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70 ルドガーの技

困った時の按摩術師ルドガーです。

「おやまあ、今日は大勢でいらしたんですね。」


そう言ってにこやかに笑うルドガーの前にはロンを始め、エルザ、フィリッピーネ、タスリーマ、ブランシェトに何故かパイリラスもいる。


ロンはルドガーのもとに歩み寄り、事のあらましを説明する。


「...と言う訳でして先生にフィリッピーネの具合を診て頂きたいのです。」


ロンの言葉にニコリと笑い、首を傾げてルドガーは耳をそばだてる。


「ふむ、そこの小さいあなたと、その冷んやりした魔力は... タスリーマさんですかね?

そこのお二人はちょいと施術が必要だね。」


そう言ってルドガーはエルザとタスリーマを指差す。

するとエルザは不思議そうな顔をしてルドガーに尋ねる。


「あの、タスリーマさんは魔力の質でわかるとして、私が何で背が低いってわかるんですか?」


エルザの声色を聞いてルドガーはニコリと笑う。


「その声はあの時のお嬢ちゃんだね。ええとエルザさんですね。

ふむ。そうさね、背の高さなんて歩いている足音を聞けば判るんだよ。」


エルザは驚いた顔を見せながら大きくうなずく。


「そうなんですね。足音かぁ。不思議。

あ、すいません、一人で感心して。

でも私とタスリーマお姉様が施術が必要って何故ですか?ブランシェトさんに治癒魔法をしっかりかけてもらって、何の支障も無いですよ!?」


そう言うエルザをニコニコしながらルドガーは手招きして呼び寄せる。


「いいからこっちへ来て脚を見せてごらん。」


「え!?背中は?」と不思議そうな顔をして呟きながらも、エルザは椅子に座るルドガーと向かい合わせになって座る。


「ふむふむ」と言いながらルドガーはエルザの脚を丁寧に撫ぜていく。


「ここに入って来た時の足音が沈んでいたからね。エルザさん最近あなた脚を酷使してないかい?」


ルドガーの問いにエルザはハッとした顔をする。


「は、はい!最近毎朝チェイニーさんと街中を走り込みしてるんです。」


「なるほど。エルザさん少し走り方を変えた方がよろしいですね。あなたはどうも身体を緊張させて走っているようだ。

膝が硬い。だから地面を踏み込んだ時の衝撃が直に足首にきているんですよ。

...ちょっと後ろ向いてごらん。」


ルドガーがそういうとエルザはクルリと背を向ける。


ルドガーは静かに探るように背中に手を添える。

「ふむ... ふむ」と頷きながらルドガーはその手を慎重に撫ぜ下げていき腰の所でピタリと止める。


「やはり骨盤が少し寝ているね。膝の硬さが足首にきてるんだね。」


そう言ってルドガーはエルザの腰を両手で包むようにして優しく添える。


「骨盤の位置を正そうね。少し引っ張るよ。...よし。」


ルドガーはそう言って腰から手を離し、今度は立ち上がってエルザの両脇の下に手を添える。


「?」と言った顔をしてエルザは不思議そうにしていると、そのエルザの顔を知ってか知らずかルドガーはニコリと笑う。


「では仕上げに背骨を正そうね。また少し引っ張るよ。...よし。」


ルドガーはそう言って静かにエルザから手を離す。

対するエルザはキョトンとしている。


「あ、あの。引っ張るって仰ってましたけど、何かされました?どこも引っ張られた様な気がしないんですけれど...。」


「いえいえ、しっかり引っ張って骨の位置を正して筋肉の緊張をとりましたよ。」


「え!?でも何も感じなかったですよ。」


不思議そうなエルザの顔が見えたのかルドガーは優しくニコリと笑う。


「身体の緊張を取り除くためには強い力は必要無いんです。いや、むしろ邪魔なくらいだ。

身体を正しい位置に戻してあげるには優しく手引きして、人間が本来持っている自然治癒力を引き出してあげる事が肝心なんです。」


それを聞いてエルザは深く頷き感心すると同時に首もひねる。


「なるほど、ルドガーさんの按摩術って魔法でもないし一体どういうものなのか興味があったんですけれど、一朝一夕に解るようなものでも無いですね。治癒術だけど随分と白魔法と違いますね。」


エルザの問いにルドガーはうんうんと頷く。


「そうだね。魔法と違って魔力は使わないからね。経穴を押さえて経絡を繋ぐ手技だからね。白魔法と違ってね、身体にお伺いをたてながらゆっくり治していくものなんですよ。」


ルドガーはそう言いながら今度はタスリーマの傍らに立ちその手を取る。

手を取られたタスリーマは憮然としているが、なされるままにルドガーに掌を揉まれている。


「タスリーマさん、ここを押さえると痛くないかい?」


そう言ってルドガーはタスリーマの掌の親指の付け根の辺りを押す。

するとタスリーマは眉根を寄せて気疎い顔をする。


「やはりね。タスリーマさん腎の臓器が少し弱っているね。相変わらず氷の魔術ばかり使っているんでしょう?」


ルドガーがそう言うとタスリーマはうんざりした顔を見せながら悪態を吐く。


「もう!これだからジジイの小言を聞くのは嫌なのよ。ほっといてよルドガー!私が何の魔法を使おうが勝手でしょ!」


そう言ってタスリーマはそっぽを向くが、ルドガーに揉まれている掌は引っ込めない。


そのやりとりをおっかなびっくり聞いていたエルザはポツリと疑問を呈する。


「あのう... ルドガーさんは先程からタスリーマさんの手しか揉んでいませんが、タスリーマさんの悪い所は腎の臓なんですよね?腎の臓ってお腹の中にあるんですよね?」


「そうですよ。腎の臓はお腹の奥、背骨の両脇、横隔膜の下にあります。

ですがね、身体は全て経絡で繋がっているんです。特に掌と足の裏は特に細かく気の流れる場所です、掌を診れば身体の臓器の悪い所が解るし、優しく撫ぜればそれらを癒す事が出来るんです。」


そう言ってルドガーはタスリーマの掌を丁寧に優しく撫ぜていく。

悪態を吐いて仏頂面のタスリーマだが、掌はルドガーに素直に預けている。


その光景を皆は黙って見守っていると、ルドガーがニコニコ笑いながらポンポンとタスリーマの手を叩く。


「はい、これで腎の臓が温まりました。では施術台にうつ伏せで寝て下さい。」


そう言ってルドガーはタスリーマを施術台に促すと、仏頂面の彼女はすっくと立ち上がりまたも悪態を吐く。


「やい、エロじじい!変なトコ触るんじゃないよ!おかしな事をしたら即氷漬けだからね!」


とのたまいながらも言葉とは裏腹に素直に施術台に乗りうつ伏せになる。


「はいはい、タスリーマさんのツボは心得ておりますよ。」


そう言いながらルドガーはニコリと笑い、そっとタスリーマの背中に手を添え、優しく撫ぜ摩りだす。


「ああん... 」


タスリーマは小さく喘ぐと、身体を弛緩させる。

何やらよくわからない成り行きに一同が黙って見守っていると、程なくしてタスリーマが寝息をたて始めたのがわかる。


「よしよし。タスリーマさんはこれくらいで良いでしょう。

ロンさん掛け布団を取ってきてタスリーマさんに掛けてあげてください。せっかく温まった身体が冷えちゃいけない。」


「あ、はい。すぐ取ってきます。」


そう言ってロンは奥へ引っ込む。

取り残された一同は、かわいい寝息をたてて眠るタスリーマと施術台の傍らにニコニコしながら立つルドガーを交互に見る。


何やら不思議な光景に一同が呆けていると、ふと何か思いついた様にエルザがやおら口をひらく。


「あの、タスリーマさんって氷の魔法の多用で腎の臓が冷えてしまったんですよね?一つの魔法を多用していると腎の臓に不調を来たすのでしょうか?」


エルザの問いかけにルドガーはニコリと笑って椅子に座る。


「良い所に気がついたね。でも魔法の多用で傷つくのは必ずしも腎の臓だけではないんだよ。」


「そうなんですか!?」


エルザはグッと身を乗り出して興味深そうにルドガーの顔を見る。

エルザは魔術研究者である。むくむくと研究者としての好奇心が湧き上がってきているのが側で見ている者にも伝わってきた。


「そうですね。長年、魔法使いの方々の身体を診させて貰って解った事なのですがね。

使う魔法の種類によって身体の中に貯める魔力の場所は違うんです。

例えば氷の魔法は水の魔法の上位派生魔法です。水の魔力は腎の臓に溜められ練られるんです。

なので水系の魔法を多用すると腎の臓が疲弊してしまう。タスリーマさんの使う氷魔法は、水の魔力から火の気を奪って造られる高等技術だ、臓器にかかる負担も大きい。」


「なるほど。じゃあ火の魔法は何処の臓器で練られるんでしょうか?」


「火の魔力は心の臓だね。ドクドクと活発に脈打っているね。火の魔法を使うと心の臓が早鐘を打つでしょう?」


ルドガーの問いにエルザは勢いよく頷く。


「そうです!火の上位魔法を使うと魔力の消費が多いだけじゃなくて、全速力で走った後みたいに疲れるんです!」


「そうでしょう。他にも風の魔法は肝の臓で練られる。風の派生魔法である雷の魔法もそうだね。

土の魔法は脾の臓だね。

それにね、使う魔法によって臓器は熱くなったり固くなったり色々ですよ。だからね症状によって施術の仕方を変えてあげないといけない。ねえ、ロンさん。」


そう言ってルドガーは振り向きもせず布団を抱えて戻って来たロンに声をかける。

ロンだけでなく他の面々も背中に目でもあるのかと感心する。


「あ、はい。覚えておきます。あの、一ついいですか?それぞれの臓器は身体の何処にあるんでしたっけ?」


元白魔術師の言葉とも思えない問いにもかかわらずルドガーは優しく一つニコリと微笑み頷く。


「肝の臓はお腹の右側、横隔膜の下にある。脾の臓は反対の左側にあるね。

そうそう、回復や補助なんかの状態変化の魔法は肺の臓で練られるね。」


そう言ってルドガーは一つ一つ自分の身体を指差して説明してくれる。


「なるほど。魔力は様々な臓器と密接に関係していて魔法の使い方次第で痛めたりもするんですね。

ですけど、なんだかそう言うのを聞いていると魔法を使うのが怖くなってしまいますね。」


タスリーマに布団を掛けながらロンがポツリとそう呟く。

そのロンの言葉にルドガーは静かに頭をふる。


「なに、臓器を痛めるといっても上級魔法を頻繁に使うような事がないとそうそう痛めやしませんよ。

とは言え下級魔法でも長い期間使い続けているとやはり身体に影響が出てきますがね。

年配の方が冷え性や身体の火照りが起きるのは生活魔法である下級の水魔法や火魔法を長年使い続けているからです。」


「なるほど、ここの施術所には年配の患者さんが多いのはその為なんですね。」


「まあ、それだけじゃあないですけれどね。歳を食うといろんな所にガタが来るもんなんですよ。」


ルドガーはそう言うとクルリとフィリッピーネの方に向き直る。


「さて、フィリッピーネさんの番ですね。いつもロンさんからお話しは伺っていますよ。どうぞこちらへいらして下さい。」


そう言ってルドガーは手招きして自分が座る椅子の前に置かれている空の椅子にフィリッピーネが座る様にと促してあげる。


フィリッピーネは滑るように軽やかにルドガーの前に文字通り躍り出ると、それは優雅に椅子に座る。


ただ歩いて来て椅子に座っただけなのであるがここまで絵になる人物はそういまい。


「それでは」と呟きルドガーはフィリッピーネの背中に優しく触れる。


ルドガーは小首を傾げる様な仕草をしながらゆっくりとフィリッピーネの背中を背骨に沿って触れていく。


背中を上から下まで丁寧に触診したルドガーは眉を大きく上げ驚いた顔をして口を開く。


「驚いた。なんて均整の取れた筋骨でしょうね。

まだ背中しか掴んでいませんが、素晴らしい身体です。どれだけ優れた踊り手か、そしてどれだけ厳しい修行をその身に課してきたか背中が全てを物語っていますね。幼い頃から弛まぬ努力を積んで来ましたね、素晴らしいです若き舞踏家さん。

この背中、さぞ優雅にのびやかに舞われるのでしょうね。この目で見れないのは本当に惜しいです。」


そう讃辞を述べるルドガーにフィリッピーネは少し戸惑った様な、気恥ずかしさを浮かべた様な顔をする。


「なんだか恥ずかしいですね。でも嬉しいな、今まで培った努力を認められるなんて。皆さん踊りは褒めてくれるのですが、ルドガーさんみたいに積み重ねた努力を褒めてくれる方はいなかったわ!」


そう言ってフィリッピーネは花咲くように微笑む。


「そうでしょうね。積み上げて来た時間は目に見えませんからね。」


そう言ってルドガーはニコリと笑いロンの方へ振り返る。


「ロンさん、あなたもだ。よく気がついたね。」


そう言ってルドガーは音も無くツイと立ち上がり、フィリッピーネの背後に静かに佇む。


「ロンさんがこの小さな異変に気がつか無ければ、フィリッピーネさんは将来的に踊りに支障が出てきていたかもしれません。」


ルドガーの言葉にロンは居心地が悪そうに顔をしかめる。


「いえ、何か違和感を感じただけで...結局ルドガー先生に助けを求めていますし、僕は何も...。」


「いやいや、それで充分です。普通は気がつきませんよ。具合が悪いのは背中では無くて首なんですから。」


ルドガーはそう言うと静かにフィリッピーネの首の後ろに手を添える。


「ブランシェト様の治癒魔法は見事です。背骨が折れていたと聞きましたが、背中だけ見るととても背骨を折る大怪我をしたとは思えない。恐ろしく精度の高い美しい治癒魔法だ。

しかし首を診ると大怪我をしたのがわかる。背骨が折れた時の衝撃と緊張で、背中の筋肉が強く引き攣り強張ったんだね。頭蓋骨と頚椎を強く引っ張っている。

今はまだ小さな歪みだが何年何十年経てば歪みが徐々に大きくなって骨を歪め経絡を圧迫する。そうすると手や足に麻痺が生じるんだよ。」


ルドガーの言葉にブランシェトは息を飲む。


「そこまでは思い至らなかったわ。背中の骨や筋肉の裂傷を癒せば良いのだと思ってました...。

次からは他の部位も気をつけて見ないといけませんね。」


ため息を吐くブランシェトにルドガーは小さく首を振る。


「ブランシェト様は気を落とされずに。それにこれは怪我ではありませんから気がつかないのも無理からぬ事ですし、治癒魔法で治す事は難しいかもしれません。」


そう言いながらもルドガーはフィリッピーネの首筋を優しく摩っている。


「それから、フィリッピーネさんが飛び跳ねた時に着地でフラついたと仰いましたね。

それはフィリッピーネさんが積み上げて培ってきた修練の賜物です。よく整えられた身体だからこそ小さな小さな違和感に足を取られたのです。

普通なら気がつきません。そのくらい小さな違和感だったんです。」


そう言ってルドガーは優しくフィリッピーネの首を摩る。

対するフィリッピーネはとても心地良さそうに表情を緩めている。


「よし、じゃあ仕上げだ。筋肉の緊張が取れましたので骨の位置を戻しましょう。少し引っ張りますよ。...よし、これで良いでしょう。」


フィリッピーネの頭に添えられたルドガーの両手がどけられると彼女は嬉しそうに微笑む。


「本当だ。エルザちゃんの言う通りね!少しも引っ張られた感じがしなかったわ!

でも首がとても軽くなりました。ありがとうございますルドガーさん。」


「おや、やっぱりフィリッピーネさんはすごいね。首が軽くなったのがわかるんですね。お見事!」


ルドガーは大きく笑いながらフィリッピーネの手を取って立たせてやると、皆の方に振り返る。


「さて、今日はこれでお仕舞いだ。エルザさんもフィリッピーネさんも、もちろんタスリーマさんもあと三度いらっしゃい。それで完治するはずです。」


ルドガーがそう言うやフィリッピーネは大喜びで飛び跳ねる。


「あら!良いんですか!?お許し頂けるなら何度でも訪問致しますわ!ルドガーさんに身体の秘密を是非とも聴いてみたいわ!」


満面の笑みで答えるフィリッピーネにルドガーは苦笑いをする。


「身体の秘密なんてありませんよ。ですが私の知っている身体の事ならいくらでもお教えしましょう。ロンさんの良い勉強相手になりそうだ。」


そう言ってルドガーは快活に笑う。


「さてさて、今日はこれで終いだ。ロンさんタスリーマさんを起こして差し上げなさい。」


「あ、はい」ロンは短くそう応えると施術台で可愛い寝息をたてているタスリーマのもとに行く。


タスリーマはうつ伏せになりぐっすり眠っている。その顔はいつもの凛とした表情からは想像もつかないほど弛緩している。


よだれを垂らしながら眠るタスリーマの顔を見ながら、何やら触れてはいけないモノに触れているのではないかとロンは一抹の不安を覚えながらもその肩を揺する。


「あ、あの... タスリーマさん起きてください。先生がもう店仕舞いだって... 」


ロンがそう言うや、やにわに起き上がったタスリーマと目が合う。タスリーマは暫く呆けてロンと見つめ合っていたが、みるみる顔を険しいものに変える。


「タスリーマさん起き...うぎゃぁああ!」


ロンは真っ赤な顔をしたタスリーマに雷の魔法を頭上に落とされる。


「タ、タスリーマさん何するんですか!」


「ルドガーのジジイだと躱すからよ!」


訳の分からない理由でロンの頭に雷を落としたタスリーマは口元のよだれを拭いながら施術台からひらりと降りる。


頭を抱えるロンを一瞥したタスリーマは「ふむ」と独言るとロンの顔を覗き込む。


「ロンあなたやっぱり魔法耐性があるのね。けっこう厳つい雷を落としたんだけどもね。思ったほど損傷は無いわね。どれ。」


そう言うと今度はロンの鼻先が凍りつく


「うわわわ!」とロンは驚きのけ反るが、タスリーマは眉間にシワを寄せて「フム」と何やら一人で勝手に納得した様に小さく頷く。


「コレもある程度は耐氷したようね。ヴァリアンテのお姉様の言いつけ通り臓物食べてんの?」


「あ、はい、あれから献立を見直して貰いまして、トカゲやモグラの臓物食ってますよ。」


ロンがパラパラと鼻についた氷を落としながらそう答えるとタスリーマは感心した様に腕を組む。


「食べている期間がまだ短いからか、そんなに強い耐性がある訳じゃ無いけれど、水の属性持ちになってる様ね。」


「ああ、そうなんですか?でも結構衝撃がありましたよ。まだ鼻は冷たいですし。」


「そんな事ないわよ。本当なら今頃は鼻がもげて落ちているところよ。」


「ちょ、ちょっとタスリーマ!?あなたチェイニーに無茶な事をしないでよ!何かあったらどうするの!」


しれっと恐ろしい事を言ってのけたタスリーマに、大慌てでブランシェトが詰め寄る。

その後ろには青い顔をして引き攣るエルザがいる。


「何かあったらアナタがいるし、エルザちゃんもいるじゃない。どうとでもなるでしょ。」


悪びれる様子もなくタスリーマはそう言ってのける。


ブランシェトもその言葉に引き攣るが、その場をとりなす様にルドガーが割って入る。


「ハイハイ、皆さん仲のよろしい事で。それ、もうお開きですよ。皆さんまた明日いらっしゃっい。」


そう言ってルドガーはにこやかに笑うと、人払いと言わんばかりにパンパンと手を叩く。

タスリーマにしてもブランシェトにしても興を削がれたと言った面持ちで、ルドガーに促されるまま帰り支度をする。


そこでおもむろにルドガーはロンに向き直る。


「あぁ、ロンさんはもうちょっと此処にいらっしゃい。後片付けを手伝っておくれ。

...ああ、それからパイリラスさんとか言ったかな?ちょいと良いですか?」


そう言ってルドガーはパイリラスに面と向かうと、呼び止められてキョトンとするパイリラスの腹部に突然人差し指をめり込ませる。


虚を突かれたパイリラスの無防備な腹部にはルドガーの人差し指が突き立てられている。その指は第一関節までめり込んでいた。


パイリラスはもとより居合わせた一同が驚き硬直しているうちに、ルドガーは左胸、鳩尾、下腹部と人差し指で次々と突くとパイリラスは思わず前屈みの姿勢となる。

ルドガーは素早くパイリラスの背後にまわると人差し指を背中の真ん中に突き立てる。


「はい、お終い。パイリラスさん吃驚させて悪かったね。」


そう言ってルドガーはパイリラスの背中を優しく摩る。


「ッウ!ゲホッゲホ!な、何をするのじゃ!」


我に返るや遅れて咳き込むパイリラス。周りの一同は突然のルドガーの行動に何が起きたのか皆目見当がつかない。


「いやいや、ごめんなさいね。こうでもして隙をつかないと魔族であるあなたの身体に働きかけられなくってね。」


そう言ってルドガーはパイリラスに向かって両手の手のひらを向ける。


「ほい。押し合いっこしましょう。」


そう言うやルドガーはパイリラスを押す。

押して押してどんどん前に進む。


「む、なんの!力比べならご老体には... へ!?...え?...む、む、む。」


抵抗むなしくパイリラスは押しに押されて壁際まで追い詰められる。


「老体の身でありながら、な、何という怪力なのじゃ... 」


驚嘆するパイリラスにポカンとするその他の面々。ロンは何かに気が付いたかハッとする。


「先生、今しがたパイリラスの身体を突いていたのはもしかして... 。」


「そうです。経絡を絶って経穴を閉じました。これでパイリラスさんの力を抑える事が出来ましたよ。これで不意に馬鹿力を出してしまう事もないでしょう。」


それを聞いて諸手を挙げて喜んだのはパイリラスである。


「なんと!やった... やったー!これでフィリッピーネ様のお側に安心して居る事が出来る。お身体に触れる事が出来るのじゃ!」


パイリラスは喜色満面に喜んだ後、不意に居住まいを正しルドガーに向かい深々と頭を下げる。


「ルドガー様、ありがとうございます。これから人族の世界に属し生きていく私に対してのご配慮いたみ入ります。これでいたずらに人を傷つける事がなくなります。

...私の様な愚かな糞魔族にご配慮をたまわり... っえぐ、っえぐ...」


しまいに泣きだすパイリラスにルドガーは懐からてぬぐいを取り出して涙をぬぐってやる。


「はいはい、そんな大層な事はしていませんから頭をあげて下さい。ほらこれでフィリッピーネさんとお手々つないで帰れますよ。」


ルドガーの言葉を間に受けたパイリラスは期待の眼差しを持ってフィリッピーネに振り返ると、フィリッピーネは優しく微笑み返し手を差し出す。


「パイリラスちゃん帰りましょう。」


パイリラスは意気揚々とフィリッピーネのもとに駆け寄りその手を握る。


「フィリッピーネ様、手は痛くありませんか?」


「うん、大丈夫よ!とってもたくましい男性に力強く握りしめられた感じ!」


「やったー!これで糞魔族は卒業じゃ!もう誰にも女キラーエイプなどとはいわせぬぞ!」


何やらよく解らない喜びかたをするパイリラスにフィリッピーネは「良かったわね!」と一緒になって喜んでいる。


しまいには嬉し泣きに咽び出したパイリラスの傍らで、エルザも何故かもらい泣きしながら「良かった良かった」と手を叩いている。


そうして女性陣は手に手を取りながら仲良く並んで帰っていった。


施術所の玄関で皆を見送ったロンは、ひとつ小さくため息を吐く。

朝から大騒ぎの日であった。まだ日も高いので一日が終わった訳ではないが何やらどっと疲れた様な気がする。


肩を落としてうなだれるロンの背後からルドガーの呼ぶ声が聞こえた。


「おおいロンさん!玄関に心張り棒をつっかえて戻ってらっしゃい。」


「あ、はい直ぐに行きます。」


そう言ってロンは扉につっかえ棒をさして簡単な戸締りをしてルドガーのもとに戻る。


戻るとルドガーは静かに椅子に座っていた。


ロンはルドガーの眼前に置かれている椅子に座ろうとするが何処からか刺す様な殺気を感じて動きを止める。


そこでルドガーが伏せていた目をうっすら開けて白く濁った目を露わにする。


「ロンさん殺気を感じられる様になったんだね。」


「え!?あ、はい。やっぱりコレって殺気なんですね。」


ロンは少し驚いてルドガーの顔を見ると、そこにいつもニコニコ笑う表情は無く、冷たく無表情に虚空を見据える見慣れない顔があった。


「そうです。これが殺気です。ロンさんこの気配をいつから明確に感じられる様になったんです?」


「コボルトの集落に行った時くらいからです。その時はまだ、刺す様な何とも言えない気配というものがあるんだなとぼんやり感じられるくらいたんですが... はっきりと感じられる様になったのはパイリラスと戦っている時です。

何度か危ない場面がありまして、フィリッピーネの助けもあってこの刺す様な気配を明確に認識出来る様になったんです。」


「そうなんですね。コボルトの集落に行った時ですか。私が不用意に殺気を放ってしまったのがきっかけですね... 」


そう言ってルドガーは恥いる様な後悔を滲ませる様な厳しい顔をする。

それを見たロンは慌てて首を振る。


「いえ、あの時はルドガー先生が怒るのも無理からぬ状況でしたし、何よりあそこで本当の殺気を感じたからこそ、パイリラスの殺気を感じ猛攻にも耐える事が出来たんです。」


「フフフ、そう言って貰えると心が軽くなるね。

でも殺気を感じ取る事が出来る、そうなると話が早い。ロンさんには大変申し訳ないがちょっと強くなって貰います。ごめんなさいね。」


それを聞いてロンはキョトンとする。


「いえ、先生に強くして頂けるなら願ったり叶ったりなんですけれど。どうして謝ったりするんですか?」


ルドガーはロンの無邪気さに頬を緩めるとともにもはや後悔している自分に眉をひそめる。


「強くなるといっても力が強くなるわけではありません。私が教えるのは兆しを読み、虚を突く殺手術です。極めれば大きな力を得る事が出来ますが、卑怯で賤しい暗殺の術です。」


「え!?ルドガー先生、暗殺術は教えないって... 」


ロンが驚き目を見開くと、ルドガーは静かに目を伏せる。


「そう言ったね。でもね、ロンさん。貴方に死んで欲しくないんだ。

...私はね貴方の優しい心根を知っているんだ。私はねそんな貴方が大好きなんですよ。だから貴方には陽の当たる明るい道を進んで欲しい。暗殺術なんて他人も自分も墜としめる卑怯な技だ。知って欲しく無いし、賤しい技で貴方の手を汚したくない。」


そう言ってルドガーはため息を吐いてうつむく。

ロンはルドガーの悲壮な顔を見て言葉を詰まらせる。


「じゃあ何故... 」とロンは何度か喉の奥からかすれた声を出す。


その言葉にルドガーは意を決した様に面を上げる。


「魔族の率いる軍団が攻めて来るんですってね。あのヒーシの様な恐ろしい奴らが。先程パイリラスさんの身体を触って改めて感じました。

魔族の身体能力は人間のそれとは比べ物にならないくらい高い。ロンさんはパイリラスさんに辛くも勝利をおさめた様だが次も上手く行くとは限らないよ。」


「はい、僕もそう思います。パイリラスとの戦いは運が良かったんです。それにフィリッピーネがいなかったら確実に死んでいました。」


「そうでしょうね。それに今度は魔族率いるオークの大隊が攻めて来るそうじゃないか。魔族だけでも頭が痛いのに、厄介なオークが千匹もいるんです。

ロンさんの大切な人達も、ロンさん自身も守らないといけない。これは大変な事ですよ。」


「そう思います。このままじゃ僕なんか何の役にも立たないのはわかります。」


そう言ってロンは唇を噛む。


「でも、ロンさんは逃げないんでしょう?」


そう言って困った様な顔をして笑うルドガーにロンは無言で頷く。


「そう言うと思ってましたよ。だからねロンさんを強くして差し上げます。ちょっとやそっとでおっ死んでしまう様な柔な人間じゃあ無くしてしまいましょう。

あと少ししか日にちは無いですがね。私の全てを貴方に伝えます。」


そう言ってルドガーは凄絶な笑みを浮かべる。


「さて、時間も惜しいですからね。さっそく始めましょうか。ちょいとキツイ修行です、魔族に殺される前に私に殺されない様になさいませ。」



死の道。地獄の扉。不吉で異様な二つ名を持つ伝説の暗殺者ルドガー・オルセン・パーカーの殺手術の伝授が始まった

いつもお読みいただきありがとうございます。


とうとうルドガーの暗殺術の伝授が始まりました。

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