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69 ハンスの報告

ハンスがようやく帰って来たようです

レンジャーのハンスがやっとの事でウンドの冒険者ギルドまで帰って来て、最初に見たのは中庭で踊り狂う冒険者の面々であった。


見た事もない程美しく踊る見知らぬ女性を中心に、ロンと競い合うように禍々しい気配を放ちながら踊る角の生えたこれまた見知らぬ女性がおり、その隣りではエルザが大柄なコボルトと楽しそうに踊っている。あのコボルトは確か北の氏族の長である。なんだかとても仲が良さそうである。


そして何より驚いたのは、ロン達の周りでは美しく長い金髪をたなびかせるブランシェトに蒼く艶やかな長髪をたなびかせるタスリーマ、加えて和かに微笑むトムが揃って踊っている事。

さらには、おおよそこの様な事をしないであろうグリエロとエス・ディが仏頂面で不格好に踊っている事に驚愕する。


一種異様な光景に呆然と立ち尽くすハンスは、一心不乱に踊り続ける一同に声を掛ける事が出来ずにいたが、ふと中庭の隅を見ると見たこともない柔和な笑みをこぼしながらヴァリアンテがグリエロの教え子達とお手玉をして遊んでいた。


ハンスはもはや自分のいる場所が勝手知ったるギルドの中庭では無く、どこか遠い異世界なのではないかと思い始めたがすぐに報告すべき事が山程ある事を思い出し、意を決してこの中で一番話しかけやすそうなヴァリアンテのもとに行く。


「あのう... ヴァリアンテさん!? ...これは...?」


ハンスが恐る恐る尋ねると、振り向いたヴァリアンテの顔はいつもの仏頂面であった。


「なんだいハンスかね。ようやく帰って来たんだね。いや、ご苦労だったね。」


そう言ってヴァリアンテはバキバキと立ち上がり声を張る。


「おおい!トム!ハンスが帰って来たよ!会議の時間だ!」



すぐに会議が始まったが場所はギルドの中庭である。


皆汗だくで肩で息をしている。こんな有様で大丈夫だろうかとハンスは心配になるが、各々が思い思いの姿勢で中庭の真ん中で車座になって座っており、トムにいたっては脚を前に投げ出し両手を後ろについて大変くだけた感じで座っている。


ハンスは深く考えるのを辞めて報告を始める。


「あー、えーっと、何と言うか報告を始めます、ね。使い魔に取り急ぎ報告した時は三日で帰ると言いましたが、帰って来るのに四日かかったのはオーク共の動き、と言うか魔族の動きに少し変化があったためです。

魔女達がオドのうねりに変化があったと... 魔族の気配が一つか二つ増えたと言う事だったので詳しい調査をしたのですが、向こうにも索敵の手練れが居まして、気配を隠蔽しながらの調査だったので一日使った訳なんです。」


ハンスがそこまで言うとトムがわずかに眉根を寄せる。


「魔族の人数が増えたって!?それは確かなのか?」


「はい。魔女達が言うには明らかにオークのものでは無い異質なオドであるとの事でした。その時点でかなりの危険を感じたので魔女達には撤退してもらい、私単身での重深度探索に切り替えたんです。」


 ハンスがそこまで言うとヴァリアンテが渋面を作りながらガラガラと唸る様に言葉を発する。


「その時点で魔女を退がらせてのは結果としても良い判断だった。魔女達の安全を慮ってくれて礼を言う。しかしアンタにゃ苦労をかけたね、その身を危険に晒させちまった。すまなかったね。」


 ヴァリアンテが深く頭を下げるとハンスは慌てて首を振る。


「いえ、ヴァリアンテさんお気になさらないで下さい。どの道、最終的には私が探索深度を深めていたでしょうから遅かれ早かれ単身での潜入になっていた筈です。」


 トムが「相変わらず無茶をするね。」とポツリと呟くと周りに座る上級職の冒険者達はその言葉に深く同意する様に頷く。


 ハンスの重深度探索は、通常のレンジャーの深度探索とは探索精度が違う。それはハンスのもはや特殊技能と言っても良いもので他のレンジャー職の追随を許さない。下手をすると下位のレンジャーでは足手まといになりかねないので、探索技能を持たない魔女を退がらせたのは当然の事なのではある。しかし他の冒険者からの支援が受けられなくなると言う点では危険度は跳ね上がる。


 とは言えハンスの方はそんな事を意に介さない様で淡々と報告を続ける。


「あと新たな魔族が合流した事を裏付ける要因としては、オークの大隊の進行速度が一時的に落ちた事もあります。合流のために速度を落としたものと思われます。速度を落とした直後に異質なオドが増えたんです。たとえ魔族で無くとも増援を呼び寄せた事は十分考えられます。」


ハンスがそう告げるとパイリラスが唸るような声を発して首を振る。


「いや。魔族の増援で間違いなかろう。元は七人で侵攻して来たのだ。二人減ったので二人加える。計算は合う。

それに七人と言うのは、魔王エルコニグ様を総大将としてオークの大隊を六個の中隊に分け、それぞれ配下に指揮をさせる為に必要な人員の数なのだ。」


パイリラスがそこまで言うとハンスがおもむろに手を挙げる。


「なるほど、納得しました。あの、ところで貴方はどちら様で?」


ハンスはそう言いながら目線をパイリラスの額から生える角に移す。


ハンスの不思議なものを見るような、怪しげなものを見るような形容し難い含みのある顔をみて口を開いたのはトムである。


「彼女はパイリラス・ドゥズヤルヤ。先日我らの仲間になった魔族だよ。」


「惨禍の誘惑者パイリラス・ドゥズヤルヤだよろしくお願い申し上げる。」


トムから紹介されたパイリラスはそう言って頭を下げる。

一瞬硬直していたハンスだが、直ぐに驚愕の表情を浮かべ大きく仰け反る。


「えええ!魔族!?な、なんでこんな所に!...って言うか仲間!?...仲間!」


「そうなんだよ。詳しく説明すると長くなるからかいつまんで要点を述べると、ロン君がすったもんだの末にウンドに連れて来てね。義理堅い良い奴だったのでギルドの仲間になって貰ったんだよ。」


トムの何にも伝わらない意外過ぎる成り行きにハンスは半ば茫然としながらも何度かうなずくと大きくため息を吐く。


「いやいや、端折り過ぎでしょ。...まぁトムさんがそう言うなら問題ないんでしょう。

わかりました。よろしくお願いします、パイリラスさん。私はハンス・フロリアン・ジィマー、偵察や撹乱を得意とする遊撃手です。お見知りおきを。」


「ああ野伏か。ストライダーか?」


「いやぁ、そこまででは無いですね。レンジャーどまりですよ。」


それを聞いてパイリラスは意外そうな顔をする。


「そうなのか!?刺す眼バロール・ビルグデルクの遠見の術を掻い潜り大隊の動向を調べ上げたのだ、大したものだぞ... 」


「ああ、バロールっていう魔族なんですね。

刺す眼って異名を持っているんですか?なるほど言い得て妙です。

いや、かなり鋭い索敵感知を持っていたので何度も肝を冷やしましたよ。」


「いや、それでもバロールの眼を掻い潜って動向を探って来たんだ見事なものだよ。奴の遠見の術の精度は恐ろしく高い。十里四方を見渡す邪視術で、見たいものを見出し遠く物陰に隠れていようが睨み殺すことが出来る。」


そう言ってパイリラスは自分の眼元を指先でトントンと叩く。

それにため息を吐くのはエス・ディであった。


「どえれえ眼力だな。おいパイリラスよ、前にも聞いたがもう一度聞くぞ。そいつは眼を持ってるんじゃ無いんだな?

あくまでも遠見の術、邪視術なんだな?」


「うむ。術であると言っていた。しかしエス・ディ殿が言う眼とは何なのだ?」


「ああ、俺が探してる野郎かと思ったんだが気にしねえでくれ。よく考えりゃ五百年も結界の向側にいたんだ、俺の知ってる奴じゃ無えわな。」


そう言ってエス・ディはその場にゴロリと寝転がってしまう。


仏頂面でそっぽを向いて寝転がるエス・ディを一瞥して苦笑いをするとトムは再び皆の方に向き直る。


「よし、軽い自己紹介も済んだし先に進もう。

ハンス、オーク共の進行速度が落ちたって言ってたけれど、オークの大隊がウンドに到着する日時に変動は出て来そう?」


トムの問いかけにハンスは首を振る。


「いえ、進軍速度が落ちたのは一瞬です。オーク共の足なら変わらずあと六日でウンドに到着します。」


「時間帯までは特定出来ないかい?」


「いえ、わかります。オーク共は不眠不休で移動しているので、お陰でとても計算がしやすいんです。

ですのでオーク共の到着は早ければ正午過ぎ、遅くとも夕刻迄には

ハンスの言葉を聞いたトムはコクリと一つ頷くとニコリと笑う。その顔は余裕が見られる。


「よし。それでは手筈通り、オーク襲来に合わせて手早くウンドの住人を避難させて魔族共を迎え撃とう。」


するとエルザが満面の笑みをたたえ大きく頷く。


「フィリッピーネさんの舞踏公演の日ですよね!

楽しみですね!

午前中はフィリッピーネさんの舞踏公演を観て、午後から避難誘導ですね。

その日は忙しいですねぇ。」


などと言って楽しそうに微笑むエルザを見てグリエロはため息を吐く。


「なに呑気な事言ってんだ。避難誘導はモリーン達の仕事だ。お前さんはオーク及び魔族の迎撃だ。」


「え!?私、戦うんですか!?」


「当たり前ぇだろうが。お前さん上級下位の黒魔導師じゃねえか、貴重な戦力だろがよ。」


それを聞いてエルザは顔色を青く染める。


「え!だって、オークの大隊ですよね?大隊って言ったら千匹くらいいるんですよね?さらにそれを魔族が指揮してるんですよね!?」


「千匹くらいも何もバッチリ千匹いるんだよ。だから一人でも戦力が欲しいんじゃねえか。エルザ、お前さんの無茶苦茶な魔法には期待してるんだぜ。」


そう言ってグリエロは青ざめるエルザの背中をバシンと叩く。

そこに追い討ちをかけるのはフィリッピーネである。


「それにエルザちゃん、舞踏公演は観るんじゃないわ。舞台に立って踊るのよ!そのためにいっぱい練習したんだから!」


そう言ってほがらかに笑うフィリッピーネにエルザは絶句する。

それを聞いて大笑いするのはグリエロである。


「ガッハッハッハ!エルザ、お前さんその日は大忙しじゃねえか、踊り疲れて戦えなくならねえ様にな!」


そのグリエロの言葉を受けてニコリと笑うのはフィリッピーネである。


「グリエロさんも舞台で張り切りすぎてバテないでくださいね!」


「はぁ!?何で俺も舞台で張り切るんだ... 」


「皆んなで舞台に上がるんですよ!そのために皆んなで一生懸命に踊りの練習をしたんだもの!」


そう言ってフィリッピーネは優雅にくるりと回転し厳かに拳を天に突き上げる。


「はい!?俺たちゃ身体操作の訓練の為に踊ってたんじゃねえのかよ!

おい、トムどう言うこった!」


そう言って狼狽するグリエロを見てトムが楽しそうに笑う。


「何だかそう言う事みたいだね。良いじゃないか、オークや魔族の相手をする前のイイ準備運動になるよ。」


そう言ってトムはフィリッピーネに習った舞の振りをサッと踊ってみせる。

それを見てエルザに続いてグリエロも青ざめると、そのくだりを素知らぬ顔で聞き流していたエス・ディも気付いた様でやにわに立ち上がる。


「ちょっと待てよ?つぅ事は何か俺も踊るってのか!?」


焦るエス・ディに青ざめるグリエロが振り返る。


「あたりめぇだ。皆んなつったらお前さんもだろうがよ。て言うかお前さんだけ踊りの最後に何か特別な振り付けがあったな。ありゃそういう事か。」


「そうだ!俺だけ最後に天井に向かって矢を放つんだ、何だ?もしかして俺が最後のトリって訳か?」


そう言ってエス・ディは天を仰いで絶句する。


「そうです!エス・ディさんは最後に舞台の天井に設置してる的を射って貰います!」


そう言ってフィリッピーネは矢を放つ身振りをする。

天を仰いで絶句していたエス・ディは、今度は肩を落としてうなだれるとそれを見てタスリーマが大笑いする。


「アッハ!何?エス・ディあんた柄にもなく緊張しているの?図太いアンタが舞台を前にして縮こまっちゃうなんてね、アハハ。」


「オイ!タスリーマげらげら笑うんじゃねえよ!お前ぇだって舞台で踊るんだぞ!随分と余裕じゃねえか!」


そう言ってエス・ディは焦燥感漂う顔でタスリーマを睨みつけるが、当のタスリーマは余裕の笑みを浮かべている。


「望むところよ!だってフィリッピーネちゃんにこんな素敵な踊りを教えて貰ったんだものね。

フィリッピーネちゃんと同じ舞台でお披露目出来るなんて光栄だわ!」


そう言ってタスリーマは踏ん反ると、フィリッピーネがタスリーマに飛びついて抱きしめる。


「光栄だなんて嬉しいわ!私もタスリーマさんと踊れる事が、皆んなと踊れる事がとっても嬉しいわ!」


「わ、私も頑張ります!」


そう言って急にやる気を出したエルザにもフィリッピーネは飛びついて抱きしめ喜びを露わにする。


それを遠目に眺める冒険者ギルドのむくつけき男共は諦観のため息を吐く。


「うちの女共はいつの間にあんなに仲良くなったんだ!?」


グリエロが解せぬ顔で首を捻ると、ロンは然もありなんと言った顔で抱きしめ合う女子達を見つめる。


「いや、ちょっと前からうちの女子達は仲が良いんだよ。エルザがかすがいになっててね。エルザって奇警の黒魔導師って言われているんだろ。それでブランシェト先生とかタスリーマさんとかと黒魔法の研究してるしな。

それにエルザはタスリーマさんやミナの熱烈な信仰者だからなぁ。」


ロンがそう言うやエス・ディも何とも解せぬと言った顔でロンを見る。


「何だいそりゃ?何だ信仰って!?タスリーマの奴ぁ、とうとうおかしな宗教でも始めたか!?」


「いやいや。エルザはタスリーマの著書の信奉者なんだよ。ほら、ミナが主役の古い小説があるんだろ?

それでエルザがミナとタスリーマをお姉様って呼んでるんだよ。」


ロンが何とも言えない微妙な顔をすると、トムもむべなるかなといったおもむきで小さく頷く。


「まあ、仲良くなる事は良いことだよ。仲間としての連帯感が生まれると作戦の連携も取りやすくなるからね。」


トムはそう言い一人で納得して完結していると、側にいるグリエロとエス・ディが大きくため息を吐く。


「ま、何でもイイやな。アイツらがそれで良いってんなら俺達の出る幕は無えやな。

んじゃま、飯にすっか。

ロン、お前さんどうする?相変わらず踊る子猫亭で悪食やってんのか?」


「何だよそれ。まあ変なモノ食ってる認識はあるけれど...

もちろん踊る子猫亭だけど、午後から何か依頼がないか受付に寄って行くから先に行っててよ。」


先に行けと言っても自分は踊る子猫亭の裏でアルジェントと飯をがっつくのだが、と思いながらロンが踵を返すと隅の方で膝を抱えてうずくまるパイリラスが目に止まる。


「何だパイリラス?何でそんな所で小さくまとまっているんだ?」


ロンはそう言ってパイリラスのうらめしそうな視線を辿るとその先にはキャッキャと騒ぐ女性陣がいる事に気がつく。


「何だよパイリラス、あっちの輪に混ざりたいんなら行けば良いじゃないか。」


ロンがそう言うと、パイリラスはその筋骨逞しい身体を小さく縮めてうつむく。


「いや、私はだな、その、武人であるから... その、不粋な魔族であるし、その、それでだな... 」


パイリラスはぶつくさと呟きながら地面を見ている。


「何言ってんだ。お前はもう仲間になったんだろ?魔族だの関係ないだろ?子供か!?」


ロンがそう言うやパイリラスはやにわに顔を上げ目を輝かせる。


「え!?いいのかな!...でも私は無骨な魔族だしな、向こうでは女キングエイプって言われてたしな... 」


そう言って再びふさぎ込む。


「めんどくさいな。キングエイプって言っても女キングエイプなんだろ。とりあえず女の範疇には入ってるんだから、あっちの女子会にも参加出来るんじゃない?」


そう言って振り返るとフィリッピーネがロンとパイリラスに気がつく。


「パイリラスちゃ〜ん!パイリラスちゃんもこっちにおいでよ〜!」


フィリッピーネが無邪気に手を振るやパイリラスは号泣する。


「うわーん!私も仲間に入れて欲しかったのじゃ〜!嬉しいのじゃ〜!」


そう言ってパイリラスは女子の輪に飛びかかり、満面の笑みをたたえてその女子の輪をまとめて抱きしめる。


おもいっきり、力強く。


「へきょ」と言うエルザの素っ頓狂な声とともにギルドの中庭にベキバキと不気味な音が鳴り響く。


パイリラスの腕の中、エルザ、タスリーマ、フィリッピーネがぐったりとうなだれている。


パイリラスの腕の中の三人は力無く青ざめているが、それをみているパイリラスの顔は焦燥と驚愕に歪み、より青白く血の気が引いている。


余りにも間抜けな思わぬ惨事に一同が目を点にして呆けていると、少し離れた所から生温い顔で女子会を見守っていたブランシェトがパイリラス達のもとに飛んでくる。


「ちょっとパイリラス!あなた何やってるの!このお馬鹿!大馬鹿者!」


そう言って三人を抱きかかえながらガタガタと震えるパイリラスから、エルザ、タスリーマ、フィリッピーネを引き剥がそうとするが、パイリラスは震えるばかりでびくともしない。


「コラ!男ども!何ボサッとしているの!こっちん来て手伝いなさい!」


そう言われてようやく我にかえったロン達は慌ててパイリラスのもとに駆けつけ、ぐったりとうなだれる女子三人を引き剥がす。


エルザ、タスリーマ、フィリッピーネをそうっと地面に寝かせると、ブランシェトは苦悶の表情を浮かべ倒れている者に手をかざす。


「我が名はブランシェト、共に歩む精霊オンディーナのよく識る名なり。

この者達のゆくえを探しあて、その唇と手をとり、生命の草原を歩み、時を忘れて摘もう、月の銀色、太陽の金色... 」


ブランシェトは歌うように、囁くように神聖魔法を紡ぐ。強大で大きくうねる魔力だが、優しく包み込むような暖かな力に満ちているせいか、圧倒こそされるが見ているだけで癒されていく様だ。


程なく倒れるエルザ達の顔も穏やかになり歪んだ身体も元に戻る。


フウと一息吐いてエルザが目をあける。


「あ、あれ!?私何でこんな所で寝っ転がっているんだろう?」


慌てて駆け寄るのはランスである。


「エルザ大丈夫カ!?ナンダカ凄マジイ音ガ聞コエタガ...。」


「そう言えば、何だか突然息が苦しくなって... 気がついたら寝てたわ... 何でだろう?」


そう言ってポカンとするエルザの横、タスリーマが飛び起きる。


「パイリラス!あんた私達を殺す気!?」


そう絶叫して文字通り雷をパイリラスの頭上に落とす。


「す、すいません...のじゃ。私とした事が嬉しすぎて我を忘れてしまったのじゃ... 」


雷の魔法を脳天に落とされてブスブスと焦げ臭い匂いを立ち昇らせながらパイリラスは平身低頭して、これまた文字通り地面に頭が刺さらんとする勢いで頭を下げる。


「嬉しいからって骨が砕けるほど抱きしめる人がありますか!この大馬鹿者!」


そう言ってブランシェトも雷を落とす。このギルドの女性陣は怒ると文字通り頭上に雷を落とすらしい。


ますますしょげかえり涙を流すパイリラスだが流石魔族と言ったところか、ブランシェトとタスリーマの雷を受けてもたいしてこたえていない様だ。

だが精神的には相当こたえたようで、涙と鼻水に濡れた顔はどんどん土気色になっていく。


ようやく状況を理解したエルザはタスリーマやブランシェトとパイリラスを交互に見てアワアワと狼狽えている。


それを見かねたトムが苦笑いをしながら助け舟を出す。


「いや、流石だね。やはり魔族の力は単純に言って凄いもんだね。まあパイリラスが仲間になって心強いし、これから攻めて来る魔族共がいかに恐ろしい存在か直にわかって良かったじゃないか。

皆んな気を引き締めてかかろう!」


「もう!なに呑気な事を言ってるの!一歩間違えたら大変な事になっていたのよ。私がいて良かったわよ。」


パイリラスに雷を落としていたブランシェトがトムに向き直りため息を吐く。


「しかし、ブランシェトの回復魔法は相変わらずスゴイね。凄い怪我だったけれど完全に元通りに回復したんじゃないか?」


「もう、上級上位の最高位の回復魔法をかけたわよ。フィリッピーネ様もいたしね。

でも流石ね。踊りで培われた身体は、鍛え抜かれた上級冒険者の肉体に匹敵する強靭さを持っているのね。おかげで回復がすごく早いし綺麗に治ったわ。」


そう言ってブランシェトは感嘆の表情をフィリッピーネに向けると、それに呼応するかの様にフィリッピーネが目を覚ます。


「あら!?私どうしたのかしら?どうしてここで寝ていたのかしら?」


そう言って優雅にフワリと立ち上がる。その流れる様な動きには、とても先ほど背骨を砕かれた者の様には見えない。ブランシェトの回復魔法は完全にフィリッピーネを治癒した様だ。


フワリと立ち上がり小首を傾げるフィリッピーネの足にすがりつくのはパイリラスである。


「申し訳ありませぬ!フィリッピーネ様!ご無事で何よりです!うううっ... 私のせいで一時はどうなる事かと... 申し訳ありませぬ... どの様なお叱りでも受けます、なんならこの場で身罷ります!」


美しくしなやかな脚にすがりつくパイリラスの顔は涙と鼻水に濡れて余り美しくない。


「おい、今度は脚を砕くなよ。」


雷で頭を打たれ過ぎたか少々おかしな事を言い出しているパイリラスにグリエロが呆れて冷たく言い放つと、パイリラスはフィリッピーネを離し後ろに飛び退く。


「あわわ... フィ、フィリッピーネ様、わ私は決して貴女を傷つけようとした訳では無くて... 」


慌てて弁明するパイリラスにフィリッピーネは優しく微笑みかける。


「フィリッピーネちゃんって力が凄く強いのね!驚いちゃったわ!」


あっけらかんとするフィリッピーネに逆に一層恐縮するパイリラスである。


「す、す、すいません!取り返しのつかない事を!私は!」


身を固くするパイリラスにフィリッピーネは優しく諭す。


「取り返しのつかない事じゃないわ。ブランシェト様に癒して貰ったもの。凄い回復魔法のせいか怪我をする前よりも身体の具合が良いくらいよ。

それに、取り返しのつかない失敗なんて無いわ。

失敗って経験を積むためにあるのよ。どんどん失敗していっぱい成長しましょ!」


そう言ってほがらかに笑うフィリッピーネはつい先ほど背骨の骨を砕かれ、死の淵を彷徨っていたのだが、その様なことは瑣末な事だと言わんばかりであるばかりか、パイリラスの失態も彼女の成長の糧とばかりに笑い飛ばした。


そのフィリッピーネの態度にパイリラスは感動し再び号泣する。


「フィリッピーネ様はなんと寛大なのじゃ!この破壊するばかりで何の取り柄も無い糞魔族にその様なお言葉を賜りになるとは!

私は!わ、私は!わ、わ、わ...」


最後は言葉にならず咽ぶパイリラス。


それを見る冒険者の面々は、かける言葉どころかつける薬も無いと言った面持ちで傍観するばかりである。


これにはタスリーマも呆れて苦笑いするしかない。


「よし、フィリッピーネさんの赦しも得たしひとまずここで解散しよう。

すっかり忘れていたけれど、ハンスの報告で魔族の動向もわかった。各々自分のやるべき事をやってくれ。」


トムの言葉に一同はうなずき解散の流れとなる。


ロンも中庭から出ようとして、心配そうにフィリッピーネの背中を診るブランシェトとエルザ、その隣で心配そうにするパイリラスに拳骨をお見舞いするタスリーマ達を見て、ふと立ち止まる。


「ブランシェト先生、フィリッピーネの具合はどうですか?

先生の治癒魔法なら怪我の方は大丈夫だと思いますが、六日後の舞踏公演に差し障りは無いんでしょうか?」


ロンの言葉にエルザは心配そうな表情を浮かべ、パイリラスはさめざめと泣き出す。


「そうね、怪我してすぐに治療できたし、なるだけゆっくり魔力を流し込んだから骨や筋肉も元通りになってはいる筈だけど... フィリッピーネ様身体を動かしてみて、何か違和感はないですか?」


そう言われてフィリッピーネはその場で手脚を動かしてにこりと微笑む。


「大丈夫みたい。どこも痛くないわ!」


そう言って飛び跳ねるが、着地をした際に少しよろめく。


「おっと、私とした事が。」


フィリッピーネはすぐに体勢を立て直すが、ブランシェトが駆け寄りそっと背中を支える。


「フィリッピーネ様、少し多めに魔力を流しましたから、少々魔力酔いがあるかもしれません。今日は大事を取って安静にしていて下さいね。」


「そうなのね。ごめんなさいね心配をかけて。」


ブランシェトの言葉にフィリッピーネはいつものように微笑むが、その顔には少し陰りがある様にも見える。


そこにパイリラスが慌てて駆け寄り跪く。


「フィリッピーネ様、私が抱えてお部屋までお運びします!」


「あら、いいのよ。自分で歩けるわよ。」


「で、ですが万が一の事があっては... 」


フィリッピーネとパイリラスの押し問答に割って入ったのはロンである。


「フィリッピーネちょっといいか?僕にも背中を見せてもらってもいいかな?」


「あら、いいですけれど、どうしたの?」


ロンの思いがけない突然の言葉にフィリッピーネは不思議そうな顔をしながらもロンに背を向ける。


ロンは慎重にフィリッピーネの背中に触れる。


それに反応したのはフィリッピーネでなくエルザである。


「チェ、チェイニーさん。何しているんですか?

親しいからと言って、女性の身体にむやみに触れるのは... あの、その、えっと... 」


何故かまごつくエルザにブランシェトが苦笑する。


「エルザちゃん、心配しなくて大丈夫よ。」


ブランシェトはそう言ってエルザの頭を優しくなぜるとロンに向き直る。


「どう、チェイニー?どこか筋肉の引き吊りや骨の歪みがある?」


「いえ、流石ブランシェト先生です。まるで違和感のない身体です。ですがきれいに魔力が浸透して通り抜けているみたいですが... フィリッピーネの身体は筋肉も骨もかなり均整が取れているし、この身体性で先生の魔力が滞る事なんてあるのかな?」


「どうしたのチェイニー?何か引っかかる事があるの?」


ブランシェトの目が真剣な眼差しでフィリッピーネを見つめるロンの瞳を見る。その目はどこか誇らし気である。


「いえ、魔力が淀む事が無いのに魔力酔いが起こるなんてあるんでしょうか? ...身体にもおかしな所は無いし... 」


ロンは肩を落とし一拍置くとブランシェトに向き直り重そうに口を開く。


「すいません、先生。僕ではわかりません。何か違和感を感じはするんですが、その理由がわからないんです。すいません偉そうに出てきたくせに役に立たなくて。」


ロンは忸怩たる思いにうつむくが、ブランシェトはチェイニーの手を取り首を横に振る。


「そんな事ないわチェイニー。あなたはとても立派です。私の気が付かなかった違和感に気がつき果敢に治療しようとしました。

ロン・チェイニー成長しましたね。

ルドガーさんの所で多くを学んで大切な物を身につけたのね。

とっても嬉しいわ。」


そう言ってブランシェトは優しく微笑みロンの頭を撫ぜる。


「せ、先生!?あ、あの、恥ずかしいですよ。」


魔術学院にいた頃の様に頭をなぜられてロンは赤面する。ブランシェトにとってはロンはまだ可愛い弟子であるようだ。


「あら、ごめんなさい!私とした事が。

チェイニーはもう立派な冒険者だったわね。」


ブランシェトは慌ててロンの頭から手を離す。


「でもブランシェトさんもチェイニーさんも、フィリッピーネさんの身体の違和感がわからないとなるとどうしたら良いのでしょうか?

この街にはブランシェトさん以上の治癒魔法の使い手なんていませんよ。」


心配そうな表情のエルザとは違い、ブランシェトは明るい笑顔でエルザの疑問に応える。


「いるわよ、私以上の癒し手が。」


「え!?どなたなんです?」


訝しげな顔のエルザとは裏腹に明るい笑顔のブランシェトは人差し指を立ててロンを見る。


「ルドガーさんよ。按摩術師ルドガー・オルセン・パーカーさんよ!

ロンのお師匠様じゃないの。エルザも知っているでしょう?」



さてどうなるのでしょうね。


いつもお読みいただきありがとうございます。

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