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50 ロンの目覚め

さてフィリッピーネがギルドに逗留する事になった次の日です

早朝。ロンはまだ辺りが薄暗い時分にベッドからむくりと起き上がると軽く身体を伸ばし、生卵を二つ飲み込んで家を出る。街の広場まで駆けて行くとエルザが不思議な踊りを踊っているのが見える。彼女曰くいきなり走り出して身体を痛めてはいけないので準備運動をしているとの事であるのだが、まあ不思議な踊りである。エルザも真剣にやっているのでロンも余計な事は言わないでおく事にしている。


そこから二人連れ立って走り出すのだが早々にエルザは脱落する。

ゴチン! 「げうっ!」と後ろの方から不穏な音が聞こえるのだが、こう言う事はよくある事なので「先に行って下さい〜」と、おでこを腫らして地面に突っ伏すエルザに「ブランシェト先生に診てもらえ」と手を振って告げロンは先に進む。そこから半刻程でウンドの街を一周してしまう。これは驚異的な速さなのだがロンは気付いていない。


その足で踊る子猫亭の裏まで走って行くとデボラが銀色の毛並みを持つ狼と待ち構えている。この狼がフェンリスウルフらしい、名前はアルジェントだそうだ。とは言え大型犬くらいの大きさしかないので本当にフェンリスウルフなのか訝しむが、デボラ曰く本当はもっと大きいらしく、あまりにも大きくなったので困ったとアルジェントに言うと次の日には今の大きさに縮んでいたらしい。いまいち話しの要領を得ないがそう言う事なのだとデボラは言う。


ここ最近はアルジェントと朝飯を食べている。アルジェントは生だが、ロンはもちろん火を通した臓物を食べる。同じ釜の飯を食っているからか最近はアルジェントとも打ち解けてきた。アルジェントよりも早く食べ終わると、もっと食えと言わんばかりに自分の食べている臓物をくれるようになった。


朝食を終えるとギルドの中庭に行って摺り足をするのだが、今日は先客が居た。

フィリッピーネ・ヴァウシュだ。昨日からブランシェトたっての願いでギルドに宿泊する事になったのだ。


「おはようございます、早いですね。中庭にいるという事は、踊りの稽古ですか? 」


「おはようございます、ロンさん! そうなんです朝起きて私が一番にする事は踊る事なんです。」


それを聞いてロンは納得する。フィリッピーネの立ち振る舞いは全て踊っている様に優雅だ。きっと踊る事が生活の、いや生きる事の一部になっているのだろう。


「フィリッピーネって踊る事が大好きなんだね。」


「はい! 大好きです! ロンさんもお稽古ですか? 」


「そうだよ」と言ってロンは倉庫から砂袋を取り出す。


「朝はここで身体を鍛えているんだよ。もう少し日が高くなってきたら、グリエロとその教え子達も来るよ。」


「まあ、そうなんですね! ...私がここで踊っていて邪魔にならないかしら? 」


「大丈夫。ここの中庭は広いから。」


ロンはそう言ってぐるりと周りを見渡す。なるほど確かに広い。訓練や模擬戦たまに大型の魔物の解体などをしているが、それにしても広すぎると思っていた。

今まで深く考えずここを使っていたが、ここがミナの屋敷だと考えると、この中庭も本来なら宴会や舞踏会をするための場所なんだろう。


そんな事をぼんやり考えていると、フィリッピーネがポンと手を叩いて飛び上がる。


「そうなんですね! みんなでお稽古したら楽しいでしょうね! 」


そう言ってフィリッピーネはクルクルと踊りだす。

ロンも砂袋を胸元に引き寄せ腰を落とし摺り足を始めようとするが、その姿勢のまま固まってしまう。


フィリッピーネが舞い始めたのだ。

スッと自然に腰を落とした状態から大きく前後に脚を広げて跳躍し、音もなく着地したかと思うや軸足を中心に一回転し再び跳躍する。

着地するやスラリと長い脚を伸ばし立ったまま前屈をすると身体はピタリと脚にそってくっついてしまう。さらにそこから片脚を後ろに伸ばし、真っ直ぐ天に向かって上げる。ゆっくり脚を戻しながら上半身も元に戻して直立の姿勢に戻ると間髪入れず今度は上体を後ろに反らせるや片方の脚を前からまた真っ直ぐ天に向ける。


これらの動作をゆっくりと滞りなく流れる様にやってのける。フィリッピーネにとってはこれらの動作は踊りというより踊るための準備運動の様なものなのだが、身体の軸が一切ぶれる事ない流れる様な体捌きはロンにとって目の覚めるような驚きがあった。


ロンは砂袋を抱えたまま暫く立ち尽くしていたが、やにわに我に帰るや口を開く。


「あの、その、フィリッピーネ... 邪魔してごめんよ。それって何て踊りなんだ? 」


フィリッピーネはスッと立ち止まりロンに向き直るや明るく微笑む。


「これは踊りじゃないわ。何だろう? めちゃくちゃ!? 動きたい様に動いてるの。準備運動みたいなものかな? 」


そう言ってニコッと笑ったフィリッピーネはやおら両手を広げると一呼吸おいて駆け出す。


「こうやって踊るの! 」


フィリッピーネは高く飛び上がり身体を大きく広げる。その動作だけでロンは瞬く間に引き込まれてしまう。広い中庭をフィリッピーネは所狭しと舞い踊る。

優雅に回転したかと思うと鋭く飛び上がり

、上半身を緩やかに柔らかく踊らせるや脚を真っ直ぐ前に素早く躍らせる。

緩急自在に飛び、舞い、回る。その姿はまさに大輪の花と言って過言ではなかった。


ロンは花の様に舞い踊るフィリッピーネに見とれてしまう。


高く高く飛び上がったフィリッピーネがふわりとロンの目の前に着地する。


「どう? 準備運動なんかより素敵でしょ? 」


すっかりフィリッピーネの踊りに見とれて惚けていたロンは我に帰る。


「っは! す、すごいな! 何て言うか、こんなに美しいものを始めてみたよ! ... ごめん、なんか語彙が馬鹿で。」


ロンは自分の知っている言葉の少なさ故に今見たものの感動を表現出来ずに歯痒く顔を赤くする。


「ありがとう。とても嬉しい! 言葉なんかいらないわ。ロンさんのそのお顔が見れただけで充分。」


そう言ってフィリッピーネは優しく微笑み自身の頬を指差す。ロンは一寸キョトンとするがすぐに自分の頬を両手で拭う。何故か泣いていた様だ。


「あ、わ、なんだこれ!? ごめんよフィリッピーネ。でも、踊りってすごいんだな。」


「ウフフ、ありがとう。私の踊りはバッレって言う古典舞踊よ。気に入って貰えたのなら嬉しいわ。」


「バッレか。こんなに美しいものも世の中にはあるんだな。う〜む。そう言えば殺伐とした生き方してきたからな。たまにはバッレみたいな美しいものも見ないといけないな。」


しみじみと感慨にふけるロンを見てフィリッピーネは嬉しそうに飛び跳ねる。


「そんな風に言ってくれるのは本当に嬉しいわ! 来月の公演、是非観にいらして! ロンさんご招待するわ! 」


「え!? いいのか? 」


「もちろんよ! そもそもこのギルドに来たのも、ロンさんを公演にご招待しようと思って顔を出したんだから。

楽しい人達がいてすっかり言うのを忘れてたけど... そうだ! せっかくだからロンさんのお仲間もご招待していいかしら。みんなで観に来て欲しいわ! 」


「そりゃ嬉しいし、みんなも喜ぶと思うよ。

でもいいのか? ブランシェト先生はさておき、他の戦闘職の人達が知ってる踊りなんてヘンテコな鴨の踊りだよ。」


そう言ってロンは手足をバタバタさせておどける。それを見たフィリッピーネは手を叩いて嬉しそうに笑う。


「なにそれ!? 鴨の踊りなの? 面白い! 」


「僕の師匠のルドガー先生が踊ってたんだ。」


そうフィリッピーネに話しながらロンは「こんな感じ」と言って、ルドガーの歌っていたヘンテコな歌を歌いながらヘンテコな踊りを踊る。


「あれ、意外と難しいな。ルドガー先生はもう少し滑らかに動いていたのにな... まあ、僕は身体も固いしな... 」


そう言ってロンは諸手を挙げたおかしな格好で固まる。


「そう言えばフィリッピーネってすごく身体が柔らかいな... 。」


そう言ってロンはフィリッピーネに向き直る。


「あのさ、不躾な質問なんだけどさ。フィリッピーネのその身体の柔らかさって何か特別な訓練とかしたの? 」


「そうね、特別な訓練って訳ではないと思うけれど柔軟運動ってあるわね。でも踊りって身体が柔らかいだけじゃ駄目なのよ。その柔軟性を支える筋力も必要なの。柔軟性と筋力が合わさって自分の身体を思いの通りに動かせる様になるのよ。」


そう言ってフィリッピーネは腕を曲げて力こぶを作り笑う。

しかしロンは神妙な顔つきでフィリッピーネを見つめる。


「あのさ、フィリッピーネ。ほんのちょっとでいいんだけど、その柔軟運動ってやつを、初歩的なとこだけでいいから教えてくれないか? 」


「あら、そんな事でしたらいくらでも教えますわ! 」


そう言うやフィリッピーネはロンの周りをグルグル回り、腕や背中に触れながら何かを確かめる様に「ふむふむ」と独り言ちている。


「...なるほど〜。これは戦う人の身体だわ。筋肉もりもりね! 」


「そんなもりもりに無いとは思うが、筋力はそれなりにあると思うんだよ。だから後は柔軟性が欲しくて。」


そう言ってロンは先日のオークやヒーシとの戦いやトムの剣の躱し方を軽く説明しする。


「なるほど! それで柔軟性が欲しいのね。そうよねロンさん身一つで戦っているものね。身体は自由に動いた方が良いわ! 」


そう言うやフィリッピーネは手を腰に当て「ふむ」と一人うなずく。


「柔軟性を身体に求めるなら筋力も必要とは言ったけれど、ロンさん身に付けた筋肉とは違う筋肉が必要なのよ。」


「え!? そうなのか? ...と言うか違う筋肉? どう言う事だ? 」


「ロンさんってこの砂袋を持ち上げたりして筋肉を鍛えているの? 」


そう言ってフィリッピーネは地面に置かれている砂袋を持とうと身を屈める。


「え? ええ!? 何この重さ! ロンさん今さっきこれ抱えてたわよね? こんなのを持って鍛えているのね。そりゃもりもりになるわよね。」


そう言って一人で納得しているフィリッピーネは、やにわにロンに振り返る。


「身体に付く筋肉って外側に付くものと、内側に付くものがあるんだけど。こうやってロンさんみたいに重いもの持ったり、戦う中で鍛える人達は外側の筋肉が付くの。この筋肉は瞬間的に大きな力を出す事が出来るのね。そのかわり柔軟性が損なわれてしなやかな動きが出来なくなるの。反対に身体の内側に付く筋肉はゆっくりと小さな力しか出ないけれどしなやかさと持久力を持っているの。」


「なるほど。踊りにはその内側の筋肉が必要なんだな。」


「そう! 優れた舞踏家になるためには内側の筋肉も鍛えなきゃね! 」


「うん、いや、舞踏家にはならないけど、身一つで戦うと言う意味では拳法家も同じかもしれないな。自分の思い通りに身体を操る事が出来なければ上手く踊れないだろうし、相手の急所を的確に突く事は出来ないもんな。」


「そうよ。ただ身体がぐにゃぐにゃ柔らかいだけでも駄目なのよ。身体を支えるしなやかな筋肉がなければね。」


それを聞いてロンは自分の身体とフィリッピーネの身体を見比べてみる。男女の差と言う事もあるだろうが、ロンの身体はゴツゴツと外に張り出している。翻ってフィリッピーネをよく見てみると、ただ細いだけでは無い滑らかに引き締まった鋭い筋肉を持った身体だとわかる。


「なるほど良くわかったけど、僕は随分と外側の筋肉を鍛えてしまったな。今から内側を鍛えてどうにかなるだろうか? 」


「大丈夫。今からでも遅くないわ。何事も均衡を保つ事が大切よ。内側も外側も同じ様に鍛えていくの。そうすればロンさんも理想の身体を手にする事が出来るわ! 舞踏の道は長く険しいけれど頑張れば必ず結果は伴うわ! 」


そう言ってフィリッピーネは握りしめた拳を高く挙げる。


フィリッピーネは寝ても覚めても踊りの事を考えて生きているのだろう。思考の着地が踊りに行きつく様だ。

これはフィリッピーネの無意識の癖みたいなものであろうからロンはあえてそこは突っ込まずに自分も頑張ると言う旨を彼女に告げる。


「ロンさんヤル気がみなぎっているわね! じゃあ早速始めましょうか! 」


「ああ、お願いします。」


「じゃあ、私のやる通りにしてみてね。」


そう言ってフィリッピーネは脚を伸ばしてその場に座る。ロンもそれに続く。


「まずは開脚ね。」


そう言ってフィリッピーネは長座の状態から両脚を開いていく。ロンもそれに続くがフィリッピーネの脚はどんどん開いていき終いには横一文字に真っ直ぐ開いてしまう。ロンはその半分も開かずにいる。


フィリッピーネはそのまま上体を前屈していき上体全部をぺたりと地面につけてしまう。やはりロンはその半分も前屈できない。


フィリッピーネはその状態から器用に顔を上げロンを見る。


「ふむふむ、ロンさんの身体は今はそこが限界なのね! そうね、じゃあ、股割りしちゃおっか。」


何やら股を割るだなどと不穏な単語が出て来たが、細かい意味も分からないし、何より深く物事を考え無いロンは気軽に「よろしく」と返事をする。


「まあ! 流石ロンさん、ヤル気満点ね! 」


そう言うやフィリッピーネは開脚前屈している状態から両脚を後ろに伸ばしうつ伏せの姿勢になったかと思うと、ぴょんと飛び上がってその場に立つ。


「ちょっと待っててよ〜」と言いながらフィリッピーネはロンの傍らを通り過ぎて後方に駆けて行く。


この時ロンは頭からすっぽりと抜け落ちていた。トムやグリエロの様に何かを極めようとする者の冗談の通じなさと常に全開で本気である事を。

そうフィリッピーネも舞踏を極めようとする者である。トムやグリエロと同じ手合いである事をすっかり見落としていた。


「ロンさん行くわよ〜! 」


何故か遠くからフィリッピーネの呼ぶ声が聞こえる。


「あ、はーい。」


ロンは自身で出来る目一杯の開脚と前屈をしている。それに気を取られていたために思わず生返事をしてしまった。


その一瞬後、何か重い塊が猛烈な勢いでロンの背中にロンを潰さんとする勢いでぶち当たる。


その瞬間パァンと何かが爆ぜる音がしたかと思うやロンの脚は真一文字に開脚し、上体を地面にめり込ませる勢いで前屈させる。


潰れたカエルの様に伸び広がっているロンの傍らにすっくと立っているのはフィリッピーネである。

先ほど猛烈な勢いでロンに激突したのは彼女であった。


「これで良し! 」


フィリッピーネは潰れて平たくなるロンを見て満足げにうなずく。


ロンは最初何が起きたか理解出来ていなかったが、ようやく自身に降り掛かった状況を理解すると遅れて激痛が走り出す。


「いいいい痛ぁぁぁああああ! 」



爽やかな朝のギルドの中庭にロンの悲痛な叫び声がこだまする。


よい子の皆さんは真似しないで下さいね。


いつも読んで頂きありがとうございます。

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