58 ロンの妙技
魔族のパイリラスとの戦いが始まります。
攻撃の口火を切ったのはパイリラスだった。
真っ直ぐ突っ込んで来たパイリラスは右手に持ったフランキスカを真一文字に一閃させる。
それをロンは後方へ身体を捌きながら躱すが、パイリラスは武器の空を切る勢いを利用し身体を翻して左手に持つフランキスカを打ち下ろす。
ロンはその攻撃を退がるのでは無く逆に一歩踏み込んで、パイリラスの後方に回り込む事によりその攻撃を躱す。
背後を取ったロンは、フランキスカを打ち下ろし前傾姿勢となり無防備に剥き出される事になったパイリラスの脚に蹴りをねじ込む。
一瞬体勢を崩すパイリラスだが体勢を崩したまま器用に身体を捻り、振り向きざまにフランキスカを一閃させる。
無理な姿勢で放たれる攻撃は速度も乗らず軌道も読みやすい。ロンは体を横に捌きながらパイリラスの攻撃に合わせて彼女の手首を蹴り上げる。
速度が出る前の力が乗り切らない攻撃はロンの蹴り上げで大きくその軌道を変えられる。
先日ギルドの中庭でグリエロとトムの模擬戦の中でトムがやっていた芸当だ。
トムの場合は剣の腹を押して軌道を変えると言う危険極まりないものではあったが理屈は同じだ。
ロンは成る程と思う。攻撃を放つ兆しや軌道を見切る事が出来ればロンでも可能な攻撃の躱し方だ。トムはロンの体捌きを見て思いついたと言っていたが、その場の思いつきでやっていた訳では無い。ロンにわざわざ見せていたのだ。忙しい最中ブランシェトの目をかい潜って、ロンの体捌きの延長線上にある動きの可能性を身を持って見せていたのだ。
フィリッピーネにしろトムにしろ、もちろんグリエロもロンにその身を持って技を教え授けてくれている。
ロンは改めてその事に感激し感謝する。今日この場で戦えるのは彼らのお陰なのである。
心中で感謝しながら、ロンは攻撃の軌道を変えられ再び体勢を崩したパイリラスの脚に蹴りをねじ込む。
パイリラスは不愉快そうに顔を歪め、半歩身を引き即座に反撃して来る。打ち下ろされる戦斧をロンは一歩斜め前に踏み出しパイリラスの体側を回り込む様にして躱す。そして無防備な脚に再び蹴りをねじ込む。
離れた所からロンとパイリラス二人の攻防を見てエルザは絶句していた。ロンが離れていろと言った意味がわかったからだ。エルザにはパイリラスの動きが全く見えない。目で追う事すら出来ないのだ。あの戦いの渦中に居れば自分は最初の一撃で命は無かっただろうと思う。
エルザはパイリラスの猛攻を必死で躱すロンの姿しか見えていない。
エルザの目から見るとロンは防戦一方で窮地に立たされている様にしか見えていない。
隣で自分と同じくロンを見守るフィリッピーネはブツブツと何事かを呟きながら身体を小刻みに揺らしている。
「あ、あの、フィリッピーネさん... フィリッピーネさんはあのパイリラスさんという方の動きって見えているんですか?」
不安げに尋ねるエルザにフィリッピーネは黙って首をふる。フィリッピーネにも見えていない様だ。
エルザは無言で首を横に振るフィリッピーネを見てますます不安になりランスに向き直るが、ランスも全く見えていない様で、フィリッピーネと同じく首をふる。
「どうしよう、皆んな動きを追う事が出来ないなんて... 」
エルザは落ち着かない様子で魔術杖をぎゅっと握りしめる。その姿を見たランスは小さく息を吐きエルザにスッと歩み寄る。
「エルザ、ソンナニ心配バカリシテイテハ良クナイ。ロン様ハ強イ。ソノ、ロン様ガ下ガッテクレト言ッタノダ、信ジテ見テイヨウ。」
「で、でも... 私... 」
エルザはランスにそう言われても不安を払拭する事が出来ない。オロオロと辺りを見回すエルザと対照的なのはフィリッピーネである。一心不乱にロンを凝縮している。
「トン、シュ、トトン、トン... 」
フィリッピーネは小さくブツブツと何事かを独言りながら足の爪先でトントン地面を蹴り、手で自身の腰の辺りをコツコツ叩いている。
エルザはフィリッピーネのその仕草を見て首を傾げる。
「あ、あの、フィリッピーネさん... 」
「大丈夫。」
フィリッピーネはロンを見つめたまま短くそう言うと再び口の中で何事かブツブツと呟き始める。
真剣な眼差しでロンを見つめるフィリッピーネの横顔を見ると、これ以上は話しかけられ無い雰囲気を纏っている事に気がついた。
仕方がないのでエルザもロンを見つめる。
ロンは黙々とパイリラスの猛攻を躱し、受け流し続けている。そして隙を見つけてはパイリラスの脚を蹴り続けている。
何故なら攻撃出来る部位がそこしか無いのだ。
深く踏み込んで急所に一撃を加えたいのであるが、その様な隙が無い。加えて両手に握られた投擲戦斧フランキスカの威圧力が凄まじい。
ロンの突きの間合いに入る事が出来ない。したがって必然的に突きよりも間合いの広い蹴りを使うしか無くなり、戦斧を持つ手から離れた脚を狙うしか無くなるのである。
大きく跳躍したパイリラスが自重とフランキスカの重量を加えた高い打点の重い打ち下ろしを放って来る。ロンはそれを紙一重で躱す。
ロンの頭部を狙った攻撃は空を切り、かわりにフランキスカは地面を大きく抉る。
戦斧を叩きつけられた地面は割れて大小様々な石の礫を辺りに撒き散らし、その礫はロンの手といわず脚や顔を打ちつける。
それは威力は無くロンに打撃を与えるものでは無いものの、一瞬の事ながら反撃の手を止めさせるには充分だった。
一瞬反撃の遅れたロンの蹴りは空を切る。ロンの攻撃を躱したパイリラスはこれを好機とばかりにロンの蹴り脚にフランキスカを叩きつけようと振り下ろすが、もうそこにはロンはいなかった。
ロンの突き蹴りは鋭く速い。それは攻撃を放つ素早さだけでは無く、攻撃をした後の手脚の引きも攻撃同様に速いのだ。手に武器を持たず徒手で攻撃するロンの攻撃は武器に振り回される事が無い。それ故に構えた状態から攻撃を放ち、再び構えに戻る迄がとても速い。それ故に隙が無い。
攻撃を空振りし再び隙を晒したのはパイリラスの方だった。無防備な脚に再び蹴りが刺さる。
パイリラスは不愉快そうに「ッチ」と舌打ちをし大きく後方に飛びロンと距離を取る。
「フン!ちょこまかと動きまわりおって。だが、やはり人間は脆いな。小さな石礫に動きを止められるとはな。」
パイリラスはそう言い放ち、爪先で地面をゴツゴツと踏みつけニヤリと不適に笑う。
「それに武器も持たずにいるので不思議に思っておったが。ロンとか言ったか、お前の技、ケンポウカだったか?自らの身体を武器にするとはなかなか面白いし速さもあるが、いかんせん威力が足りんな。そんな攻撃では私は倒せんぞ。」
そう言ってパイリラスはフランキスカを構え、グッと身を反らせる。
ロンとパイリラスの距離は今は大きく離れている。ロンの攻撃どころかパイリラスの戦斧の届く間合いでもない。
いやパイリラスのフランキスカは届く。投擲武器だからだ。
パイリラスは大きく振りかぶってフランキスカを構えている。ロンはもちろんフランキスカの特徴も知っている。グリエロの武器術講座の中でも何度か取り上げられ、身を持ってフランキスカがどの様な特性を持っているのかを知らされている。元々そんなに命中率の高い投擲武器では無いのだが、パイリラスのフランキスカはどうであろう。
パイリラスの筋肉の盛り上がった肩から放たれる投擲武器フランキスカはおよそロンの知っている戦斧と違い、恐ろしい速度で飛んでくる。
しかしそこはフランキスカ。その軌道はロンから逸れ傍らの地面に突き刺さる。
しかしそこからがロンの知る投擲戦斧では無かった。パイリラスの強靭な膂力から放たれ、猛烈な勢いで飛んできたフランキスカは地面に突き刺さると、その地面を削り大量の石礫を周りに撒き散らす。
それは傍らに立っていたロンの手や脚と言わず、顔や身体を打ち据える。
ロンの身体を打つ石礫は、ロンの動きを止めるだけで無く視界も遮る。そこに一瞬の隙が生まれた。ロンが礫から一瞬顔を逸らしたその隙をついてパイリラスはロンの眼前に迫って来ていた。
ロンは一瞬反応が遅れる。パイリラスが袈裟斬りにフランキスカを振り下ろすのをギリギリの所でなんとか躱そうとするが、パイリラスの戦斧はロンの肩をかすめる。かすめただけだがロンの肩口から鮮血がほとばしる。出血の量からすると肩の皮膚を裂かれただけの様だ、幸い骨には至っていないが、ロンの拳法着はというと肩から胸にかけてざっくりと切り裂かれている、新調したところだがもう切られ引き裂かれた。しかし、もう一歩反応が遅ければ身体を両断されていたかも知れない。
ロンが体勢を立て直した時にはパイリラスはその場に居なかった。再びロンと距離をとり、フランキスカを大きく振りかぶる。
ロンは焦っていた。危惧していた事が現実になってしまったからだ。パイリラスが両手に持つ投擲戦斧のフランキスカを見た時から恐れていた事態がとうとう起きてしまった。
今の様に距離を取られ、遠距離からの投擲攻撃をされては徒手空拳のロンにはかなり分が悪い。パイリラスに届く攻撃手段が無い。
さらに思っていた以上に悪い事がもう一つある。石礫だ。フランキスカを投げつけられただけでこんなに地面を抉って石礫が飛んで来るとは思わなかった。普通フランキスカが投げつけられ地面に刺さったとしても石礫が飛散する様な事は無い。人間が投げた場合と魔族が投げた場合でこんなに結果が違うとは予想外だ。
ロンはこの石礫に行動と視界を遮られる。
遠距離からの投擲がここまで自分を追い詰めると思わなかった。しかもたった一撃で。こうならない様に布石を打って置いたのだが間に合わなかったのか効いていないのか。
ロンの焦燥などはパイリラスにとっては好機でしか無い。早速第二の攻撃が飛んで来る。
それはロンの手前に落ち大量の石礫を飛散させる。
やはりそれはロンの動きと視界を阻害し鈍らせる。ロンの体勢を立て直す間も与えずパイリラスはロンの眼前に現れる。
ロンはとっさにパイリラスの視線、体勢、肘の向き、膝の向き、一瞬で見れるあらゆる情報を見て攻撃の軌道を予測する。
ヒーシの時もそうだったが相変わらず魔族の攻撃は速過ぎてロンの目では追えない。まばたき程の一瞬でパイリラスはロンの眼前に現れる。となるとロンはパイリラスの攻撃を仕掛ける瞬間の体捌きを見て戦斧の太刀筋を読まねばならない。
そうなると石礫で視界を遮られるのは致命的だ。眼前に現れるパイリラスを見て攻撃箇所を読み取るのでは一歩遅い。
今まさに頭を狙って打ち下ろされる戦斧を躱す事も容易では無い。
ロンは躱すと言うより、後方へ飛び退くと言ってもよい程のほうほうの体で何とか回避する。
直ぐに体勢を立て直し構えを取るが追撃は無く、ロンが構えた時には既にパイリラスはまた距離を取っており、フランキスカを大上段に振りかぶって今まさに投擲しようとしている。
ロンが構えを取り攻撃を待ち構える暇を与えずパイリラスのフランキスカが猛然と飛んで来る。ロンは今度は真っ直ぐ自身の方へと飛んで来るフランキスカを身を逸らして躱すと、ロンの後方の地面に突き刺さった戦斧はやはり石礫を撒き散らしロンの背中を打ち据える。
石礫に打ち付けられる背中に意識を逸らした一瞬でロンはパイリラスに間合いを詰められる。下から上に薙ぎ払われる様に逆袈裟斬りに戦斧が振り抜かれるのを身を逸らし何とか躱そうとするが、戦斧はロンの胸を掠め鮮血をほとばしらせる。
ロンは咄嗟に一歩身を引き即座に構え体勢を立て直すが、反撃しようとした時にはその場にパイリラスは居ない。
気がついた時にはパイリラスは距離を取りフランキスカを振りかぶっている。
何という素早さだろうか。ロン攻撃を加えた一瞬後には投擲したフランキスカを回収しロンから距離を取り次弾の攻撃に移っている。
さらに二本のフランキスカの投擲はロンの体力を減らすだけで無く、集中力もすり減らしてくる。パイリラスの持つ二振りのフランキスカは柄の部分の太さと反りがそれぞれ微妙に違う。それ故に飛んで来る軌跡が全く違うのだ。どちらの戦斧を投げて来るかわからない。
この投擲攻撃からの急速接近攻撃と急速離脱の繰り返しはロンの体力と精神力を徐々に奪っていく。
徐々にフランキスカを躱しきれなくなってきたロンの身体には生傷が増えて来る。まだ戦斧はロンの身体を掠め皮膚を薄く斬るくらいではあるが、その傷は見ていて痛々しい。
皮膚を裂かれると結構な量の血が出るが見た目程の損傷が身体に刻まれる訳では無い。
しかしそれが積み重なると深刻な痛手になってくる。
一度や二度ならまだしも、その攻撃が五度、六度、さらには十度と続くと流石にロンの身体も傷が積み重なり動きに精彩さを欠くようになってくる。
十数度目のフランキスカの投擲をロンは何とか躱したものの、とうとう脚を取られ大きく体勢を崩す。
それは遠目に見るエルザ達にもわかる大きな隙であった。
「チェイニーさん!」
思わずエルザはロンの名前を叫ぶが、距離も離れている上に今のエルザにはなす術が無い。
それはフィリッピーネもランスも同じ事だ。二人は息を飲み絶句する。
一人満面の笑みを浮かべたのはパイリラスである。
ロンに止めを刺さんとパイリラスはフランキスカを構え飛び掛からんと身を屈める。
「ロンよ、手こずらせてくれたな。これで最後だ。」
そう言って地面を蹴り飛び出さんとするパイリラスだったが、苦痛に顔を歪めて地面に膝を突く。
「な、あ、脚が動かん!どう言う事だ!」
パイリラスは立ち上がろうとするが太腿に疼痛を感じ再び膝を突く。
パイリラスは訳がわからないといった顔で自身の脚を見つめる。
それはエルザ達も同じ事だ。今まで圧倒的に優位に立っていたパイリラスが膝を突いているのだ。
立っているのは身体中傷だらけのロンの方である。
「やっと、効いてきたのか... 本当に頑丈な奴だな。」
そう言ってロンはため息を吐く。
「き、貴様、いったい何をしたのだ!」
パイリラスは苦痛と言い知れぬ恐怖に顔を歪めてロンを見る。
ロンは警戒しながらもパイリラスに近づいて行く。
「脚を蹴ったんだよ。」
そう誰に語りかけるでも無いような声でロンは応える。
ロンはパイリラスの脚を蹴っていた。蹴り続けていた。
そこしか攻撃する箇所がなかったのではあるが、ロンは何十回とパイリラスの脚を隙を見つけては蹴り続けた。同じ場所を寸分違わず打ち続けた。その場所とはセンリュウの急所である。そこを強く打ち付けられると腰から足首にかけて走る坐骨神経が圧迫され脚が麻痺する。
そこは魔族であるパイリラスである。何十と急所を打ち据えられたにも関わらず脚が麻痺する程の決定打を与えられ無かった。
しかしその後の行動が不味かった。急速な接近と離脱を十数回と繰り返したのはパイリラスの脚に大きな負担を強いたのだ。何十と急所を打ち据えられ、小さいとは言え傷つけられていた脚の神経は何回も行われる猛烈な突進に叙々に傷口を広げ、終いには自身の猛攻を支えきる事が出来ずにとうとう断裂したのだ。
これはロンに正確な急所の位置と効果を示し続けていたルドガーの教えの賜物である。
「クソ!動かんか、この脚め!」
パイリラスは自分の脚を恨めしそうに見つめ拳を叩きつける。
「叩くと余計に悪くなるよ。」
そう言われてパイリラスは顔を上げる。
眼前にはロンが立っていた。
「さて、反撃開始だ。」
さあ、ロンの反撃ですね。
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