67 トムの対策
魔王が直々に攻めて来るんですね。
パイリラスの口から聞かされた魔族の中に魔王エルコニグがいる事を知らされブランシェトとミナは複雑な表情を見せる。
この会議室の中で、五百年前の魔族との戦争に参戦し、あまつさえ魔王の恐ろしさを目の当たりにした当時を知る二人だからこそ、魔王が直々に出張って来る事の事態の重さは痛いほど理解出来る。
それ故の複雑な表情ではあるが。
ミナは頭を抱えながらも納得の表情を見せる。
「そりゃそうよね。結界を破ってこちらに来るなんて絶好の機会だものね。魔王自ら出張って来てもおかしく無いわよね。」
「オークの一個大隊に加えて魔族があと五人もいるだけでも頭が痛いのに、その中の一人が魔王だなんてね。本当にどうしようかしら... 。」
ブランシェトがうなだれているとエルザがおずおずと喋りだす。
「ミナお姉様なら魔王エルコニグと対等以上に渡り合えるんじゃないですか?
あの殭屍王様にも一歩も引かずに渡り合っていたんですから。」
エルザが希望に満ちた顔で問いかけるとミナが苦笑いしながら首を振る。
「あの人とは渡り合うと言うのもおこがましい程の実力の差があったわ。なんせコテンパンにやられたんですもの。
魔王エルコニグとはどうでしょうね?戦ったらいい所まで行くかも知れないわね... 五百年前の現役だった頃ならね。
当時の私ならいざ知らず、今の私じゃかなわないでしょうね。戦いから退いて長いもの。あの人の眷族になって不老不死にはなったけれど、戦いじゃあんまり役に立たないんじゃないかしら。
今ならオークにも遅れをとるかも。」
そう言って嘆息するミナを見てエルザは押し黙ってしまう。
そこに軽口を叩くのはグリエロである。
「そうだな、ミナ、お前さんとんでも無く鈍臭いもんな。何も無ぇ所でつっ転ぶしな。とてもじゃ無えが元上の上の戦士には見えねえわな。」
「なによ!グリエロだって元上級戦士だったくせに、たった五年でゴブリンにも負けるくらい焼きがまわっていたじゃない!
私は五百年もギルドの受付で事務仕事してるのよ。一日のほとんど座りっぱなしなんですからね!」
「焼きがまわったとか言うんじゃ無えよ!もう昔の勘は取り戻してるよ!
ったく...まあいい俺の言いたい事はそこだ。俺もちったあ昔の勘を取り戻せたんだ、お前さんもやりゃあ出来るんじゃねえか?曲がりなりにも伝説の戦士なんだからよ。」
グリエロの問いにミナは膨れっ面をしながらも答える。
「グリエロ、あなたは五年で、私は五百年なんですからね。まあ、頑張ってみるけれど... 」
ミナがそう言うやエルザが目を輝かせながら立ち上がる。
「ええ!ミナお姉様も戦いに参加されるんですか!?もしかしてミセリコルデにマン・ゴーシュを携えて戦場に立たれるんですか?
まさか、あの物語の様に... 」
一人で盛り上がり始めたエルザの背中を両脇から摩るのはロンとランスである。フィリッピーネは優しく頭を撫ぜ、グリエロは無遠慮に頭を払う。
エルザは我に返り真っ赤になって椅子の上で縮こまる。
呆れた顔でガラガラとしゃがれた声を発するのはヴァリアンテである。
「まったく、あんたらは何時もの通りだね。まあ無駄に焦燥して騒ぎ立てないだけマシだけど、一向に会議が進まないね。
おら、パイリラス。あんたの元いた所の魔族の面子を教えな。」
ヴァリアンテにそう促されたパイリラスはその場で居住まいを正す。
「ああ、そうであったな。
中にはミナルディエ様やブランシェト様は知っている者がいるかも知れません。
魔王エルコニグ様を筆頭にして
遠見の術を持つ、刺す眼バロール・ビルグデルク。
魔法剣士、黄泉の白鴉レンミンカイネン・カウコミエリ。
山の魔女ビローグ。
それにエルフの結界を破れる男。
以上の五人ですが五人目の男ですが全く素性が知れないそうです。」
パイリラスがそう告げると最初に悪態をついたのはヴァリアンテであった。
「ふん。ビローグの糞婆がいるのかい。まだ生きているだけじゃなく、魔族の側に着いているとはね。」
ガラガラと忌々しげに吐き捨てるヴァリアンテに驚きの顔を見せるのはパイリラスだった。
「ヴァリアンテ殿は山の魔女ビローグをご存知なのですか!?」
「ああ、知っているよ。殺したと思っていたがね... 魔界に落ち延びていたとはね。」
ヴァリアンテがそう言って腕を組み椅子に深く沈み込むと、恐る恐るといったふうにエルザがヴァリアンテを覗き込む。
「あの... 山の魔女ビローグって、やっぱりあの魔の山の伝承の魔女ビローグなんでしょうか?」
その言葉に反応したのはブランシェトである。
「あら、魔の山の伝承を知ってるの!?エルザちゃんって本当に何でも知っているわね。若いのにすごいわね。」
ブランシェトが感心するとエルザはふるふると首を振る。
「いえ、どれも魔術史を研究するのに少しかじった程度です。...それより、お伽話や言い伝えだと思っていた事が本当にあった事のほうが驚きです。」
「どれも古い話しですからね。お伽話だと思っちゃってても仕方がないわね。」
ブランシェトがそう言うとヴァリアンテが興味も無さそうに顔を上げる。
「なんだい!?そんなに昔の出来事だったかい?」
「そうよヴァリアンテ、あなたがビローグを打ち破ったのは八百年くらい前よ。」
「ああ、そうかね。もうそんなに経つんだね。」
ヴァリアンテはそう言ってヒラヒラと手を振る。
それを聞いて驚いたのはロンである。
「え!?ヴァリアンテさんって一体、何歳なんですか?」
「チェイニーさん!女性に年齢を聞くものじゃないですよ!もう!」
エルザが憤慨するがヴァリアンテは意に介さない様で、深く椅子に沈み込んだままヒラヒラと手を振っている。
「もう年齢なんて覚えてないね。
しかしまぁ、通りでガムザティ原始林でオークの所在がわからなかった筈だよ、ビローグが手ぐすね引いてたんだからね。あの婆ァの差し金ってんなら納得だ。
あの魔族なんて言ったか...ヒーシだっけか、チンケな野郎にあんな上等なマナの操り方が出来るのはおかしいと思っていたんだよ。」
ガラガラとしゃがれた声で悪態を吐くヴァリアンテに戸惑うのはパイリラスである。
「チンケって... ヒーシはあれでも強者ではあったのだが。
ですが、黄泉の白鴉レンミンカイネン・カウコミエリはさらなる強者です。ミナルディエ様とブランシェト様はご存知ですか?」
パイリラスの問いにミナは首を振る。
「名前くらいは聞いた事があるけれど、直接会ったり、見たりした事はないわね。
でも魔王エルコニグの腹心の懐刀だって事は聞いてるわ。」
そう言うミナの言葉を引き継いで喋るのはブランシェトである。
「そうね。私は遠目ながら見た事があるわ。
殭屍王がこちらについた事によって敗走した魔族軍だけど、最後まで抵抗したのはエルコニグ軍だったの。結局エルコニグ軍も敗れて撤退するんだけれど、その殿を務めたのがレンミンカイネンだったのよ。彼はとてつもなく強かったわね。人間とエルフの混成軍の追撃を一切許さなかったわ。」
そう言ってブランシェトはため息を吐きながら椅子の背もたれに身を委ねる。力無く沈み込むブランシェトに会議室に集う面々は二の句を告げられ無いでいる。一人を除いて。一人でニコニコしているのはトムである。
「いやあ、魔王とその腹心がやって来るなんてすごい事だよ。彼ら強いんだよねぇ。楽しみだなあ。」
虚勢ではなく屈託無く喜ぶトムに皆はため息すら出ずかける言葉も無い。
一拍の間を開けてタスリーマが怒りの口を開く
「あっきれた!呆れたわ!何言ってんのよ、五年前のオークキングの襲撃でウンドの冒険者達がどれだけ死んだのか忘れたの!?今度はオークキングどころか魔王が直々に侵攻して来てるのよ!」
タスリーマの怒声を受けてもどこ吹く風といった、涼しい顔をするトム。
「ああ、あの時は皆、五百年続く平和に浸かって惚けていた。」
そう言うと、トムの目の色が変わる。
その眼光はある種の決意を秘めた鋭いものだった。
「あのオークキングの襲来は忘れない。忸怩たる思いが未だある。だが今回は違う。あの時に学んだ自分達に足りなかったものを補う事が出来ている。敵を迎え討つ準備がある。」
「そうだろう?」とトムはタスリーマを見つめる。
「そりゃ、そうだけど... 私だってあれから自身を高める事に手抜かりは無いわ。ウンドの人達には指一本触れさせはしないわよ!」
珍しくタスリーマが感情を露わにすると、これまた珍しくグリエロが冷静に二人をたしなめる。
「おい、お前さん達はそれで良いかもしれんがな、ウンドの街の住人はお前さん達みたいな一騎当千の化け物じゃねえんだ。魔族率いるオークの一個大隊が侵攻して来てるんだからな。
住民の避難経路や避難先の事、それらを誘導する人手も必要だろうが。オークが来た、戦った、じゃあ済まないんだぜ。」
グリエロの物言いにブランシェトが感心した顔で頷いている。
「あら、グリエロにしてはまともな事を言うのね。あなたもトムみたいに突っ走って行っちゃうのかと思ってたけど。」
「うるせい。もう五年前みたいな惨事は懲りごりだってんだよ。」
グリエロは五年前のオークキングの襲来でジリヤの街が滅んだのを目の当たりにしている。いやグリエロだけでは無い。ここにいるエルザを除く上級職の冒険者は皆その場にいた者である。
オークが攻めて来るという事に対しては皆一様に思う所があるのだ。
憤るグリエロをみてトムはニコリと微笑んで口を開く。
「グリエロ、わかってるよ。俺もこの数花月ただいたずらに過ごしてきた訳じゃないさ。
対策は立ててるさ。ねえミナ。」
トムは得意満面といった風でミナを見る。微妙な顔をするのは当のミナだけでは無い。
「うぅん... アレを対策と言って良いのかしら?」
ミナが首を捻るとブランシェトはため息を吐きながら首を振る。
「まあ、奇策ではあるわ。上手くいけば相手の裏をかいて住民の避難も被害を最小限にとどめた上で出来るかも。」
「まあ、お陰さんであたしゃ結構なマナを使ってひと仕事させられたんだからね。上手くやらなきゃ承知しないよ。」
ヴァリアンテがガラガラと悪態を吐くやトムが嬉しそうに言葉を返す。
「そうそう、上手くやらなきゃいけない。
でも、上手くいく要素が一つ増えたんだよ!これは本当に偶然なんだけれど。奇跡的な偶然の一致がここに来て発生したんだ。」
トムが嬉しそうに人差し指を立てて立ち上がる。
それを胡乱な目で見るのはエス・ディである。
「本当かよ。お前ェの名案ってのはルドガー爺さんの罠講座の前例があるからな。あん時の阿鼻叫喚の地獄絵図は見るに耐えられるもんじゃ無かったぜ。」
エス・ディが言いようの無い不安を口にして肩をすぼめると、今度はロンが質問を投げかける。
「ところで一つ増えた上手くいく要素って何なんです?」
トムは立てている人差し指をフィリッピーネに向けると高らかに上手くいく根拠とやらを言い放つ。
「今から十日後と言うと丁度フィリッピーネさんの単独公演の日なんだよ!」
トムがそう言うとフィリッピーネのいつも朗らかとした表情が曇る。
「あら、そんな大変な時にバッレの公演なんて出来ないかしら。」
「いえいえ、その逆です。やって貰います!
フィリッピーネさんには舞踏公演を約束通りやって貰います。」
そう言ってトムはミナに向きなおる。
「フィリッピーネさんの公演の前売り鑑賞券はどれくらい売れてるの?」
「え!?もうとっくに完売してますよ。トムの言う通りウンドの街の住人しか売っていないわよ。」
「やあ、それは凄い!ウンド中央劇場の総座席数が千二百席だから、ウンドの住人の半分がフィリッピーネさんの踊りを見に行くんだね。
ていうかフィリッピーネさんが踊るとウンドの経済活動が一時的に停止するんだね。本当に凄いな。
よし!その日ははなから避難活動は半分終わってるみたいなもんだ。」
そこまでトムが一気にまくしたてるとフィリッピーネが不思議そうな顔をする。
「私の舞踏公演が避難活動の手助けになっていますの?」
「そうなんだ。この街の一時避難場所はウンド中央劇場なんだよ。今は劇場だけど元々は要塞なんだ。ゆったり目に座席も作ってるし、フィリッピーネさんならご存知だろうけど、舞台上、舞台袖、舞踏裏、楽屋も存外に広くて、合わせると客席と同じくらいの広さはあるからね、ウンドの住人を全て避難させても余裕があるんだよ。」
「ウンド中央劇場って要塞でしたのね!通りで他の劇場と違って物々しい造りをしているわけですね!」
フィリッピーネは何を納得したのか手を合わせて飛び跳ねる。
トムはますます嬉しそうに続ける。
「そうなんだよね。あんまり詳しく教えてあげられないんだけど、この街は変なんだよ!」
トムがそう言い放つや脳天にヴァリアンテの拳骨が落ちる。
かなり鈍く低い音が会議室に響き渡るがヴァリアンテはおろかトムも涼しい顔でニコニコしている。
流石のフィリッピーネも冒険者ギルドの首長であるトムの脳天に拳骨がどやしつけられるという異様な光景にたじろぐが、周囲のトムに対する冷ややかな視線にコレはウンドの冒険者ギルドでは通常運営なのだなと不思議な納得の仕方をする。
トムの脳天に一撃入れた勢いでヴァリアンテはバキバキと骨を鳴らして立ち上がり吠える。
「嗚呼、面倒だ!お前達と会議をすると何時まで経っても終わりゃあしないね!
この踊り子のお嬢ちゃんが踊りゃ万事解決すんだね?これで準備万端整ったね!?」
ヴァリアンテは口から火でも噴かんとする勢いでゴウゴウと唸る。その姿はまるで魔女である。まあ魔女なのだが。
恐怖に恐れ慄きながらもエルザがヴァリアンテにお伺いをたてる。
「あ、あのぅ。ウンドの住人の避難の仕方が割と大雑把な気がするんですけど... 」
エルザの不安に対してガラガラとヴァリアンテが嘯く。
「あぁ、大丈夫だろ。ウンドの奴らはああ見えてしぶといんだ、ちょっとやそっとでくたばっちまう事も無いだろうさ。トムも何とかするってんだ何とかなるんだろうよ。」
「そ、そうなんですね。でも、何だかんだでトムさんを信用しているんだすね。」
「あぁ!?」
「っひぃ!す、す、すいません!
で、では私達は十日後の公演日までどんな準備をしていればいいんでしょうか?」
ヴァリアンテにひと睨みされたエルザは慌てて話題を変える。
するとトムが待ってましたとばかりに身を乗り出す。
「そう!皆んなで踊りの練習をしよう!」
「「「「はぁああ!?」」」」
なんでそうなるんでしょうね。
いつもお読み頂きありがとうございます。




