14 オークとの戦い
今までロンがぶん殴ってきた魔物を凌駕する強さを誇る、オークとの一騎打ちです。
ロンに勝ち目はあるでしょうか?
古代の叙事詩スノウリには、オークは堕落し神に見放されたエルフの成れの果てだと記述されている。
太陽神セオストに仇なし、陽の当たらぬ奈落に潜んだエルフの一族は、長い年月のうちに美しかった髪は抜け落ち、肌は暗い灰色に煤け、顔は醜く歪んでしまったと言われている。
故に、オークは闇に潜み陽の光に憎悪を抱き、元エルフであるが為に知性を持つ、狡猾で残忍な魔物なのである。
ロンの目の前にいる魔物は、そういう伝説を持っている。醜い豚面の何処にもエルフであった面影など無い。そんな伝説は眉唾物だと思っているが、実際にオークは知性を持ち徒党を組んで計画的に人間を襲ったりする。
したがって、とても恐れられている魔物なのである。
ロンの後ろでガタガタ震え、今にも腰を抜かしそうなエルザに他に魔物の気配がないか聞いてみる。
「今のところ、無い、です。」
「わかった、ありがとう。なるだけ離れていろ。」
ロンは、油断せず構えて相対するオークを観察する。
オークは、ずんぐりと筋肉質で大きな体に粗末な皮の胸当てを着け、手には片手斧を持っている。
あの太い腕で斧なんぞを頭なんかに振り下ろされた日には即お陀仏だ。
このオークがどの様な攻撃をするのかわからない。ロンが相手の出方を伺っていると、オークの方から仕掛けてきた。大きく上段に斧を振り上げる。
ゴブリンもそうだが、こう言う力任せに攻撃をしてくる奴は、だいたい武器を大きく振り上げて攻撃してくる。
その武器を振り上げた隙をついてロンは懐に滑り込む様に入り、渾身の力を込めて右、左と拳を打ち込む。綺麗に二連撃がオークの顔面に突き刺さる。非常に滑らかな動きで淀みが無い。この突きはもう身体が覚えてしまっている。この一月の間、依頼を終え家に帰ってからも毎晩、独り黙々と何百何千とひたすらに突きを続けたからだ。グリエロが修行僧みたいだな、と言ったのも頷ける。
今のロンはこの左右の連撃でゴブリンを吹っ飛ばす事が出来る。
しかし、ゴブリンよりも一回り大きく筋肉質なオークは少し仰け反っただけで、それほど大きなダメージを受けてはいないようだ。
ロンがオークを殴った時に感じた感覚は偏に「重い」だ。
筋肉と言うものは重い。脂肪と比較すると倍の重さがある。さらに筋肉の重さを支えるため骨も太く強くなり、少々殴られたくらいではビクともしなくなる。ずんぐり大きく筋肉質のオークは、痩せぎすなゴブリンとは比較出来ないほど頑丈だ。
二、三殴られた所で動じないオークは、そのままロン目掛けて斧を振り下ろしてくる。それを身を引いて躱そうとするが、斧が頭を掠める。
髪の毛が二、三本ハラリと地面に落ちる。危ない所だった。もう少し身を引くのが遅れたら、頭が割れていた。
オークは尚も攻撃を仕掛けて来る。それに合わせてロンは肩腰を入れて突きを打つが、オークには効かない。
ドンと突き飛ばされ、よろけるロン。そこに斧を振り下ろされる。咄嗟に身をよじり躱そうとするが、左の肩に斧を叩き込まれる。
鮮血がほとばしる。ロンは横っ飛びに飛んで、ゴロゴロと地面を転がって何とかオークと距離を取る。
無様だが命には変えられ無い。肩口を見ると流血こそしているが傷は深く無い様だ、骨までは達していない。まだ動く。
しかし、このままではいけない。ロンの攻撃の間合いは素手ゆえに狭い。
相手の懐に飛び込んでの攻撃は、外したり効かなかった場合は反撃を受ける危険がある。
ロンはまだ相手の攻撃を完全に避け切るだけの技量がない。今、オークに攻撃が効かないのは致命的だ。
今のロンの拳にもっと大きな力を乗せるには、勢いが必要だ。拳に速度を上乗せするためには助走がいる。
そのためには拳を大きく振りかぶって殴らないといけない。しかし、攻撃の軌跡が弧を描くこの攻撃方法では、オークの攻撃方法と同じで、両者の攻撃速度が変わらない。
同じ速度で攻撃すれば、打ち負けるのはロンの方だ。
真正面から攻撃を受けては無事では済まないだろう。
やはり攻撃は直線だ。最速、最短で拳を相手に届けなくてはならない。
どうしたら良い? 考えろ。生きるために、考えろ。
オークの顔面からロンの顎先にある拳を結ぶ直線、この線を真っ直ぐ後ろに延長する。この線上に拳があれば勢いをつけ、かつ最速最短で突きをオークに叩き込めるのではないか?
再びロンは構える。脚を肩幅に開き、拳を顎先まで持ってくる。ここから真っ直ぐ拳を後ろに引くには?
利き手の右の拳をゆっくり後ろに引いていく。
右拳を後ろに引くには右肩が邪魔だ。肩も後ろに引く。肩を引くためには腰も後ろに引かねばならない。腰を捻り肩を後ろに引く。少し上半身が反る。さらに重心を後ろに傾けると自然と右脚が後ろに退がった。
左脚を前に、右脚を後ろに、身体の右側を開いて立つ。脚を左右に広げて立つより、脚を前後に開いて立った方が踏ん張りが効くことに気がつく。グッと拳に力を入れると少し腰が落ちる。
ずいぶんと拳は後ろに引くことが出来たが、これで良いのかは分からない。時間が無い。この場で目の前のオークに試すしかない。
オークも構えが変わった事に気がついたようで、警戒してか斧を振り上げ様子を伺っている。
しかし、素手でよりも斧の方が間合いが広い。ロンもオークもその事は分かっている。オークは優勢と感じたか、警戒はしながらもにじり寄って来る。
じわじわとオークが近づいて来る。
斧の間合いに入った時、先に動いたのはロンの方であった。後ろに引いた右脚でグンと地面を蹴り大きく前へ。伊達に走り込んでいた訳ではない。ロン自身も驚く速度で前に一歩、勢いそのままに力を腰に伝えさらに肩に乗せる。肩を前に、肘を前に突き出し加速しながら拳に力を与える。
完全に虚をつかれたオークの顔面を、今までにない勢いの拳が打ち抜く。その拳は牙を折り顎を砕く。
オークは吹っ飛び仰けに倒れる。
ロンはあまりの威力に驚き呆けるが、すぐに我に帰る。オークを殴った拳に疼痛が走ったのだ。
拳を見ると籠手にオークの牙が大小合わせて5本も刺さっている。
籠手を外し拳を確認する。籠手を貫通した牙が刺さり皮膚が破れ血が滴っている。マズイ、早く解毒しなくては膿んでくる。獣や魔物の牙は不浄で毒されている。噛まれた所から膿んで、下手をすると傷口が腐ってくる。
目線を血の滲む拳に落とし「解毒薬は買ってたよな」そう独り言ちるロンにエルザが叫ぶ。
「チェイニーさん! オークが!」
ハッと前を向くと、オークがヨロヨロと起き上がっていた。顎が割れ、醜い顔をさらに醜く腫らしている。怒りの双眸でロンを睨みつけ、口角から血の泡を飛ばしながら吼える。
「ひっ」と言ってエルザはヘタリ込む。
ロンは籠手に刺さった牙を抜き、腕に嵌める。
今の突きは手応えがあった。実際オークに大きなダメージを与えているようだ。
こうなったらオークが倒れるまで何発も拳を叩き込んでやる。そう思いロンは右脚を引いて構える。
オークも斧を振り上げて構え、お互いがにじり寄る。間合いに入った時に、やはり先に動いたのはロンだった。地面を蹴り全身を捻って拳を突き出す。
オークはそれを上体を仰け反らせ躱す。ロンの攻撃を読んでいたのだ。いくら早いとはいえ来ることが分かっていれば避けるのは容易い。
そこへすぐさまオークは斧を振り下ろす。ロンは慌てて両手で頭を庇う。
ガンと鈍い音がする。ロンはよろめきながら後退り両手を見る。両方の籠手は歪にひしゃげてしまっている、もう使い物にならない。しかし、籠手が無ければ両手とも分断されていただろう。
言い知れぬ恐怖がロンを襲う。オークはそんな事はお構い無しにこちらに向かって斧を振り上げる。
恐怖に頭の中を塗り込められてしまったロンは、咄嗟に背を向け逃げ出そうとしてしまう。その瞬間、ロンは背中に衝撃を受け、もんどり打って転ぶ。
熱い。背中が焼ける様に熱い。
斬りつけられたのだ。逃げ出そうとした無防備な背中を斬りつけられた。
当然だ。ここは戦場なのだ、恐怖に駆られ我を忘れる者には死が待っている。
背中を斬られ地面に這いつくばるロン。顔を上げると、ヘタリ込むエルザと、目が合った。
エルザの恐怖に彩られた瞳の中で這いつくばる自分と、目が合った。
情け無い顔だ。誰だこいつは? 僕か。
僕は何の為に此処に居るんだ? 彼女の瞳に映るロン・チェイニーはこんな顔でいいのか?
違うだろう。またエルザに恐怖を与えるのか? 彼女が他の冒険者達に見くびられる原因を作ったのは、エルザの初陣に同行した自分にも少なからずあるはずだ。あの時の自分はまるで同行する二人に興味が無く名前すら覚えなかった。危機が訪れるその時迄、傍観者でいた。そのせいでエルザの心に深い傷を負わせてしまった。
今回は自分がエルザを引っ張り出した。
何故だ? 彼女の傷を癒してやる為だ。罪を償う為だ。
こんな所で這いつくばっている場合じゃ無いだろう。何を為すべきか。分かっているだろう。
再び、エルザの瞳の中にいるロンの顔を見る。よし良い顔になってきたじゃないか。
ロンは「心配するな」とエルザに頷く。
ロンは痛みを堪えて起き上がり、オークと再び相対する。
背中から血が流れているのを感じる。左肩の肉も抉れ、右の拳からも血が滲む。それでもロンは構える。目の前のオークを倒すために。
オークの傷も浅からぬ筈だ。背中に受けた傷も、流血こそすれ浅い。傷を負っていない本来の力で斬られていたら背骨を両断されていた。それ以前に頭を庇った時に腕ごと頭を割られていただろう。
注意深く構えるロンが一歩踏み込むと、オークも少し後退りする。ロンの突きを見切っているようだ。
まだ使っていない攻撃があるか?ロンの突きの間合いの外から思いもよらぬ攻撃を繰り出さねば警戒するオークに届かない。
ある。
攻撃手段がある。理屈の中では。
突きの間合いより広く、突きより強い攻撃。腕より長く、力の強い部位。脚だ。
以前スライムを蹴り上げた時から考えていた事だ。
しかし、上手くいかなかった。物を蹴り上げる動作では、スライムの様に足元の地面にいれば蹴りを当てる事が出来るのだが、垂直に立つ物を蹴ろうとすると途端に難しくなる。さらに的が高くなってくるとますます当てずらくなる。自分の腰の高さまで的を上げるともう蹴りを当てられ無い。
だが、光明が見えていた。先程の勢いのある突きを放った時だ。右脚で地面を蹴って前進した時に感じた膝の動きに、閃くものがあった。
膝だ。膝を使うのだ。脚を蹴り上げるのでは的に当たらない。
突き刺すのだ。拳と同じく、足先を相手に突き刺すのだ。その為には膝だ。拳を突き出す時には肘を曲げて構える。足先を突き出す為には相手に向かって曲げた膝を突き出し、その勢いで足先を前に進ませるのだ。
蹴り上げるのではなく、蹴り出すのだ。
理屈では。
上手くいくか分からない。いや、やらなくてはならない。これを外すともう今のロンには為す術がない。それにもう体力が保たない。
ここで蹴りをモノにする。集中しろ。
オークをしっかりと見据えながら一歩踏み込む。オークは動かない。もう一歩前進、オークは後退する。
二歩は踏み込め無いようだ。良いだろう。
ロンは大きく息を吸い込み、一歩踏み込む。その刹那ロンは右脚で地面を蹴り腰を捻り、その勢いで膝を前に突き出し、そのままオークの腹に真っ直ぐ足先を捩じ込む。
オークは完全に不意を突かれた。攻撃は拳だけだと思っていたからだ。オークにしても拳で殴りつけてくる人間が居るとは思わなかった。ましてや足が真っ直ぐ飛んで来るとは思いもよらない。見た事が無い攻撃が、見た事無い所から腹に突き刺さる。
オークは体験した事の無い鈍い痛みで腹を押さえ、前屈みになる。その途端胃から何かがせり上がって来る。苦痛に顔を歪め胃液をブチまける。ブチまけるやいなや顔面に重い衝撃を受ける。
ロンは無防備に前屈みになっているオークの顔面に渾身の力を込めて右拳を叩き込む。その勢いで右脚を前に出し、構えを逆にする。今度は左脚で地面を蹴って腰を捻り左拳をオークの顔面に叩き込む。さらにその勢いで構えを逆にし右拳を顔面に叩き込む。オークは顔面を打ち据えられ後退する。ロンはそれに追いつき左拳を打ちつける。オークが後退する。ロンは構えを入れ替え前進し拳を打ちつける。さらにオークが後退する。ロンは構えを入れ替え拳を打ちつける。ロンは拳を打ち続ける。
何十回と拳を打ち続けた。オークが倒れ臥しても止まらない。
倒れたオークに馬乗りになり殴り続ける。
「チェイニーさん!」
エルザが飛びかかってきた。エルザはロンに激突すると二人してもんどりうって地面を転がった。
「チェイニーさん。オークはもう事切れています。大丈夫です、もう大丈夫です。」
エルザはロンにしがみつきながら優しく諭す。ようやく我に返るロン。
「あ。あぁ。ありがとうエルザ。」
しばらくエルザにしがみつかれたままロンは洞窟の天井を眺めていた。
よもやこんな場所でオークと遭遇するとも思わないし、ましてやオークに勝てるとは。
愚直に鍛え続ければ、こんな自分でもオークを倒せるのだなと思うと感慨深い。
これから、この満身創痍の身体を抱えて、両手一杯の魔鉱石を持って街に帰る事を考えると気が滅入る。しかし此処でグズグズしていてまたオークが出て来ても敵わない。
「帰るか」ポツリと呟く。
ロンにしがみついていたエルザが真っ赤になって立ち上がる。
「かかか、帰りましょう!」そう言って駆け出そうとする。
「待ってエルザ。」
そう言って手を差し出す。
「起こして。立てない。」
それからロンは持ってきた傷薬や毒消しをありったけ使い、エルザの魔法杖を借りて体を支えて下山する。
街に着く頃には日がすっかり暮れていた。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
頑張りたいと思います。




