると大きな背嚢を担いだコボルトが前に進み出て来る。
ランペルは背嚢の中から矢の束を取り出してポレットに渡す。
「ポレット様、矢の補充です。これから先もポレット様の弓矢の技術が必要になる局面がありましょう。矢はまだ有りますからご安心ください。」
そう言ってランペルはペコリとお辞儀する。一瞬呆けていたポレットだが、慌てて「ありがとう」と言いながら自分も頭を下げる。
ランペルはロンに向き直ると、ポレットとのやり取りを眺めていたロンと目が合う。二人はフムと頷き合うと周りを取り囲んでいるオークとオークハイを一瞥する。
突然現れたフェンリスウルフにかなり警戒している様子で、腰が引けて身動きが取れない状態でいる。
「よし。じゃあアルジェント僕と二人でオーク共をやっつけよう。道は僕達が切り開くからランペルはモリーン達と安全な道を通ってウンドの住人の避難を手伝ってくれ。」
「かしこまりました。」
「ワオーン!」
ランペルとアルジェントが同時に返事をすると、ロンは待ってましたとばかりに頷きオークハイ達に向かって駆け出す。アルジェントもロンの後に続き跳躍する。
ロンはオークハイ達の眼前まで迫るや、後から追いかけてきたアルジェントと合わせたかのように左右に分かれオーク共を挟撃するための布陣を展開する。
オーク共の中に飛び込んだアルジェントは鋭い爪と大きな牙で憐れな獲物を蹂躙する。オークもオークハイもまるでボロ屑の様に引き裂かれていく。
アルジェントの一凪で数多のオークやオークハイ達が命を散らしていくと、憐れなオーク共は恐慌状態に陥いる。堪らず後退するオーク共を迎え打つのはロンであった。
アルジェントに気を取られていたオークは背後から迫るロンに気がつかない。ロンはオークにオークハイを組み打ち頚椎を捻じ折っていく。
嵐の様な激しさでオークにオークハイを破壊していくアルジェントと、その激しさとは逆にロンは静かにオークとオークハイに忍び寄りアルジェントに集中しているオーク共に気付かれる事なくその首をへし折っていく。
ロンやモリーンとポレット達を取り囲んでいた数多のオークにオークハイが全て物言わぬ骸と化すまで時間はかからなかった。
オーク共は次々と現れていたが、皆二の足を踏みロンとアルジェントを遠くに見る事しか出来ないでいた。
その姿を一瞥したロンはランペルに向き直る。
「よし今のうちだ、ランペル。モリーン達を援護して避難を助けてやってくれ。」
「かしこまりました、ロン様。モリーン様達の援護はお任せくだ、さ...... 」
ランペルは途中で言葉を失い目を見開いている。ロンはランペルの視線が自分から外れ後方に釘付けになっている事に気がつく。ふと周りを見ると他のコボルト達も微動だにしておらず、揃って一点を見つめ硬直してしまっている。
「どうした、ランペル? 」
「あ、あの方は…… 」
狼狽するランペルの視線を追うとそこには分厚いローブに身を包んだ巨漢が立っていた。ロンはその巨漢を一瞥するや背筋が凍るような威圧感に襲われる。それは身の丈が巨躯を誇るオークハイの一回り上回るからだけでは無い。その威圧感は根源的なと言うか動物的な本能が恐怖を感じるものであった。
はたと気がつくと隣にいるアルジェントも口を半開きのまま唸り声一つあげずローブの巨漢に釘付けになっている。
いや、それだけでは無い。周りにいるオークやオークハイも緊張か恐怖かわからない引き攣った顔を見せて硬直している。
ロンは気圧される心身を何とか奮い立たせようやく口を開き一言口から言葉をこぼす。
「何者だ。魔族か? 」
ロンは目の前に相対している者が魔族ではないと半ば直感的に理解したが、その威圧感のある気配は人間ともエルフとも違う。口から何とか出た言葉がただそれだった。この場の緊張かのただ中で正確な語彙で目の前の脅威を言い表す事は出来なかった。
ロンに問われたローブの巨漢は「ほう」と一言含みのある息を吐くと静かに口を開いた。
「我の威圧を受けてなお口を開くか。中々に胆力のある男ではないか。ふむ。コボルトにフェンリスウルフに人間か、中々に面白い取り合わせだな。」
分厚いローブの目深にかぶったフードの向こうからクツクツと短い笑い声が聞こえた。その一瞬緊迫感が少しだけ薄れる。そうするとランペルがすかさず口を開く。
「あ、あなた様は、もしや…… いえ、そんな筈は、何故ここに居られるのか…… 」
「ほう、さすがに草木の担い手、森の守護者たるコボルトは気がついたか。」
そう言ってその巨漢は両腕を持ち上げる。その腕を見てロンは緊張感に絶句すると共に美しさに目が釘付けにもなる。
その腕は筋骨逞しく太く大きいだけでは無く、星の流れる様な光を称える銀の毛並みに覆われていた。その手がフードを後ろに跳ね上げる。
その顔もやはり銀色の美しい毛並みに覆われていた。鋭く天を突く立ち耳。目は銀色の毛並みとは裏腹に黄金色に輝いている。そして鼻が前に突き出していた。フードを取ると銀色の毛並をたなびかせる狼の様な頭を持つ獣人が現れたのだ。
「獣人族か? ウェアウルフ…… 狼男なのか?」
ロンが誰に言うでも無くそう独り言ちるとランペルが左右に首を振る。
「ロン様、違います。あの方は獣そのものです。実際にお会いするのは三百年生きてきて初めてですが、我ら獣にはわかるのです。もちろんアルジェントも気が付いています。あの方は我らコボルトをはじめとするあらゆる獣の始祖、獣の王ウルフェン様です。」
「ウルフェンか、久しく聞かなかった名だな。まあ長らく人間界から離れておったからな。我の事を覚えているのはエルフぐらいであろう。」
ランペルの言葉に反応し、そう言って目を細める。その様子を見ていたロンはふと疑問が生じる。
「その獣の始祖が何故、オークの大隊を率いる魔族達と一緒にいるんだ? 魔王エルコニグの仲間なのか? 」
「ハッハッハ。面白い事を言う小僧だ。我は魔族も魔王にも興味は無い。我は強者を求めて漂泊する精霊獣だ。強き者に会いにここまで来たのだ。魔族共は我に着いて来たに過ぎん。」
「な、なんだって。じゃあこの騒動はあんたが持って来た様なものじゃないか。」
「そうなるのかな? 我は魔族にも人間にも興味は無い。なに、この地にいるであろう? 破格の強き者が。そやつに会いに来たのだ。」
悪びれる事もなくウルフェンはそう言ってのける。それに黙っていなかったのはロン・チェイニーであった。
「この地にいる強き者って…… まさか! そんなのに合わせる訳にはいかないだろう! 」
「ほほう。ではどうするのだ。」
「ここであんたを止める。」
ロンは自分でそう言っておいて即座に後悔した。今まさに自分から死地に飛び込んだ事が明白だからだ。ランペルをはじめとするコボルト達もアルジェントも目を丸くしてロンを見つめる。
だがウルフェンの反応はロンの想像していたものと少し違った。
「アッハッハ! やはり貴様は面白い奴だな。人間でありながら気難しいコボルトに気性の荒い獰猛なフェンリスウルフと一緒にいるのだ! 実に面白い。それに…… 」
そう言ってウルフェンは静かに両方の拳を顔の高さまで持ち上げる。
「先程のオークとの戦い方を見ておったぞ。爪も牙も持たぬ脆弱な人間でありながら武器も持たず素手で戦いおる。」
ウルフェンはそう言って掴みかかる様に掌を開き鋭い爪を露わにする。
「爪も牙も持たぬ人間でありながら我と同じ構えだ! 」
そう言ってオークハイよりも一回り大きい身体をたわめて全身に力をみなぎらせる。
「我が名はウルフェン。全ての獣達の始祖にして王! 我と同じ構えを取る者よ名は何と言う? 」
「僕の名前はロン。ロン・チェイニーだ。」
おっかなびっくりロンはそう応えるとウルフェンはニヤリと笑う。ロンはもはや生きた心地がしない。だがその拳は自然と顎先まで持ち上げられ、膝を軽く曲げ腰を落とす。
ロンは自然と構えをとっていた。
「我の気を浴びてなお構えるか、面白い! ロン・チェイニーか。汝の名覚えておいてやろう。さあ、かかって来い! 我を止めてみせるか! 」
奇しくも同じ構えの者同士の戦いが始まった。
いつもお読みいただきありがとうございます。




