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82 墜ちる

いよいよ本格的に魔族との戦いが始まりそうです

 魔女同士の戦いは凄惨を極める。

魔女の戦い方とは、自然界に溢れるマナの力を利用し相手の体内に巡るオドの力に働きかける異質なものだからだ。


 ビローグがオークを爆弾に変質させ爆散させたのはこの力による。マナとは自然界に流れる巨大な力の奔流である。その力を持ってすればオドの力しか持たぬ人間を始めとした動物は如何様にも作り変える事が出来る。人間の中に流れるオドの力などマナの力とは比べるべくも無いほどちっぽけなものなのである。それはオドを内包する総量が人間と変わらぬオークを始めとする魔物にも同じ事が言える。


 もちろん魔女の体内にもオドが流れており、マナによって如何様にも変質させられるのではあるが、常在その身体の中をマナの通り道にしている魔女は少々の力を加えられたからといって無闇に身体を作り変えられるものでは無い。


 それが魔女同士の戦いを惨憺たるものにする。魔女は相対する魔女を変質させんとマナの奔流を相手にぶつけるのであるが、それを受けるのは同じく魔女である。自身の体内にうねるぶつけられたマナをさらに変質させ増幅し相手に返すのだ。

 その繰り返しなのである。魔女同士の戦いは。魔女の身体を通り変質に変質を重ねたマナは単純な力の奔流では無くなる。その一端に触れただけで魂すら変容させられてしまう様な異様な力になるのだ。

 そしてその異様な力は魔女が高位であればあるほど禍々しく変貌を遂げる。


 最終的に力に押し負けた者がそのマナを体内で罅ぜさせる事になる。それは死を意味するものでは無い。その変異は死よりも苛酷で惨い生命の終焉である。

 悪意を持って魔女の体内を通過したマナはマナでは無くなる。すなわち自然界に存在する力では無くなるのだ。それが何度も何度も魔女の身体を通って悪意ある力そのものになると、それを浴びた者は生命ある者では無くなる。かと言って死せる者になる訳でも無い。肉体も精神も破壊変容させられ苦痛と混濁の中で千遍に砕け散る事になる。


魔女同士の戦いの果てにあるのは虚無である。


 ビローグがその白くしなやかな手をヴァリアンテに向かって前に突き出し、何かを握り潰さんとする様に力強くその細く美しい指を内側に折り曲げる。


 ビローグの前方、少し離れた所に立っていたヴァリアンテの胸がバリバリバリと異様な音を立てて波打つ。分厚いローブを着込んでいるヴァリアンテの胸が側で目で見てもはっきりと分かるくらいにあからさま内側へ収縮する。


 ヴァリアンテはその口から真っ直ぐ糸を引くようにとうとうと血を吐く。その血は止まる事なく止めどなく流れ出て来る。

 その血を無感動に表情を動かす事無く見つめるヴァリアンテとは対照的にビローグは腹を捩らんばかりに大袈裟にのけ反らせ嬌声をあげる。


「ぎゃぃやあはははは! 何だその体たらくは! アンタ耄碌したんじゃないのかい? これしきのマナも受け止めれないなんてね。」


 ビローグの嘲笑めいた言葉もまるで意に介さないといった面持ちでヴァリアンテは穿たれた自身の胸を見つめているが、少し眉根を寄せ小さく唸ると醜く変容していた胸はゆっくりと膨らみ元の形に戻る。

 そこから初めてビローグを睥睨すると、ヴァリアンテは口の中に残っていた血塊を吐き捨て血濡れた歯を剥き出しにしてガラガラとしゃがれた声を発する。


「ビローグ、少し見ない間にマナの扱いが上手くなったじゃないか。私の胸を抉るなんてなかなかやるもんだ。」


「へん! それよりも驚きなのはアンタのマナの弱さだよ。昔はあんなに膨大なマナを手足の様に操っていたのにね。年老いて枯凋したか、糞みたいな人間と狎れ合って衰えたか…… 」


 憐憫と侮蔑の眼差を投げつけるビローグにヴァリアンテは血塗れの歯を剥き出して不適に笑う。


「そう言うお前はマナの総量が大きくなったね。昔と比べて随分と魔女らしくなってるじゃないか。」


「アンタをぶっ殺す為だけに力を磨いてきたんだ。だが、折角この数百年の間練り上げてきた力も思う存分奮う事が出来なさそうだ。ヴァリアンテェェ、そんな体たらくじゃ私が本気を出す前にくたばっちまうねぇえ。」


 ビローグはそう言いながら再びその手を突き出し何かを抉る様な仕草をみせる。

 その途端、ヴァリアンテの下腹部が大きく歪んで捻じ切れるのがローブ越しにもはっきりと見て取れた。


 ヴァリアンテは大きく身体を揺らし二、三歩後退すると、その足下には脚を伝って流れ出た血が血溜まりとなって広がっていた。


「ぎゃはは! 大丈夫かヴァリアンテ、今ので随分と内臓をひり出した様だけど、もうくたばっちまうなんて事はないだろうね! 」


 嘲笑混じりのビローグの言葉に、ヴァリアンテは自身の足下に広がる血溜まりを見て口角を歪に歪める。


「成る程、本当に大した力だ。随分とマナを練り上げてるね。しかしこのマナの掌握の仕方、乱暴だがお前の流儀じゃないね。誰に教わった!? あの獣の精霊か? 」


 ヴァリアンテは血反吐を吐きながらもガラガラといつものしゃがれた声で嘲笑混じりにビローグに問うや、ビローグはやにわに顔を怒りで歪め火を吐く勢いでヴァリアンテに食って掛かる。


「うるせえぇぇえ! コレは私の力だよ! 私のモンだ! あの毛むくじゃらには切っ掛けを貰ったに過ぎない! 」


「っへ! 物は言いようだね、まあ私にゃ関係の無い事だから何とでも嘯いてりゃ良いけれどね。」


「黙れ、黙れ! 黙れぇぇええ! アンタを喰らって、いずれあの精霊も喰らい尽くしてやるんだよ!ぎぃゃあはははは! 」


 身を震わせ狂った様に嬌声を上げるビローグを睥睨し嘆息するヴァリアンテ。


「アンタにゃ無理だね。今ので決定的に分かっちまった。ビローグ、お前はマナも精霊もその掌に攫む事は能わない。器では無いよ。」


 そう言ってヴァリアンテは先程とは打って変わって憐憫の眼差しをビローグに向けるや、その視線にビローグはさらに激昂する。


「老いさらばえて耄碌した婆ァが世迷言をほざくんじゃ無えぇぇ! 今じゃ私の足下にも及ばないマナしか扱えない癖に大口叩くんじゃねえ! 大人しく私に喰われちまいなぁぁあ! 」


「本当に煩い糞婆だね。そう易々と私がやられる訳がないだろう。」


 そう言ってヴァリアンテはバキバキと背筋を伸ばし、ボキボキと両手を広げる。


「風の精霊シルウェストレよ! 蛇紋石の精霊オフィティスよ! 私に力を貸しとくれ。この刹那、岩をも操る力を授けておくれ。」


 ヴァリアンテがそう言うや周りに散乱する倒壊した建物の瓦礫の数々が宙に浮き、猛烈な勢いでビローグに降り注がれる。

 数多の瓦礫がビローグに激突し、あっという間にビローグは瓦礫に埋もれてその姿を消す。


 「フウ」と小さく溜息を吐いたヴァリアンテはうず高く積み上げられた瓦礫を渋面を作ったまま睨みつけている。


「ッチ…… これくらいじゃビローグの婆ァはおっ死ぬ事は無いか。マナどころかオドすら減って無いね。」


 ヴァリアンテがそう言うや眼前の瓦礫の山が内側から破裂するかの様に弾け飛ぶ。


「ハァッハッハッハァァ! 何だいこの石ころ転がすだけのチンケな攻撃は、ヴァリアンテェ、アンタ本当にどうしちまったんだい!? もう満足にマナも扱えないのかい? 」


 ビローグの嬌声にヴァリアンテは舌打ちしながらもバキバキと身体を鳴らしながら右手をかざす。

 しかしヴァリアンテは右手をかざしたまま怪訝な顔をする。


「ギィイィアッハッハッハ! シルウェストレもオフィティスももうアンタの下に居ないよ! アタシが貰ってやった! アンタもう精霊も掌握出来ないんだね。ギィヒッヒッヒヒィ! 」


ビローグは絶笑しながら今度は自らが右手をヴァリアンテに向かいかざす。


「アンタに返してやるよ。吹っ飛びなぁ! 唸れシルウェストレ! 」


 ビローグが叫ぶや、ビローグの周りから砂埃を上げ猛烈な勢いで風の塊と言っても過言で無い圧力がヴァリアンテに吹き荒ぶ。


 避ける間も無く突風はヴァリアンテを捉えるや、彼女を引き裂きながら周りの地面や瓦礫諸共はるか後方にまとめて吹き飛ばす。


 真一文字に後方に吹き飛ばされたヴァリアンテは一緒に吹き飛ばされた瓦礫と共に建物に突っ込むや、ヴァリアンテに激突された建物は大きな音を立てて盛大に倒壊する。


 もうもうと煙を立ち込める瓦礫に埋まるヴァリアンテを見て一瞬拍子抜けした様な呆けた顔を見せたビローグだが、すぐに口角を歪に上げ嘲笑の声をあげる。


「ギィヒャッハァアー! 紙切れみたいに飛んでいったね、アンタの掌握していたシルウェストレで! ……おぉい! 今のでおっ死んじまったって事は無いよなぁぁあ。」


 ビローグの嬌声は徐々に苛立たしげなものに変わっていく。


 切歯するビローグの眼前には瓦礫がもうもうと土煙を立て静かに横たわる。その瓦礫の下から這い出して来たヴァリアンテは全身が血塗れて、黒い筈のローブは白く煤け引き裂かれ惨めに身体に張り付くばかりになっている。


 ゆらゆらと立ち上がったヴァリアンテを見てビローグは目を丸く見開き絶句する。


 血濡れたヴァリアンテのローブは右の肩から腰にかけ大きく引き裂かれていた。ビローグが言葉を詰まらせたのは無残に裂けたローブを見たからでは無い。

 ヴァリアンテのその身体であった。


 血と粉塵で汚れたその身は痩せ細り骨張ってあたかも老婆の様である。もちろん齢八百歳を越えるであろう魔女である。人間の身からすると老いを遥かに超えた長寿であるが艶のあるその顔は若々しく、ローブの下に弱々しく枯れた身体が隠れているとは思いもよらないだろう。


 裂けたローブから見える身体は細く節くれだち、あばら骨が浮き出る胸には萎んで垂れた乳房が張り付いている。


 バリバリと大きな音を立てて歯軋りしたのはビローグであった。


「何だその汚ねえ身体は!? まるで骸骨じゃねえか! マナどころかオドまで枯れ果ててるじゃねえか! テメエ魔女か? 本当に魔女ヴァリアンテなのか!? 」


「ああ、私はヴァリアンテだよ。……ふぅ、マナもオドも枯れている訳じゃあ無いんだけれどね。」


「……くだらねえ。くだらねえぇぇ…… アタシはこんな半分くたばってる様なボロ雑巾を仇敵だと思ってたのかい。情け無ぇ、ヴァリアンテお前も情け無えが、アタシも情け無ぇえ。こんなのに八百年も怯えていたなんてねぇぇ。」


 ビローグは憤怒とも憐憫ともとれる様な複雑怪奇な顔を見せると右手を前に突き出す。

 同じくしてヴァリアンテも表情なく血塗れた右手を前に突き出した。


 お互いその手で虚空を握り締めたのは同時であったが、歪に折れ曲がり捻くれたのはヴァリアンテの腕であった。

 皮膚を破り骨を突き出し血を吹く腕を眺めるヴァリアンテの顔があらぬ方向を向き、その首が捻り折られる。


「ッチ。ビローグがここまで強くなってるとはね。ウルフェンがあっちに付いてるとは誤算だった…… 」


 ヴァリアンテは在らぬ方向を向いた顔を苦渋に歪め、血反吐の固まりを吐きながらガラガラと何時にも増してしゃがれた声で独り言ちた。




 その頃ロン・チェイニーは無闇に街中を奔走していた。


 はぐれた仲間と合流する為でもあるし、回復と攻撃をするための遊撃手として各所を飛び回っているだろうエルザを探すためでもあった。

 この混乱は想定していたものを遥かに越える不測の事態と言っても過言ではないだろうとロンは考えていた。


 そんな時に脳裡に浮かんだものは我が身の心配ではなく、エルザの顔であった。


 そこかしこを走り回っていると当然の事ながらオークやオークハイと出くわすが、それらもいちいち撃破していたので遅々として捜索は進まなかった。

 何故ならまだ避難途中のウンドの住人がちらほらといたからである。その住人達に襲い掛かるオーク共を蹴散らし、いずれウンドの住人を襲うであろうオークハイ達も見つけ次第に残らず蹴散らしていたのである。


 ロンとしてはエルザも心配なのではあるが、目の前で危険に晒されているウンドの人々もまた見過ごす事が出来ないのである。


「うーん、皆んな何処にいるんだろ。ていうか意外と避難しきれていない街の人が多いな。これはチョット不味いかもしれないな。」


辺りを見回しながらロンは耳を傾けて悲鳴や絶叫のする方へ駆け出すのであった。



 その様な最中ウンドの住人を避難誘導中のリュシアン、ジュール、エリーズの見習い冒険者達の下にもオークハイ達の魔の手が迫っていた。


 聡明な顔立ちの短く刈り込んだ金髪が特徴なのリュシアンは三人の中では一番の年長で、先頭に立ち皆を引っ張る統率力を持つ。二つ年下のジュールは未だ少し幼さの残る顔立ちの少年だが深い茶色の少し巻毛気味の髪の毛の間から見える碧眼は凛として力強く光っている。さらにそれより一つ年下の最年少のエリーズは明るい灰色気味の金髪をお下げにしており、少々自信なさげな下がった目尻が頼り無さげに見えるが、その実は双剣使いのはしっこい女の子である。リュシアン、ジュールの年上の剣士見習いに引けを取らない強さを持つ。


 この三人はギルドマスターのトムを師とし、その実力を短い期間でグンと伸ばした者達である。


 しかし、そこはまだ年端もいかぬ少年少女である。オークハイ達に狙われたらひとたまりも無いだろう。


 そこは勝手知ったる街中を避難する三人である。警戒を怠らず慎重に歩みを進めていれば見つかる事も無く、無事に避難出来るであろう。

 だがこの時、ウンドの住人を避難誘導している三人は少々浮ついて油断していた。


 先程の道程でリュシアン、ジュール、エリーズの見習い冒険者三人はオークを一体倒していたのだ。


 避難のために路地裏を駆けている時にはぐれオークと出くわしたのである。先程のビローグの城壁爆破の煽りを受け吹き飛ばされた手負いのオークである。


 突然のオークとの遭遇に三人だけでなく避難中の住人達も驚くが、直ぐに我に返ったリュシアンは後の二人に目配せし、自分は気合一閃に大上段に剣を振り下ろした。


 突然の事でオークも面食らったのであろう、リュシアンの剣を思わず受け止めた。そこに隙を見せたオークの背後に素早く回り込みエリーズが双剣でオークの両膝の裏を切り裂く。両脚の腱を断ち切られたオークはその場に倒れ伏すやジュールに胸を貫かれ断末魔の声も上げれぬまま絶命した。


 この三人の目にも止まらぬ連携技はトム直伝のものであるが、その活躍に喜び勇んだのはウンドの住人達である。口々に賛辞を送る人達に子供達は恥ずかしさもある事ながら同時に誇らしくも感じていた。


 だがコレが良くなかった。隠密の逃避行動であるはずの避難誘導に繊細さを欠く油断を生じさせたのだ。これは年端もいかぬ子供達のため仕方のない事なのではあるが時と場所が良くなかった。


 今この場所はオークやオークハイといった醜怪極まる魔物が跳梁跋扈する戦場である。油断はそのまま死を意味する。


「ハハッ、さっきのリュシアンにエリーズは凄かったね! リュシアンは素早く、エリーズ抜け目なかった。僕達でオークをやっつけちゃうなんてね! 」


 興奮冷めやらぬジュールが抜き身のままの剣を握り締め声高く喋っていると、エリーズが少々不安そうな顔を見せる。


「ジュール、あんまり大きな声で喋ってちゃダメよ。オークに見つかっちゃうわ。」


そう言うエリーズにジュールは得意げな目でニッコリ笑いかける。


「僕達三人いれば大丈夫だよ。それにエリーズは僕が守ってあげる。約束する。」


 それを聞いてエリーズもはにかみながらも小さく頷く。リュシアンはそんな二人を嬉しそうに見ながらも口を開く。


「それでもジュール、それにエリーズも油断はしちゃいけないよ。本当はグリエロにもトムさんにも交戦は禁止されてるんだから。」


「うぅ、そうよね。気をつけなきゃね。」


 リュシアンに軽くたしなめられ、エリーズが少し肩を落とすと、ジュールもバツの悪そうな顔を見せるが直ぐに気を取り直し真っ直ぐリュシアンを見つめる。


「うん、そうだね。リュシアンの言う通りだ。僕達の仕事は街の皆んなの避難だもんね。」


 そう言って三人はお互い目配せして頷き合う。真剣な顔のジュールとエリーズを見て今度はリュシアンが顔を綻ばせる。


「そうだよね。気をつけよう。僕達三人で頑張ればきっとやり遂げる事が出来るよ。トムさんに教わった連携技で力を合わせよう! 」


 そう言ってリュシアンが拳を上げるとジュールがそれに合わせて拳を軽くぶつける。それを見てエリーズはクスクスと笑っていた。


 そこに不意に邪悪な咆哮がぶつけられる。オークハイの威嚇だ。声のする方に三人が向き直るとそこには三体のオークハイが獲物を狙う猛獣の様な目でこちらを睥睨しているのが見て取れた。


 「ヒィィ!」恐怖にかすれた声をあげ腰を抜かしたのは避難するためにリュシアン達に追従していたウンドの住人の一人である。他の住人達も腰こそ抜かさないまでも恐怖に硬直してしまっている。


 それも無理からぬ事だ。いま目の前に迫り来るのはオークハイである。その身はオークよりも一回りは太く大きい上に、凶暴に隆起する筋骨を覆う魔鋼の鎧に身を包むその姿は破壊の権化、暴悪そのものである。恐怖をするなと言う方が無理な注文である。


 それはリュシアン達三人も同じ事であった。先程撃破したオークとは明らかに違う。一目でその力の差を感じ取った。そのあからさまに格の違う暴力が三体も迫っている。


 年端もいかぬ子供達には荷の重過ぎる敵だ。


 三人の脳裡に浮かぶのが五年前の故郷ジリヤの街の惨劇であった。リュシアン、ジュール、エリーズは共に家族をオーク共に惨殺された孤児達である。その時の恐怖が脳裡に去来する。


 だがそうあっても三人は、震える手に剣を握りしめて住人達の前に立ち、オークハイの前に立ちはだかった。


これ以上無い恐怖に身をすくませる三人だが、同時に三人の胸中に思い出されたのはグリエロをはじめとするトムやブランシェトなどの冒険者達の姿だった。ブランシェト達は自らを父母と呼ぶ事を許容し、トムは三人に生きる術を教えようと言ってくれた。


 家族を喪い生きる望みを失った孤児たちだったが、ジリヤの街の戦いで生き残った孤児達を救い出したグリエロら上級職の冒険者たちがリュシアン達に生きる術を与えてくれた。彼らは本当の父母ではなく、さらには父母に成り代われる訳でも無いが、それでも親身になって彼ら彼女らを庇護し教え導いた。

 

 ウンドの新たな家族がこの小さな剣士達に立ち向かう力を与えた。尊厳を奪われた孤児達に一個人の人間として生きる誇りを取り戻させた。その力が自分達を迎え入れてくれたウンドの街に住む住人達を守るために向けられた。


 だが力の差は歴然としている。オークハイの一薙ぎで彼らは命を露と散らしてしまうだろう。


 しかしリュシアン、ジュール、エリーズのまだ年端もいかない子供三人に他にどの様な選択肢があっただろう。


 オークハイは眼前に立ちはだかる小さな剣士達を大上段から睥睨し、さらにもう一度吼え猛り手に持つ大きな戦斧を地面に叩きつけた。

 地響きの様なその音にエリーズは小さく「ヒッ」と呻くと腰を抜かしてその場に伏せてしまう。


 エリーズはそれでも双剣を両手から離さなかった。震える手に双剣を握り締め、なんとか気持ちを奮い立たそうとする。しかしエリーズの目からは自分の意思とは裏腹に涙がとめどなく零れ落ち視界をぼやかせる。


 エリーズににじり寄るオークハイの前に立ち塞がったのはジュールだった。歯の根も合わずガチガチと音を鳴らし全身をガタガタ震えさせるジュールだが、その目は真っ直ぐオークハイを見据えていた。


 歯の根が合わず震える口から小さく絶え絶えに出た言葉はエリーズにかけられる。


「エ、エリーズ、に、に、逃げて。ここ、ここは僕が引き受け、る、から…… 」


「え、え、え!? ジュール、ジュールはどうする ……の!? 」


「ぼ、僕はエリーズを守る! 」


 ジュールは歯をくいしばり、強く強く剣を握り締める。


「うあああ! 」


挫けそうになる身体を心で奮い立たせ、何とか一歩を踏み出し自分の三倍はあろうかという身の丈のオークハイに向かって刃を向けるが、ジュールの剣は事も無くオークハイの戦斧に弾かれてしまう。


 自分の無力さに悔しさを滲ませる表情を浮かべるジュールに対しオークハイは獰猛な笑みを浮かべる。


「やあっ! 」


 一瞬の隙を突いてリュシアンが死角からオークハイの脇腹に剣を突き立てる。ジュールがオークハイの気を引きつけ、リュシアンがその隙を突いた。

 オークハイを前にジュールが決死の覚悟でオークハイの油断を誘ったのだ。トムに教わり、何度も何度も身体が覚え込むまで繰り返した連携技の動きの応用だった。


 「ガツン」と鈍い音をたててリュシアンの剣は魔鋼の鎧に弾かれる。決死の攻撃は無情にもオークハイに届かなかった。よしんば魔鋼の鎧が無かったとしてもリュシアンの子供の膂力ではオークハイの分厚い皮膚は貫けなかったであろうが。


 オークハイは悠然とリュシアンを見下ろして、獲物を狙うかの様な冷たい眼光をリュシアンに向ける。


 射竦められたリュシアンはその場で硬直してしまう。


 獲物をジュールからリュシアンに移し替えたオークハイは大きな戦斧をリュシアンの頭上に高く掲げ上段に構える。


 それを見たジュールとエリーズは身を強張らせ絶望に絶句する。


 まさに足を矢で射竦められたかの様に動く事の出来ないリュシアンの頭上にオークハイの戦斧は無情にも振り下ろされた。

いつもお読みいただきありがとうございます。

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