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71 見張りの塔にて

ロンを見守る者がいます。

「アイツらは毎日々々飽きずによく走ってやがんな。」


蓬髪に眼帯の怪しげな風体の男が街を見下ろしながらそう呟く。


「アンタは外の見張りをする為にこの側防塔にいるんだろうが。のんびり街の中を見張ってるんじゃないよ。何の為にその大層な眼を持ってんだい?使えないんならガラス玉でも嵌めときな。」


ガラガラとしゃがれた声で悪態を吐くのは、漆黒のローブに身を包んだしゃがれた声からは想像出来ない妖艶な女性だ。


まだ夜も明けきらぬ早朝の薄明かりの下、ウンドの街の城壁の上に建てられた見張りの為の塔である側防塔の上にいるのは、ウンド冒険者ギルドの上級上位の冒険者であるアーチャーのエスラン・ディル・プリスケンことエス・ディと魔女のヴァリアンテである。


レンジャーのハンスが魔族の侵攻を察知してギルドに報告するため帰還して五日目、いよいよ魔族と魔族率いるオークの大隊の襲来が明日に迫った。



この二日前からアーチャーのエス・ディが見張りを買って出た。本来なら見張りはレンジャーや斥候の仕事なのだが、パイリラスがそれを止めたのだ。


魔族の中に、刺す眼バロール・ビルグデルクがいるからだ。バロールの遠見の術は見る者を射殺す邪眼である。並の野伏では見張りなどしようものならたちまち睨み殺されてしまうと言う。


バロールの邪視に抵抗出来るのは、それ相応の「眼」を持つ者ではならないとのパイリラスの言葉に不承不承と言った体で名乗りを上げたのがエス・ディだったのである。

見張りの様な敵情監視の情報活動は、その場に留まり続けないとならない忍耐のいる諜報戦なので、普段は不精者で通っているエス・ディが自ら手を挙げた事にロンやエルザは少々驚いたのだが、グリエロやタスリーマのような古参の冒険者が言うには「何だかんだ言っても一番面倒見が良いのはエス・ディである」と口を揃えて笑った。


思い返せば最近は午前中にはギルドの中庭で熱心にポレットに弓の扱い方を指導している。

口では「面倒だ」「やりたくねえ」などと悪態を吐いてはいるが、丁寧に根気強く技を教えているのは側で見ているとよく分かる上にポレットがエス・ディに非常に懐いている事からみても面倒見が良い事がわかる。


そう言う経緯でエス・ディは側防塔で監視をしている訳なのである。

ヴァリアンテについてはただの暇潰しだ。


先程の言葉はウンドの街全体を見渡せる側防塔の天辺から街中を見下ろした時に、早朝の走り込みをしているロンとエルザを見つけての台詞である。


「ああ、ちゃんと見張ってるよ。」


そう言ってエス・ディは眼帯を外して視線を街の中から外に移す。深紅に輝く竜眼を露わに眺める遥か先には陽炎の様に揺らめく黒い影がうっすらと見える


「まだまだ距離はあるがオーク共の侵攻速度は変わらねえな。結構な速さで進軍してら。ガムザティ原始林からずっとあの速度だとするとおっそろしい体力だな...

しかしまあ、この距離だと此方から何か仕掛ける事も出来ねえが、向こうさんも向こうさんで此方に何か仕掛けて来る事も出来ねえか... 出来る事と言ったら自軍を隠す隠蔽魔法くらいか?

...まあ、一つを除いてって事だけどな。本当にこの距離で届くんだな... 」


そう言ってエス・ディは眼を細める。

エス・ディの言葉に続いてヴァリアンテも視線を外に向け遥か彼方を見据えて不愉快そうに口角を歪める。


「確かに隠蔽魔法が掛かっているね。ありゃビローグの婆ァの魔女術だね、忌々しい。この距離じゃ流石の私も解呪出来ないねぇ。」


そう言うとヴァリアンテもエス・ディと同じ様に眼を細め、今度は口角を上げて妖婉に笑う。


「そうだねえ... しっかり睨まれているね。恐ろしい邪視術だ、この距離でも強力な呪力を持っているね。こりゃパイリラスの言う様に並の人間が見張りに立とうもんなら見る間に魂を根こそぎ持っていかれるだろうね。」


平然と言ってのけるヴァリアンテにエス・ディは呆れ顔を見せる。


「おいおい、大丈夫なのかよヴァリアンテ。随分と素知らぬ顔で外を見ているが、お前もバロールに睨まれて平気なのか!?」


エス・ディの心配をよそにヴァリアンテは不敵に口角を上げる。


「至近距離で不意に睨まれたらいざ知らず、この距離だからね。しかし魔族の連中も必死だね、この遠さで邪視を使ってエス・ディを始末しようってんだ、なりふり構ってられないんだね。」


「ああ、俺が見張りに立ってからずっとだぜ。バロールの野郎熱烈な視線を俺に送ってきやがる。

まあ奴さん達も焦ってんじゃねえか?向こうはヒーシを討たれて、パイリラスが寝返ってんだ。そりゃ、なりふり構ってられねえんだろうさ。」


「ご苦労なこった」そう言ってエス・ディはため息を吐く。

魔族も焦る。それはそうだろう。普通ならとっくの昔にバロールの呪いの邪眼で射殺されていてもおかしくないのだが、エス・ディの竜眼はその強力な邪視を跳ね返し続けている。

ヴァリアンテは側防塔に上がって来た時にエス・ディが常にバロールの呪いの視線を浴び続けており、さらにそれを跳ね返し続けている事に珍しく感心する。


「エス・ディ、アンタなかなかやるじゃないか。その竜眼はなかなかの業物だから今朝ここに来た時におっ死んでいたら貰ってやろうと思っていたんだが、見事に使いこなしているんだねえ。

上等だ。エスラン坊やもやる様になったじゃないか、嬉しいねぇ... 」


そう言ってヴァリアンテは口角を上げ懐かしそうに眼を細める。


「よせやい!ヴァリアンテに褒められるとむず痒いぜ。...てか、くたばってるかどうか確認しに来たのか!?オイ、ひでえな!」


「ハハハ、冗談だよ。しかしまあアンタも余裕じゃないか。自分に降りかかる睨禍の呪いよりもロンの坊やの心配をしているなんてね。」


ヴァリアンテが茶化す様な口ぶりでロンに言及するが、エス・ディは存外に真面目な顔で答える。


「ああ、中の下の白魔術師をやってる時は、まあ覇気の無え野郎だ、くらいにしか思ってなかったが... オークを素手でぶちのめしてギルドの医務室に担ぎ込まれたあたりからかな... 馬鹿な命知らずかと思ったんだがそうじゃねえ。

なかなかどうして一本筋の通った男気のある奴じゃねえか。今時あんな冒険者はいないぜ。」


「おや。アンタのお眼鏡に敵うとはロン坊やも一端の冒険者なんだねぇ。

まあ、あの子も変わった人間だからね。閉じた心を開かせる事の出来る心根の強い優しい人間さ。

エルザのお嬢ちゃんから始まり、ジリヤの街を救えなかったと言う自責の念に縛られたグリエロを、数多の命を奪い心を凍りつかせてしまった暗殺者ルドガーを、彼らを縛る業から解き放った。ロン坊や自身は全く気がついていないがね。」


そう言ってヴァリアンテもウンドの街を見下ろし走り込んでいるロンを眺める。ちょうどエルザが着いて行けなくなって盛大にひっくり返るところであった。しかし多分それも日常の事なのだろう、エルザは突っ伏しながらも器用に手を振ってロンに先を促している。当のロンも慣れたものでエルザを一瞥し大丈夫そうだと判断したのか軽く手を振ってその場を走り去る。


エス・ディは苦笑いをして続いて口を開く。


「そんだけじゃねえ。他種族と交わる事の滅多にないコボルト達に最大の敬意を持たれて慕われてんだ。俺もコボルトの知り合いは何人かいるが心を通わすまでどんだけ時間がかかった事か。ロンに至っちゃ氏族まるごと顔見知りときた。その中の一人は伝説のコボルト、ランペル・スティルツキンだぜ!

言い出したらキリがねえが、世界一の舞踏家フィリッピーネ・ヴァウシュとも仲が良いしな。極めつけは魔族の女を連れて帰って来たこった。」


「あぁ。アレには驚いたね。人間が五百年かけて作り上げた魔族に対する忌避感は根が深いもんだと思っていたが、ロン坊やはその深い溝を軽々と越えて行ったね。まあ何にも考えていないんだろうけどね...

全く純粋だね。純粋で真っ直ぐな強さがある。トムが気に入る筈さね。」


ヴァリアンテの言葉にエス・ディは深くうなずく。


「そうだな。ロンの奴、トムまで動かしやがったからな。急を要していたとは言えガムザティ原始林の調査を打ち切ってとんぼ返りしたもんな。ミナに指示を出してブランシェトを中心に討伐隊を組めば何とかなったのにな。まあ結果的に魔族が出張って来ていたからトムの判断は正しかったんだがな... 」


そう言ってエス・ディは眼を細め、走り込んでいるロンを眺める。

ロンはちょうど冒険者ギルドに入って行く所であった。


「お、奴さんギルドに入っていったな。これから摺り足、舞踏練習、武器術訓練ってとこだな。グリエロが修行僧っつーのもわかるぜ、まったく。」


エス・ディの呑気な物言いにヴァリアンテかゴロゴロとしゃがれた笑い声を出す。


「何だいアンタ!?ロン坊やの追っかけでもやってんじゃないかい。まったくウチの男共は仲が良いこった。

それじゃあ半人前達もやって来る頃だね、エス・ディも行ってやんな。二日程ギルドに顔を出して無いだろう?ポレットが弓を握りしめて待ってるよ。」


そう言ってヴァリアンテはニンマリと笑う。


「お、おい、何言ってんだ!?俺ぁここの見張りとして来てるんだぜ。席を外す訳にはいかねえだろうがよ。」


エス・ディはそう言って大仰にふんぞり返り竜眼を赤く光らせるが、ヴァリアンテは微かに揺らぐもう片方の瞳を見逃さなかった。


「此処は私が見張っててやるから、行っておやり。アンタはポレットの父ちゃんになったんだろう?面倒見てやんな。それに弓矢の訓練って言っても昼過ぎまでだろう?それくらいの時間で魔族の動向が大きく変わる事も無いだろう。第一もっと近づいて来ないとビローグの婆ァの魔女術も打ち破れないからね。」


「そ、そうか。じゃあ、まあ、ちょっくら様子を見て来てやるかな... すまねえなヴァリアンテ。恩にきるぜ。」


エス・ディは片手を上げて謝意を表すと足早に階下へ降りていった。

それを見届けるとヴァリアンテは視線を外に転じ、遠く遥か彼方に靄の様にゆらめく黒い影を睥睨する。


まだまだ遠くにあり、その影は明瞭な形を成していないが魔族率いるオークの大隊である。


しかし陽炎の様に靄がかかっているのは距離だけの問題では無い。山の魔女ビローグの仕業であろう。


ヴァリアンテは忌々しげに眉根を寄せて舌打ちをする。


「ッチ。あの糞婆ァ... 味な真似をするじゃあないか。...まあいい、今度は魂ごと喰らい尽くしてやるからね。」



エス・ディが冒険者ギルドに向かって歩いていると前方にヨタヨタと走るのだか歩くのだか計りかねる速度で進む人影が見えてくる。


足早に進み追いついて見ると、はたしてそれはエルザであった。


「おう、エルザ大丈夫か?今にもくたばりそうじゃねえか。」


エス・ディの無遠慮な呼びかけに青白い顔をしたエルザはゼンマイ仕掛けのカラクリ人形の様にぎこちなく振り返る。


「はひ、これは、エシュ・デイひゃん、おはよう、ござひます。」


滝の様に汗をかいているエルザが息も絶え絶えに応えるとエス・ディは若干引き気味に立ち止まる。


「お、おい。冗談じゃ無く本当に死にそうじゃねえか!?大丈夫かよ。」


エス・ディはエルザに駆け寄り今にも倒れんとふらふらしているエルザの背中を支えようとする。


いきなり蓬髪の大男が迫って来たのでエルザは首をすくめるが、その大男が労わる様に背中を支えてくれた事にいくらか警戒を解く。


「うひゅっ!?しゅ、すいません心配をおかけして... で、でも大丈夫です!」


そう言うとエルザの身体が淡く光る。

そうすると蒼白だったエルザの顔に赤みがさして荒かった呼吸が落ち着く。


エス・ディは先程までおぼつかなかった足元が急にシャンとした事に首をひねる。


「ふう。これで良し、と。あ、エス・ディさんもう平気です。自分に回復魔法をかけました。」


そう言ってエルザは腕を上げ力こぶを作る様な仕草をして微笑む。


「ん?ああ、そうか。...ん?呪文の詠唱はどうした?」


「あ、私、無詠唱で魔法の発動が出来るんです!」


「は?エルザ、お前、無詠唱って... ああ、そういやお前は奇警の天才黒魔導師って呼ばれてんだったな... つうか黒魔導師なのに白魔術を使えんだな。」


そう呟く様に言うエス・ディにエルザは元気よく返事をする。


「はい!ブランシェトさんに教えて頂いてますから!」


「ああ... うん、そんな教えて貰ったからって気軽に黒魔導師が白魔術を使える様にならんと思うんだが... つうか、回復魔法を使えるならあんなにフラフラになるまで走ってなくてもいいだろうがよ?」


「最近気がついたんですけれども、体力を限界まで消費してから一気に回復をすると基礎体力が上がるんですよ!死ぬ一歩手前くらいが理想なんです!」


ほがらかに笑いながら物騒な事を言ってのけた奇警の天才黒魔導師にエス・ディはあんぐり口を開ける。


「お、おお... しかしまた随分と剣呑な鍛え方してやがんな。お前ほんとうに黒魔導師か?」


エス・ディは奇特なモノを見る様な目でエルザを見つめるが、当のエルザはその視線に気付くとも無く首を傾げている。


「黒魔導師ですけれど、最近は白魔法も使える様になりました。そうなると私の職種の呼称はどうなるのでしょう?白黒魔導術師とか?」


「知らんがな。て言うかそれじゃ職種名をごちゃ混ぜにしただけじゃねえか。」


エルザの呑気な受け答えに些か力の抜けたエス・ディだが、魔導ローブの袖から見えるか細い腕を見て眼を細める。


「エルザよ、お前は魔導師だろうよ。どうしてこんな危なっかしい鍛え方してやがんだ?」


エス・ディの疑問にエルザは先程迄のほがらかな表情を引き締めてエス・ディを見つめ返す。


「私も強くならなきゃ、チェイニーさんみたいに。強くなって横に並んで一緒に戦える様になるんです。」


そう言って一点の曇りのない凛とした眼でエス・ディを見る。


「ほう、エルザお前そんな面も出来るんだな。なるほどな、唯のオドオドした小娘じゃ無えって事か... なるほど上級職の黒魔導師ってのも伊達じゃ無えんだな!」


そう言ってニカリと笑うと、それに応える様にエルザもニカリと悪戯っぽく笑う。


「おっと、いけねえ。ギルドに向かうとするか。」


「はい!向かいましょう!」


そう言って二人は連れ立って歩き出す。

いつもお読みいただきありがとうございます。


エルザの鍛え方は独特ですね。

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