65 新しい挑戦
ある日のロンです。
「おや。ロンさん随分と身体が柔らかくなったね。特訓の成果が出て来たんだね。」
ロンの背中を摩りながらルドガーは楽しそうに尋ねる。
フィリッピーネとの柔軟修行も始めてから一花月近くになる。
「はい。ここのところ毎日稽古をつけて貰っているんです。もうすぐフィリッピーネさんの舞台公演ですから、公演が終わったらヴァパダルに帰っちゃうからしっかり教えなきゃって言ってくれまして。」
「ははあ、そいつは良かったですね。それにしても、そのフィリッピーネさんという方は教えるのが上手いですね。あの身体の硬かったロンさんをこの短い期間で、ここまで柔軟にしたんだ。」
「いやあ、それは厳しい特訓でしたよ。すごく優しい顔をしていながら、やる事がえげつないんですよ。何回か気を失いました。」
ロンは笑って答えながらもフィリッピーネの柔軟運動の苛烈さを思い出し少し身震いする。
「ハハハ。そうですか、しっかり教えて貰っているんですね。良い事です。でもフィリッピーネさんがお国に帰られても柔軟修行は続けなさいよ。柔くなったといっても、ロンさんの言う拳法家の理想とする柔軟さには程遠いんですからね。」
ルドガーは笑いながらもロンに釘を刺す。
「は、はい。頑張ります。道のりは遠いなあ。」
そう言ってロンは苦笑いする。
「それにしても、あの硬かったロンさんをここまで柔軟にしたんだ。フィリッピーネさんとやらはさぞ優秀な踊り手なんでしょうな。ひとつ掴んでみたいもんです。」
ルドガーはそう呟きながら、グイとロンの首の後ろを押さえる。
ロンは疼痛に手足をバタつかせるが声が出せない。
「驚いたかい?これは急所、呼び名はカ。声の出せなくなる経穴さ。優しく押さえてやればアモン、頭痛を治め、風邪をひいた時なんかには咳を止める事も出来るツボだ。」
ルドガーはスッと手を離すとロンは緊張していた身体を弛ませる。
「お、驚いた。声の出せなくなる急所っていうのもあるんですね。身体って不思議ですね。」
ロンがポツリと呟くと、ルドガーはそれを聞いて優しく笑う。
「ロンさんは本当に素直で良い子だ。身体のツボや急所の事を知って不思議だと言ってくれる。そうなんだよ、人体は不思議なんだよ。」
「良い子って、僕は小さな子供じゃないですよ。でも人体って奥が深いです。この前もパイリラスと戦った時にルドガー先生の教えが無かったら勝てていなかったです。」
「ハハハ、子供扱いして悪かったね。そうだねえ、学び身につけたものは自身を助けるもんです。ロンさんしっかり学んだね、技がちゃんと自分の血肉になっているじゃないか。」
「それも良い師に巡り会えたからですよ。」
ロンは真面目な顔で素直に応えると、ルドガーはそんなロンの表情を見てとったかのように満足げに頷き笑う。
「ハハハ、嬉しい事を言ってくれるじゃないか。
よし、今日はここまでにしよう。家に帰ってゆっくり休んで、明日もまたしっかり修行を頑張るんだよ。」
そう言ってルドガーはロンの肩をポンと叩いて立ち上がらせる。
ロンは「失礼します」と言って深々とお辞儀をして去る。盲目のルドガーには見えよう筈も無いが、最近はルドガーから教えを受けた後には必ずそうしている。
ルドガーは見えない目でロンの後ろ姿を追う様な素振りをみせ、退出した扉の方を見ながら「律儀だねえ」と呟くのも最近の習慣である。
ルドガーの施術所を出るとすっかり日が暮れている。ロンはその足で晩飯を食いに踊る子猫亭に向かう。とは言え向かうのは踊る子猫亭の裏口である。
最近はロンの食事場所が踊る子猫亭の裏となっている事が多い。何故ならロンの食べるモノが見た目に大変不気味であるからだ。
いわゆるゲテモノを食べる様になった頃はさほど非難や苦情は出てこなかった。言っても踊る子猫亭の客は大半が細かい事を気にしない屈強な冒険者である。ロンがキラーエイプのナニやキングディアのイチモツを食べ出した時にはからかいはする者はいたが皆は意に介さないものであった。しかし最近はそれに加えてミズチリザードの複胃とタルパモールの胃腺というあからさまな臓物も食べる様になった。
ただでさえおかしなモノを食べている事に加え、さらに異様なモノまで食べ始めた。皿一杯に盛られた不気味な臓物を無心で掻き込んでいるロンを見た冒険者達が閉口したのは言うまでもない。
大抵の事には動じない冒険者ではあるが、湯気を上げる大量の臓物を黙々と食べるロンを見るのは耐えられなかった者もいる様で、とうとう苦情が噴出した。
そう言う訳でロンは踊る子猫亭の裏手でフェンリスウルフのアルジェントと食事する事になった。先日までは朝の走り込みの後にアルジェントと朝食を食べていたが、最近は朝、昼、晩の三食をアルジェントと共に食べている。
一人と一匹は黙々と臓物を頬張っている。
ロンとアルジェント、お互いの皿に盛られていた夕食を食べ終わるのはほぼ同時だった。
「ごちそうさま。」
「わふ。」
そう言ってロンが手を合わせると、アルジェントも満足げに小さく吠え頭を下げる。
「いつも忙しい合間をぬって山盛り飯を作ってくれるデボラには感謝の言葉もないな。アルジェントからもお礼を言っておいてくれないか?」
そう言ってロンはアルジェントの頭を両手で掴んでワシワシと撫ぜる。
アルジェントは気持ち良さそうに目を細めると、もっと撫ぜてくれと言わんばかりに頭を近づけてくる。
こうしてみるとアルジェントはただの大きめな犬にしか見えない。本当はフェンリスウルフであり滅多に人前に姿を現さない賢くも獰猛な魔物なのであるが、酒場の看板娘であるデボラが母となり飼い主となり懸命に育てているからか大人しいうえ人懐っこい。
「ここでアルジェントと飯を食っていると一日が終わったって気がするよ。今日もいつもと変わらない大変だけど充実した一日だったな。」
そう言ってロンは今日あった出来事をアルジェントに話す。アルジェントもロンの話しを黙って聞いている。ロンの顔をじっと見つめている様は、あたかも人語を理解しているかの様だ。
もっともロンは、フェンリスウルフは頭の良い種族なので自分の言う事をちゃんと理解しているのかもしれないとも思っている。そう思う理由に、この前ランスと採取依頼の最中に世間話をしていた時の事である。
「酒場ノ裏手ニ、普通ハ森ノ奥ニイル筈ノ、フェンリスウルフガ居テ驚キマシタガ、話シテミルト意外ト良イ奴デシタ。」
と言っているのを聞いて、少なくともコボルト語は解るのだなと感心したからでもある。
そんな事を考えながらアルジェントに話しかけていると、ロンの目を見ながらアルジェントが口を開く。
「わふ。わわふ。」
ロンの話している合間に合いの手を入れる様にアルジェントが小さく吠えてくれるのだがロンには何を言っているのかわからない。
「うん、何だろう?労ってくれているのかな?まあ分からないが、ありがとう聞いてくれて。それじゃあ僕はもう行くよ。お休み、アルジェント。」
ロンはそう言って立ち上がりアルジェントの頭を撫ぜる。
「うわわん。」
立ち去るロンにアルジェントは吠える。おやすみとでも言っているのだろうかとロンは考える。
家に帰り水浴びをして一日の汚れを洗い流し寝床に就く。疲れているからか眠気はすぐにやってくる。
一夜明けて早朝。
ロンはまだ暗いうちから起き出して、朝の走り込みをする為に家を出る。
もう慣れたもので、体力と筋力もついた事から走り込みを始めた頃からすると半分の時間で街を一周してしまう。
エルザも一緒に走り込みをしているが、偉いもので最初は全くついてこれていなかったエルザだが、最近は三分の一くらいの距離までは何とか食らいついて走ってついて来ている。
お互い成長があるようだ。
ロンは街を一周したその足で踊る子猫亭の裏口へ行きアルジェントと朝食を取ってからギルドへ赴く。
とは言え、踊る子猫亭からギルドまでは目と鼻の先であるので直ぐに辿り着く。
ギルドの中庭に行くとフィリッピーネが踊っているが、この光景も最近はお馴染みだ。少し変わった所と言えば中庭端、フィリッピーネの傍らには居住まい正しく正座をし羨望の眼差しで彼女を見つめるパイリラスがいる事か。
ロンは踊るフィリッピーネを尻目に砂袋を抱え摺り足を始める。
中庭を二十往復する頃には、グリエロが教え子達を引き連れて朝の訓練に訪れる。
「おう、おはようさん。今日も精が出るじゃねえか。おう、お前らもロンを見習えよ。しっかり鍛えりゃこんな凡骨な野郎も立派に冒険者としてやってけんだ。」
「おい、グリエロ、散々な物言いじゃないか。言うに事欠いて凡骨とは...。」
「なんでい。褒めてんじゃねえか。」
それを聞いて苦言を呈したのはグリエロの教え子であるモリーンである。
「先生、ほんっとに口が悪い!そんなの全然褒めてないわ!この前も杖術の訓練の時にエルザお姉ちゃん泣かしちゃうし!ほんっとに無神経!」
赤い巻き毛を揺らして怒っている。エルザとは暇があれば一緒に杖術の訓練をしていて仲が良い様だ。
腰に手を当てご立腹のモリーンを眺めてロンは呆れかえる。
「何やってんだ、グリエロ。剣術やら武器術を教えるのだけは上手いってブランシェト先生が珍しく褒めてたのに、それも出来なくなってんのか!?いよいよ焼きがまわって来てんじゃないか?」
ロンが悪戯っぽく笑いながらグリエロを突っつくと、すかさずモリーンが追求する。
「そうなのよ!先生って配慮に欠けるの。女子って繊細なのよ!」
むくれるモリーンに苦笑いのロン。
「グリエロ、こんな女の子に言われちゃ形なしだな。本当に耄碌しちゃったんじゃない?」
笑うロンに噛み付いたのはモリーンである。
「ロンお兄ちゃん、女の子じゃないわ。子供扱いしないで!もう私は十歳の女子なの。立派な淑女なのよ。」
そう言ってモリーンは腰に手を当ててロンとグリエロを睨む。
怒りの矛先が自分にも向いてロンは面食らう。
「ハッハッハ!こいつは悪かったなモリーン、お前さんをガキ扱いしちゃいけなかったな!
おう!どうだいロン、驚いたろ?こいつら一端の口を訊くだろ。いい冒険者になるぜ。」
得意気に笑うグリエロを見てロンは一抹の不安を覚える。
「いや、そりゃ冒険者としちゃ少しくらい向こう意気が強いくらいが丁度良いんだけどさ。
...モリーン、あんまりグリエロみたいに柄の悪い大人になっちゃいけないよ、淑女なんだから。」
ロンに諭されるモリーンは鼻息粗くため息を吐く。
「先生みたいにだらしない大人にはならないわ!毎日同じ服着てるし、食事の前に手も洗わないのよ!」
そう言ってモリーンはグリエロを呆れた目で見る。
グリエロは顔面に笑顔を貼り付けたまま固まっている。
ロンも一着しかない拳法着を洗濯したのはいつの事だったかと思うと、グリエロを責められない事がわかり閉口する。
このやりとりを見て楽し気に笑っているのはフィリッピーネくらいである。
そうこうしていると、中庭の扉が開きエルザとランスがやって来る。
人語講座が終わったようである。
「皆さん、おはようございます」とエルザが皆に挨拶するやモリーンが彼女に駆け寄る。
「エルザお姉ちゃんおはよう!」
モリーンは元気良くエルザに挨拶するとロンとグリエロに向き直り胸を張る。
「私が目標にするのはエルザお姉ちゃん!将来はエルザお姉ちゃんみたいな素敵で凄くて立派な黒魔導師になるの。
お姉ちゃんみたいに可愛くて何でも知ってる黒魔導師は見た事がないわ!」
「え!?え?なに?なに?」
得意気に語るモリーンとオロオロするエルザにロンとグリエロは苦笑いするしかない。
「おう、そうだな。確かにエルザは黒魔導師としちゃ大したもんだ。そこん所は見倣っとけ。なぁロンよ、お前さんもそう思うだろ?」
そう言ってグリエロはロンを見て片目をつぶる。これは暗に「お前がキレイにまとめて話しを終わらせろ、余計な事は言うなよ」と言う事を物語る目だ。
「お、おう。エルザは上級黒魔導師だからな、見倣う事だらけだ。」
ロンはそう一言だけ言って頷く。内心は、あんなとっ散らかった黒魔導師がもう一人増えたらエライ事になるな、と思うのだが、それを言うともう収集がつかなくなる事は自明なので口をつぐむ。
「よっしゃ!そんじゃ訓練を始めるぞ。各々自分の得物を持て!」
そう言ってグリエロは中庭の壁に掛かっている模擬戦用の剣を掴んで子供達に向き直る。
エルザはモリーンと杖術の訓練をする様だ。
ランスは子供達に混じって短剣を持っている。最近思う所がある様でグリエロに剣術を習い始めた。
ロンは柔軟運動を始めるためにグリエロ達から少し離れた中庭の隅に移動するとパイリラスがやって来る。
「では、始めるとするか。」
パイリラスはそう言うやロンに向き合う形でその場に座る。それを受けてロンもその場に座る。
まずは長座で座り、前屈して背中と脚の筋肉を伸ばし身体を温めて、腕や脚を色々な方向に曲げ伸ばし全身をほぐす。最後に左右や前後に開脚して前屈し股関節の可動域を広げる運動をする。
入念に柔軟運動をすると汗をびっしりとかいてしまう。まるでウンドの街をぐるっと一周走り込みをした時と同じくらいの発汗作用がある。
だがこれもフィリッピーネ流柔軟運動の準備運動みたいなものである。
ここからが本番だ。
ロンとパイリラスが同時に立ち上がり伸びをするとフィリッピーネが軽やかにやって来る。
「さあ、ロンさんにパイリラスさん、柔軟運動を始めましょうか。」
「はい!」と元気良く返事をするのはパイリラスである。非常に幸せそうだ。
ロンも頷くと、フィリッピーネが中庭の中ほどに向かい駆け出す。
「ついてきて!」
そう言ってフィリッピーネは小柄な身体を大きく伸ばし優雅に踊り始める。
脚を高く上げ、腕を大きく伸ばし、身をひねり鋭く回転する。柔らかく大らかに跳躍し、疾風の如く地を滑り所狭しと飛び跳ね踊る。
フィリッピーネの流麗な踊りに必死の形相で張り付いてついて踊り回るのはロンとパイリラスである。おおよそ優雅さとはかけ離れた動きであるが、脚を上げ腕を伸ばし、身をひねる。
二人はなんとかフィリッピーネの動きについていこうとしている。
「なかなか良い感じね。身体の中に律動を感じられる様になってきたわね。お陰で自由に柔らかく身体操作が出来るようになってるわ。」
フィリッピーネが満足そうに頷くと、パイリラスは感激のあまり号泣しロンを巻き込んで転倒する。
「ぐわぁ!なっ何するんだパイリラス!転けるなら一人で転けろ!...って何だその顔は!?」
パイリラスは涙と鼻水に濡れた顔で地面に突っ伏したせいで、その顔は涙と鼻水と泥濡れた塗れ直視出来ないモノになっている。
「うっうっう...すまんのじゃ、ロン。フィリッピーネ様に褒められた事が嬉しくて感激の感情が溢れ出てしまったのだ。」
掌を合わしフィリッピーネを拝む様にして仰ぎ見るパイリラスにロンは引き気味に顔を痙攣らせる。
「いやいや、パイリラス、お前さ褒められる度に号泣してるけど、褒められた事が無いのか?」
「うむ。魔界に生を受けて五百余年、褒められた事など無い。蔑まれ侮蔑される毎日であった。
しかし人間界において尊敬する方にお褒めの言葉を貰う毎日。感激せずにいられようか。」
「う...む。そうなのか。しかしパイリラス程の者が蔑まれて軽んじられるとは魔界って恐ろしい所なんだな。色んな意味で。」
ロンが腕を組んで唸ると、パイリラスは苦々しい顔をして過去を振り返る様に目を虚空に巡らせる。
「魔界はあらゆる意味で厳しい土地であるからな。土地は枯れ果て、凶悪な魔物が跋扈する優勝劣敗の世界だ。弱い者から死んでいく。そんな中では他者を慮る事など出来ぬ。まさに私もそうじゃった。」
「そうなのか。でも最初に会った時はパイリラスは義を大事にする武人みたいな感じだったけどな。ちょっと今は印象が変わったけれど。」
「うむ。私はそう言う酷薄な世界が嫌だった。しかし、厳しい環境にある魔界の魔族の間にも義を重んじる武人が少ないながらも存在したのだ。私はそのもの達に憧れた。
私が精霊使いであるにも関わらず、戦士の様に戦斧フランキスカを扱うのはそのためだ。」
パイリラスは腕を組み遠くを見つめながら自分を語る。
「はぁ、なるほどな。出会った時も礼節について語ってたもんな。」
「そうなのだ!魔界では私の矜持は嘲笑されておったが、ロン、お前は黙ってそれを聞き受け入れた。私は甚だ感動したのだ!」
そう言ってパイリラスは涙目になる。どうも涙腺が緩んでしまっている様だ。
朗々と語るパイリラスにロンだけでなく居合わせた者たちが若干引いていると、パンと手を叩く音がする。
一同が振り返るとそこにはフィリッピーネが居た。彼女は喜色満面にして打ち合わせた手を胸元にで握っている。
「パイリラスさん素敵ね!今までとっても頑張ってきたのね。パイリラスさんのその鍛え上げられた身体も使い込まれたフランキスカもそんな思いの集まりなのね!」
そう言ってフィリッピーネは舞う様に飛び跳ね、感激を全身で表す。
「閃いたわ!」
フィリッピーネがことさら声を張り上げてパイリラスとロンの手を握りしめる。パイリラスは腰が抜け、ロンはキョトンとする。
「二人の振りを思いついたわ。二人で踊る剣舞の振り付けを閃いたわ!」
「え!?」
ロンとパイリラスは同時に声を上げる。
「今度の公演で発表するのよ!」
「は!?...はいぃぃぃ!」
ロンとパイリラスは同時に驚愕の声を上げた。
そこから公演日までフィリッピーネの地獄の特訓が始まった。
何だか踊る事になってしまいましたね。




