4 拳が武器になる。
ロン・チェイニーは、拳士としての第一歩を踏み出します。
フーケ世界初の素手で戦う男の誕生です。
田舎の森の片隅で、始まった小さな第一歩です。
ウンドの街を出て北にしばらく進むと森がある。何の特長もない小さな森だ。あんまりにも特長が無いのでウンドの街の住人達には、ただ「北の森」と呼ばれている。
ロン・チェイニーは北の森にやって来た。薬草採取にはちょうどいいし、出て来る魔物もそんなに強く無い。
両手には革の籠手を装備している。軽く手を握り、拳を作ってみる。籠手は前腕の真ん中くらいから指の第二関節までを覆っている。
これなら魔物をぶん殴れそうだ。試しにその辺りに立っている木を殴ってみる。...かなり手が痛い。素手で殴るよりは幾分かマシだろうが、結構な衝撃がある。ゴブリンと違い大きく頑丈な木を殴ったせいでもあろうが、あの時は頭に血がのぼって痛みを忘れていただけかもしれない。
なんにせよ、何かを殴ると当然の事ながら自分も痛いのだ。こればかりは自身の拳を鍛えて強くするしかなさそうだ。
森の中を歩きながらゴブリンが出て来たらああやって肘を狙おうとか、膝をどうやって狙うのか、などと考えながらあーでもない、こーでもない、と手を振り回していると前方の草がガサリと音を立てて動く。魔物か!?
はたして目の前に現れたのは魔物であった。
半透明のゲル状の魔物、スライムだ。
「あぁ、そうか。魔物つってもこんなのも居るんだっけか。」
そう独り言ちる。いわゆる人型の魔物ばかりではないのだ。まぁ、スライムなんてのは一匹、二匹出て来ても大した事はない。取り囲まれてしまうと、流石に不味いが周囲に別の魔物の気配は無い。第一に、この森に徒党を組んだ強い魔物は出現しない。
とは言え、こちらに気がついたスライムはロンを餌にする気なようだ。ジワジワと近づいて来る。
「別にお前さんには、用はない」と言って、スライムを思い切り蹴っ飛ばす。スライムは大きな弧を描いて飛んで行き、木にぶつかって潰れる。
思いのほか勢いよく飛んでいったものだと思う。それもそうだ、脚は腕よりも筋肉の量が多い。必然的に力も強くなる。
ロンは一人で納得する。
「そうか、拳でぶん殴る事ばかり考えていたけど、脚で蹴っ飛ばすっていうのも、有効な攻撃手段かもしれないな。...武器は使えない。素手なんだもんな。身体の使える所は全部使って、効率よく攻撃しなきゃな。」
そう言って足を振り上げるロン。しかし今のままではスライムのような地を這う魔物にしか通用しなさそうだ。もっと研究する必要がりそうだ。
そうやって手や足を振り回しながら森を探索する。ロンからすると、素手で魔物倒すための研究だが側から見れば下手くそな踊りにしか見えない。
下手な踊りを踊りながら、森をあらかた一周するころには薬草も充分採取出来ていた。腹も減ってきたし、そろそろ昼飯にしよう。道具屋でずだ袋を売って出来たお金で、薬草と一緒に買った。干し肉やら干し果物を食べようとルックザックから食い物を出した途端に、匂いに釣られてかゴブリンが出て来る。
「干物の匂いに釣られて出て来るとは、どんだけ飢えてんだ。」
しかし、食い物を餌に魔物をおびき寄せるのも一つの手だなとも思いながらロンは戦闘態勢に移る。
先ずは観察だ。ゴブリンの持っている武器や動きをよく見て対処を考える。
ゴブリンの持っている武器は武器と言うにはあまりにもお粗末な棍棒だ。 当たればもちろん痛いだろうが、刃物を持ち出されるよりは幾分か気持ちが楽だ。
ゴブリンはこちらが素手だとわかるや下卑た笑みを浮かべて襲いかかってきた。
ゴブリンは棍棒を上段に構えて、ロンの頭を打ち据えにくる。
「さっそくだな!」
こちらも拳を振りかぶってゴブリンの顔面に叩き込む。
ゴツンという鈍い音がする。ロンが拳をゴブリンの顔面に叩き込むと同時にゴブリンの棍棒もロンの顔面に命中していた。
顔に疼痛がはしり目眩がするが、負けじと再びゴブリンの顔面に拳を振りかぶって叩き込む。
が、やはり同時にゴブリンの棍棒もロンの顔面に叩き込まれる。
思わずロンは後退りする。痛い。とてつもなく痛い。こんな風に殴り合っていたら、打ち負けるのはこちらの方だ。流石にゴブリンの棍棒の方がロンの拳より硬くて強い。
二、三歩後退して間合いをとる。頭がクラクラするが、考えろ、考えろ。
ゴブリンの棍棒より早く自分の拳はゴブリンに届かなければならない。どうすればいい?
しかし、ゴブリンは考える時間をくれない。
大きく振りかぶって棍棒をロンめがけて打ち下ろしてくる。
ロンはその攻撃を事もなく躱す。この手のゴブリンの攻撃は昨日の洞窟で見切っている。
ゴブリンはさらに、大きく振りかぶって棍棒を打ち下ろす。
この攻撃もあっさりと躱す。棍棒の動きは良く見えている。
ロンは考える。このゴブリンの攻撃は非常にわかりやすい。大きく振りかぶるので攻撃のタイミングも、攻撃場所もすぐにわかってしまうのだ。
そこではたと気付く。先程の自分の攻撃もそうではなかったか?
大きく振りかぶって拳をゴブリンの顔面に振り下ろそうとした。ゴブリンの攻撃と同じだ。
これではゴブリンと同じく攻撃速度が遅い。棍棒と打ち合っても、重くて硬い棍棒の方に分がある。
これでは駄目だ。もっと早く拳をゴブリンの顔面に叩き込まねば。
どうする?
最速で攻撃を届けるには、最短で攻撃を対象に届けなくてはならない。
自分の拳とゴブリンの顔面、この二点を結ぶ最短距離は直線だ。
最速の攻撃は真っ直ぐ一直線。逆に大きく振りかぶった攻撃は、弧を描くので目標までの到達時間が遅い。
最速、最短で拳を当てるには真っ直ぐ拳を突き出さなくてはいけない。
ロンは拳を、自分の顎の先に引き寄せる。
ここから真っ直ぐに拳を突き出す。
ゴブリンとの距離は歩数にして二歩。
まだだ。まだ攻撃のタイミングではない。
ゴブリンがにじり寄ってくる。
まだだ。
さらに、にじり寄ってくる。
まだだ。
ゴブリンが棍棒を振り上げる。
今だ!
ロンは真っ直ぐ拳をゴブリンに突き出す。
パァンと乾いた音が響く。
ゴブリンが目をシロクロさせながら後ずさる。
何が起こったかわからないようだ。
だが攻撃されたのはわかるようで、怒りに顔を歪ませたゴブリンが再度、棍棒を振り上げる。
パァン!!
ロンの拳がゴブリンの顔面を捉える。
後ずさるゴブリン。ロンは反撃の隙を与えない。間合いを詰めて、拳を一撃、二撃、三撃...ありったけの拳をゴブリンに叩き込む。
十数発殴ったろうか。息が切れて拳が止まる。
散々、打ち据えられて、顔面の形が変わってしまったゴブリンが、ゆっくりと仰向けに倒れる。
「ハァ、ハァ、ハァ....勝った、のか。」
ロンは辛くも勝利した。
ゴブリン一体倒すのにここまで息切れしては頂けない。まだまだ改良の余地はありそうだ。
「攻撃は早いけど、威力が足りないな。もっと強く早く拳を突き出さなくては。」
しかし手応えはあった。拳の突き出しに、脚での蹴り上げ。もっと研鑽を重ねれば自身を武器に出来るのではないか。
ここにフーケ世界初の自分の身体を武器に戦う者が誕生した。
まだ、ゴブリン一体倒すのが精一杯だが。