34 コボルトの集落にて
西のコボルトの氏族の集落に辿り着きますが...
ロン・チェイニーの一行は峠の森をひたすら北上している。
山道の様なものはなく、木々が鬱蒼と生い茂るまさにけもの道と言っていいような悪路をひたすら突き進んでいた。
その悪路を、杖をつくルドガーがこの森の住人であるランペルと共に一行を先導していた。
森に慣れたランペルはいいとして、杖をつく老人であるルドガーの健脚ぶりと言ったらない。
盲目とは思えない、まるで自分の家の庭を歩くような慣れた足運びと、絡み合う木の根を躱して進む速度は齢七十を越えた者のそれでは無かった。
ルドガーは細かい森の情報をランペルから聴きながら進行方向を定めている。
「ランペルさん、西の氏族の集落に少し寄って行きましょう。この速度で進めば、少々寄り道しても北の氏族の集落には充分な余裕を持って着けます。」
「ナルホド、ミチガ、スコシ、ニシニ、ソレテイタノハ、ソウイウコトダッタノデスネ。」
ルドガーとランペルの二人は辺りを注意深く伺いながらもどんどんと先に進んで行く。
その後に続くのはロンとグリエロである。
ロンはルドガーの健脚ぶりにいささか驚いている。
「ルドガー先生はやっぱり凄いな。しかしこの歩き難い森の中をこうも見事に進む様を見ると、杖なんていらないんじゃないかと思うな。」
「まあ、あの爺さんアレでも目が見えないからな。杖で地面の形や、万が一の罠を警戒して探りを入れながら進んでんのさ。
しかし矍鑠とした爺さんだな。あれで引退して三十年ってんだから現役の時はどんなだったんだろうな。」
「ん!? そういや引退して三十年って事は、グリエロも現役の時は知らないって事なのか? 」
ロンはふと、そんな疑問が湧いてきてグリエロ尋ねる。
「そうだな。俺が冒険者になった時には、もうとっくに引退していたな。」
「でも、さっき死神の罠をどうこうって言ってたけど、何でグリエロは知ってるんだ?」
「ああ、今思い出しても身の毛がよだつが... 十年程前のこった。」
グリエロは昔を思い出して苦い顔をして笑う。
十年前の事、ロンがまだ十代にも満たない頃の話しである。
王都の政治に深く関わるさる貴族の要人に暗殺の魔の手が伸びつつある事が発覚し、王都議会にただならぬ緊張が走った。
その貴族はすぐさま間者を放ち、自らを死に誘う奸計を暴こうとしたが暗殺の首謀者はようとして知れず、王都騎士団も要人の警護は出来ても暗殺者とその首謀者の捕縛は、その領分を越える事であったので能わず、巡り巡ってウンドの冒険者ギルドまで暗殺計画の調査と阻止の依頼が来たのだった。
早速、エス・ディ率いる調査隊が組まれ諜報活動が始まったが、程なくして要人を狙う暗殺者の名前が発覚した。
その暗殺者は当時はかなり名の知れた凄腕で、その名が出た時にはギルド内にかなりの衝撃と動揺が走った。
一人喜んだのはトム・メイポーサだった。
「そしたらトムの野郎が張り切りやがってな。一流には一流だ。伝説の暗殺者に暗殺の講義を受けて、事態に備えようって言い出したんだよ。」
当時を思い出してか、グリエロは苦笑いする。
当時、もうすでに上の中の戦士であったトム・メイポーサは一流の暗殺者と相対し戦う事が出来ると心躍らせたが、暗殺者の殺手術という物にはついぞ疎かったので、伝説の暗殺者、死の道ことルドガー・パーカーに殺手術の教示を勝手に願い出た。
勝手にと言うのは、当時はギルドの裏に住んでいる隠居して、暇な時に按摩師なんかをやっている気の良い盲目のお爺ちゃん、と言うものがウンドの街に住む人達のルドガーに対する一般的な認識だった。
というのも、ルドガーを伝説の暗殺者だったと知るものはごく一部の上級冒険者だけで、ルドガーの暗殺者としての過去や、彼の殺手術については触れてはいけないと言う暗黙了解があったからなのだ。
だが、トムはギルドに舞い込んできた重要かつ困難な依頼と言うものを盾に、前々から会いたくてしょうがなかった伝説の暗殺者に声をかけてしまったのである。
「トムの野郎は本当に戦闘狂だからな。強い奴を見つけると、居ても立っても居られなくなんだよ。そういう意味ではルドガーはトムの意中の人なんだよ。なんせ伝説なんて呼ばれる人間なんだからな。
あん時もブランシェトにしこたま怒られてたな。」
最初はルドガーもトムの頼みを丁重に断っていたが、トムの並々ならぬ熱意とギルドのため、世のため、人のためと、正義のためと、色々訳の分からぬ絆され方をして、とうとう首を縦に振ってしまったのである。
しかしこの事は、トムを大いに喜ばせたが、他のギルドの冒険者達は地獄を見る恐怖の体験となる。
「それでトムの野郎がルドガーを引っ張り出してきてな、冒険者ギルドの建物全棟を使って罠やら暗殺術の模擬訓練をやったんだよ。」
「へえ、そりゃスゴイな。それでどうなったんだ?」
ロンの質問に何がおかしいのか、グリエロはクククッと小さく笑いながら応える。
「ああ、ルドガーはあっという間にギルドを罠の館に改造しちまってな... 。」
再び表舞台に引っ張り出されてしまったルドガーはギルドの面々に非常に大きな歓待を受ける。
それはルドガーにとって意外なものであった。もっと畏怖や侮蔑の目で見られると思っていたのだが、引退して二十年。
今現在、当時の死神と恐れられたルドガーを知るものは少なく、ギルドを始めウンドの街の住人達はルドガーの事を親切で腕の良い按摩師と思っているからで、さらにはトムの入れ知恵で、気の良い老爺ルドガーは実は伝説の暗殺者で長らく自らの技を封印して来たが、この度は王族の為、我々ウンドの人々の為、正義の秘技を使い助けてくれる。と、ギルドの冒険者のみならず、ウンドの街中に喧伝したのだ。
何の事か良く分からないままウンドの住人達は、実はルドガーは凄い人で、王族の偉い人を助ける立派な事をすると、非常に良い様に解釈してくれた。
もとよりウンドの人々は王都から少し離れた田舎に住む朴訥で善良な人達なので、ルドガーが死神と怖れられた人物などとは終ぞ思わなかったのである。
さらにトムの巧みな誘導で上手く丸め込まれたウンドの住人は、ルドガーを立派な御仁だと、笑顔で迎え入れたのである。
そういった経緯でルドガーも少々張り切ってしまった節もあり、模擬訓練の場とした冒険者ギルドの建屋を、自身の技術の粋を尽くして暗殺の館へと改造してしまった。
「そりゃあ見事だったぜ。半日も経たないうちに、よくあれだけの数の見事で凶悪な罠の数々を仕込んだもんだ。」
ウンドの人達の見守る中、腕に自身のある冒険者達が続々と罠の館に入っていったが、入ったそばから悲鳴と絶叫が聞こえ、窓や扉をブチ破って半死半生の血塗れの冒険者館が転び出て来た。
それを見た子供や女性達は泣き叫び失神し、その場は混乱を極め、阿鼻叫喚の地獄絵図となったのだった。
「死人こそ出なかったものの、とんでもない怪我人が続出して半日も経たないうちに訓練は中止になったんだよ。
俺もあん時ぁ死にかけたぜ。」
そう言ってグリエロはブルっと震える。
「結局その訓練で無事だったトムと俺だけで警護する事になってな。」
「それで、依頼はどうなったんだ?」
「いやぁ、ちょろい依頼だったぜ。
ルドガーの罠や暗殺術と比べたらな、襲撃してきた暗殺者の罠や技なんて児戯に等しく感じたよ。
赤子の手をひねるように暗殺者を退けて、ついでに暗殺の首謀者まであっという間に捉える事が出来たよ。」
それを聞いてロンは「ふーむ」と感心した面持ちでうなずく。
「なんだかわかった様な、わからない様な話だが、ルドガー先生がスゴイのはわかったよ。」
「なんだいそりゃ!?」
グリエロはロンの物言いに気の抜けた顔を見せる。
当のロンは思う所があるらしく、改めてグリエロに向き直る。
「ルドガー先生は引退しても凄いのはわかったけれど、グリエロは引退して五年でかなり鈍ってたよな。
ゴブリンにやられるのに、オークなんか相手に出来るのか? 」
ロンの歯に衣着せぬ問いにグリエロは心底バツの悪そうな顔で答える。
「まだ言うか!? あんときゃ悪かったよ本当に! 」
「いやいや、ごめんよ。責めるつもりはなくてさ。グリエロには感謝してるんだ。
いま僕がこうしてここに居るのもグリエロのお陰だと思ってるし、実際にグリエロの教示を受けてみて、優れた指導者である事もわかっているんだ。... ただ... 。」
「ただ、何でい。」
グリエロは半ば拗ねた様な顔を見せる。
「いや、今になって思うと何でゴブリンごときの魔法で昏倒したんだろうと思ってさ。」
それを聞いてグリエロは頭を掻きながら苦い顔をする。
「いや、あんときゃ俺も驚いてな。五年間の引退期間に魔法耐性があんなに無くなってるとは思わなかったんだよ。
ゴブリンの放つ程度の低い魔法があんなに効くとはな。五年の空白って恐ろしいぜ。」
「全然言い訳になって無いじゃないか。それくらい確認しとけよ。」
「いや、面目無ぇ。現役でいた頃は自分の魔法耐性に加えてブランシェトの結界魔法も掛かってたからな。本当に失って分かる能力と仲間の魔法の有難さだぜ。」
「すまんね、僕の魔法は役立たずで。
と言うか、グリエロってブランシェト先生とパーティ組んでたのか?」
「何だ知らなかったのか!? 俺とブランシェトとトムでパーティ組んでたんだぜ。」
「え!? 凄いな。グリエロって本当に凄かったんだな。今は見る影も無いけど。」
「あー! もう! あれからちゃんと鍛え直してるよ。魔法耐性もちゃんと元に戻ってら! 」
バツが悪いのか顔を赤くして言い訳するグリエロにロンは笑いながら「冗談だよ」と返す。
そうするとグリエロは少々神妙な顔をしてロンに向き直る。
「しかし、俺もお前さんにゃ感謝してるんだぜ。あの時、一緒に依頼を受けて、その後お前ぇが魔物をぶん殴り始めなけりゃ、俺が戦士職に戻れる事も無かっただろうからな。」
そう言ってグリエロは腕を二、三度大きく振るう。
「それに、お前さんの治療のお陰で腕の調子も随分良くなってきているぜ。」
ニカリと笑うグリエロにつられてロンも口をひん曲げて笑う。
「まだ腕も脚も治しきってないよ。まだまだ勉強中だ。ルドガー先生の按摩術は奥が深いよ。」
ロンとグリエロがそうこう言いながらも歩みを進めていると、数歩先を行くルドガーが立ち止まりこちらを向いて人差し指を口元にあてる。
「まったく仲のよろしい事で。さて、お二方、無駄なお喋りはここまでです。
ここからは、敵の領域です、ちょいと気を引き締めてかかりますよ。」
ルドガーがそう言うと、続いてランペルが前に出てくる。
「コノサキニ、ニシノシゾクノ、シュウラクガ、アリマス。」
そう言うやランペルは肩を落としうなだれる。
「どうしたんだランペル!? 」
ロンはランペルの様子がおかしいのに気付く。
「コノサキカラ、チノニオイガ、シマス。」
そう言ってランペルは悲しさと焦燥を帯びた顔をあげる。
「そうですね、夥しい血の匂いがしますが、生き物の気配がしませんね。
行ってみましょう。」
ルドガーはそう言うが早いか踵を返して森の奥に入って行く。
慌てて後をついて行こうとするロン達を、静かに移動しろ、と手で制しながらルドガーは木々の合間をすり抜けて行く。
しばらく進むと拓けた場所に出て来る。
コボルトの集落であった場合は無残にも破壊し尽くされ跡形も無く、代わりにあるのは、未だ乾ききらぬ夥しい血の跡である。
酸鼻を極める光景に一同はロンは顔を顰め、ランペルはその場にガクリと膝を突く。
「ナント、ムゴイ... 」
うなだれるランペルの肩を黙ってそっと包むのはルドガーである。
いつもの様に、目を伏せ穏やかな表情を見せているが、その背中からは恐ろしいまでの怒りとも哀しみとも取れる、見る者の心を粟立たせる感情を漂わせている。
ロンは普段は温厚なルドガーの醸し出す柔らかな空気しか馴染みが無いので少し面食らう。ここまで露骨に他者の負の感情を感じ取った事は無い、ましてやいつも柔和な顔をしている自らの師匠からこんな恐ろしい気配を感じ取る事になるとは思わなかった。
ロンは受け止めてしまった大きな感情のうねりを持て余し狼狽していると、ルドガーの背中から感情がスッと消える。
ルドガーは黙って立ち上がりロンの方を向く。その表情はいつもの優しい顔だ。
「すいません、私とした事が年甲斐も無く感情を表に出してしまいました。
まったく無駄に年取って、ちっとも成長してませんね、それとも耄碌したのか。
ごめんなさいね、ロンさん。私はもう大丈夫ですよ、心配なさらないでね。」
何か気不味いらしく少々饒舌になったルドガーは、踵を返して杖を突き突き集落跡の中程に入って行く。
何の事か解らずロンは呆然と立ち尽くして居ると、傍らにグリエロがやって来て小さく呟く。
「ロン、お前さんは感じた事が無かったか...
あれが本物の殺気って言うやつだ。
ルドガー爺さん久しぶりの戦場を見て感情的になっちまったか。
しかし、耄碌なんてしてねぇな、お前さんがビビるのも無理ねえよ。
あんな殺気、俺も久しく感じて無いぜ。」
グリエロはロンの背中をバンと叩いて、ルドガーのいる集落の中程に向かって歩きだす。
ロンは背中の痛みで我にかえると慌ててグリエロの後を追う。
ルドガーは今は何も建っていない赤黒い地面のただ中に屈み込み何事かを調べている様子だ。
ロンはルドガーの傍らまで歩み寄り同じく屈む。
「先生何かわかりましたか?」
「ここの地面は大量の血を吸った跡があるね。軽く地面を掘ってみたが、深い所まで血が染み込んでいるよ。
ロンさん、周りを見て下さい、後どれくらいの数の血だまりがありますか? 」
ロンはその場で立ち上がり、ぐるりと辺りを見回す、そこかしこに血痕はあるが大きな血だまりはこの場を含め三つあるだけだ。
「大きな血だまりは三つですね、その他は血だまりと言うより血飛沫の跡って言う所ですね。」
「ふむ。ランペルさん西の氏族は族長の他に力を持った者は何人いましたか? 」
「ニシノ、シゾクノ、オサノ、ホカニハ、オサヲ、ホサスルモノガ、フタリイマシタ。」
「なるほど。この血だまりは族長とその補佐官二名が殺された時のものでしょうね。」
そう言うルドガーにロンは疑問を投げかける。
「先生その三名が殺されたのはどう言う意味があるんです? 」
「見せしめですね、力のある者を抹殺する事で力の差を解らせ服従させようとしたのでしょう。
その他の血飛沫はその時多少抵抗を試みた者がいたんでしょうね、しかしそれほど多くない様です。血の匂いが薄い。」
ルドガーは優しく穏やかな顔でランペルを見る。
「ランペルさん、殺されてしまったコボルトもいますが、ほとんどは捕虜になっていると思われます。」
「アリガトウゴザイマス、ルドガーサマ。」
ランペルはルドガーに深々と頭を下げる。ルドガーの言うようにほとんどのコボルト達が捕虜となっているとしても、コボルトが殺されたのには違いは無い。
ルドガーの言葉は慰めでしかない事も解ってはいるが、ランペルはルドガーの憤りと悲しみを匂いで感じていた。これは嗅覚鋭いコボルトならではの感情の読み取り方だが、この惨状を見てそれでもなおルドガーがランペルの事を慮って何とか言葉をかけねばならないと思った気持ちが嬉しかった。
「グリエロさん、オーク共の足跡は見つけれますか? 」
ルドガーにそう聞かれたグリエロはぐるりと辺りを見回す。
「ああ、奴ら全く隠す気も無い様だな、真っ直ぐ東に複数の足跡が伸びてるぜ。」
それを聞いたルドガーはグリエロの言った東の方向へしばらく進んで、屈んで地面に耳を着ける。
「ふむ、確かに東に進んでいるようだね。少し遠いが東の方向に何者かの大きな集団の振動を感じるね。」
ルドガーは「よし」と独り言ちて立ち上がる。
「やはり北に進みましょう。オーク共の裏をかいて北の氏族を助けましょう。
一つ峠を越えねばなりませんから少々大変な道行になりましょうがね。」
そう言って踵を返してランペルと共に森に入って行く。
その後姿をグリエロは厳しい目付きで追う。
ルドガーを追いかけ様としたロンだが、グリエロのその視線を感じ足を止める。
「どうした!? グリエロルドガー先生行っちまうよ? 」
「ロン、コボルトの殆どが捕虜になったのはルドガー爺さんの言う通りだと思うが、何でコボルト達が虜になったかわかるか? 」
「どう言う事だ? 」
「この血だまりの事だ。ここに二つ小さな窪みがあるのがわかるか? オーク共はここにコボルトを跪かせて殺害してんだ。
無抵抗の相手を惨たらしく殺戮してやがんだ。」
「そうか、だから長と補佐二人を殺したんだな。
恐怖と屈辱でもってコボルト達を屈服させたんだ。」
「そうだ。ルドガーはもとよりランペルもわかってるだろうな。
こいつは流石の俺も胸糞が悪いぜ。
おい、ロン。コボルトは魔物だが、これ以上コボルト達の尊厳が踏みにじられ事があっちゃならねえ。」
ロンはグリエロの厳しい目の意味を理解し、改めて身を引き締める。
グリエロもロンも無言で歩み始める。
一刻も早く北の氏族の集落にたどり着かねばならない。
これ以上オークの横行を許してはならない。
さて、これからどうなるのでしょうね。
いつもお読み頂きありがとうございます。
最近更新頻度が落ちていますが、何とか楽しんで頂けるモノを提供出来るように頑張ります。




