83 剣
リュシアンはどうなってしまうのでしょう。
音も無く宙を舞うのは戦斧を持つオークハイの腕であった。
オークハイとリュシアンの間にあるはずの戦斧は消え、代わりに男が立っていた。
「リュシアン良く頑張ったね。それにジュールにエリーズも。」
そう言って優しく笑いかけるのはトムだった。
ウンド冒険者ギルドのギルドマスター。無類の強さを誇る上級上位の戦士が小さな冒険者三人の前に立ち、そしてオークハイの前に立ちはだかっていた。
あまりに急な出来事でリュシアンはおろか腕を斬り落とされたオークハイも自らの腕を断ち切られたにもかかわらず事態を飲み込めないでいた。
「遅くなってすまなかったね。もう大丈夫だよ。」
そう言ってフワリとリュシアンの頭をなぜるとトムはフイと消えてしまった。
リュシアンを始めジュールにエリーズが目をパチクリさせるのと、オークハイ達が吹き飛ぶのは同時だった。
オークハイ達は何が起こったのかまるで理解出来ていなかった。腕を吹き飛ばされたオークハイは背中から胸を貫かれ絶命した。
残る二体は武器を構える間も与えられる事は無かった。
トムの剣の一閃でオークハイは血飛沫を撒き散らしながら吹き飛んでいく。
実際には何十という斬撃をオークハイ達に浴びせ掛けていたのだが、居合わせたリュシアン達やウンドの住人達にはトムの余りにも速い斬撃を目で追う事が出来なかったのだ。
故に一撃。たった一撃でリュシアン達の目の前にいた三体のオークハイは血煙を撒き散らしながら落命したのである。正確にはした様に見えただが。
リュシアンが自身の死を意識した瞬間から、まばたき一つの間に事態が好転した。あまりの速さの展開にポカンとするリュシアンにジュールにエリーズだが、トムが剣に付いたオークハイの血を血振り一振りで振り払うブンッという風切る音で三者とも我にかえる。
最初に声を発したのはエリーズだった。
「トムさん!? トムさん! トムさぁん! うわぁああん!」
エリーズはトムの名前を連呼しながら駆け寄り、我慢していた感情が堰を切ったかのように溢れ感極まって泣いてしまった。
トムはすがりつくエリーズを優しく抱きしめて頭を撫ぜる。
「エリーズ、偉かったね。最後まで双剣を離さなかった。立派な剣士になったね。」
そう言って微笑むとトムは次いでジュールを見つめる。
「ジュール、最後までエリーズを守り抜いたね。君は誇るべき剣士だ。」
そう言ってジュールの目を見つめ深く頷いた。そうして最後にリュシアンに向き直る。
「リュシアン、見事な攻撃だった。百戦錬磨のオークハイの隙を突くとはね。もう一人前の剣士だね。」
そう言ってトムは三人に優しく微笑むとリュシアン、ジュール、エリーズは緊張の糸が切れたのかその場でわあわあ泣き出した。
一呼吸置いてトムは三人の頭を順に撫ぜると相好を優しく崩したままウンドの住人の方に振り返る。ウンドの住人達はいまだ固まったままであったが、トムがニコッと笑うと皆我にかえって大きく息を吐いて額に浮かんでいた冷や汗を拭う。
トムはそれをみて小さく頷くと再び三人に向き直り口を開く。
「ほら、いつまでも泣いてちゃいけないよ。君達はウンドの人達を安全に避難させる使命を帯びているんだから。しゃんとしなきゃね。」
その言葉を聞いたリュシアンはハッとして服の袖で涙を拭って、しゃくり上げそうになる息を強引にねじ伏せ口を真一文字に結ぶとジュールとエリーズに向き直る。
リュシアンに見つめられたジュールとエリーズも涙を拭ってお互いに頷き合う。
二人ももう大丈夫だと確認したリュシアンが口を開く。
「そうだね。ジュール、エリーズ! 僕達は僕達の仕事をしよう! 」
そう言ってリュシアンはトムに向き直る。
「トムさん危ないところをありがー」
ガアン!
リュシアンがトムにお礼の言葉を伝えようとした矢先、その鼻先をトムの剣が閃いた。
それと同時に鋭く鈍い音が辺りに響き渡る。
リュシアンが事態が理解できず目を白黒させていると、さらに続けて先程の鈍い音が数回聞こえてくる。
ガアン! ガアン! ガアン!
それが何者かによる攻撃であり、トムがそれを自らの剣で弾いているのだという事態を理解するのに間は掛からなかった。
トムが恐ろしく速く鋭い剣の一閃で、これまた見えぬ程速い攻撃を弾き返す。
その顔はいつになく真剣な表情であった。
リュシアンを始め居合わせた者達が驚き硬直している間もトムは見えぬ攻撃を弾き続けた。
何度か攻撃を弾いたトムは「フン!」と言う気合い一閃、強く鋭く見えぬ攻撃を弾き返した。
暫くの沈黙。先迄の武器がぶつかり合う鈍い音が嘘だったかの様な一瞬の静寂の後に、音も無くトムの前に男が現れる。
「え!?」
エリーズが思わず言葉をこぼす。リュシアンとジュールも言葉を発する事は無かったがエリーズと同じ気持ちだったろう。
その男の額から捩じくれた角がいく本か生えていたためでも、瞳が血の様に赤く染まっていたためでも無い。ウンドの街の住人ならまだしもエリーズ達はパイリラスといくばくかの交流があるため魔族の容姿が人とは少々違う異質なものであると承知していた。
その男が一目で魔族であるという事はわかった。そしてパイリラスの醸し出すなかば能天気とも取れる優しい雰囲気とは真逆の酷薄で冷徹な気配を漂わせているのも理解した。
理解出来なかったのは登場の仕方だ。
フイと気配がしたと思ったらそこに居たのだ。あたかも始めからそこに居たかの様に。トムはあの見えない攻撃を弾いていたと言う事は気がついていたのだろうか?
完全に気配を絶って相手に自らの剣の届く範囲まで近づけるなんて並大抵の者の出来る事では無い。さらには気配を消したまま攻撃を仕掛けるなど想像を絶する技量である。
目の前にいる魔族の男は異質だ。先のオークハイなど比べるべくも無い程の強者だ。それはもう佇まいでわかる。わかってしまった。
鈍く銀に光る全身鎧に身を包み、その上から分厚く黒い釣鐘型の外套を羽織っている。だらりと下げた手には真っ白な剣を握っており身の丈はトムの頭一つ分大きい。
見下ろす様な威圧感と殺意を孕んだ気配に気圧され、エリーズは息苦しさを感じるが、目の前に立ちはだかり守ってくれているトムは涼しい顔をしている。
「不意打ちとは卑怯じゃないか。それに子供を狙ったな。魔族はパイリラスの様な気概のある者ばかりでは無いのだね。」
動揺する者達とは違いトムは落ち着き払った態度で目の前にいる魔族の男と相対していた。しかし発するその言葉には珍しく少し怒気の様なものも感じられる。
「そうだ。少し試させて貰った。先程の斬撃を捌けぬ様ではお前はおろか、その後ろに控えている者達も死ぬ事には代わり無い。順番など関係ないであろ?」
魔族の男は冷たくも冷静にそう言ってのける。
「いや、気に入らないね。お前の相手は俺がするよ。この子達には手出しをさせ無い。」
トムはそう言って剣を構える。
「トマス・クルス・メイポーサ。お前を斬る者の名だ。」
短くそう言ってのけたトムに魔族の男は一瞬目を瞬いた後、薄く冷たい唇をニヤリと上げる。
「なるほど。ここに来るまでに何人か斬り捨てたが、他の者とは違う様だな。いいだろう。」
そう言うや男も剣を構える。
「我が名は、黄泉の白鴉レンミンカイネン・カウコミエリ。トマスよ貴様は我が剣に値するかな?」
「試してみるかい?」
トムはそう言い終わるやいなや一気にレンミンカイネンと距離を詰め鋭い突きを放つ。それを無駄の無い動きで弾くレンミンカイネン。
返す刃をトムに振り下ろすが、それはトムが受け止める。そこからレンミンカイネンは数度様々な角度からトムに連撃を浴びせかける。
トムはその攻撃をことごとく自らの剣で受け止める。何十という斬撃を受け止めるトムも負けてはおらず、恐ろしい速度で繰り出される連撃の隙を突いて鋭く反撃に移る。
レンミンカイネンの袈裟斬りを右に弾くと同時にトムは左に一歩踏み込み真一文字に剣を一閃させる。その斬撃をレンミンカイネンは後ろに身を引きながら剣で下から打ち上げる。
必然的にトムとレンミンカイネンの間には距離が出来る。
数瞬の隙を探り合うかの様な間の後、口を開いたのはレンミンカイネンであった。
「今の攻撃を全て受けきるとは、やはり他の人間とは格が違うな。フム、少々本気を出せそうだと思ったが...... 」
レンミンカイネンはそう呟きトムの持つ剣に視線を落とす。
「その様ななまくらな剣でさらに戦えるかな? この白剣トゥオネラは鋼鉄の剣ごときでは折れぬし断ち切れぬぞ。」
「それ!」と言ってレンミンカイネンは白剣トゥオネラを振るう。その斬撃もトムは打ち払ったのだがそこからが問題であった。
ガァンと鈍い音をたててレンミンカイネンの剣は弾かれるが、それがトムの持つ剣の最後の仕事となった。
ドサリと音をたてて刃が地面に落ちる。かたやトムの手には根本から刃が折れた剣が握られていた。何十回と高速で繰り出される白剣トゥオネラでの攻撃を受け止めたトムの鋼の剣はその衝撃に耐えきる事が出来ずとうとう折れてしまったのだ。
トムは驚きもせず自分の鋼の剣であった柄を眺めていたが、それを無造作に足元に落とすと薄く微笑む。その顔にはまだ余裕がある様だが、周りの人間にはそうは映らなかった。何故なら特別な剣を持つ魔族と素手の人間、どちらが強いかなど比べるべくも無いからだ。
「剣が折れてしまったぞ、トマスよ。どうする? どうやって戦う? 」
レンミンカイネンはその酷薄な表情から無感情に冷徹な目をトムに向けている。
「折れてしまったね。戦場ではよくある事だよ。それに戦場では武器には事欠かない。」
そう言ってトムは圧倒的に危機的な状況にいるにもかかわらず、どこ吹く風と辺りを見回す。そう、此処は戦場だ。戦う者達がいる戦場には武器がある。強者達が持つ武器が。生と死が混在する戦場には死者と同じ数だけ持ち主を失った武器が有るのだ。トムの周りには先程のオークハイの死骸と武器が転がっている。戦斧に剣に槍だ。
上級上位の戦士であるトムはこれらの武器を使いこなす技量がある。トムは足元に転がる持ち主のいなくなった武器を一瞥し薄く微笑む。そのトムを見て不快に口角を下げたのはレンミンカイネンであった。始めて感情らしいものを見せたレンミンカイネンは重そうに口を開く。
「武器にはこだわらないのか。どの様な得物でも良いと。それは敗れ果てた兵士のものであってもか。」
「そうだね。武器にこだわりを持った事は無いね。」
「なかなかの使い手と巡り会えたと思ったが、武器にこだわりが無い、か。少々卑しい戦い方をするのだな。少し気勢が削がれたぞ。」
そう言ってレンミンカイネンは自分の持つ剣に視線を落とす。刀身はおろか鐔から柄にかけてまで真っ白く輝く異質な剣。白剣トゥオネラはレンミンカイネンが数百年使い続ける魔剣である。
「なるほど。なかなかの業物を持っている様だね、良い相棒だ。俺はなかなか出会えなくてね。」
トムはレンミンカイネンの持つ剣を見て少し目を細める。レンミンカイネンは落としていた視線をトムに戻し口を開く。
「まあいい。そこに落ちているどの武器でも拾うがいい。武器にこだわりを持たないお前の腕前、どれ程のものか見せてみろ。」
「そうさせて貰おうかな。」
トムはそう言って腰に手を当て足元に転がる武器をくるりと見回す。魔鋼で作られた武器だがレンミンカイネンの持つ魔剣には到底及ぶまい。
「トムさん!」
突然トムを呼ぶ声が聞こえてくる。振り返るとエリーズが自分の剣の柄をトムに向かって差し出している。
「あ、あの、この剣を使って下さい! 私は二本持っているから...... 」
小さく震えながら自分の鉄剣を差し出すエリーズを見てトムは一瞬目を丸くしたが、すぐにその目を優しく細める。双剣使いは両手に持つ剣を攻守自在に使い分ける。二つ持っているからといって一ついらない訳では無い。
エリーズもそれはわかっている。だがトムのために自らの剣を差し出したのだ。その覚悟と気持ちをトムは大切に受け止めるようにして、エリーズからその双剣の片割れを受け取った。
「ありがとうエリーズ。これで存分に戦えるよ。」
トムはそう言ってエリーズの肩に手を当てる。
「さあ、もう行くんだ。リュシアンとジュールと一緒にウンドの人達を避難させるんだ。これはエリーズ達にしか出来ない大事な任務だよ。」
振り返るエリーズの背中を優しく押すトム。エリーズはリュシアン達のもとに駆け出すが途中で振り返る。
「負けないで!」そう叫んでエリーズは声を詰まらせる。そして双剣の片割れを強く握りしめ胸に抱き、意を決した様にトムを見据える。
「負けないで! ......お父さん負けないで! 」
エリーズがそう叫ぶと、リュシアンとジュールはハッとした様な表情を見せるやエリーズに続いて絶叫する。
「「お父さん負けないで!」」
リュシアンとジュールの声が合わさる。トムは優しく微笑みゆっくりと頷き、リュシアン達がウンドの住人を引き連れてその場を離れるのを見届けると踵を返しレンミンカイネンと相対する。
「おや、待っててくれたんだね。不意打ちをしてくるかと思ったけれど。」
「そこまで不粋ではないよ。いや、まあ気紛れであろうな。......貴様はあの子供達の父親なのか? 」
「いいや。違うよ。そうなら良いのにね。」
「そうか。」
「でも命をかけて守るに値する子達だね。」
「そのようだな。」
トムとレンミンカイネンはそう言葉を交わすと自らの得物を構える。
レンミンカイネンは白剣トゥオネラを、トムはエリーズの双剣の片割れを。
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