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 墓地は、そこはかとない湿り気を帯びた草花と木々に囲まれている。

 鳥や虫の囁きさえしない、静かなその一帯に幼い頃は恐怖したものだが、今となっては慣れっこだ。祭りの光も弱々しくはあるものの、ここまで届いているし深い闇が帳を落としているわけでもない。

 千里は密集した墓地を通り過ぎ、山の境を目指す。墓石の密集した地帯からぽつねんと離れた位置にある野村家ノ墓。そこには小さな墓があった。比呂のために作られた墓だ。飴細工や何やらが、たくさん置かれている。しかし、そのどれもが野ざらしにされて黄ばんでいた。

 千里は持ってきたおはぎとさっき買ったばかりの簪をそっと墓前に供えると、瞑目し合掌した。

 決して大きくならない兄。童のままの兄。一人だけ成長していく自分。

 何か置いてきてはいけないものを置いて来てしまったような感覚に陥る。

 例年は近況報告や比呂の冥福を祈っていたが、今年は少し違うことを心に思い浮かべてしまった。

(比呂兄さん。あなたに会いたい)

 強く、願った。絶対に叶わない願い。決して、口にしたことのない願い。老婆からもらった簪を見つめていると、何故だか比呂に会えそうな気がしてしまう。


 ひんやりと場が冷えた。


 瞼を開けた千里は我が目を疑った。目を開けばあるはずの墓石が――ない。大標と呼ぶ藁つど状の標が捧げられた桜の老木が、揺れている。

 ただ目の前には、簪だけが転がっていた。

「は?」

 遠く、祭り囃子の鳴る音がする。千里は素早く簪を拾い上げると、動揺しながら音の方へ進んだ。しかし、進んだら進んだ分だけわからなくなる。方角も何もわからない。音は四方から聴こえてくる。

 言いようもない恐怖に涙が浮かんだ。

 このままでは、山に入ってしまうと思ったが歩みを止めた瞬間、何かに呑まれてしまう気がして、立ち止まることができなかった。祖母の忠告が、今更のように脳裏に過ぎる。

『絶対山ン中入るんじゃないよ』

 気が付けば、周囲を見回すも光はなかった。人の声も祭り囃子も遠く去っていく。

(ここは境内ではないの……?)

 提灯を吊るしているような気配はない。たしか、境内に続く道には提灯が吊るされていたはずだ。

 自分は一体どこにいるのだろうか。千里はへたり込みそうになる。

 ――がさり、と笹藪が動いた。

 笹藪の向こうに目を凝らすと、ぼうっと提灯を持つ白い手が浮かび上がる。そして、橙の柔らかな灯に照らし出されて一人の少年が姿を現した。

 彼は千里を見、息を詰めた。

「俺は死ぬのか?」

「へ……死……?」

 少年の紡ぎ出した言葉の真意を図りかね、千里は目を瞬かせる。

 少年の顔は強張ったままだ。ふと、彼の手元に目を転ずれば提灯を持つ手の反対に彼岸花を握りしめているのがわかった。

 祖父母や親から、彼岸花は摘んではいけない、と言われている千里は反射的に後ずさる。

 少年の格好は着物。それはおかしくない。でも、彼はどことなく異様な雰囲気を纏っている。

 困惑した千里と相対する少年は、怪訝な顔をしてこちらへの警戒を微かに緩めた。

「…………君は、タダビトだろうか?」

 問われている意味を理解するのにたっぷり数分要す。

 タダビト、と言うのは普通の人かということだろうか。それなら、と大きく頷いた。千里が首肯すると同時に、少年はあからさまに安堵した。

「ならばいい。では、失礼」

 少年はそう言い捨てて立ち去ろうとする。しかし、千里にとって彼は大切な命綱だ。

「待って!」

 咄嗟に少年の着物を掴む。その際、彼の着物の帯に穿いた脇差が見えて千里は目を剥いた。脇差など、祖父母がテレビで観ている時代劇でしか見る機会などない。いくら祭りだからと言って、脇差しを穿く少年などいるものなのだろうか。

「何だ?」

 険を含んだ言い方ではないが、怜悧な印象を持つ固い口調で少年は訊ねた。

 問われた千里は、思わず瞳の縁に涙を溜めて座り込んだ。少年の戸惑いが膨らむのが感じ取れたが、涙は目の奥に引っ込んでくれなかった。

「どうした、足でも挫いたのか」

 座り込んだ千里と目線を合わせるため、少年はわざわざ屈み込んで顔を覗き込んでくる。それは、まるで――千里が想像した兄のような仕草だった。

「道に……迷ってしまって……」

 ようやく口に出来た自分の言葉に泣けてくる。泣いたのは久しぶりだ。四月にあった陸上選手権の際に僅差で選考漏れして以来、とんと泣いていなかったのに。

 参ったな、と少年は眉根を寄せる。女性慣れしていないのだろう。彼は途方に暮れていた。

 泣けば泣く分、少年を困らせる。弱い自分が情けない。鼻緒に当たる足指の付け根も痛いし踏んだり蹴ったりだ。

「用事を済ませてからで良ければ、麓まで連れて行くが……どうする?」

「……お願いします」

 背に腹はかえられない。脇差を差していたりと不審点はあるが、祭りに乗じて雰囲気を出しているだけかもしれない(最近、脇差の傘を自慢していた田中の顔が浮かぶ)。

 鼻水を啜りながら千里は頭を下げた。

「ならば、ついて来い」

 つっけんどんに言うと、少年は歩き始めた。

 木の根が這った山の中。フクロウの声にさえびくびくしながら千里は彼のあとを追った。少年は一向にこちらを振り向かない。

「どこに行くんですか?」

「山の頂」

「何しに?」

 ちらりと少年は千里の方を向いた。そして、再び前を向く。

「忘れ物を取りに」

「そう、ですか」

 沈黙が二人を包み込む。懸命に少年を追っていたからだろうか、足の痛みはあまり気にならなかった。

「君は……」

 少年が口火を切る。

「君はどうして、ここにいた?」

 千里は下唇を親指で拭った。

「お兄ちゃんの墓参りをして、帰ろうとしたら……道に迷ったんです」

 言ったあとすぐに後悔の念が押し寄せてきた。

 不容易に兄のことを言ってしまった自分に嫌悪が募る。兄のことを他人に話すことは、祖父母からの強い意向で禁じられていた。だから、千里は仲良しの美子を含めて双子の兄の存在を他人には口外していなかった。

 少年は足を止める。彼は初めて千里に興味を持ったようだった。

「兄を亡くしたのか……それは……辛かったろう」

「わからないです」

「ん?」

 一旦出てしまった言葉は止まらない。

「お兄ちゃんは、生まれる前に死んじゃったから」

 少年の顔が提灯の火に揺らめく。彼は前を向いて歩き出した。そのあとに千里も続く。

「……俺の妹も、生まれる前に死んだ」

 千里は呟く少年の方を向く。彼は歩みを止めない。

「かなしいですね」

「……ああ」

 当事者だけが感じるこの虚無感を、少年も感じているのだろうか。今まで誰とも共有できなかった心の痛みが、少しだけ緩和した気がした。

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