73 エス・ディの技
エス・ディが側防塔に戻って来ます
エス・ディが側防塔に戻って来たのは正午を過ぎて日もかなり高くなった頃合いである。
最上階の見張り部屋に入ると空気が若干冷えている事に気がつく。ヴァリアンテが少々苛立っているのであろう。
エス・ディは気にせず窓の外を見ているヴァリアンテに声をかける。
「おう、ヴァリアンテ待たせたな。」
見張りの窓から外を見つめるヴァリアンテはエス・ディに振り返る事なくガラガラと喉を鳴らす。
「ああ、エス・ディかい。早かったね。もういいのかい?」
外を見ながら問いかけてくるヴァリアンテにエス・ディは怪訝な顔をする。
「ポレットは大丈夫だ。ガキ共は皆んな上手くやってるみたいだな。
...豚共の動きに何か変化があったのか?」
「いいや。侵攻速度は変わらないね。ただ隠蔽魔法の掛け方がいやに厳重だね。随分と近づいて来たから隠蔽魔法を打ち破ってやろうかと思ったんだがね... こりゃビローグの婆ァだけの力じゃないね。ビローグの操るマナの流れを助けている奴がいるね。」
「魔族にゃそんな芸当が出来る奴がいるのか?」
エス・ディが少し驚いた様な顔をしてヴァリアンテに問う。
魔女達の操る魔力には二種類ある。マナとオドだ。
オドとは生物の中を流れる力の事であり、大なり小なり大きさの違いはあるが通常は人の身体の中にも流れている。
黒魔導師や白魔術師などの魔法使い達の言う所のいわゆる魔力というものである。世間一般にはこの魔力と言う呼称が広く知れ渡っているが、魔女が魔力という力を表現する時はオドと呼び方をする。
それは人の持つ魔力であるオドと対を成す力であるマナも魔女達が操るからである。
マナとは自然の中に存在する力の奔流であると言っていい。それはどこにでも存在する。路傍の石であろうと、名も無き草木であろうとも。
それはこの世のどこにでもあるもので、大地に宿り、水に宿り、大気に宿る。全てのものに宿る魔力であるマナは生物の小さな身体に宿るオドとは比べものにならない程大きなものである。
それ故に人の手には余る。もし人がマナの力の一端でも使おうと思ったならば精霊の力を借りねばならない。精霊とはマナの力が大樹の樹液の様に凝り固まり意思を持った存在である。
ただ大地や大気の力、いわゆる自然そのものである精霊の力を借り受ける事は並大抵の事ではなく、おいそれと使えるものではない。精霊との対話を通して、精霊に認められた者でないと扱う事が出来ない。
自然から離れ文明の中で生きる人間に滅多に精霊使いがいないのはそのためである。逆にエルフなど自然と寄り添って生きる種族は精霊の力を使えないまでも、精霊との対話くらい出来る者は多い。
精霊の力を借りてマナの力を借り受けるだけではなく、マナそのものの力に直に触れ扱う事が出来る者が魔女と呼ばれる存在である。
魔女にはなろうと思ってなれるものでは無く、自然や精霊に愛される者でないとなれない。ある種の資質や才能が無ければ魔女にはなれないのである。
あらゆるものを喰らい破壊せんとする魔族は精霊に愛される筈も無く、魔族の中には魔女は滅多にいない。
殺伐とした魔族の世界を厭い、他者に対し敬意を持てるパイリラスは風の精霊シルウェストレと対話が出来るだけでなくその力を行使出来るが、これはかなり珍しく魔族の中においては特異な存在だ。ただ魔族の中においては精霊に対する理解が無いためパイリラスは稀少な精霊使いであるにもかかわらず重要視される事もなく、先の大戦ではただの伝令として使われていた。
もし使いっ走りでは無く、魔族の戦列に加わっていれば戦局が変わっていただろう事は想像に難くないのであるが魔族はもとよりパイリラス本人も気付いてはいない。
魔女とは稀有な存在であり、マナを行使する事もおいそれと出来る事では無い。ましてや只今のビローグが組みしている魔族の中にはビローグを助けマナの流れを補助できる様な者などいる様には思えない。
マナは魔女の力の源であるが、それ以外の者にとっては大き過ぎる力なのである。
「ッチ!...ビローグの婆ァは一体どこのどいつに力を借りているんだろうね... あの隠蔽魔法を破るのは事だよ。」
ヴァリアンテはそう言うと不愉快そうに歯をバリバリと噛み締める。
「ヴァリアンテよ、そのビローグってぇ魔女が一人でマナを操っているって事はねえのかよ?」
エス・ディの疑問にヴァリアンテは首を振る。
「ビローグの婆ァは我儘で精霊の扱いが荒いからね、マナには嫌われてんのさ。
...しかし原因がわからないとは言え、ここで手を拱いている訳にもいかないね。エス・ディ、あんたその弓はどれくらいの距離を飛ばせるんだね?」
「ん!?俺か?まあ一里くらいは飛ばせるんじゃねえか?」
エス・ディがそう答えるとヴァリアンテが眉根を寄せる。
「一里だって!?あんたもいよいよ化け物だね。今時の魔弾の射手だってその半分も飛ばないよ。
しかしまあそれだけ飛ぶなら重畳だ。あんたの放つ矢にマナを乗せて奴らの下まで破邪魔法を飛ばしてやろうじゃないか。」
そう言ってヴァリアンテが妖しく笑うと、エス・ディが首を傾げる。
「何だ?矢は届かなくていいのか?豚共はまだ二十里くらいは離れているぜ。いくら何でもそこまで俺の矢は届かねえぞ。」
「いや大丈夫だよ。あんたの矢に風の精霊を乗せてマナを運んでもらう。あんたの矢は魔術に勢いを乗せる発射台みたいなものさね。一里も飛ぶ矢ならかなり複雑な魔女術式を展開させる事が出来そうだ。」
「なんでい。矢を当てるんじゃなくて飛ばすだけならその倍は飛ばせる事が出来るんじゃねえか?」
しれっと答えるエス・ディに流石のヴァリアンテも眉根を寄せる。
「はぁ!?あんた、それ本気で言ってるのかい?そんなこと出来るならその腕一本で一国を滅ぼせそうだね。...まあ、いいやね。話し半分で聞いても大したもんだ。その二里は飛ぼうかと言う矢はあんたが今肩から下げているその弓で放てるもんなのかい?」
ヴァリアンテが呆れた顔を見せながらもエス・ディにそう問いかけると、当のアーチャーは「いけねえ」と一つ呟いた。
「この弓矢じゃあ無理だな。俺が本気で弓を引いたらへし折れちまうな。矢だって飛んだら飛んだで風圧ですぐに潰れてそんなに飛ばねえよ。
...ちょいと待っててくれねえか。冒険者ギルドに弓矢を預けてあんだ。一走り行って取ってくらあ。」
「ああ、アレを持って来るんだね。サッサと行ってきな。」
ヴァリアンテがそう言うやエス・ディはそれこそ矢の様に側防塔を飛び出して行った。
しばらくするとエス・ディがミナを引き連れて側防塔に戻って来る。
ズカズカと見張り部屋に入って来るエス・ディの後ろに続いて怪訝な顔をしたミナが一抱えもある長弓を持って入って来る。
「ヴァリアンテ何をする気なの?エス・ディの説明が下手すぎて要領を得ないのよ。
...確かにこの弓はエス・ディの物だけど、エス・ディみたいな後先考えないお馬鹿さんが矢を放ったら衝撃でどんな被害が出るかわからないのよ... 」
「おい、お馬鹿ってなんでい!?俺だって加減は出来らい!」
エス・ディが憤懣やるかたないと言う態度を見せると、逆に怒りを露わにしたのはミナの方であった。
「貴方が昔、レイネの町に現れた竜蛇を討伐した時の事憶えてる!?貴方が放った矢の衝撃で町の半分が吹き飛んだんだからね!
幸い町民は避難してたから怪我人も出なかったけれども、竜蛇の討伐代と竜蛇の素材を全部売っても貴方が壊したレイネの町の修復費に足りなくてギルドは大赤字を出したの忘れたの!」
ミナの言葉にエス・ディは若干目を泳がせる。
「う、あぁ、あれな... でもよ、あの竜蛇はダマヴァンド火山で生まれた最悪の邪竜アジダハカだったんだぜ!?そりゃ本気で撃ち落とすだろ。」
「あの時、町から竜蛇まで一里くらい離れてたのよ!?それなのに町の真ん中で貴方は矢を放ったのよ!?そんなの町の外でやんなさいよ!」
「い、いや、急を要したんだよ。毒を吐き散らして辺り一帯を腐海の海に変えながらこっちに飛んで来てたんだよ!あん時ゃ直ぐに撃ち落とさなきゃヤバかったんだよ!」
「...竜蛇を撃ち落とした後、貴方近くの半壊した酒場で飲んだくれてたって報告書が上がってたんだけど...?」
「仕事の後には一杯やんだろうがよ!」
「どうせ飲みに行くのに都合のいい場所で矢を放ったんでしょ!」
「煉瓦作りの家があんなに脆いとは思うまいよ!」
と、そこまで言ってエス・ディは自らが語るに落ちた事に思い至る。
白い目で眼帯の男を睨むミナをなだめたのはヴァリアンテである。
「まあまあ。ミナ、そう怒りなさんな。その馬鹿を含めてウチのギルドの男共は台風みたいなものだ。文句を言っても石に灸をすえる様なもんだからね。
それに矢を射る事を頼んだのは私だよ。ビローグの魔女術を打ち破るのに難儀しててね。エス・ディに助力を頼んだんだよ。すまないがエス・ディにそいつを渡してやっておくれ。」
ミナもヴァリアンテに頭を下げられては嫌とは言え無いので不承不承と言った面持ちでエス・ディに弓を渡す。
「お!?いいのか?すまねえな!
いやあ、久しぶりにコイツと顔を合わせたぜ。...だが弓を張ってねえな。ミナ、コイツは十人張りだ。弦を張るのに人手が十人ばかり必要だ。」
そう言ってチラリとミナを見ると、ため息を吐いて見張り部屋の外を指差す。
「...側防塔の外にトムを始めギルドの男達を集めて来てるわ。弦は直ぐに張れます。」
そう言って力無くうなだれるミナを見てヴァリアンテは苦笑いする。
その時エス・ディはふと疑問を抱き首を捻る。
「そういやミナ、お前しれっと此処に居るがバロールの邪視は平気なのか?」
エス・ディの心配を他所にミナは何事もない様に平気でいる。
「あら、心配してくれるの!?ありがと。でも平気よ。こう見えても私は不死の眷族ですからね。邪視程度でどうこうならないわよ。」
そう言ってニッコリ笑う。
「なんだかんだで邪視が効かねえ奴はゴロゴロいやがるな。別に俺が此処に一人でへばり付いていなくても良いんじゃねえか?」
「じゃあ、さっそく弓に弦を張りましょ。」
そう言ってミナさっさと出て行ってしまう。ヴァリアンテも無言でノソノソと出て行ってしまった。
最後に部屋を出て行ったのは釈然としない顔をしたエス・ディである。
側防塔の下にはトムを始め、グリエロ、ロン、ハンスにおまけにランスとパイリラスがいた。
「おい、この弓は十人張りだって言っただろう!?こんだけしかいねえのかよ。」
エス・ディの本来装備しているはずの弓は竜の爪で作られたと言われるタスラムの弓である。
通常の弓が弦を張るために擁する人数というのは様々である。一人で張れるものから、威力を高めた弓ともなれば三人から多くて五人が必要である。
矢を遠くに飛ばす為には弓に強く弦を張らねばならないのだが、その弦を強く張ろうとすればするほど弓は堅くしならないものになる。そうなると三人張りであれば二人、五人張りになれば四人がかりの人間が弓をしならせ残りの一人がそのしならせた弓に弦を結えるのである。
エス・ディの弓はそれに文字通り輪をかけた十人張りの強弓である。常人では二人がかりでも引くことは出来ない様な弓なのである。
先程の言葉はエス・ディがミナの連れて来た者達の人数が足りない事についての苦言である。
しかしミナはエス・ディの苦言など意に介さぬといった顔で当たり前の様に言葉を返す。
「ギルドの男達がこれだけ居れば大丈夫でしょ。それにパイリラスはルドガーさんに力を抑えられたとはいえ、屈強な男二、三人分の力は出るみたいだし。」
飄々と言ってのけるミナだが、本当は手の空いているコボルト達を軒並み連れて来ようかと思ったのだが、コボルト達は身長が低く手を伸ばしても立てた弓に届かないため断念した。唯一手が届いたのは大柄なランスだけなのであった。
ちなみにロンとランスが駆り出された時点でエルザも来たいと言ったのだがレイネの町の顛末を知っているミナとブランシェトに全力で止められ断念している。
この様なやりとりがギルドであったのであるが、その様な事はおくびにも出さず、ミナはさも当然のようにこの人数で断行する。
「そら、エス・ディ私が弓に弦をかけてあげるから貴方も弓を押さえつけなさい!」
「わかってるよ!しゃあねえな、この人数でやるしかねえな。...おら、パイリラスは他の人間よりも馬力があるってんならここだ。トムとグリエロはこっちに来てだな... 残りはこっちに来て体重をかけろ。」
エス・ディがテキパキと指示を出して準備が整うと掛け声と共に地面に突き立てられた強弓タスラムが男達の手によって徐々に大きくしなってゆく。
「お、おう。こいつはキツイな。おいミナ、早く弦を張ってくれ!」
エス・ディの声にミナが手馴れた様子で弓に弦を張る。
「ほら、出来たじゃない。」
一仕事終えたといった顔でパンパンと手を払いながらミナが胸を張るが、額に汗を浮かべたエス・ディは憮然とした顔でミナを睨む。
「はあ、はあ、出来るも何もギリギリだったじゃねえか。今から一仕事するってのに余計な体力使わせんじゃねえよ!」
「うるさいわね!とにかく出来たんだからいいじゃない!」
ミナとエス・ディが言い合いを始めんとするがその二人の間にするりと入り込むのはトムである。
「まあまあ、上手く弓も張れたんだしサッサと片付けて一杯やろうよ。」
「明日は大事な日なのに飲んだくれようとしてどうするの!」
結局火に油を注ぐだけに終わる。
そこに恐る恐る入って来たのはロンである。
「それにしてもこの弓ってすごいですね。弦を引こうとしてもびくともしませんね。なのに思いのほか軽いんですね。」
「む、そうなのか!?どれ私にも引かせるのじゃ。」
そう言ってパイリラスはロンから弓を借り受けると勢いよく弓を引こうとするが、パイリラスを持ってしても弓はわずかに軋むだけだ。
「何と!凄まじい張力じゃな。力を抑えられているとはいえ私の力でもびくともせんとは。
...これは。そうか、竜爪か!」
ロンとパイリラスがそろって感嘆の声を出すとエス・ディは簡単に機嫌を直す。
「お?わかるか!?すげえ業物だろ?そいつは南海の原始樹海に住んでるドラゴンに貰った爪と髭で出来てんだ。
なんせ竜の身体の一部で出来てんだ素材を加工するのも難儀したが、出来上がってみりゃぁ扱うのにも一苦労だったな。どうにも弦が引けねえとんでもないものになっちまったからな。」
さらっと凄いことを言ってのけるエス・ディにロンは目を丸くする。
「それってすごいですね。素材をドラゴンから直に貰ったんですか?」
「おうよ。ひょんな事から仲良くなってな。」
「エス・ディさんってすごいですね。コボルトとも仲良いですし、ドラゴンとも仲良いんですね。すごい交友関係ですよね。」
「まあ、原始樹海の最奥で狩猟採掘生活してたからな。周りに人間がいないから必然的に魔物と仲良くなんだわ。」
魔物といっても様々で凶悪で獰猛な獣の様なものから、争いを好まない穏やかな種族まで人間と同様色々な性質を持つものがいる。
そもそも魔物と言う種は存在しない。人間から見たある種の蔑称とも言えるもので、広義に魔力を持つ人外の異質なモノと言う意味である。
したがって森林などに発生する魔力溜まりで生まれる魔力の凝り固まっただけの知性を持たないスライムであっても、コボルトやフェンリスウルフの様な知性ある獣も、まとめて魔物なのである。
さらには、低い知性と魔力をもつゴブリンやオークなどの他種族と見るや襲い掛かってくる危険な者達も魔物と呼ばれるので、世間一般の魔物に対する感情は決して良いものでは無い。
ドラゴンはまた別種の存在である。人間よりも遥かに昔、それこそ神代の時代から存在し人を超える高い知性と洞察を持ち長大な寿命と魔力を持つドラゴンは神と呼ばれる事もあれば魔物と呼ばれる事もある。
竜種と呼ばれるものも様々で、高い知性と魔力を持つリザードマンの様な人間と交流を持つ種族から、亜竜や竜蛇と呼ばれるワイバーンやワームなど獰猛で人間に仇なすものまで様々である。
その辺り竜種の線引きは曖昧でリザードマンは魔物とは呼ばれないがワイバーンは魔物と呼ばれる。
要は魔物と言う呼称は人間の勝手な呼び名であり、人間と姿形が似ており意志の疎通が出来る高い魔力を持った種族もひとたび仲違いして戦争が起きると魔族と呼ばれて辺境に追いやられるのだ。
まあ、この長い歴史ついては魔族にも非がない訳では無いのでどちらが悪いとは一概に論じる事は出来ないのだが。
そんなこんなでエス・ディはいわゆる魔物が跳梁跋扈する前人未踏の南海地方の原始樹海の最奥で狩猟採掘生活をしていたのだ。
「普通行くだけでも大変なのに、原始樹海に採掘や狩猟をしに行くんじゃなくて生活してたってすごいですね。エス・ディさんの強さの秘密ってそこにあるんですかね?
...ところで結局その弓ってどうやって引けるようになったんですか?」
そう言ってロンはそう言ってパイリラスが必死で引こうとしている弓を指してエス・ディに問いかける。
「ああ、結局どうにも埒が明かないってんで、素材をくれた本人に聞いてみたんだよ。」
それを聞いて驚いたのはパイリラスであった。
「な、なんと!?ドラゴンに教えを乞うたのか!下手をするとそのまま喰われかねんぞ?」
「んな事はなかろうよ。気の良いやつでな、俺がすぐに弓をへし折っちまうからってんで『折れない弓を作るがいい』ってんでな、爪と髭を引っこ抜いてくれたんだ。『見事使いこなしてみせよ』
つったな。」
しれっと答えるエス・ディにパイリラスは絶句する。
「伝承とか聴いてるとドラゴンって尊大だったり気難しい印象があるんですけどね。案外気さくって言うか大雑把なんですね。」
ロンが素朴な疑問を呈するとエス・ディはしみじみと言った顔をする。
「まあな。人間の数百倍から数千倍生きてる様な奴らだからな。細かい事は気にしない鷹揚な奴だったな。」
エス・ディが懐かしそうに目を細めると、パイリラスが痺れを切らしたようにエス・ディに詰め寄ってくる。
「それで!?ドラゴンに聞いたと言ったがどの様にしてその弓を引けるようになったのじゃ?」
「ああ、どうにも弓が引けねえってんでどうしたらいいか聞いたらよ『軟弱者め、我が鍛え直してやろう』つってよ、その日から地獄の特訓よ。」
エス・ディがヘラヘラと笑いながらそう答えると血相を変えたパイリラスがさらに詰め寄る。
「人の身でありながらドラゴンに師事したなど聞いたことがないぞ!一体どのような修業をしたというのだ?」
「どんなもこんなも... ただドラゴンと日がな一日押し合いへし合いしてただけなんだけどな。何回か潰されて死にかけたが、一年もすりゃ弓が引ける様になってたよ。」
淡々と答えるエス・ディにパイリラスはもとより居合わせた者たちは皆一様に絶句する。
一拍置いて「馬鹿だ」とミナが嘆息のもと一言ポツリともらすと張り詰めた様な場の空気がやっと壊れる。
大笑いしたのはトムである。
「アッハハハ!ミナ、馬鹿だ、は無いだろう!ハハハ!確かにエス・ディらしい逸話だがね。」
「おうよ、俺は真面目に話してるんだぜ。」
「ご、ごめんなさい。でもあまりにも常軌を逸してるって言うか、あまりにも突拍子が無いって言うか... ドラゴンに弓を貰ったって話しは聞いてたけれど、まさか一年間もドラゴンと押し合いっこしてたなんて想像もつかないわよ。」
さすがのミナも目を白黒させて忘我でいる。
それまで黙っていたヴァリアンテも一つ小さな溜息を吐いてエス・ディを見る。
「そうさね。噂にゃ聞いてたがこの男がここまで馬鹿なんてね。でも今の話しを聞いて納得したよ。アンタが本気で矢をぶっ放せば矢を二里も飛ばせるって言うのが馬鹿げた繰り言じゃ無いって事をね。」
「そうだね。じゃあ早速エス・ディの弓の腕前を見せて貰おうじゃあないか!」
トムが意気揚々とそう言うと、グリエロやハンスまでもが興味津々と言った顔で頷く。
「そうじゃな!是非その腕前を見てみたいぞ!」
パイリラスまでもがそれに乗る。
次々にやんややんやとエス・ディを煽る。
「よし!一丁やってやっか!ヴァリアンテ、俺の準備は出来てるぜ。」
そう言ってエス・ディは眼帯を外し深紅に光る竜眼を露わにする。
「そうかい。私もいつでも良いよ。弓に矢をつがえな、そこに精霊を乗せる。」
ヴァリアンテの言葉にエス・ディは黙ってうなずくと竜の爪で作られたタスラムの弓を構え矢をつがえる。
エス・ディがタスラムの弓につがえた矢はミスリルで作られたおいそれと使い捨てに出来る様なものではないのだが、鋼よりも強い靭性をもつミスリルくらいでないとエス・ディの持つ弓の弦を弾く衝撃に耐えられないのだ。
エス・ディは顔を上げ空を見上げると続いて弓を上空に向ける。
天に向く矢尻を見てロンは小さな声でグリエロに質問する。
「なあ、城壁を越えて矢を放たないといけないのはわかるんだけれど、あんなに矢を上に向けて射るものなのかな?」
「ああそうだ。飛距離を伸ばしたい時は発射角度を高くする必要があるんだよ。目標に向けて真っ直ぐ矢を射ると飛距離を稼げ無え。斜め上に打ち上げて放物線軌道を取るんだ。矢の遠距離攻撃は真っ直ぐ飛んでこねえ。落っこちて来るんだ。
今回はとんでもねえ長距離射撃だからな、あんなに高く矢をあげるんだろうな。」
グリエロの言葉にロンはなるほどとうなずく。
エス・ディは静かに狙いを定めると空の彼方を睨みつける。
するとやにわに背中から肩にかけての筋肉が盛り上がり続いて上腕から前腕にかけての筋肉が盛り上がる。
するとロンやパイリラスが引いてもびくともしなかった弦が勢いよく引かれ弓が折れんばかりに大きくしなる。
狙いを定め一瞬動きを止めるエス・ディ。
後ろに控えていたヴァリアンテが精霊を乗せるためエス・ディの肩にそっと触れる。
その時にポツリとトムが呟く。
「そういや俺たちここでのんびり見てて大丈夫なのかい?前にエス・ディが竜蛇アジダハカを討伐した時は周りが吹き飛んだんじゃなかったっけ?」
トムの言葉にミナが「っあ」と言った時にはもう遅かった。
耳をつん裂く爆音と空気を引き裂く様な衝撃波を放ちながら強弓は発射された。
ロンが掘り出された時には辺りは瓦礫の山になっていた。
「おう、ロン大丈夫か?お前さん気持ちいいくらい鮮やかに吹っ飛ばされてたな。」
「う、うん... すごい衝撃波だったな。今さっきのはヒーシを射った時とは比べものにならない衝撃だったよ。グリエロ、他のみんなは大丈夫だった?」
「ああ、皆無事だ。ランスも景気良くぶっ飛んでったが、お前さんが一番盛大に吹っ飛んでたな。
他の連中は腐っても上級職の冒険者だからな。
一番被害に遭ったのは見張り小屋やら倉庫みたいな建屋だな。見ての通り綺麗さっぱり無くなったぜ。」
そう言ってグリエロはぐるりと辺りを見回す。
見張り塔である側防塔のある城壁の近くは待機場である見張り小屋やギルドの物資をしまって置く倉庫などがあるくらいで民家や商店は無く、幸いにも被害は最小に抑えられた様だ。
怪我人といえば頭から地面にめり込んだ為に額から血を流すロンくらいのものである。
「そうか。ところでヴァリアンテさんの魔女術は上手くいったの?」
ロンがそう言うとグリエロは苦々しい顔をする。
「ああ、大成功だ。あちらさんの隠蔽魔法を見事に引っぺがしてオーク共を白日の下にさらけ出したぜ。」
「おお!さすがエス・ディにヴァリアンテさんだな。...どうしたんだグリエロ?上手くいったのに渋い顔してるな。」
「おう、今その事で皆と話し合っている所だ。着いて来い。」
そう言ってグリエロは歩き出す
少し歩いた所にトム達はいた。エス・ディが矢を放ったと思しき所は大きく陥没していた。
幸いにも城壁は無事な様だ。
近づくとトムが気付いて手を振ってくる。
「やあ、ロン君無事だったね。よし、これで皆んな集まったね。」
トムを始め一同はあまり晴れない顔をしている。
「どうしたんですか?向こうの魔女の隠蔽魔法は打ち破ったって聞きましたけれど...」
一拍の沈黙の後トムが苦笑いしながら頭を描いてため息混じりに口を開く。
「ああ、隠されていたオーク共の姿を見破ったんだけどね。オークはオークなんだけれど、かなりの数のオークが上位種のオークハイに進化している。しかも魔鋼で作られた武具で完全武装しているんだ。
あれだけの数の武具に魔鉱石を使っているとは... こりゃちょっと骨が折れそうだよ。」
それを聞いたロンは息をのんで絶句するが、トムは苦笑いしながらもどこか楽しそうに空を見上げる。
「魔族だけじゃなくてオークハイの一個大隊だなんてね。なかなか歯応えのありそうな相手じゃないか!ねえ、そう思わないかいロン君?」
そう言ってトムは悪戯っぽく笑う。
いよいよ決戦の時が近づいて来た。
各々が決意を秘めた目でお互いを見つめ合い小さくうなずく。
ロンもまた戦いへの決意に強く拳を握り締める。
さていよいよです。
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