55 ロンの技
ロンとランスの戦闘開始です。
短剣を振り上げるゴブリンの懐に矢の様な素早さで踏み込み、無防備にさらけ出されている顎に向け、拳を顎下から突き上げる様にして打ち抜く。
顎を砕かれたゴブリンはのけ反り喉元を露わにみせる。その喉に突き上げていた拳を振り下ろし喉内部を破壊する。
その一瞬で命を刈り取られたゴブリンは力無くその場に崩れ落ちる。
ロンは間髪入れず構え直し、続くゴブリンに狙いを定める。ギャアギャア喚きながら棍棒を無闇に振り回しながら向かって来るゴブリンに合わせロンは一歩踏み込む。急に間合いを詰められたゴブリンは身体を硬直させ、なす術もなくその身に蹴りをねじ込まれ身体をくの字に曲げる。突き出された顔面に更にもう一歩踏み込んだロンが肘を打ち込む。
肘打ちを受けたゴブリンは顔面をひしゃげさせて絶命する。
一呼吸の間に二体のゴブリンが頓死した。
それを見た後に続くゴブリンが驚愕の表情で立ち止まる。続く一歩を出せず逡巡し、後退りをするや、背後に音も無く現れたランスに首を掻き切られて絶命する。
ゴブリンを倒した事を確認するとランスは素早くその場から居なくなる。
ランスをはじめコボルトは木の裏、草の陰、岩の下と森の中のあらゆる場所に身を潜め同化する事が出来る。森と共に生き、森を育むコボルト達は森の中でこそ真価を発揮するのだ。
ゴブリン共には自分達の近くに潜むランスの姿を捉える事が出来ない。
眼前に徒手空拳で迫るロンと背後の死角から迫るランス。見える脅威と見えざる脅威に挟まれゴブリン共は二の足を踏む。
挟撃される形となったゴブリン共はこの状況からなんとか抜け出せないか辺りをキョロキョロ見渡す。すると少し離れた所にフィリッピーネがぼんやりと佇んでいるのが見えた。
ゴブリンの一体が下卑た笑い浮かべてフィリッピーネに向かい駆け出す。この細くて弱そうな人間を殺せばこの包囲を突破出来ると思ったのだろう。
実際にそうだ。包囲網を抜けるためには一番包囲の薄い弱い所を攻めるのは常道である。
ロンはいち早くそれに気付きゴブリンを追おうとするが、「大丈夫〜!」とフィリッピーネはそれを手を振って制する。
フィリッピーネはぼんやりと佇んでいたのでは無い。ゴブリンとはいえ魔物の入り乱れる戦いの最中に自然体で立っていたのだ。それはぼんやり佇んでいるのとは訳が違う。
舞踏家にとって自然体で立つという事はいつでも踊りだせると言う事に他ならない。戦闘職の冒険家が臨戦態勢でいると言う事だ。
突進してくるゴブリンの踏み込みに合わせて歩き出すフィリッピーネ。それは文字通り歩き出すと言って差し支え無い光景だった。散歩にでも出掛けるかの様に歩み出したフィリッピーネはゴブリンの振り上げる短剣の下に潜り込み、そこから拳を突き上げる。
顎を打ち上げられたゴブリンはのけ反り喉元を露わにする。そこにフィリッピーネは拳を振り下ろす。
喉を打ちすえられたゴブリンは苦悶の表情を浮かべ後退りする。それを追いかける様に踏み込んだフィリッピーネは身体を真っ直ぐ前に跳躍させ舞う様に、されど鋭く蹴りをゴブリンのスイゲツにねじ込む。
追撃されたゴブリンは蹲る様に前屈みになると、フィリッピーネはカスミに肘を打ち込む。
ゴブリンはぐるりと白眼を剥いて崩れ落ちる。
そこにすかさずランスが現れゴブリンの首に短剣を突き刺しとどめを刺す。
「オ見事デス、フィリッピーネ様。」
ランスが思わずフィリッピーネを称賛すると、それにニコリと笑顔で応えてフィリッピーネはロンを見る。
「ロンさん、どうでした?」
フィリッピーネの問いかけにロンが我にかえる。余りの流麗でいて鋭い攻撃にロンは一瞬我を忘れていた。
それはそこにいる者皆がそうであった。ゴブリンでさえも。
「え!?あ、ああ。すごいよ。僕の動きを真似するどころか、数段洗練させて攻撃したな。」
ロンは驚愕していた。フィリッピーネは一度見ただけのロンの動きを模倣するだけで無く、ゴブリンに踏み込む間の取り方に呼吸の合わせ方、攻撃を当てる部位と角度を完璧になぞった。それ故に位置を知らずとも正確に急所を打ち抜いた。
さらに言うとその動作はロンのそれよりも優雅で美しい。
「でも、威力は及ばないわね。やっぱりロンさんってすごいのね!」
皆の驚きとはうらはらにフィリッピーネはロンの攻撃にひとしきり感心すると、別のゴブリンに向き直り駆け出す。
「これはどうかしら!」そう言ってフィリッピーネは別のゴブリンの前に躍り出る。
不意を突かれたゴブリンはその身を硬直させる。それがまさに命取りだった。
フィリッピーネはその場でクルリと一回転し、その勢いをそのまま脚に乗せる。回転から生まれる遠心力を使いゴブリンの上段に蹴りを回し入れる。
猛烈な勢いでカスミを蹴り抜かれたゴブリンはプツリと糸が切れた人形の様に崩れ落ちる。
そこにすかさずランスが駆け寄りうつ伏せに倒れ伏しているゴブリンの背中に短剣を突き立て捻り、息の根を止める。
フィリッピーネはロンに向き直りニッコリと笑う。
ロンは驚きを隠せない。ロンがあれこれ試行錯誤しても果たせなかった上段の蹴りをフィリッピーネは初の実戦でいきなりやってのけた。
続けてフィリッピーネは一言「見ててね」と言ってまた別のゴブリンの前に踊り出る。
駆け寄りざまに跳躍しスイゲツに蹴りを捻じ込むと、ゴブリンは苦痛に顔を歪め腹を押さえ前屈みになる。
顔を突き出し前のめりになる事でゴブリンの頭位置が下に下がる。そこを身体を一回転させ遠心力をつけたフィリッピーネの蹴りが突き刺さる。
フィリッピーネの強烈な蹴りを無防備な状態で受けたゴブリンは蹴られざまに真横に吹き飛び地面に突き刺さる。
そして相変わらずどこからとも無く現れたランスに止めを刺される。
ロンは驚く。フィリッピーネがこの一瞬で二体ものゴブリンを上段への蹴りで倒してのけた。二体目に至っては急所であるスイゲツを蹴り込みゴブリンの体制を崩し蹴りやすい位置にゴブリンに頭を誘導した。
そこに思い至りロンは気がつく。フィリッピーネはそんな事をする必要がない。彼女の柔軟性を持ってすれば蹴り易い位置までゴブリンの頭を下げる必要はない。
フィリッピーネはロンに見せているのだ、上段側頭部にある急所カスミへの蹴り入れを。さらにはロンの今の時点での柔軟性を加味した上でのカスミへ蹴りを入れる為の方法も示唆してくれた。
フィリッピーネは物見遊山でロンについて来た訳では無い、ロンに上段蹴りを見せるために、わざわざ冒険者になってまで実戦の場に赴いたのだ。
フィリッピーネの柔軟修行の授業は続いていたのだ。
それにロンは気がついた。驚きと感謝でロンは声を詰まらせる。
「フィ、フィリッピーネ... ありがとう... 」
「あら、どうしたの急に改まって。」
フィリッピーネは小首を傾げながら惚けてみせる。
「いや、わざわざ上段への蹴りを見せて... 」
「ほら、ロンさん後ろ!ゴブリンが来てるわよ!」
フィリッピーネが指差す先には怒りに満ちた醜悪な顔のゴブリンが迫って来ていた。
ロンは振り向きざまに一歩踏み込んでスイゲツに蹴りをねじ込みゴブリンをくの字に曲げる。
スイゲツの高さまでゴブリンの頭が下がるや側頭部に蹴りが回し入れられる。
急所であるカスミには当て込む事は出来なかったがゴブリンは顔面をひしゃげさせて絶命する。
器用に動かせる手と違い、足を自由に操り正確に急所を狙うのは難しい。スイゲツの様な拳が入る様な大きな急所であればさほど精密に身体制御をせずとも良いが、急所のほとんどが面では無く点の様に小さい。そこに正確に蹴りを入れるには、よっぽど精密に身体操作が出来ねばならない。フィリッピーネの様に身体内側に付くしなやかな筋肉と柔軟性が必要だ。
「やっぱりフィリッピーネはすごいな。あの高さで蹴りを正確に打ち込む事が出来るなんて。」
ロンが独言ているとフィリッピーネが傍らにやって来て背中をバンと叩いてにこやかに笑いかけてくる。まだゴブリンも残っているのになかなか余裕の表情である。
「ロンさんすごいじゃない。脚もなかなか上がってたわよ。」
「いや、まだまだ自分の思った所に当てる事は出来ないよ。」
「練習あるのみね!」
この短時間で七体ものゴブリンを退治してしまった。あっと言う間にその数を半分に減らしてしまったゴブリンは皆一様に狼狽る。
もはや四体だけになってしまったゴブリンはお互い顔を見合わせて一瞬ギャアギャア喚いたあと、三体を残し一体だけが窪地の集落に走り戻ろうとする。
ロンとランスは走り去るゴブリンを追撃しようとするが三体のゴブリンが眼前に立ち塞がる。
集落にはまだ何か事態を打開できる様な物があるのであろうか?
そうなると厄介なので追おうとするが、三体のゴブリンが邪魔をする。ゴブリン三体ならば今のロン達には脅威になり得ないが、こいつらの相手をしていたならば走り去る一体に追いつくことが出来ない。
ロンは咄嗟に一番構えのなっていない弱そうなゴブリンを見つけ爪先で足を踏みつけると、そのゴブリンはもんどり打って転びのたうちまわる。足の親指と人差し指の付け根の間の少し上にあるコウリの急所を踏みつけにしたのだ。
この急所を突かれてはまともに立っていられない。
「ランス追いかけてくれ!」
ロンが叫ぶやランスは飛び出し、もんどり打って転んでいるゴブリンの頭上を軽々飛び越え、走り去らんとするゴブリンを追い駆ける。
続いてロンは「フィリッピーネ!」と叫ぶやゴブリンをフィリッピーネの方に蹴り飛ばす。
よろよろとフィリッピーネの眼前に押し出される様に出てきたゴブリンは即座に遠心力を使った蹴りをカスミに叩きつけられ昏倒する。
残るゴブリンはロンに土手っ腹に膝蹴りを受け前屈みになった所に顔面へ肘打ちを捻じ込まれ悶絶する。
「フィリッピーネは下がって!エルザこいつらにとどめを!」
そう言うやロンもランスの後を追い走りだす。
フィリッピーネが後ろに飛び退ると、大慌てでエルザが駆け出して来て魔術杖を地面に突き立てると地割れが起き、倒れ伏す三体のゴブリン共はまとめて地中に飲み込まれる。
窪地の集落に到着する手前でゴブリンはランスに追いつかれ背中を斬りつけられる。
だが走りながら斬りつけたために狙いが甘く、切り口が浅いため致命傷には至らなかった。
ゴブリンはよろめきながらも集落の掘っ立て小屋の前まで進むと両手を上げギャアギャアと何事かを叫びだす。
それと同じくしてロンがランスに追いつきゴブリンを追撃しようとして構えるが、ゴブリンの様子がおかしい事に気がつき眉をひそめる。
ゴブリンはビクッと痙攣した後、苦悶の表情を浮かべ胸を掻き毟りだす。
ロンとランスは何事かと身構えるが、目の前のゴブリンが骨の折れる乾いた音と、肉の爆ぜる不気味な音を立ててみるみるロンが見上げる程にその体を肥大化させると、二人は何事かと目を丸くするしかなくなる。
貧弱な身体のゴブリンは倍以上に膨れ上がりロンの頭一つ分大きくなる。
突然、眼前のゴブリンが大型の上位種であるホブゴブリンに変貌する。
「ロン様、ゴブリント言ウモノハ、コノ様ニ突然変異スルモノナノデスカ?」
ランスはホブゴブリンを見上げながら唖然としてロンに質問する。
「え!?知らないよ、こんなのは初めて見るが... こう言うのってコボルトのランスの方が詳しいんじゃないの?」
そう言ってロンはランスを見るが、ランスは黙って首を横に振る。
ロンとランスを睨みつけるホブゴブリンは怒りに顔を歪め威嚇の咆哮をあげる。
目の前にいたロンとランスの二人はホブゴブリンの涎を浴びつつ、うんざりしながら各々が拳と短剣を構える。
なんかエライ事になりましたね。
いつもお読みいただきありがとうございます。




