59 反撃
ロンの反撃が始まるのでしょうか?
ロンは左脚を前に半身に構え、軽く膝を曲げ腰を落とす。
相対するパイリラスはフランキスカを杖にしてギクシャクと立ち上がる。その顔は苦痛と怒りに歪んでいる。
「私が立ち上がるまで待っているとは、私に情けをかけているのか、それとも余裕の表れか...。」
「いや、正々堂々とやる。そう決めた、それだけだ。」
ロンが真面目に応えるとパイリラスはニヤリと口角を上げる。
「つくづく面白い奴じゃな。ロン、貴様の事が気に入った。殺すのが惜しいくらいだ。」
「そう簡単にはいかないよ。多分ね。」
そういうやロンは一歩踏み込んでパイリラスの間合いの中に入る。
パイリラスは戦斧を翻しロンを迎え撃とうとするが、やはり片脚が動かないためか踏み込みが甘い。
ロンは身を低くして戦斧をかい潜るとパイリラスの眼前に現れる。
戦斧を振り抜き身体が無防備に開いた状態のパイリラスは完全に虚をつかれる。ロンの動きは目では追う事は出来るが身体がいう事をきかず追いつかない。
「お、おのれ...」パイリラスが怨嗟の言葉を吐き切る前にロンの拳が顎を捉える。
一瞬意識が飛ぶパイリラスだったが、気を失う暇も無くカスミに衝撃を受け意識を無理矢理に呼び戻される。
パイリラスはあまりの疼痛に言葉を失う。今まで味わった事のない痛みが頭蓋を襲う。
さらに前頭部にある急所ミケン、そこから拳一つ分下がった所にあるジンチウ、さらに拳一つ下の顎先カチカケとたて続けに正中線上の急所を突かれ悶絶する。
あまりの痛さに顔を押さえ蹲ると頭頂部にあるテンドウに体重を乗せた肘を打ち落とされる。
激痛に襲われ反射的に身を反らすと、ガラ空きになったカチカケへと肘を打上げられる。
パイリラスは痛みから逃れようと身を捻るが、捻った側からそこにさらけ出される急所を突かれ痛みにのたうつ。
その痛みは鋭利な刃物でその身を斬られるよりも痛く、打たれる度に身体が重くなってゆく様な感覚に襲われる。
痛みに自由を奪われるパイリラスは反撃をする事さえ叶わず打たれ続ける。
ロンは驚くとともに焦りも感じていた。自身の渾身の力を込めた攻撃をパイリラスは受け続けているが、一向に倒れる気配が無い。何という頑強さだと驚嘆すると共に、このままではヒーシの時と同様にパイリラスを倒す前にこちらの身体が壊れてしまう。
パイリラスは驚きを隠せないでいた。たかだか人間如きが自分の前に立ち塞がるなどと思いもしなかったからである。
だがしかし、今まさに目の前に立つ人間は自分の猛攻を掻い潜り、あまつさえ地面に膝をつけさせた。自身の体技が通用しない。明かに身体能力的には自身が勝っているにもかかわらず手も足も出ない。すなわちパイリラスよりも技が優れているのだ。
パイリラスは歯痒さに歯を食いしばる。
目の前の人間は脆弱な身でありながら身体を鍛え上げ、技を磨き魔族である自分と対等に、いやそれ以上に渡り合っている。
さらには愚直ながらも正々堂々と戦う気持ちの良い奴だ。ここは気持ちよく負けを認めてこの人間を称賛したい。
だがそうはいかぬ。自身の使命は人間を殺しこの地を掌握する事だ。
「があぁぁぁ!」とパイリラスは叫びながらフランキスカをやたらめったらに振り回してロンの攻撃の手を止めさせる。
その隙をついて大きく後ろに飛びすさりロンとの距離を取る。
「ハァ、ハァ、ハァ。...ロンと言ったな。貴様、本当に、強いな。体技では私に勝っている。人間ながら凄い奴だ。」
「負けを認めるのか?」
「そうだ。悔しいが体技ではお前の方が強い。」
「じゃあ、退いてくれるか?」
ロンの問いかけに眉根を上げるパイリラス。
「なんじゃ?どう言う事だ?私に退けと!?」
「そうだ」と言ってロンは頷く。
キョトンとするパイリラス。
「なんだ、私を逃すのか?とどめを刺そうと思わんのか?」
「あぁ、魔界に引っ込んでくれたらありがたい。パイリラス、あんたと同じで僕も別にあんたを殺したいとは思わない。」
「クハッ... ハハハ!お前、本当に面白い奴だな!しかし、私はお前を殺そうとしたんだぞ。憎くは無いのか?」
「殺されたらかなわないが、別に憎くは無いよ。憎くてあんたと戦っていた訳じゃない。」
「じゃあ、何故戦っているのだ?」
パイリラスの問いにロンは構えたまま視線をついと空に向ける。
「うーん。なんだろ。強くなるためかな。」
それを聞いたパイリラスは再びキョトンとした後に再び笑いだす。
「アハッハハハ!お前は根っからの戦士なのだな。理由は知らんが強くなるために戦うのか。だから憎くないと、殺さぬと... 。」
ロンはパイリラスが何を可笑しそうに笑っているのか分からないと言った風な表情で頭を掻く。
「まぁ、話し合いで何とかなるんならそれに越した事はないんだけれど。」
「ハハッ!本当におかしな奴だ。しかし、これも上からの命令でな。気に食わない不愉快極まりない奴の命令だが聞かない訳にもいかぬ。
悪いがロン、貴様には死んで貰う。」
そう言って深くため息を吐くパイリラス。
「そう言うが、パイリラスお前は負けを認めたろ?僕には勝てないって...。」
「ああ、体技ではな... そもそもこのフランキスカは私本来の得物では無い。
お前は私を戦士だと思っている様だが、それは勘違いだ。」
そう言うやパイリラスの周りの小石や小枝が渦巻いて散っていく。
パイリラスの周りには風が渦巻き衣服の裾や髪をたなびかせる。
「私は精霊使いだ。五大精髄が一、風の精霊シルウェストレの加護を受け給いし精霊使いよ。」
そう言うやパイリラスから放たれる魔力の質が変わる。パイリラスの周りをたなびく風は次第に勢いを増していき、パイリラスを宙に浮かせる迄に強まる。
「私の動きについて来られるかな?」
そう言った瞬間パイリラスはロンの視界から消える。
ただでさえロンの目で追えない速さで動いているパイリラスであったが、風の力で飛ぶ様に移動したために挙動の兆しが全く読めない。
「ロンさん上!」
そう叫んだのはフィリッピーネであった。
それを聞いたロンは上を見るまでも無く頭上に嫌な気配を感じ咄嗟に後ろに飛び退る。
ロンが飛び退いた一瞬後にパイリラスが猛烈な勢いで落下してくる。
深々と地面に突き刺さったフランキスカを悠々と引き抜くパイリラス。
「仲間の助けもあって上手く躱したな。さて次は上手くいくかな?
どんどん速くなっていくぞ。」
そう言うやパイリラスはまたもやロンの視界から消える。
ロンは心底恐怖し後悔する。悠長に構えている場合では無かった。あわよくば魔族には魔界に帰って貰おうだなどと呑気に考えていた自分を殴ってやりたい。
体技で勝ったと言われ慢心が覗いた事を大いに恥じる。
「ロンさん左!」
再びフィリッピーネの絶叫が響く。
瞬間、ロンは自身の左側に冷たい殺気を感じその場から飛び退るがパイリラスのフランキスカはロンの左肩を抉る。
ロンは体勢を整えて構えようとするが左腕が上がらない。
苦痛に顔をしかめるロンの眼前にパイリラスが瞬時に現れる。ロンは咄嗟に右拳で突きを打つがもうその場にパイリラスはいない。
「ロンさん右!」とフィリッピーネが叫ぶのとロンが殺気を感じるのは同時であった。
ロンはパイリラスと目が合うが身体が追いつかない。ロンが身を捻るより一瞬早くパイリラスはロンの胸にフランキスカを叩き込む。
ロンは後方に吹き飛んでもんどり打って地面に倒れ伏す。
吹き飛んでいったロンを見て訝しげに表情を歪めるのはパイリラスである。
「ん!?妙な手応えだな。えらく飛んでいったが... そうか。」
パイリラスはそう独言てエルザを見る。
エルザは両手を前に突き出したまま額にびっしりと冷汗を浮かべている。
「なかなかやるではないか。風の魔法でロンを後方に吹き飛ばしたのだな。優秀な黒魔導師の様だな。一歩間違えればロンの身体は八つ裂きに切り裂かれていたぞ。」
そう言ってパイリラスはロンに向き直る。
ロンは息荒く肩を上下させて地面に片膝を突いた状態でパイリラスを睨む。
「いや、本当に助かった。危ないところだった。でも... 」
「でも、なんだ?もう限界か!?」
そう言ってパイリラスは暗い顔をする。
しかし、ロンの続く言葉はそうでは無い。
「でも、わかってきた...なんとなく。」
ロンは小さくそう呟く。きっかけはフィリッピーネの叫び声だ。フィリッピーネが上だと叫んだ時に咄嗟に感じた気配、それは殺気だ。以前ルドガーの殺気を目の当たりにしていなければ感じる事が出来なかったであろう感覚だ。
その後立て続けにフィリッピーネの声に合わせて感じた殺意の気配に自身の感覚が間違いでない事を確信した。
「なるほどお前がそう言うなら、そうなのであろうな。あと何手か手合わせすればこの風を纏った攻撃も見切るのだろうな。
しかし、それももう叶わぬのではないか?その身体ではな。絶妙に威力を調整されていたとは言えあれだけの勢いで風の魔法を受けて吹き飛ばされたのだ。今は立っているのがやっとであろう?」
ロンはそう言われて渋面を作る。まさにその通りだからだ。パイリラスの振る戦斧と同等の速さのウインドラムの魔法を面で受けたのだ、肋骨の二、三本は折れているに違いない。さらに吹き飛ばされ地面に後頭部を強打したせいか視界が歪む。
はっきり言って満身創痍だ、立っているのが精一杯で動く事はかなわない。
「ロン。人の身でありながら良く戦った。敬意を表して私の持てる最大の精霊魔法で葬ってやろう。」
そう言ってパイリラスは掌をロンに向ける。
しかしその手は蹴り上げられ大きく跳ね上げられる。
驚き目を見張るパイリラスの眼前に飛び出したのはフィリッピーネだった。
フィリッピーネはパイリラスの手を蹴り上げ、さらに身を翻しパイリラスのカスミに蹴りを回し入れる。
虚を突かれ硬直するパイリラスの内腿、腹、胸と蹴り上げながら身体を駆け上り頭上のテンドウの急所を踏みつけながら宙返りをして、空中で二回、三回ととんぼを切りながらパイリラスから少し離れた所に音も無く着地する。
一瞬の間に身体中に六連撃を食らったパイリラスは驚きに満ちた目でフィリッピーネを見つめる。
「な、何だ今の動きは!?貴様もケンポウカと言っていたがロンと同じ技なのか?」
パイリラスはワナワナと震えながらフィリッピーネに問いかけるが、当のフィリッピーネは顎に手を当て思案顔である。
「ふむ。やっぱり私の攻撃じゃ威力が足りないわね。」
フィリッピーネはそう言って腕を組んで首を傾げていると、目の前にいたパイリラスが姿を一瞬で消す。
パイリラスが消えるやフィリッピーネはクルクルと後方に宙返りしながら飛び退る。
フィリッピーネが飛び退ったその場所にパイリラスが現れる。そして軽やかに身を翻して躱したフィリッピーネを凝視する。
「貴様、フィリッピーネとか言ったな。今の動き、私の姿が見えているのか?」
そう聞かれたフィリッピーネは首を横に振る。
「見えていませんわ。でもあなたの旋律は聴こえる様になりました。あなたの動きの拍子や律動はもう感じられる様になりました。
あなたの動きの癖はもうわかっちゃいました。」
「なんだと!?私の姿が見えていないのにどうしてわかるのだ?」
「ずっとロンさんを見てました。あなたの攻撃を避け続けるロンさんを。」
「なっ...」と言って絶句するパイリラスを尻目にフィリッピーネは続ける。
「でも、やっぱり私の攻撃は効かないわね。でもそんな事もあろうかと剣を用意して来たわ。」
そう言ってフィリッピーネは腰から下げていた慈悲の短剣ミセリコルデを抜剣する。
それを見てパイリラスは目を細める。
「ん!?お前は剣士なのか?」
「いいえ。でも剣舞は得意なんですよ!」
そう言ってフィリッピーネはミセリコルデを手に大きく跳躍する。それを見たパイリラスは目を見開き硬直する。
パイリラスの眼前に文字通り踊り出たフィリッピーネは、優雅でいながら鋭く短剣を翻しパイリラスを斬り裂く。
さらに跳躍しクルクルと回転するフィリッピーネ。
白刃を煌めかせながら縦横無尽にパイリラスの周りをのびやかに跳び回り舞い踊る。
パイリラスの身体を駆け抜ける度に血飛沫が舞い、パイリラスの周りを宙返りし回転する度に血煙が吹き、みるみるパイリラスは血濡れていく。
パイリラスは斬り裂かれながらも目を見開き茫然と立ち尽くしていた。
フィリッピーネがパイリラスの眼前に舞い降り喉元にミセリコルデを突きつけると、パイリラスは目から大粒の涙を幾つもこぼしその場に崩れ落ちる。
「美しい...」
パイリラスはそう言って手で口を押さえポロポロと涙を零しながら嗚咽する。
「な、何だその、剣技は... こんなに美しい動きは、見た事が、無い... 」
パイリラスは涙を流しながら切れ切れに言葉を紡ぐ。
「剣技じゃなくて剣舞ね。今踊ったのはとても古い古典舞踊クーメ剣舞ね。」
そう言ってフィリッピーネはにっこり笑う。
パイリラスはハラハラと涙をこぼしながら首を垂れる。
「私の負けだ。私をその剣舞で殺してくれ。」
そう言ってパイリラスはフィリッピーネにすがりつく。
「あらあら、どうしましょう。ロンさんの命が危なかったから咄嗟に出てきてしまったけれど、私もあなたの命を奪うつもりは無くってよ。」
「では、では、私をあなたの奴隷にして下さい。あなたに命を奪われないのであれば、あなたのお側に居たい!」
そう言ってパイリラスはフィリッピーネの脚にすがり付きながら号泣する。
ロンもエルザもあまりの急展開に口を開けて絶句して二の句を告げる事が出来ないでいる。
パイリラスは泣きじゃくり、ロンとエルザは放心している。
渦中のフィリッピーネは慣れた感じで、はにかみながらパイリラスの頭を優しく撫ぜている。
「たまに居るのよね。私の踊りを見て泣いちゃう子。ここまで激しいのはあんまりいないケド。」
フィリッピーネはいつものようにニコニコと微笑んでいる。
さておかしな事になりましたね。
いつもお読みくださりありがとうございます。




