過去編2
あの夜、ノゾムとケンがリサの夢を支えると決意してから幾年かの月日が流れた。
ノゾム達の歳も14を数えるほどとなり、彼らの容貌も少年、少女でいた頃とはかなり様変わりしていた。
ノゾムもケンも背が伸び、体つきも段々大人の男性に近づいていく。
時にケンは、子供の頃は女の子のような容姿だったが、徐々に男の子らしい身体つきになってきた事もあり、流麗な顔つきの美男子へと変わりつつあった。
とはいっても、身体が大きくなったことで、やらなければならない家の仕事が増えたことも事実だった。
ノゾムは今、自分の畑を耕した農具の手入れを始めようとしていた。
いくら柔らかい土とはいえ、中には硬い石が紛れ込んでいる時はよくあることだ。その度に鍬の刃は痛むし、使えば使うほど柄との取り付けも悪くなる。
まして、使っている鍬の中には木製の物もある。金属製の者は使い勝手がいいし、よく耕せるのだが、少々高いのだ。
「早くしないと時間がなくなっちゃう……」
ノゾムとしてはこんな手伝いなどさっさと終わらせて、さっさと丘の上に行きたかった。
とはいっても遊ぶためではない。リサの夢を支えると決めてから、ノゾムとケンの2人はあの丘で訓練をしていた。
もっとも、訓練と言っても木の棒で打ち合う程度で大した事が出来るわけではない。
家の手伝いはしなければいけないし、この村は人の少ない小さな村だ。やるべきことはそれこそ山のようにある。
丘の上での訓練や冒険者になりたいという話をノゾムは彼の両親にしたが、父親からはいいから家の手伝いをしろと怒られた。彼の母親も「別にいいよ」と言いながらもあまりいい顔をしていなかった。
それでも、彼らは鍛練を繰り返した。そうやって自分達が少しでもリサの力になれるなら。そんな思いで胸が一杯だったからだ。
「ええっと……とりあえずこの鍬から手入れするか」
ノゾムはとりあえず、刃がガタついている鍬から始めようと手に取った時、突然後ろから声をかけられた。
「ノゾム、やっほ~!」
「リ、リサ、来てたのか」
農具の手入れを始めようとしていたノゾムだが、突然目の前に現れた彼女に驚いて声を上げてしまう。
悪戯っぽい笑みを浮かべながら舌をペロッと出すリサ。
体中泥だらけで悪戯小僧のようだった彼女だが、短髪だった髪を徐々に伸ばし始め、今では背中にきめ細やかな真紅の髪が流れている。
その容姿も悪ガキと見分けが出来なかった頃とは打って変わり、白い絹のような肌と真っ直ぐとした意志の強い瞳が輝いていた。
体つきもまだ少し幼さを残すが、徐々に女性らしい膨らみを感じられるようになってきている。女として花開きつつあるリサだが、その悪戯っぽい笑みは変わらない。
リサの顔を見ると、ノゾムの心臓の音がドクンと一際大きく鼓動した。
カッと顔が熱くなり、頭がまるで湯だったように熱を帯びてくる。
「ど、どうしたんだ? こ、こんな所に」
「うん。アシマおばさんにミルクを届けたところだったんだけど、家に帰ろうとしたらノゾムが何かしていたから」
リサが身をかがめてノゾムの手元を覗きこんでくる。
彼女の視線の先にはバラバラに分解された鍬があった。
「一体どうしたの?」
「ど、どうも使っているうちに、柄が潰れて刃との間に隙間が出来ちゃったみたいでさ。おまけに刃もちょっと潰れちゃってるし。このままじゃうまく土を耕せないから直しているんだ」
ノゾムは柄と刃の隙間に小さな木の板を差し込んでハンマーで叩き、隙間に木の板を押し入れる。
目線は自分の手元を向いているが、口調が何処かたどたどしい。その手つきもどこか浮ついているようだ。
そんなノゾムの様子をリサはただ眺めている。その口元には何故か笑みを浮かべていた。
「ど、どうしたの?」
自分をただ眺めているリサに、ノゾムは思わず問い掛けるが、彼女は「何でもないよ」と言いながらも農具を修理しているノゾムから目を離そうとしない。
じっと見つめてくる彼女の瞳。自分に向けられた視線にノゾムの鼓動がさらに速くなり、農具の手入れをしている手つきも徐々に素早さを増していく。
とは言ってもノゾムの目の前に広がっている農具は鍬だけではない。斧や篭、鉈といった様々な農具があり、かなり使いこんでいるのか少々痛んでいるものが多い。
それでもリサに見つめられているノゾムは今までにない速度で農具の手入れをこなしていく。ノゾム自身まだこの手の手入れは不慣れなところも多いのだが、妙に力が湧いていたノゾムは今までにない速度で作業を進めていた。
それは自分が恋している少女が傍にいる事からの恥ずかしさや嬉しさ、そしてほんのちょっとの見栄だった。
しばらくの間、無言のまま時が流れる。過去最速の早さで手を動かしていたノゾムは、気が付けば目の前に広がっていた農具のほとんどを手入れし終えていた。
「な、何か用があるんじゃないの?」
そろそろ終わりが近づいてきたにも拘らず、未だにリサはノゾムの傍でしゃがみこんでいる。
帰り道に見かけただけにしては長く傍にいてくれる事に嬉しさを感じながらも、ノゾムはついつい理由を聞こうとリサに声をかけてしまう。
「実はあるんだけど……今はいいや」
しかし、リサはノゾムの問いには答えないまま、ちょっと挙動不審なノゾムの様子を何故か嬉しそうに眺めていた。
最後の篭の修理を終えて、ノゾムはもう使わない農具を荷車に乗せる。後もう少し耕せば、今日の仕事は終わりだ。
後は待ちに待った鍛練の時間が待っている。内心気合を入れながらもノゾムは一本の木が立つ丘を眺めた。
「ねえ、ノゾム。ちょっといいかな?」
だから、こんな風に彼女に声を掛けられただけでも舞い上がってしまう。自由に使える時間が少ないが、それでも毎日休まずヘトヘトになるまで訓練をしている。
そんなノゾム達にとって、一番嬉しい事は彼女が傍にいて笑いかけてくれる事なのだから。
「な、何?」
上ずった声をあげながらリサに振り返るノゾム。
いつもハッキリとした物言いをする彼女らしくない、迷いと不安を抱いた顔。
手を背中にまわし、少し目線を逸らして頬を染めるその姿は、ノゾムには初めて彼女を女の子として意識した時の姿にかぶって見えた。
「わ、私、来年行くことにしたの」
「行く……ソルミナティに!?」
その言葉にノゾムは心臓が飛び出しそうな程驚いた。しかし同時に、ついにこの時が来たのかとも心のどこかで考えていた。
あの時、自分の夢をノゾム達に告白して以来、リサの思いは日に日に強くなっていった。
最近は彼女が落ち着いてきた事もあり、あまり表だってその思いを口にすることは少なくなっていたが、子供の時は稀に暴走し、彼女の母親に諫められるほどだった。
しかし、彼女の想いが萎んだわけではない事は、ノゾムも彼の親友であるケンもよく分かっていた。
むしろ胸の奥に秘める事でその想いは純度を増し、まるで年代物のワインのように熟成されていったのだ。
ノゾムはそんな彼女の瞳に魅入られながらも、ついに彼女は育ったこの村を出る事を決意したのだと感じていた。
「う、うん。もう決めたの。ノゾムはどうするの?」
「俺は……」
だが、同時にノゾムの胸の奥には言いようのない不安が鎌首をもたげていた。
強い意志を秘めながらも、内心不安を抱えたリサの瞳。その言葉の裏に期待と不安を入り混じらせながら、彼女はノゾムの答えを待つ。
しかし、矛盾を抱えたリサにどうしようもなく魅了されながらも、ノゾムは彼女の問い掛けにすぐに答えられなかった。
ノゾムの胸中に湧きあがったのは自分を育えてくれた両親の姿。丘の上での訓練にすらいい顔をしないのに、この村を出て別の村に行くなんて言ったら間違いなく反対されるだろう。少なくとも父親は烈火のごとく怒るに違いない。
まして、両親の子供はノゾムだけだ。彼がいなくなれば、両親が亡くなった後、この畑や家を継ぐ人間がいなくなる。
それが分かっているからこそ、ノゾムはリサの言葉に一瞬逡巡してしまった。
「ご、ごめんね、変な事聞いちゃって。そ、それじゃ」
「あっ……」
しかし、ノゾムが迷いを振り切れなかった一瞬の間にリサは慌てた様子で話を打ち切ってしまう。ノゾムが思わず声を掛けた時、既に彼女の顔は先程まで浮かべていた期待と不安を混ぜ込んだ表情でなく、いつもの元気溢れる姿に戻っていた。
ノゾムの口から漏れた声が草の香りが漂う風の中に消えていく。
リサは踵を返して家に帰ろうとする。その様子をノゾムは何も言えずに見送るしかなかった。
「ねえ、もし私がノゾムの事を……」
彼女が背を向けた時にノゾムの耳にかすかに声が聞こえてきた。
リサが思わず漏らしてしまったその言葉は、彼女の姿が見えなくなってもノゾムの耳にこびり付いていた。
リサは家への帰路につきながら、先程のノゾムの様子を思い出しながら笑みを浮かべていた。
彼女はいきなり声をかけた自分の声に慌てふためくノゾムの姿を思い出している。
言葉を交わしている間、どこかそっけなさそうなノゾムだったけど、それを見ていた彼女は不快な気持ちになるどころか、むしろ頭の先がツンとしびれるような心地よい甘さを感じていた。
それと同時にトクンと言う胸の鼓動の音が、リサの耳に響く。それは彼女にとって初めての感覚ではなかった。
彼女がこの感覚を覚えたのは、幼い時に丘の上の遊び場を巡ってムジルと喧嘩した時。父親の事を思い出し、動けなくなった自分を得意げな顔で見下ろすガキ大将に、ノゾムが飛び掛かった時だった。
自分を守ろうと立ち向かっていったノゾムの姿に、重なった父親の背中。それがきっかけだった。
自分の夢を告白した時、ノゾムもケンも応援してくれた。その時も、リサは自分の胸が高鳴ったのを覚えている。
ソルミナティ学園に行くと決めて相談した時も同意してくれた。
ノゾムとケンは隠しているみたいだが、2人が丘の上でこっそり訓練していることもリサは知っていた。
もちろん、ノゾムと彼の父親は別人。幼い頃は亡くなった父親にノゾムの姿を重ねていた時もあったかもしれないが、もう彼女はそんな歳ではなくなっていた。
ただ、自分を想ってくれているのが嬉しい。自分の為に頑張ってくれている彼の姿に、リサは純粋に心躍っている。
でも、危険が待ち受けていることも事実。
彼を父親の姿に重ねた事があるだけに、リサの胸には嬉しさと同じくらい不安に苛まれてしまうのだった。
家の仕事を一通り終えたノゾムは、あの丘の上でケンと向き合って手に持った棒を打ち合っていた。
カン、カンと言う小気味のいい音が耳に響くが、ノゾムはどこか心ここに有らずだった。
“ねえ、もし私がノゾムの事を……”
その言葉がずっとノゾムの耳から離れてくれなかった。彼女は一体何を言おうとしたのだろうか?
そんな疑問が頭をもたげ、ノゾムの集中力をそいでいく。
「えい!」
「うわ!」
一際大きな音がしてノゾムが持っていた木の棒が叩き落とされる。
そのままノゾムに自分の棒の先を突きつけたケンはため息を吐きながらノゾムを睨みつけた。
「何やってるんだよノゾム。全然集中できていないじゃないか!?」
「す、すまん……」
ケンの言葉に慌てて謝罪をして落ちた棒を拾い上げ、再びケンと向き合う。再び2人は打ち合い始めるが、やっぱりノゾムは集中しきれなかった。
昼間にリサが見せたあのどこか不安を抱えたあの表情。昔、父親の事をムジルに揶揄された時に見せた涙がノゾムの脳裏にハッキリと浮かんでいた。
あの時、リサを女の子であるとはっきりと感じたノゾム。同時に彼女の持つ脆さを感じ取ったからこそ、たとえ家の仕事で忙しくても合間を縫ってケンと訓練を繰り返してきたのかもしれない。
「……あっ」
甲高い音と共に再びノゾムの棒が弾き飛ばされた。
ノゾムがまるで集中できていない事にケンは肩をすくめると、手に持っていた棒を放り投げた。
「ああ、まただ。ノゾム、今日はもうやめておこう」
「す、すまん……」
飽きれ顔のケンにノゾムが申し訳なさそうに頭を下げる。
丘の上はたとえ夏でも肌寒い。2人は丘の上の木の根元に座り込むと、火照った体を風に当てながら、ボーっと眼下に広がるオイレ村の光景を眺めていた。
「ねえ、何かあったの?」
「うん、ちょっと……」
しばらくの間、2人並んで同じ景色を眺めていたが、やや遠慮したようにケンがノゾムに尋ねてきた。
ノゾムとしてもそうなる事は予測していたのか、少し迷いを見せながらもすぐに口を開いてリサが話していた事をしゃべり始めた。
「リサ、来年ソルミナティに行くんだってさ」
「……え?」
ノゾムの言葉に驚いたような顔を見せるケン。目を見開き、茫然としている。
彼はまだリサがソルミナティに行く事を聞かされていなかったようだ。
聞かされた話に驚きを隠せず、やや言葉に詰まりながらもケンはノゾムに問いかけ続ける。
「そ、それで……ノゾムはどうするの?」
ややノゾムの顔を覗き込むように尋ねてくるケン。互いに
「俺は、やっぱりリサについていきたい。今初めて言うけど、俺、リサのこと好きだからさ……」
この時、ノゾムは初めて自分がリサに惹かれている事をケンに話した。ケンは一瞬目を見開き、続いて何か考え込むように下を向いた。
だがケンはすぐに顔をあげると、ノゾムの視線を真っ直ぐに受け止めながら口を開く。
「僕は……正直リサには冒険者になってほしくないって思う時もある。だって危険な事も多いし……」
確かに危険な事も多い。死亡率も高く、亡くなった人間など一々数えていられないほどだ。その中に自分の大切な少女も入らないという保証はない。もちろん自分達も。
「でも、やっぱり僕もみんなと一緒にいたい。リサの背中、守れたらいいなって思う」
でもケンはリサが死ぬなんて考えたくなかった。そんな事になってほしくなかった。
そう思った時点で、彼もまた自分の道を決めていた。
「なら、決まりだな」
「うん。行こう、みんな一緒にソルミナティへ」
彼女の背中を守ろう。その意志を互いにハッキリと自分の言葉で告げて、2人は手を握り返す。
既に村を囲む丘に落ちはじめた太陽。薄暗い影が世界を覆っていく中、改めて交わされた約束。しかし、視界を覆い始めた闇のせいで、親友の顔に浮かんだ僅かな影をノゾムは見落としてしまった。
2人が村に戻った時、さらに驚く事態が待ち受けていた。
村の入り口に佇む一人の少女。黄昏の空と同じ色に染まった紅い髪がまるでヴェールのように風に舞っている。
「リサ……」
「ノゾム。ケンも一緒だったんだ」
ノゾムの隣にいるケンにやや驚いたような様子を見せるリサ。おそらくノゾム一人だと思っていたのだろう。
ノゾム達は今まで丘の上での訓練をリサに話した事がなかった。
それはちょっとした意地。男の子であるノゾムとケンは、自分達の努力している姿をあまり女の子に見せたくなかった。それが自分の好いている女の子相手なら尚更だ。
リサがケンの前に立つ。しっかりとケンの目を見つめ、リサは昼間ノゾムに伝えた事と同じ言葉をケンに伝えた。
「ケン、私、ソルミナティに行く事に決めたよ」
「ああ、ノゾムから聞いたよ。それでどうしたの?」
すでにノゾムからリサがこの村を出ていく事を聞いたケン。
やや淡白な口調でリサの問いに答えるケン。いつもと同じように笑みを浮かべてはいるが、ノゾムは彼が浮かべている表情が少し硬いような気がした。
「その……ちょっと……」
「……ノゾム、僕は先に帰ってるよ。それじゃ明日!」
何やら彼女らしくもなく言いよどむリサ。
そんな彼女の様子を見て何故かケンがノゾムを置いて先に帰ってしまった。
突然の事でノゾムは訳が分からずにオロオロしていたが、彼女が自分に何か用があったのだろうと思い直してリサと向き合う。
しかし、こうして彼女と向き合うだけで彼は自分の顔が熱を帯びていくのを感じていた。
「そ、それで、何か用事って?」
「うん、ちょっといいかな?」
リサに促されるように、ノゾムはリサと肩を並べて当てもなく歩き始めた。
既に夜の帳は下りてしまい、周囲を闇が包み込んでしまっていた。
それでもノゾムとリサは窓から漏れた光を頼りに街の小道を歩き続ける。
辺りの家々の間に通る道を抜け、畑に出てからは、今度は月の光に照らされた畑の脇道を通り、小さな小川へと出る。
その間、ずっと無言のまま2人は歩き続けた。
ノゾムもリサも互いに相手が気になるようだが、何か一言を言おうとすると言葉が喉元で止まってしまう。
小川の畔まで来たノゾムは、しばらくの間リサと並んで川のせせらぎに耳を傾けながら、拳1つ分開いた互いの距離を感じていた。
肩には何も触れていないのに、まるでリサが身を寄せているような温かさを感じる。
鼓動を速めた心音が耳鳴りのように響き中、ふとノゾムが傍らにいるリサを横目で覗くと、いつの間にか彼女はノゾムに体を向けて真っ直ぐ彼を見つめていた。
「ノ、ノゾム。その……ね」
しかし、リサはノゾムと目が合った瞬間、思わず目を逸らしてしまう。
それでも彼女は一度大きく深呼吸すると、意を決したように話し始めた。
「無理、しなくていいよ? ノゾムのおじさんもおばさんも、反対すると思うし、2人ともノゾムにいて欲しいと思う……」
ノゾムが村を出ていくことに反対している彼の両親。家族を一人失っているリサにとって、幼いころからずっと一緒だったノゾムの両親のことは他人事ではない。可愛がってもらったこともあるし、互いの家に寝泊まりしたこともある。
彼女自身も自分が死を伴うような夢を追いかけていることは理解している。
だからこそ、彼女はノゾムが命の危険に晒されることに不安を抱いた。
しかし、同時にそれでも彼がついてきてくれるのではないかという期待も心のどこかにあった。
「わ、私は多分、この夢を諦められない。お父さんやお母さんが見てきた景色。私が小さい時の思い出。あまり覚えていないところもあるけど、やっぱり私は冒険者になりたい」
「リサ……」
まだ一緒にいたいという願いと、彼の身を心配する心。二つの思いに揺さぶられるまま、リサは矢継ぎ早に言葉を重ねていく。
「この村を出て冒険者になるって言ったらお母さんはあまりいい顔をしなかったし、ルルディにも行かないで! って泣き付かれちゃった。やっぱり冒険者が危険だって、この村の誰よりも分かっているからみたい……」
家族の同意を得られなかったことに肩を落とすリサ。
少しさびしそうな顔で下を向いている。
「で、でも、ソルミナティ学園って厳しいけれど入学料とか、授業自体にお金はほとんどかからないみたいなの! そこなら私も十分経験を積めるし、危険もあまりないと思う!」
しかし、すぐに顔を上げると彼女はやや顔を紅潮させながら大丈夫だと主張する。こうやって少しでも家族の心配を減らそうとするあたり、いつも気が強くて男顔負けなリサも、実はやさしい女の子なのだと、ノゾムは改めて感じていた。
「経験を詰めれば、その後に冒険者になっても危険は少なくなると思うし、お母さんやルルディも安心すると思うの」
自分の夢を追いかけながらも家族を少しでも安心させようとするリサに、ノゾムは自分の心の奥でどんどん彼女への思いが大きくなっていく。
彼の胸で膨れ上がった思いは今にも堰を切って溢れそうになっていた。
「でもやっぱり危険な事は変わらない。あの時、ノゾムもケンも一緒に来てくれるって言ってくれたけど、やっぱりやめた方がいいと思う……だから……」
そして自分が付いてくることをやめさせよとするリサの言葉が耳に届いた瞬間。彼の思いはついに溢れ出した。
「いや、決めた。やっぱり俺も付いて行くよ。そんなに危ないなら、やっぱりリサを放っておけない!」
溢れ出した思いの命ずるまま、ノゾムの口はリサの言葉を拒否するように自分も行くと主張する。
「で、でも!」
しかし、ノゾムの熱意に反するようにリサの不安は増していく。
思わず彼女の口から出た彼女の迷いを現わすような否定の言葉。思わず出てしまったその言葉を聞いた瞬間、ノゾムの心を堰き止めていた最後のタガがついに外れてしまった。
「リサがだめって言っても絶対についてく! 好きな子が夢を叶えたいって言ってるならその力になりたい!」
「……え?」
ノゾムの言葉の中に無視できない言葉を見つけたリサ。突然の出来事で一瞬呆けてしまうが、耳に残るその言葉の意味を理解した瞬間、リサの全身を甘酸っぱい感覚が駆け抜けていく。
「ノ、ノゾム。今、私の事……」
「……あっ」
口走ってしまった言葉に思わず茫然としたように押し黙ってしまうノゾム。
続いて猛烈な羞恥が彼を襲いかかってきた。
「そ、その……だから、」
しどろもどろな言葉を口にしながら、キョロキョロと視線を空中に泳がせたり、足を揺らしたりと挙動不審な様子を見せるノゾム。
リサの目には月明かりしかない闇夜の中でも、ノゾムの顔が湯だったように真っ赤に染まっているのが見て取れた。
雰囲気の欠片もない、落し物をしたような間抜けな告白をどうすればいいのかもわからず、ノゾムはただ狼狽える。
その時、ノゾムの視界一杯に彼女の顔が迫ってきた。
「んっ……」
気がつけば、リサは自分の唇をノゾムに重ねていた。
少しカサついたノゾムの唇の感触がツンという感覚と共にリサの背筋を駆け上る。
痺れるような甘い熱に頭を蕩かされながら、ゆっくりと重なっている唇を離す。
「ありがとう……うれ、しいよ」
満面の笑みを月明かりに浮かべながら、リサはノゾムに微笑みかけていた。
2つの影が小川の畔で重なってる。
月明かりに照らされた思いを伝えあう2人の姿を、一人の少年が小屋の物陰から眺めていた。
「……しかたないよね。リサ、ずっとノゾムの事を見ていたからね」
小屋の壁に背中を預けながら、ケンは自分に言い聞かせるようにそう呟いた。
ずっとケンはリサのことを見ていた。子供の頃、彼女が母親に連れられて家を訪れた時からずっと。
だからこそ、彼はいつの間にか彼女が親友を見つめる目が自分に向けられたものとは違うことに気付いた。
きっかけは、彼女が親なしとムジルの罵られた時だろうか。
ケンがムジルに掴みかかるより先に、彼の親友がリサを泣かせた男の子に飛び掛かっていた。
その時から徐々にノゾムを見つめる視線に熱を帯びる様になっていった。
あの時、もし自分が先だったら。そんな思いが彼の胸に湧き上がるが、同時にノゾムともずっと一緒だったのだ。
悲しい気持ちはある。それでも彼女が選んだのなら……。
「よかったね、リサ……」
壁にもたれかかったままズルズルと座り込み、膝を抱え込む。ギュッと目を瞑ったまま、ケンは胸を刺す痛みにただ耐え続けていた。
いかがだったでしょうか?
とりあえず、一旦過去編はここまで。次節から再び現代に移ります。
残りはもう少し第6章を進めてからになると思います。