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ジリリリリリリリリリ!
トゥルルルルルルルルルルルル!
けたたましいサイレンのような二つのアラーム音に、千里は飛び起きた。
慌てて携帯と目覚まし時計それぞれのアラームを止め、舌打ちする。
昨日も今日同様、こんな風に起きたのだ。
時刻は六時。今週は土曜も日曜も休みなのだから、ゆっくり寝ていても良いにも関わらず、アラームを切り忘れてしまっていた。
優雅に昼過ぎ起床なんてできるのは、日曜日くらいなのに……。零れる溜め息は重かった。
◆
「あら、千里。おはよう」
「んー」
台所に立つ母から朝の挨拶をされ、千里は生返事をした。
日曜日だというのに、千里の家族は皆起きるのが早すぎる。
祖父母は毎朝恒例の散歩に行っているようだ。
千里は冷蔵庫の中から野菜と果物を取り出してミキサーにかける。大きなミキサーの音が、寝ぼけた脳を覚醒させてくれた。
「千里、あんたまたアラーム消し忘れてたでしょ」
「うん。二日連続とか、参る」
「あら、じゃあ二度寝でもすればいいじゃない」
母はそう言って、コロコロと笑った。
千里は十分砕かれた野菜と果物の特製ジュースをグラスに注ぐと、それを一気に呷った。そして口元を拭い、母の言に答える。
「一度起きてから寝るの、苦手なんだよね」
「そう? 苦手も何もないでしょうに」
母さんだったらすぐ寝れるわ、と母はまた笑う。笑いのツボにでも入ったのか、まだクスクスと笑い続ける母の手もとを千里は覗き込んでみた。
味噌汁に焼き魚。健康食である。
(久しぶりに肉が食べたい。肉が)
そう思いつつ、千里は居間にあるテレビの主電源を入れ、胡坐をかいてストレッチし始めた。
……一通りストレッチが終わると、仏壇に手を合わせる。仏壇には小さな木箱が供えてあった。木箱の中身は――へその緒だ。生きることができなかった兄・比呂の。
「…………」
思考が、自然薄暗くなる。
今日の夕刻、比呂に参るのだと思うとますます気分は落ち込んだ。嫌なわけではない。ただ、何かに引きずられるような感じがする。
「ただいま~」
散歩から帰ってきた祖父母は、機嫌が良さそうに二人揃って言った。
思考の海に沈んでいた千里はハッと現実に戻ってくる。
「あ……おかえり!」
祖父母は首に巻き付けたマフラーを取りながら身震いした。
「千里や、今朝は冷えるのう」
「うん、そうだね」
祖父は手を擦り合わせて、自分の掌に息を吹きかける。
祖父母が開け放した居間と廊下を繋ぐ戸から、冷気が流れて込んでくる。
「千里、お父さん起こしてきてちょうだい!」
「はーい」
母に言われ、千里は家族の中で唯一寝坊助な父を起こすべく、一階つきあたりにある両親の寝室へ入った。寝室では、父が高いびきをかいて大の字で眠っている。千里はそんな父を大声で起こす。
「うわああああぁ!」
「はい、お父さんおはよう。起きた? 早く居間に来てね」
――毎朝、この繰り返しである。
◆
朝食後、だらだらしているとすぐに昼がやって来た。夕方になれば祭りへ出かけるのだから、昼食はあまり摂らない方が良いだろうと判断し、意図的に昼食を抜いた。
千里は縁側でひなたぼっこを楽しんでいた。
ヒマである。
だが、きっとこうしているうちにすぐ陽が暮れなずんで夕方になるだろう。
と、携帯の着信音が響いた。
ややあって通話ボタンを押し、携帯を耳に当てる。
「……はい」
『あ、千里。私』
弾けるようなキンキン響く声――美子だ。耳鳴りがしそうな彼女の声に、千里は思わず携帯を耳から外した。
『今日なんだけど、六時に祭り入り口で集合ね!』
「東側?」
携帯を耳から外した状態で問う。美子の声は、その状態でも良く聞こえた。
『もっちろん。西側って毎年観光客でいっぱいじゃんか』
「了解。てか、メールで良かったのに……」
『千里の声が聞きたかったのっ』
「あんたは私の彼女か」
電話口から美子の笑い声がする。
『ま、とりあえず六時だからね。遅れないように。着物着てくるのも忘れずに~』
一気にまくしたてるように喋ると、美子は一方的に電話を切った。
千里は電源ボタンを押してディスプレイを閉じると、伸びをした。
縁側から居間の時計を覗くと、午後三時を回ろうとしているところだった。千里は慌てて母に着物の着付けを頼む。
母は、手慣れた様子で着付けをしてくれた。そして、着物を着た千里を見て、満足げに頷く。
「さすが私の娘。ぴったりじゃない」
母の着物は、千里に丈がぴったりだった。母と千里は背丈が同じくらいだから、ちょうど良かったのだ。母いわく、昔は体型も千里のように細身だったらしい(今は違うよね、とは口が裂けても言えない)。
ピシャン、と母に帯を叩かれた千里は、うっと唸った。胃が苦しい。
「もう少し緩めに……」
「駄目。どうせ動き回って緩むんだから」
即座に拒否された千里は溜め息を吐く。
母は仕上げに、と口紅も塗ってくれた。鏡台の前に連れて行かれると意外なことに、緋色の着物は自分によく似合っていると思えた。着物の色と合わせた口紅も華やかな雰囲気を醸し出しておりよく全体に調和していた。
母は千里の短い髪を撫でつけ、赤い花の髪飾りを挿してくれる。
鏡の中の自分が自分でないような、不思議な感覚に陥った。
「ありがとう、お母さん」
「はいはい、どういたしまして」
「転ばないかな? あんまり大股で歩けないし」
「大股で歩かなければいいのよ! 女の子なんだから」
そんな会話を母としながら居間へ向かうと、そこにいた父が立ち上がって両腕を広げ、真剣な顔をして、
「こんな別嬪がいたら変なのに絡まれる!」
と、言い出した。
そんなことはない、といくら言っても父は聞く耳を持ってくれず、挙げ句の果てには祭り会場まで車で送ると言い出した。
歩きで数十分の距離を父親の車で送ってもらうなんて、恥ずかしすぎる――。そう思った千里は、父の申し出を素気なく断った。
◆
父の申し出を受けておけば良かった、と思ったのは、祭会場へ続く道を半分ほど歩いた時だった。歩きで数十分なんて余裕だと思っていた自分を呪いたい。浴衣で歩くには、つらい道のりである。もしもこの上、下駄だったらと思うとゾッとする。『慣れない下駄を履いてたらケガするよ』という母の忠告に従い、スポーツシューズを履いてきて良かったと心から思う。
ようやく祭会場に辿り着いてみたら、美子以外のメンバーは全員揃っていた。
「うわぁ! 千里ちゃんって着物似合うねぇ」
しげしげと千里の格好を見て、さっちゃんが言った。さっちゃんの言葉に、晴香や結衣も同意する。褒められて悪い気がする者はいないだろう。例に漏れず、千里も照れ隠しに頭を掻きつつはにかんだ。
「お、ま、た、せ!」
と、そこに美子がもったいぶったような言い方をしながら現れる。
彼女の格好を見た瞬間、千里達は『おお』とどよめいた。めちゃくちゃ気合い入っているのが見て取れる美子は、とても美しい。
「言いだしっぺが遅れちゃ駄目でしょ」
千里がそういうと、美子はぺろりと小さく舌を出した。
「まあまあ、そんなこと言わないで。……ね、どう?」
くるりと美子はその場で回って見せる。どこからどう見ても可愛い女の子だ。こんな田舎で(地元人で)そんな気合い入っている子は彼女を除いた他にはいないだろう。
「うん、可愛い」
「良かった! 雑誌見てメイクした甲斐あった!」
美子は明るく言い、いつもどおり千里に抱きついた。そして、ふと顔を上げる。
「千里、今日は雰囲気違うね。綺麗、じゃなくて可愛い感じ」
「そ、そう?」
うん、と奈美子は楽しそうに頷く。
「さっちゃん達もそう思うでしょ?」
美子がさっちゃん達に話題を振った。
「うんうん」
「間違いないわ」
「うちも髪アップにしてくれば良かったぁ」
さっちゃんも結衣も晴香も、美子の言葉に首肯した。