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過去編1

このお話は、以前第6章第4節に入れていたお話です。

読みづらいのではと思ったのと、話が長いことを考え、別の節に分けました。

 それはまだノゾムが幼い時の話。彼の故郷であるオイレ村での生活。その中で仲良くなった3人の物語だった。

 ノゾムが一番初めに話し始めたのは、彼らがまだ幼い時の話だった。故郷であるオイレ村での生活。その中で仲良くなった3人の物語。


「ノゾム~! ケン~! 早く来なさいよ~!」


「ちょっと待ってくれよリサ! まだケンが来てない!」


「はあ、はあ、はあ……」


 春の風がなびく野原を3人の少年少女が駆けまわる。

 先頭を行くのは赤い髪を短く切りそろえた少女。その後ろから2人の少年が遅れながらもついてきていた。

 少女は幼いながらも顔立ちは整っており、着飾ればとても可愛い少女に変貌するだろう。

 しかし、彼女の頬についた泥や走り回って乱れた髪の毛は、少女というよりもどちらかと言うと男の子の様なヤンチャさを見る人に対して印象付けるだろう。

 彼女の後ろからついてきている少年達は、これまた対照的な2人だった。

 1人はリサという少女からケンと呼ばれた、金色の髪を持つこれまた可愛らしい少年。

成長し、1人前の男になれば、その精悍な顔つきから多くの女性を虜にするかもしれない。

 だが、今の彼はどこか小動物のような弱々しさを持ち、どちらかと言うと先ほどの赤髪の少女よりも女の子らしかった。

 もう一人、ノゾムと呼ばれた少年は先の二人と比べても明らかに凡庸な少年だ。顔立ちも平凡的で、体も特に大きいというわけではない。

 しかし、金髪の少年よりは体力があるのか、荒い息を吐きながらもその足取りはしっかりしている。


「ノゾム! ケン! 早くしなさいよ! 早くしないとあの場所をムジルの奴に取られちゃうじゃない!」


「分かってるよ。でもケンを置いていけないだろ?」


「はあはあ……だ、大丈夫、ちゃんと付いて行くよ」


 ノゾムとケンは息を切らせながらも、赤髪の少女、リサの後についていく。

 彼女達が向かうのは村から少し離れたところの、一本の木がある丘の上。適度な広さがあり、大人達にうるさく言われないその場所は格好の遊び場だった。

 しかし、子供達全員が仲良しになるはずもなく、彼らにも大人達のように派閥のようなものが存在していた。

 精神的にも幼い子供達が、折角見つけた格好の遊び場を手放すことはまずしない。

 午前中の家の手伝いから開放されるこの時間、村の子供達にとって、お気に入りの遊び場の確保は何より重要だった。

 結果的にその遊び場を巡って、まるで陣取り合戦のように子供達の集団が互いに衝突を繰り返すことになった。

 そんな中、この村の子供達の中で頭角を表したのがリサとムジルという少年だった。

 ムジルは元々この村の生まれで、リサが来るまではこの村の子供達の頭、つまりガキ大将であった。

 リサがこの村に来た当初、周りに農地か小高い丘、そして森ぐらいしかないこの村で育ったムジルにとって、外から来た人間であるリサは退屈な村での日常を紛らわせるには格好の相手だった。

 ちょうどいい相手が来たと思い、リサに対して何かとちょっかいを出そうとしたムジル。

 しかし、からかおうとしたムジルは逆にリサに反撃され、結果的に大喧嘩に発展した。それ以来、2人は犬猿の仲となる。

 しばらくの間はこの丘の上の遊び場を巡って掴み合いや悪口を言い合うなどを繰り返していた両者だが、しばらく繰り返しているうちに勝負についてルールの様なものが出来ていた。

 そのルールの内容は単純で、太陽が一番高く上がってから最初に丘の上にたどり着いた方が、日が落ちるまでその場所で遊べるというものだった。

 リサが後ろにいる2人に対して急かすように声を上げる中、ノゾムは自分より遅れているケンの肩に腕を回して体を支えている。

 しかし、これではムジル達が先に丘の上にたどり着いてしまうだろう。


「もう、仕方ないわね!」


 時間がないことに痺れを切らしたリサがノゾムを押しのけてケンを背負う。


「ちょ、ちょっと……」


「いいから急ぐわよ! 絶対にムジルなんかに負けないんだから!」


 気合一発。リサはケンを背負ったまま一気に丘を駆け上がっていく。

 当惑するケンと走りだしたリサに慌ててついて行くノゾム。

 2人は一気に丘を駆け上がり、頂上にある一本の木の元ににたどり着く。ムジル達の姿はまだ見えていない。


「やった! いっちば~ん!」


「一番じゃないよ。先客がいるみたい」


 リサが背負っていたケンを降ろし、はしゃぐ様に両手を突き上げる。お気に入りの場所に一番乗りしたことに喜んでいるようだが、そんなリサにケンが待ったをかけた。

 ケンの言葉にリサが首を傾げていると、彼は雑草が生えた丘の上にぽつんとそこだけ草が抜き取られている場所を指差す。

 草が抜き取られた地面には丘の上から見渡した村の風景が描かれていた。


「うわ~! すごい! ねえ、ねえ! ノゾムもケン見て」


 はしゃぐリサに促される様に木陰の地面を覗き見たノゾムとケン。


「うわ~」


「はあ~」


 ノゾムもケンも、地面に描かれた絵を見て感嘆の息を吐いていた。

 彼らの生活しているオイレ村は盆地の中に作られた小さな村だ。

 空から照りつけた太陽に照らされた家々の屋根、芽が出始めた小麦畑、畑の脇道では村の数頭しかいない馬が荷車に荷を積んだまま草を食んでいる。

 まるで目に映る風景をそのまま切り取ったような絵。ノゾムの目にはその絵に描かれている馬が、御者のおじさんに怒られて、今にも動きそうに映っていた。

 その時、木の裏でゴソリと動く影が見えた。

 リサが木の裏を覗いてみると、そこには頬にそばかすをつけたリサと同じ歳くらいの少女が、隠れるように縮こまっている。


「あれ? メヒリャじゃない。こんな所で何しているの?」


「えっと……その……絵、描いてた」


 リサにメヒリャと呼ばれた少女はチラリと木の陰からリサ達を覗き込むようにノゾム達を見つめながら、地面の絵を指さす。やや小さな声だが、キチンとリサの問いかけに答えている所を見ると、嫌がっていると言うよりは恥ずかしいようだ。


「へえ! この絵、メヒリャが書いたんだ!」


 リサがやや興奮した様子でメヒリャに駆け寄っていく。ちょっと恥ずかしがっている相手に対してはかなり遠慮のない行動ではあるが、リサは彼女の描いた絵にワクワクしながら興味津々のようだ。

 メヒリャはちょっと驚いたように身を強張らせたが、おずおずと頷く。


「ちょっと、恥ずかしい……」


 感心しているリサ達の様子を見て、そばかすのついた頬を赤く染めるメヒリャ。照れているが、本心では喜んでいるようで、ノゾム達の心もホッと暖かくなる。

 その時、ノゾム達の後ろからガヤガヤと誰かが騒いでいる音が聞こえてきた。振り返ると5人位の子供達の集団がノゾム達の方に向かって歩いてくる。


「チッ、先を越されたのかよ……」


 現れた集団の先頭には、一際体の大きい男の子がいた。彼があちらの集団のリーダー、ムジルである。

 見た目通り力が強く、この村の子供達のボス的な存在になっている少年。

 リサとムジル。2人とも我が強く、負けず嫌いな面があるが、似た面を持つが故に2人の中は水と油のように仲が悪い。まあ、出会ったその日に大喧嘩になれば無理もないのだが。

 ムジルはその体格と威勢から村の子供達の中では中心的な存在だった。リサがこの村に来るまでは。

 ムジルはその性格から何事も力で解決しようとする傾向があり、それゆえに一部の子供達からは、怖がられていた。

 そんな子供たちにとって、ムジルに対しても物怖じせず、真っ向から立ち向かう彼女の姿は眩しく、リサは彼らの心を掴むことになる。

 リサもまた言うことをきかない子供に対して手をあげるムジルを嫌っていたし、ムジルとしても女の子であるリサに対して子供じみた対抗心を持っていた。

 結果として今現在、この村の子供達はリサ派とムジル派の2つに分かれる事になったのだった。


「ええ。そういうことだからアンタ達は帰りなさい。今日はこの場所は私達が使うわ」


「へ! そんなこと誰が決めたよ! 俺たちはいいって言った覚えねえよな!」


 ムジルの言葉に周りにいた子供達がそうだそうだと騒ぎ立てる。気の弱いメヒリャはムジルの大声に怯えてしまい、再び木の陰に隠れてしまった。

 確かにそんな取り決めをしたことはなかったが、今まではこちらが先を越せば、彼らも悪態をつきながらも大人しく引きさがっていたのだが。


「大体、何でよそ者の言うこときかなきゃならないんだ? ここは俺達の村で、この遊び場も俺達のものだぞ!」


 しかし、今日はなぜかムジルは引き下がろうとしなかった。2番手ですらない事が彼のプライドに火を付けたのかもしれない。


「関係ないでしょう! そもそも、どこにもアンタの名前が書いてないわよ!」


 ムジルに対して一歩も引かないリサ。まるで威嚇し合う猫のように睨み合いながら、互いに罵詈雑言を叩きあう。


「大体、ここに一番先に来たのはメヒリャよ。2番ですらないアンタはお呼びじゃないの!」


 リサの言葉にムジルが木の陰に隠れているメヒリャを睨みつける。

 いきなり睨まれて、ビクリと肩を震わせるメヒリャ。

 彼女は怯えた小動物のように木の幹に縋り付き、ぴったりとその身を寄せる。


「うるせえ! 知るかそんな事!」


「あっ!」


 頭に来たムジルが地面に描いたメヒリャの絵を蹴飛ばす。

 描かれていた躍動感に溢れていた馬がごっそりと抉られ、飛び散った土が地面に写し出された家々を押し潰してしまう。


「ちょっと! 何してるのよ!」


 激高したリサがムジルの詰め寄ろうとするが、彼はやけっぱちになって喚き立てる。


「うるせえ! うるせえ! 俺に命令するんじゃねえ! 親なしのくせに!」


「っ!!」


 ムジルのその言葉にリサの顔が曇り、瞳が潤む。

 ムジル達にとってはただの悔し紛れの言葉でしかなかった。悪いのはムジルであることは明白で、彼は子供じみた癇癪を起こしているだけでしかない。

 しかし、彼女にとってこの言葉は彼女の胸を深く抉るものだった。

 リサがこの村にやってきた時、既に父親は亡くなっており、残っていたのは母親と妹だけ。

 元々彼女がこの村に来た理由は、元々冒険者だったリサの父親が亡くなってしまった事が原因なのだが、父親の死がまだ十にも達していない少女に与えた影響は計り知れない。

 昨日まで……いや、つい朝まで隣にいた頼れる背中を失い、知らない村に移り住むことになってしまった彼女の心身にかかる負担はどれほどだったのだろうか。


「なんだよ。言い返して見ろよ、よそ者!」


 ビクリと身を震わせたリサの姿を、ビビったのだと思ったガキ大将は急に得意げな顔をしてリサに詰め寄る。

 たとえ気が強くても、彼女もまた根は繊細な女の子。思い出してしまった辛い思い出に気持ちが沈み、忘れかけていた悲しみが揺り起こされてしまっても無理はない。

 だが、どんな手段であれ、ムジルの一言がリサの意気込みを縮こまらせたことは確かだった。

 元々子供の喧嘩とは獣同士と同じ、臆した方が負けになってしまう。


「分かったらさっさと帰れよ!」


「きゃ!」


 ムジルがリサの肩を強く押す。

 突き飛ばされたリサはたたらを踏むと、ぺたんと尻餅をついて座り込んでしまった。

 その様子を見ていたムジルの取り巻き達もいい気になってリサに“帰れ、帰れ”と喚いている。


「う、うう……」


 リサの目に溜まる涙は今にも零れ落ちそうだった。いくら気を強く保っていても、まだ幼い女の子にとって旅の途中でだれよりも頼りにしていた父の死は簡単に癒えるものではない。

 しかし、その涙が溢れるよりも先に、怒号を上げてノゾムがムジルに飛び掛かった。


「このやろう!」


 思いっきりムジルの胸倉に掴みかかったノゾム。突然の出来事に思わずガキ大将はたたらを踏む。


「あ……」


 その光景を目の当たりにしたリサの口から思わず声が漏れる。さらにケンもまたムジルに飛び掛かり、2人がかりでガキ大将を地面に押し倒す。


「ぶふっ!」


 ノゾムとケンは倒れたムジルにのしかかり、彼の顔を思いっきり殴りつける。いきなり顔に走った衝撃と鈍痛に、ムジルが思わず声をあげるが、すぐに2人を押し返そうとする。


「こいつ!」


「リサに謝れええ!」


 地面を転がりながらもつれあう3人。

 突然の出来事にムジルの取り巻き達は茫然としてしまっていた。

 しかし、一拍の後にハッと我に返った取り巻き達は、怒りの表情を顔に張り付けてムジルを押し倒しているノゾムとケンに飛び掛かった。

 自分達に掴みかかり、殴ってくる取り巻き達に必死に抵抗するノゾムとケンだが、所詮多勢に無勢。取り巻き達の顔に幾つかの痣を作ることは出来たが、結局取り押さえられてしまう。


「こ、こいつら。よくもやりやがったな……」


 仲間の手を借りて立ち上がるガキ大将。

さすがに2人がかりの殴打は効いたのか、ムジルの足元は覚束ない。

 それでも殴られた怒りで顔を真っ赤に染めながら、打たれた分を数倍にして返してやる意気込みつつとノゾムとケンの元に歩いていく。

 これ見よがしに拳を掲げるムジル。子供としては縦にも横にも大きな体を更に大きく見せてノゾムとケンを威圧しようとするが、2人は怯むことなく真っ直ぐムジルを睨み返す。

 掲げられた拳が振り下ろされ、ノゾムの頬に突き刺さろうとした瞬間、


「いい加減にしなさいよ! このオーク鼻!!」


「ぶぶ!!」


ノゾムではなく、ムジルの頬にリサの両足が突き刺さった。

 自身の全体重と跳び込んだ時の勢いをすべて乗せたドロップキックが顔に突き刺ささり、地面に倒れ込むムザル。

 目の前で起こった突然の出来事に、ノゾム達も取り巻き達も唖然として目の前の少女を見つめていた。


「……オーク鼻だってさ」


「まあ、あの顔ならお似合いの名前じゃないのかな」


 沈黙が辺りを支配する中、ノゾムとケンがぼそりと失礼な感想を口にする。確かに彼の顔は横にも広く、大きく開いた鼻の穴はオークの豚鼻を連想させる。リサのドロップキックで地面に倒れたムジルの顔は、まるでタコのように歪んだまま元に戻っていなかった。

 さらに地面に倒れたムジルを一瞥していたリサの視線が、ノゾム達を抑え込んでいる取り巻き達に向けられた。


「ひっ!」


 取り巻き達の怯えた声がノゾムの耳に入ってくる。

 リサは怯えている取り巻き達などに気にも留めず、一気に彼らに向かって駆けだした。


「う、うわ……」


 動揺する取り巻き達。リサは彼らが狼狽えている隙に駆け寄ると、その手に持った何かを思いっきり彼らの顔面に叩きつけた。


「ぶ!」


「ぎゃ!!」


 いきなり真っ暗に閉ざされた彼らの視界。続いて猛烈な痛みが彼らの目を襲ってきた。


「痛い! 痛い! 痛い! 痛い!」


 目に走る痛みに耐えかねて、彼らはノゾム達を拘束していた手を離してしまう。その隙に脱出するノゾムとケン。

 リサがノゾム達を拘束していた取り巻き達の顔に叩きつけたのは、ただの土。

 ムジルが吹き飛ばされて目を見開いていたところに土を大量に詰め込まれたせいで、彼らはこれまで味わった事のないような激痛に苛まれていた。


「こ、こひゃふら……」


 未だに顔を歪ませたまま、ムジルが残った2人の取り巻き達に手を貸されながら立ち上がる。やはり頑丈な体をしているようだ。


「ほ、ほこほこにひひぇひゃる!」


 顔が歪んだせいで上手く発音できないまま、ノゾム達に向かって駆けだしてくるムジルとその取り巻き達。

 迎え撃つリサ、ノゾム、ケンの3人。その後、双方が疲れきって互いに退くまで、一本の木の下で子供たちの壮絶な喧嘩が展開された。







 結局、リサ勢とムジル勢の喧嘩は決着がつかないままお流れになった。


「はあ、はあ、き、今日はもう遅いから帰るぞ! こんなしつこい蛇女相手にしていられるか!」


 とはいっても、ムザル達は5人相手にしながら勝てなかったことが相当悔しかったのか、疲れきって呂律が回らない状態にもかかわらず、負け惜しみとしか取れないよう台詞を吐いて帰っていった。


「はあ、はあ、やれるもんならやってみなさいよ! このオーク鼻!」


「リ、リサ、げ、元気だな……」


「そうだね。僕達もう動けないのに、何であんな元気なんだろう……」


 遊ぶための体力すらも使い果たし、へとへとなっているのはノゾムも変わらないのだが、それでもリサはプリプリ怒りながら、負け惜しみを言ってくるムザルに言い返している。よそ者や、親なしと言われたことがよほど癪に障ったのだろう。


「あ、あの。ありがとう……」


 喧嘩が終わって気分が落ち着いたのか、木の陰に隠れていたメヒリャが出てきてリサ達にお礼を言ってきた。


「え? ああ、気にしないで。私も我慢できなかったから」


 少し恥ずかしそうに頬を掻きながら、リサがメヒリャに手を振っている。

 そんなリサを見つめながら、メヒリャの頬も自然と弛んでいた。


「あ、もしあいつがまた変な事してきたら言いなさいよ。ギッタンギッタンにしてやるから!」


 リサがシュッシュッと拳を突き出しながら妙に良い顔をしている。

 口元を吊り上げ、目が爛々と輝かせているリサ。クックックッと押し殺した笑いが聞こえてくるあたり、機嫌は良いようだ。

 考えていることは恐らく先程の喧嘩で自分がつけた足跡で顔を腫らせたムジルの顔だろう。

 悪口を言われたことに対する報復が出来て気分がいいのだろうが、少なくとも女の子が浮かべる笑みではない。

 そんな事を思いながら、そんな彼女の様子を傍から見ているノゾムは苦笑いを浮かべるしかなかった。

 メヒリャはそんなリサが可笑しかったのか、小さく頷くと笑みを浮かべて村へと帰って行った。


「すいぶん時間経っちゃったな……」


 ノゾムが呟きながら西の空に目を向けると、既に空は茜色に染まり、太陽が山の陰に沈みかけている。

 さすがに今から遊んでいる時間はないだろう。これ以上遅くなったら夕飯に間に合わず、親に叱られてしまう。


「仕方ないよ。今日はもう帰ろう」


 家に戻ろうと促してくるケンの言葉を聞いて、ノゾムも頷く。

 しかし、リサだけは帰ろうとせずにボーっと夕焼けを眺めていた。


「リサ?」


 いつもの彼女らしくない、どこか物悲しい背中。

 そこにいつも気が強く、ムジルにいじめられる子供達の頼りになる彼女の姿は感じられかなった。


「……はあ」


 彼女の口から漏れるため息とともに、彼女の表情が曇っていく。

 風が吹けばそのまま消えてしまいそうなほど弱々しいリサの姿。

 憂い顔で黄昏の空を見つめ、夕焼けに染め上げられた彼女の姿に、傍にいた2人は知らず知らずのうちに胸が高鳴っていた。

 ノゾムとケンはいままで見た事がない、リサの姿にただ目を奪われる。

 奇しくもそれは、彼らがリサという少女をはっきりと異性として意識した瞬間だった。

 そんなノゾムとケンの様子を知ってか知らずか、リサはぼそりと呟くように語りかけてきた。


「ねえ、私ってやっぱりよそ者なのかな?」


「え?」


 それは、内心リサが感じ続けていたコンプレックスなのかもしれない。

 父親がいない、よそ者の子供。リサの母親はこの村の出身なのだから、彼女がよそ者という話は実のところ違う。

 しかし、父親がこの村出身ではなく、自分達が住んでいる村とは違う場所で生まれた事のみを見てしまえば考えれば、彼女が自分がよそ者であるという考えに囚われてしまっても仕方のない話だった。


「私のお父さん。冒険者で、いろんなところに連れて行ってもらったわ。アブリュエスの水湖都市やガルサムの都……」


 彼女の瞳はじっと眼下に広がる村を眺めているように見えるが、実際にはノゾム達が見た事のない光景を映し出しているのだろう。


「旅をしている時は本当に楽しかった。お腹いっぱい食べられない時もあったけど、それでもキラキラしたいろんな物を見れた」


 地上に落ちた星々の光のように輝く砂浜。都に集まる多種多様な人々の姿。

 あの時、彼女にとっては何もかもが新しく、輝いて見えた。

確かに冒険者である以上収入は安定しなかったし、寒い思いをした日もあった。

 それでも、父も母も笑顔が絶えず、毎日が本当に幸せと呼べる日々だった。


「でも、お父さんが死んじゃって、もうお母さんだけじゃ私達を食べさせる事が出来なくなって……。だから、この村に来たの」


「うん……」


 冒険者であり、誰よりも頼りになっていた父の死。

 ちょうどその時は大侵攻の数年前、散発的に魔獣が北の荒野から南下するようになってきていた。

 魔獣達の動きが活発になり、各地で侵攻に対する不安が漂い始めた頃。

 拡散し、増大していく不安に人々の心は徐々に萎縮し始める。経済、人心、あらゆる事が負の方面に引き摺られ始めていた。

 そんな時に母は幼いリサと妹の2人を抱えて冒険に赴くわけにもいかなかった。

 だからこそ、リサの母親は子供達を連れて故郷に戻ることを決めたのだ。


「確かに危険はないわ。いつも暖かいベッドで眠れるし、寒くて凍えることもない。でも……」


 確かにこの村は大侵攻の影響をほとんど受けなかった。

 魔獣に家が壊される事もない。盗賊に落ちぶれた人々に襲われるわけでもない。多少の不作はあったが、食べ物がなくなるほどの飢饉に喘いだわけでもない。

 しかし、この村では、リサはどこか胸の奥に吹きすさぶ隙間風を感じていた。

 何かが足りない。心の中に小さな穴が開いていて、熱がどんどん逃げてしまうような感覚。

 まるでその穴を塞ぐように、胸の上でギュッと手を握りしめるリサ。

その時、彼女の耳にノゾムの言葉が入ってきた。


「リサは、お父さんみたいになりたいの?」


 ノゾムの言葉にリサは小さく頷く。

 旅の途中、夜の闇や魔獣の遠吠えが怖くて眠れない時のあの大きなぬくもり。旅の途中で父が見せてくれていた数々の風景と共に、その熱が彼女の体の奥にくすぶり続けている。


「……大丈夫さ。リサが大きくなれば問題ないよ。旅に行くことだってできるし、きっとリサのお父さんと同じように冒険者になる事には反対しないよ」


「そうだよ。リサのお母さんも冒険者だったのなら、反対なんてしないと思うよ」


 子供ゆえの理屈のない、楽観的な答えを口にするノゾムとケン。

 その夢を実現できる根拠などない言葉だが、少なくともリサにとって、この時必要なのは明確な理由ではなく、自分を後押ししてくれる存在だった。


「そう、よね。なれるんだよね。お父さんみたいに……」


 自分の胸に秘めていた想いを口にする事。そして始まりの一歩を歩みだす為の機会。これが、彼女が夢に向かって歩き始めるきっかけとなる。

 リサの胸の奥に残っていた過去への憧憬という火種が、幼馴染の賛同という追い風を得て燃え上がり始めた。


「うん、決めた。私、冒険者になる!」


 自分自身に言い聞かせるように自分の夢をハッキリと宣言するリサ。それは、彼女が冒険者になることを決めた瞬間だった。

 かつて見たあの光景をもう一度見たい。もしかしたら冒険者になれば、それ以上に胸がワクワクするような出来事に出合えるかもしれない。

 もう隠すことはない。たとえ理由や根拠がなくとも、想いは既に彼女の胸の奥に眠っていたのだから。


「旅のお店屋さんが言ってたわ。今、世界中のいろんな人たちが集まって、大きな街を作っているって。その街には大きな学校が造られて、そこで大陸中の事を勉強できるんだって!」


 この時から、彼女はソルミナティ学園に行くことを決意し、勉強を重ねていく事になる。

 日が完全に隠れ、辺りが瞬く間に暗くなっていく。このままでは真っ暗闇の中を子供だけで家に帰らなくてはならない。

 3人は慌てて丘を駆け降りると、村へと急いだ。

 村に戻ると既に辺りは闇に覆われている。家に帰ったら間違いなく説教されるだろう。

 家に向かって駆け足をしながら、ノゾムはちらりとリサの横顔を覗き見た。

 3人で遊ぶことが出来なくなったことに残念そうな表情を浮かべてはいるものの、その顔に先程まで浮かべていた悲しみは感じられない。

 ホッと胸をなでおろしながら、ノゾムは帰路を急ぐ。

 村の入り口まで来ると、それぞれの家から食欲を誘う夕餉の香りが村中に漂っていた。

 ただでさえ育ち盛りのノゾム達。丘の上まで駆け上がり、ムジル達と喧嘩したことでかなり空腹を感じていた。


「腹減った~。早く帰ろうぜ!」


「ふ、2人とも、ち、ちょっと待って!」


 早く家に帰ろうと思い、駆け出そうとするノゾムとケン。その時、リサが声をかけてきた。

 一体何事かと思いながら振りかえると、リサがちょっと顔を赤らめて眼を逸らしながら、自分の指をモジモジと絡めている。

 何か言いたそうな様子ではあるが、肝心の言葉が出てこない。口を開いて声を出そうとするが、恥ずかしくて何度も何度も言い損ねてしまう。

 だが、リサは恥ずかしさを振り切るようにブンブンと頭を振ると、意を決したように口を開いた。


「その……2人とも、ありがとう」


 今日、父親の事で萎縮してしまった時、自分を庇ってムジルに怒ってくれたこと。人数的には相手の方が多く、絶対的に不利なのに、それでも立ち向かってくれたこと。

 彼女は今まで感じたことのない、胸をキュッと締め付けるような温かさ。そんな不思議な感覚を覚えていた。

 恥ずかしくて満足に言葉を重ねることはできずとも、心を込めた精一杯のお礼。ノゾムとケンは自分の血が一気に顔にせり上がってくるのを感じていた。


「い、いや……別に」


「う、うん」


 もう夕暮れ時の空気は肌寒く、ムザルとの喧嘩でかいた汗が体温を奪っていくが、それに反するように顔の熱は上がっていく。


「お姉ちゃ~ん。どこ~~?」


「あれ? ルルディ!?」


 その時、暗闇の奥から幼い女の子が涙声を上げながら姿を現した。

 リサとよく似た真紅の髪をおかっぱに切りそろえた幼い少女。

 ノゾム達と比較しても2歳ほど幼いだろうか。くりくりっとした大きな瞳に溢れんばかりの涙を溜めている。

 ルルディ・ハウンズ。

 リサの妹で、彼女の父親が最後に残した忘れ形見。

 姉と違ってとても臆病な性格で、いつも母親かリサの後ろにトコトコついてくる。どうやら彼女は姉の帰りが遅く、心細さのあまり家を飛び出してきてしまったらしい。


「もう、何してるのよ」


 リサが呆れたような声を上げながらルルディの元に駆け寄る。

 既に真っ暗闇となった辺りには、明かりは月の光くらいしかない。


「だって……。お姉ちゃん帰ってこないから……」


 月明かり以外にも窓から漏れる家の明かりがあるが、それでもルルディには怖かったようだ。


「今から帰るところよ。夜が怖いのに外に出るから」


「だって~~」


 よほど暗闇が怖かったのだろう。グスグスと鼻声を上げながらルルディが姉に縋り付く。

 リサは泣きじゃくる妹を安心させるように、ポンポンとその背中を叩いている。


「さ、帰るよ。お母さん心配しちゃうから」


 そう言いながら胸に顔を埋めているルルディを離すと、自分の手よりも一回り小さい妹の手を握る。


「そ、それじゃあ、また明日!」


 くるっと踵を返してリサは妹を連れだって自分の家に向かって歩き出す。振り向いたときの彼女の顔は、僅かな星々の明かりだけでも分かるくらい紅くなっていた。

 ノゾムとケンはそんな彼女の姿に見惚れながら、サヨナラも言えずに彼女の後姿を見送っていた。


「ノゾム、どう思う?」


「え?」


 しばらく放心していた2人だが、突然ノゾムに話しかけてきた。


「リサのお父さんって、冒険していた時に死んじゃったんだろ。そんなところにリサ、行こうとしているんだよね……」


「…………」


 ケンの言葉には僅かな怯えが感じられた。

 それは先程聞いた彼女の父親の死が原因であろう。

 リサの父親は確かに冒険中に亡くなっている。

 その事を考えれば、リサは間違いなく困難な道のりに足を踏み入れようとしている。

 その道を進み続ければ、死が彼女自身に降りかかる可能性がある事も、彼女の父親の死から十分に予想できてしまった。

 ノゾムとケンは黙って互いに目を見合わせる。

 リサを止めるなんてことは出来ない。つい先程、悲しそうな彼女の姿を見てしまっているし、何より自分達は彼女の夢を応援したい。

 気が強く、決めた事に真っ直ぐ突き進んでいくリサの事だ。既に走り始めてしまった彼女は間違いなく冒険者になる事を諦めないだろうと2人は考えていた。


「なあ、ケン……」


「うん。分かってるよ」


 ならば、彼女の夢。冒険者になりたいという夢を自分達が支えよう。

 2人は黙したまま互いに頷く。そこに言葉はなくとも、大好きな人を守りたいという彼らの思いは一つだった。

 この日、彼らはリサと同じようにソルミナティ学園に行くことを決意する。

 しかし、ノゾムとケンが心の奥底に芽生え始めた想い、彼女に対する恋心にはまだ気づかなかった。

 ちなみに、日が落ちても家に帰れなかったノゾムは頑固な父親に頭を叩かれ、散々説教を受ける羽目になったのは甚だ余談である。


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