少女と死神
「最後だから選ばせてあげるよ。あんたは…どんな死に方をお望みかい?」
暗い路地。
二つの影が、対峙するように動いていた。
一人は、小太りの中年男性。
両手を前に突き出して、
「く、来るなぁ…!」や、
「た、助けてくれぇ…!」と、大声でわめいている。
もう一人は、青年。
黒いフード付きコートを被っていて、顔はよく見えない。
右手には柄が長く刃先が鋭い鎌。
背中には、烏の羽のように黒くて大きな翼。
「殺さないでくれ、か…。しかし、これはあんたの寿命だから、観念するんだな。」
「ひ、人殺しぃ!!」
「人殺し?それは、違うな。我々は、ただ任務を遂行しているだけなのだよ。…無駄話はここまでにしよう。」
青年は、おもむろに鎌を振り上げる。
「うわぁぁぁ…!!」
「じゃ…さよなら。」
ザシュ!!
鎌は、中年男性の腹部を切り裂いた。
「………」
青年は、鎌にべっとり付いた男性の血を、青色のハンカチで拭き取り…。
「あと二人…」
バサッ…バサッ…。
翼をはためかせ、その場を去って行った…。
路地には、鮮血で赤く彩られた“中年男性だったもの”が残った………。
「よっ、見てたぜ。また…今回は特別派手にやったな。」
「シークか…。」
シークと呼ばれた男性は、呆れ顔で青年を見ていた。
短い赤髪、黄色い瞳。
「下界のポリ公が騒ぐぜ?『辻斬り魔の仕業か!?』ってな。」
「………。」
青年は興味無さそうに、黒いフードをとった。
緑に近い濃い青色の髪が、さらっと流れる。
瞳は、オレンジ色だった。
「ま、俺には関係ねえし、あんたなりの考えがあるだろうから、口出しはこんくらいにしとくか。それより…」
「それより…?」
「あんたも可哀想な奴だよな、アルフ。」
「可哀想…?私がか?」
アルフと呼ばれた青年は、怪訝そうに目を細めた。
「ああ…。聞いたぜ…?死神としての初仕事が、彼女を殺すことだったんだろ?」
「そのこと…か。むしろ…良かったと、私は考えているのだが?」
シークは、意外に感じたらしく、細い目をパチパチとさせた。
「ほう…そりゃまた、どういう了見だ?」
「…私以外の者に、メルディを殺させたくなかったということだ。…じゃ、また。」
バサッバサッ!!
黒い翼を激しく羽ばたかせ、アルフは下界に飛び立つ。
「それが…あんたなりの彼女への愛ってやつかい…。」
シークは、にやりと笑い一人呟いた。
下界の天気は晴天。
すすきを微かに揺らす程度の風が吹いている。
(忘れようとしていたことを…。シーク、思い出させてくれたな。)
彼への怒りでもなく、彼女の悲しみでもない複雑な感情が込み上げた。
アルフは、一瞬悲しげに目を伏せたが、すぐにクールな表情に戻す。
そして…
(本日9人目のターゲットを迎えに行くとしよう…)
目標に向かい、飛ぶ速度を速めた。
彼が降り立ったのは、都心部にある中央総合病院。
緊急病院であり、死者・重病人が後を絶たない。
死神にとっては、まさに…
「格好の狩り場といったところか。」
空から病院を見下ろし、アルフは何気なしに呟く。
高度を下げ、彼はとある病室を窓ごしに覗いた。
少女が一人、ベッドに力なく横たわっていた。
顔は青白く、弱々しく呼吸はしていた。
まだ10歳にもならぬであろう幼き命を、病は確実に奪おうとしていた。
「………」
アルフは、無言で少女を見つめていた。
と、
不思議な気配を感じたのか、不意に少女が目を開けた。
パチ…パチ…とゆっくり瞬きをし、アルフの方に目だけ向ける。
「あなた…死神さん…?」
か細い声で、少女は聞いた。
「そう…私は死神だ。」
「やっぱり…そう…なんだね…。」
軽く目を閉じ、またアルフを見つめる少女。
「…いつまで…生きていられるの…?」
ブォーン…。
飛行機の飛び去る音が流れる。
「今夜…9時58分。」
アルフは端的に答えた。
窓をすり抜け、少女のベッドの隣にスッと現れる。
「そっか…。ねえ、死神さん…?」
「何?」
「あたしと…お話して…。死神さんのこといっぱい聞かせて…?」
少女は、力無く微笑んだ。
「…私に何を聞きたいのかい?」
「そだ…ね…、お名前は?あたし…シャンテ…。」
「私は…アルフ。」
…………。
シャンテがゆっくり深呼吸をすり間、無言の時間が訪れる。
「お歳は…?あたし…9歳…。」
「私は…人間年齢では17歳だ。」
「若い…のね…。あたしの方が…もっと若いけどね…。」
シャンテがクスッと笑い、会話は続く。
アルフは、一時たりともシャンテから目を離さなかった。
午後4時14分。
「アルフって…優しそうな…死神さんね…」
「…そうかい?」
「うん…見た目は…全身真っ黒で…怖いけど…目は…優し…」
ガラッ!
「シャンテちゃん!面会ですよ。」
開いたスライド式ドアから、ナースと彼女の親らしき二人の人物が入ってきた。
「お父さんと…母さん…!…アルフ…また…後で…お話しようね…」
シャンテは、蚊の鳴くような小さなでアルフに伝える。
「…また。」
アルフは、入って来た時と同じように、窓をすりぬけ、外へ出た。
「シャンテ…今日は調子がいいみたいで、良かったなあ。」
父親が言って、
「頑張りなさいね…退院したら、あなたの好きな物何でも作るからね。」
母親も声をかけた。
新米ナースは、それを見届けると、そっと病室を離れた。
「うん…あたしね…」
シャンテの声が遠のく。
アルフは、もうそこには居なかった…。
午後5時02分。
「じゃあ、また来るわね。」
「ゆっくり休みなさい。」
「うん…またね…」
ガラッ…
父親と母親は、シャンテに笑顔で手を振りながら、帰って行く…。
(また…一人になっちゃった…。アルフ…来ないかな…)
そんなことを考えるシャンテを強い睡魔が襲ってきた。
(まだ…生きたいなあ…)
午後7時13分。
「…ンテ…シャンテ…」
自分を呼ぶ声に気づいて、シャンテは目を覚ます。
「アルフ…?」
アルフだった。
開け放った窓の縁に、鎌を背負うようにして肩にかけ、座っている。
彼の腕の中には…
「子犬だ…かわいいね…」
クゥクゥと寝息を立てている、白いラブラドールの子犬が。
「…風の噂で耳にした。手術…受けないと。」
アルフは、腰を上げ、ベッドの隣にスタッ…と降り立つ。
「うん…受けても…あたし…死んじゃうん…だよね…?あたし…今日の夜…」
「…受けたら死ぬとは、私は言った覚えはない。私が言った寿命は、手術を拒んだ場合の寿命だから。」
「クゥン…」
目を覚まし、小さな右足で顔をこする子犬。
アルフは、その子犬をそっとシャンテの胸の辺りに置く。
シャンテの表情が、和らぐ。
「かわいい…。手術…痛いよね…?あたし…痛いのは…怖いから…。」
ペロペロ。
「くすぐったい…ふふ…。」
子犬は、シャンテの頬を舐め始める。
「しかし…私の鎌よりは痛くないさ。受けると言うならば…命の保障を私がしよう。」
そう語りかけながら、子犬の頭を優しくなでるアルフ。
「クゥーン…。」
甘えるような声で鳴く子犬。
ササーッ…と春の夜風が吹いた。
シャンテは丸い瞳をぱちくりさせていた。
「本当に…?」
「本当に。」
「手術受けたら…この子犬…ご褒美に…もらっていい…?」
「受けると約束するなら。」
「そっか…どうしよ…うかな…」
シャンテは、自分の胸の上の子犬を見つめた。
疲れたのか、顎を下につけ眠り始めている。
…………。
先ほどより、やや強い風が通り抜けた。
「………子犬ちゃんと…まだ…たくさん…遊びたい…。あたし………手術…受け…よっかな…」
「そうかい…」
「あっ…」
シャンテから子犬が引き離される。
「君が約束を守れたら…また子犬と会わせるから…。」
「うん…」
「…すぐにドクターがここに来る。その時に…今の返事、忘れないように。」
「わかった…」
ササーッ…
三度目の風が吹き荒れ…
「では…また。小さなレディ…」
子犬を抱え、翼を広げ、アルフは夜の空へと舞い上がったのだ…。
午後9時57分。
ガラッ。
緊急オペ室の電気が消え、ドクターが部屋から出て来た。
心配顔の父と母。
「先生…シャンテは…?」
「手術は成功したんですか!?」
二人に問われ、ドクターは…
「ご安心下さい。手術は成功。早ければ、二週間で退院できますよ。」
にこりと笑って答えた。
「さて…恨みや因縁は何も無いけれど、仕事だからね…」
同じ頃、アルフはシャンテの隣の病室に居た。
個室のベッドに患者は横たわっていた。
80代過ぎの白髪の老翁。
ヒューヒューと苦しげな呼吸が聞こえる。
「あと…10…」
チッ…
チッ…
チッ…。
「………時間ジャスト。」
アルフは鎌を振り上げた。
シュッ…!
風を斬る音がして…
………。
呼吸音が消えた。
老翁は眠るようにして、その生命を全うしたのだ。
「冥福を祈る…では。」
バサッ…!
彼が飛び去った病室には、黒い羽が三枚、床に落ちていた…。
(シャンテの手術は成功したようだな…)
窓越しにシャンテの病室を覗き、アルフは顔に安堵の色を見せる。
満月に照らされた顔には、めったにない微笑みの表情があった。
「…次の仕事に行くかな。」
一人呟いて、彼が翼を大きく羽ばたかせた時だった。
「待て!!」
何者かの怒鳴り声が夜の闇に響いた。
アルフは、声のした方を向く。
「あんたは…リアゼだったかな。」
「アルフ…おまえ、なぜあの子を助けた!?」
リアゼと呼ばれた者は、黄色い髪、黒い瞳を持った死神。
15センチほどの小さな鎌を、黒いコートに無数に忍ばせているとの噂。
「…シャンテは、手術さえ受ければ寿命は伸びる者。つまり…死ぬべきではない人間だからかな。」
「人のターゲットにちょっかいだしたあげく、言い訳がそれか!許さねえ…!!」
アルフは、やれやれといったように、ふうと深いため息をつく。
「アルフ…普段から気にくわないんだよ!!消えなっ!!」
ヒュヒュッ!!
怒りで我を忘れた者ほど、手を付けられぬ者はいない。
リアゼは、阿修羅のような形相でアルフに鎌を投げつけた。
カキーン!
カーン!
アルフは大鎌でそれを払いのける。
「神力は私の方が高い…。諦めて帰…」
「問答無用だ!!」
ヒュヒュッ!
シュン!
カキカキッ!
アルフは二つの小鎌を払いのけ、頬横を通り過ぎた鎌はひょいとかわす。
「無駄と言っているのに…」
「ふふ…」
リアゼは不敵に笑った。
「………?何かおかし…ぐっ!?」
トスッ…という音と共に、アルフが苦悶の表情を浮かべた。
背中に、小鎌が一本刺さっていた。
「鎌が…ブーメランの…ように…戻って…来た…のか…」
「ふふ…鎌にはこういう使い方があるんだぜ!良いこと教えてやるよ…鎌には、強力な毒が塗ってある。死神でも太刀打ちできねえよいな毒がな!」
「……っ…」
傷口からは、鮮血がポタポタと流れ落ちる。
それは、アスファルトで固められた地面を灰色から赤に染める。
「じゃあな…アルフ!」
ヒュヒュッ!
トストストス…!!
動けないアルフの全身に、多数の鎌が襲った。
「…っ……」
アルフの体は…崩れ落ちるように地面へと落下していったのだ…。
「神力を頼って、油断したのが敗因だぜ!ふふふ…あっはは!」
リアゼは空を見上げ、高笑いした。
(これで、俺の邪魔をする者はいない!)
そう確信しながら。
「油断したのは、君の方さ。」
「何…!?」
振り返ろうとしたリアゼの体を、アルフが後ろから掴んでいた。
首に鎌を突きつけられ、リアゼは身動きが不可になる。
「なっ…!?なんで生きてるんだ!?確かに俺の鎌が、貫いたはずだろ!?」
「…私が落ちていった場所、見てみるがよい。」
アルフは冷ややかに言った。
その方向をリアゼが目だけ動かし見てみると…
「なっ…人形だと…!?」
真っ白な人型の人形が落ちていた。
「鮮血は!?確かに流れていたはずだ!」
「…下界から血のりというものを借りてね。それを使ったまでなのだよ。それより…まだ戦意があるならば、私はあんたを消さなければならなくなる。」
「負けたぜ…。アルフの判断に任す…。消すなら、消しなっ!」
リアゼは、観念して目を瞑る。
「そうか…」
スッ…。
アルフは鎌をリアゼの首から離し、何事も無かったかのように天界に飛び立つ。
驚いたのは、リアゼだ。
「消さないだと…!?一体…どういうつもりなんだ…アルフ…」
釈然としないもどかしさを抱え、彼もまた飛び立った。
バサッ…
バサッ…
二つの羽音だけが、静かな空間を裂いていた…。
「………」
「アールフ♪」
下界をぼうっと眺めていたアルフに、女の子が声をかける。
アルフは振り向き、
「イリアか…」
一言だけ言葉を返す。
「そう!いつもハチャメチャ元気のイーリアちゃん♪アルフを励ましにさーん上!」
イリアは、片目ウィンクし、人差し指をぴっと突きつけた。
反動でピンクのウェーブ髪がふわりと揺れる。
「励まし?別に落ち込んではないけれど?」
「まーたまた!イリアちゃんの前では、嘘つかなくていーの!…閻魔様に怒られたんでしょ?あたし、きーいちゃったもん♪」
「ああ…そのことかい。」
「うん!安心して!他の死神から何か言われたら、このイーリアちゃんが黙らせ…」
「アルフ!!」
「な…なによぅ…せっかくのいいムードを邪魔するなんて!」
イリアは、むくれ顔で声の主を探す。
「アルフ!兄貴と呼ばせてくれ…いや、呼ばせて下さい!」
リアゼだった。
昨夜とは態度が一変。
アルフの前に来るなり、土下座しながら頼んだ。
アルフは妙な顔をしていた。
(兄貴と呼ばせてくれ…?)
「ちょっとぉ…リアゼだっけ?何、企んでるの〜?言っとくけど、アルフに手を出したら、このイーリアちゃんが消してやるんだから!」
「俺は純粋に、アルフに敬服しただけだ!」
負けじと言い返すリアゼ。
「むー!アルフを殺そうとしたくせに〜!!“兄貴”なんて都合良すぎ!」
「確かにそうだ!それは否定しねえけど、死神界の掟にもあるだろ?“負けた者は勝った者に従う”と!」
「…うるさいι」
バッ!!
アルフは、二人のケンカに嫌気がさしたようで、翼を素早く広げ、“襠”(下界での“街”と同じ意味)に飛び去っていく。
バサッ…バサッ…!
「あー!アルフー!待ってよー!!」
「兄貴!俺も行くぜ!!」
「あんたは来なくていーの!あたしとアルフの仲を邪魔しないでよっ!」
「うるせえ!そっちこそ、兄貴に付きまとうなよ!!」
バサバサッ…
バサバサッ!!
口ゲンカをしながら、二人の死神も襠を目指していった……。
彼らはまだ知らなかった。
本当のアルフというものを……。
To be continued…