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閑話 酒が入れば知恵が逃げ出す 

*注意事項


 このお話ギャグです。多分にキャラクターの性格が変動しています。ぶち壊れと言ってもよろしいくらいです。

 お前だれよ? と思われても仕方のないレベルでのぶち壊れです。

 後、このお話が本編に関わることはありません。本編とは一切関わりのないストーリーと考えて下さい。


 アルカザムの商業区。

 酒場兼宿屋である牛頭亭では見る者の目を疑うような、奇妙奇天烈な光景が広がっていた。


「はむ…ンぐ、がう!」


 1人の狐尾族の青年が食事をしている。

 そこまでは別に普通の事なのだが、異常なのは目の前に広がる料理の数だった。

 狐尾族の少年、フェオの目の前には、テーブルを3つ繋げても納まらないほどの料理が並べられている。

 窯で焼いた熱々のパンに、腹に野菜を詰め込んだ鳥の丸焼き。香辛料でピリッと焼き上げた川魚に、山のように盛られたパスタ。

 どれもこの店の店主自慢の料理であり、見ているだけで涎が垂れそうだ。


「ングング……ぷはあ! はむっ」


 目の前に絨毯の様に広がる料理が、次々とフェオの胃袋の中へと消えていく。


「……すごいな」


「ああ、フェオの奴、マジで追い詰められていたんだな」


 凄まじい勢いで食事を続けるフェオの隣のテーブルでは、ノゾムとマルス、そしてトムが目の前で起こっている光景にあっけにとられていた。


「僕たちがフェオの部屋に入った時、まるで枯れた草みたいになってたし……」


「そうだな。1週間近く水と雑草だけで生活していたらしい……」


 あの森でアイリスディーナ達に自分が龍殺しであることを告げてから2週間ほど時が流れていた。

 事の発端は、休日に仕事を終えたノゾムが寮にある自分の部屋に戻ってきた時だった。

 偶然フェオの部屋の前を通りかかった時、ノゾムは彼の部屋の前にいたトムと遭遇。話を聞いてみると、最近フェオが授業に来ていないので様子を見に来たそうだ。

 トムの話を聞いて、ノゾムも様子が気になり、部屋の扉をノックしてみるが反応が無い。

 不審に思いながらもノブを回すと部屋の鍵は空いており、中には干し草のようにやつれたフェオが床に倒れていた。

 ノゾムとトムが慌ててフェオの身体を起こすと、彼の腹から聞こえるグウ~~、という気の抜けた音。

一気に脱力したノゾム達はしかたないなと思いつつ、腹ペコの彼をこの牛頭亭まで連れてきたのだ。

 この店に出される料理は量もそれなりにあり、値段も良心的。それに店の人も顔見知りで、気心も知れている。

 ちなみに、ノゾムが晩御飯のつもりで買ってきた食材は、ここに来るまでの道中ですべてフェオに喰われてしまった。

 芋だろうが根野菜だろうが遂には魚だろうが生でかじりつくフェオに、ノゾムはちょっと引いていた。


「で、ノゾム達はどうする? ついでにここで飯を食っていくか?」


「え、いいのか?」


 フェオが自分の食事に没頭している光景を横目で眺めながら、ため息をついていたマルスがノゾム達に食事を勧めてくる。

 マルスの申し出にやや逡巡したノゾムだが、マルスは特に気にする様子もなく口元に笑みを浮かべていた。


「ああ。特総演習の時の詫びもかねて奢るさ。フェオの奴も含めてな」


「……分かった。御馳走になるよ。トムもいいか?」


「……じゃあ、お願いするよ。ありがと、マルス君」


 特総演習の時に迷惑をかけた詫びだと言うマルス。

 ノゾムも自分の食事は既にフェオに食い尽くされてしまっているし、折角の申し出なのだからと御馳走になることにした。

 トムも頷いたので、2人は近くにあったテーブルに座る。

 注文をしてからしばらくすると、美味しそうな湯気を立てた料理が運ばれてきた。

 料理を運んできたマルスも食事をするのか、ノゾムとトムの目の前に料理を並べると、自分の料理も運んできてノゾム達のテーブルに着いた。

 ノゾムのメニューは以前この店で食べた穴ウサギのステーキとサラダの盛り合わせ。トムはノゾムと同じ、穴ウサギを使ったシチューとパンとサラダ。マルスはノゾムと同じステーキとパスタだ。

 どの料理も香りがよく、食欲をそそられる。

 腹の空いた十代の若者に我慢などできるはずもない。齧り付く様に目の前の食事に手を伸ばす3人。意外だったのは普段大人しいトムも、彼としては珍しいくらいがっついた様子で食事をしていたことだった。


「ノゾム、こいつも飲むか?」


「これって酒か? 持ち出してもいいのか?」


 マルスが差し出したのは酒の入った小さな瓶だった。おそらく店の酒をちょろまかしてきたのだろうか。


「何、気付け程度さ。親父の許可もとってあるし、あんまり強い酒じゃない。問題ないさ」


 そう言いながらマルスはノゾムとトムのコップに少量の酒を注ぐ。


「いいのかな? 僕、お酒なんて飲んだことないんだけど……」


「俺もだ……」


量としては一口程しかないが、ノゾムにとってもトムにとっても人生初の酒だった。

 マルスは一気に杯を呷って酒を飲み干すと、大きく息を吐く。


「ふう~! やっぱ久しぶりに飲むと効くな。最近は水か茶ぐらいしか飲ませてもらえなかったんだ。まあ、仕方ないんだが……」


 実は、マルスは特総演習後にヤケ酒で荒れ、客が一晩店に寄り付かなくなったせいで酒禁止令が下されていた。

 自業自得といえば自業自得で本人も反省しているが、やはり口寂しかったのだろう。彼は久しぶりの酒に感無量といった感じで顔を赤らめている。

 そんなマルスの様子に苦笑いを浮かべながらも、ノゾムとマルスはゆっくりと杯を傾ける。何かの果実の香りと苦い味が口いっぱいに広がり、続いて喉を焼くような熱が胃袋に落ちていく。


「っう! 効くな……この酒、ちょっと強すぎないか?」


「そうか? 俺はもうちょっとキツめの方が良いし、この酒はこの店ではどちらかと言うと飲みやすい方なんだが……」


 ノゾムの問いかけにマルスは首を傾げながら自分の手にある酒瓶の中を覗き込む。


「まあ、俺達が酒を飲むのは初めてっていうのもあるんだろう。多分トムも俺と同じ……トム?」


「…………」

 

 コップを口に当てたまま固まっているトムにノゾムが声を掛ける。

その時、まるで蝋人形の様に固まっているトムだが、突然テーブルに倒れ込んだ。


「ちょ! おいトム、大丈夫か!?」


「……きゅ~~」


ノゾムが慌ててトムの顔を覗きこむと、彼は顔を真っ赤にして目を回していた。


「あちゃ~。トムの奴、全く酒が飲めなかったのか……」


 マルスはウンウン唸っているトムに水を差しだし、背中をさすってやる。

 酔いつぶれた相手の扱いには慣れているのか、慌てた様子のノゾムとは違って冷静だ。

 春になったとはいえ、夜はまだ少し肌寒い。マルスはトムが寒くならないように毛布を背中に掛けてやると自分の席に戻る。

 隣の席では山のような食事を完全に平らげたフェオが、周囲に集まった客から何かを受け取っている。どうやら周囲の客が、あの料理を完食できるかどうかで賭けをしていたらしく、彼もそのおこぼれに与ったのだろう。何とも逞しい奴である。


「ノゾム。そういえばお前って、どうやってあの技を習得したんだ?」


「あの技?」


 マルスの唐突もない話にノゾムは首を傾げる。


「幻無の事さ。あんな技、簡単に習得なんて出来ないだろ? お前の師匠がどんな鍛練を施したのか気になってな。俺のあの術は未だに上手く制御ができないし……」


 マルスのあの術とは、恐らく気術と魔法の併用術の事だろう。あの事件以来、マルスはむやみやたらにあの術を使うことはなくなった。やはり、あの出来事で彼自身考えることがあったのだとノゾムは思っていた。

 ノゾムの幻無とマルスの併用術とでは大きく異なる点があるが、どちらの術も高い制御力が求められる点には変わらない。

 ノゾムの幻無は気術の基本である“纏い”が基本となっている。気を流し込み、纏わせて武器の強度、切断力を高める基本的な技法。

 対するマルスが求める併用術は2つの術を組み合わせることで効果を倍加させる技法。

 もちろん、どの程度まで術を完成させるのかで、そこに至るまでに要求される制御力や困難さは変化するし、使われる力も違ってくる。

 だが、実の所どちらも今まで培われてきた既存の技法が使われている点では共通している。

 だからこそ、マルスはノゾムが幻無を習得した時の方法が、自分の修練の参考になるのではと思い、ノゾムの話を聞こうと考えたのだ。


「……あんまり参考になるかどうかわからないぞ?」


 ノゾムの言葉に別にいいさとマルスが手を振って答える。

 ならばとノゾムは目を閉じると、ゆっくりと噛みしめるように、幻無を教えられた当時の事を思い出していく。


「とりあえず初めは、どんな技も模擬戦の中で師匠が俺の体に打ちこんできた」


「……幻無もか?」


「幻無どころか、他の技も……」


 重苦しい空気を纏いながら、ノゾムが口を開く。

 それからノゾムが語った内容は効いているだけのマルスですら冷や汗が流れるような内容だった。

 ノゾムの話では、彼の師は実戦形式の模擬戦の中で、いきなり自分の首筋めがけて幻無を打ち放ってきたらしい。

 背筋が凍るほどの剣気と共に必殺の意思を篭めて打ち放たれる極圧縮された気刃。

 その時ノゾムは自分の首が斬り飛ばされた光景を垣間見ていた。

 当時のノゾムに師匠の気刃を見切れるはずもなく気が付いたら後ろにあった大木が真っ二つに断ち切られ、音を立てて倒れていたらしい。

 そして、首筋に痛みと共に刻まれた一筋の紅い線。自分の死を幻視するのも無理はない。

 それからもノゾムはシノとの打ち合いの中で、技を文字通り体に叩き込まれてきた。

 破振打ちを腹に叩き込まれて悶絶し、輪廻回天で全身打撲を負い、塵断で着ていた服を削ぎ落された。

 思い出している内に当時の恐怖が蘇えり、ノゾムの顔に脂汗が浮いてくる。

 一通り技を見せ終われば、後は反復練習の繰り返しだ。ただし、ある程度使えるようになれば、相手は森の魔獣や師匠がとなる。

 能力抑圧が外せない当時のノゾムはとにかく無駄を省くことが何よりも最優先事項だった。

 魔獣相手に気を使い果たせば逃げきれないし、師匠相手に中途半端な技を使えば逆に潰される。

 そんな修練の中でノゾムの幻無はいつの間にか研ぎ澄まされていった。


「そ、それから……その……」


「も、もういい。わ、悪かったなノゾム」


 青い顔をして当時の事を語っていくノゾムにマルスが見ていられずに待ったをかける。

 1年以上こんな修練を毎日させられていたら……下手したら廃人になるかもしれない。

 少なくとも一歩間違えば命を落とす、無茶苦茶な鍛練の日々だったことは間違いない。


「ま、まあ、それだけ聞ければ十分だ。少なくとも俺がお前レベルの剣を身につけるにはやっぱり年単位の修練が必要なのは分かったしな」


 ノゾムの境遇に若干冷や汗を流しながらも、少なくとも一朝一夕にノゾムの幻無の領域にはいけないことは理解したマルス。結局のところ、やはり積み重ねが重要なのだろう。

 単純に周囲をなぎ払うならまだしも、自分のみであの併用術を完成させるにはまだ時間が必要かと感じながら、マルスは天井を見上げる。

 天井に映し出された木の目を眺めながら、マルスは改めて目の前にいる友人の隣に追いつきたいと思っていた。

 

「どうしたんだ?」


 押し黙ったマルスの様子に首を傾げたノゾムが声を掛けてくる。


「ん? いや、俺もまだまだだなって思ってな。俺自身、今まで学園の中でも上位だなんていいながら、ちっぽけなプライドを満たすだけでも満足していたんだって分かったから……ちょっと思うところもあってな」


 マルスは自分でも驚くほど自分の気持ちを吐露することが出来ていた。今までの彼だったら、こんな話は酒でベロベロに酔っ払っても話さなかっただろう。

 先の特捜演習での自分の失敗と、目の前にいる友人との確執。そして、おそらく初めて自分の気持ちを相手に伝えることが出来たことが、マルス自身を大きく変え始めていた。

 

「マルス……」


「でも、お前に負けるつもりはないぜ。俺一人じゃすぐには無理だろうが、必ずお前に追いついて見せる」


 不敵な笑みを浮かべながら、マルスは一気に杯をあおる。ノゾムに対するライバル宣言を何よりも自分自身に刻みつけながら。

 ノゾムは傍らにある自分の刀を眺める。

 ノゾム自身も特総演習での出来事の中には未だに後悔している事もあり、自分がマルスを追い越したなんて思いは全く抱けなかったのだが、それでも自分を認めてくれる目の前の友人の気持ちが嬉しかった。

 師匠から託された刀。その柄をなでながら、ノゾムはマルスに杯を差し出す。

 マルスが差し出された杯に酒を注ぎ、酒瓶を受け取ったノゾムが今度はマルスに酒を注ぐ。

 互いの杯を軽く当て、一気に中身を飲み干す。もう一度結んだ絆を改めて確かめるように。


「あ~。ノゾム君、何飲んでるの~!」


「ぐっ!」


 その時、2人の耳によく聞き知った声が跳び込んでくる。

 危うく呑み込んだ酒を吐き出しそうになるノゾムとマルス。

 少なくともこの声の持ち主の立場を考えれば、酒場で酒を飲んでいる自分達に対してはいい顔しないだろう。

 そう思いながらも恐る恐る声の聞こえてきたほうに顔を向け……呆気にとられた。


「ノ~ゾ~ムく~ん。マ~ル~ス~く~ん。ダメよ~。お酒なんて飲んじゃ~。ヒック」


 目の前にいたのは、まるで可憐な妖精のような容姿と穏やかな日だまりのような笑顔を持った女性。

しかし、今の彼女には慈母のような雰囲気は微塵もなくなっていた。顔は赤く、足取りはおぼつかないなど、どう見ても酔っぱらいのようにしか見えない。事実、その女性……アンリ・ヴァールは酔っ払っていた。

 

「先生も酔っ払っているじゃないですか……」


「だから~。先生は大人だから飲んでもいいのよ~~」


 呂律の回らない口調でノゾムに詰め寄るアンリ。彼女が吐き出す息やっぱり酒臭い。彼女の保護者を探そうとノゾムがあたりを見渡すが、ノルン先生の姿はない。


「……ノルン先生はどうしたんですか? いつもなら一緒にいるんじゃないですか?」


「ノルン~? 今日は~来ていないわよ~。それよりお酒はダメよ~、フェオ君はあんなところで賭け事なんて始めているし~」


 どうやらノルンは来ていないようだ。肝心のストッパー役がいないことに若干不安を感じるノゾム。

 視線の先には牛頭亭に来た客相手に荒稼ぎしている狐尾族の青年の姿がある。先程の完食レースに味をしめたのか、今度はカードゲームで賭けをしているようだ。

 

「こ~ら~。フェオ君~。賭け事は~ダメよ~~」


 アンリがフェオの所に歩いていき、いつもより間延びした声で注意する。だが、本人が酔っ払っているせいで声に力が全くない。いつもなら穏やかに聞こえる口調でも、言うことを聞いてしまいそうになる気迫や凄みがあるのだが……。


「何言ってるんやアンリ先生。ここは酒場やで。酒を飲む場じゃあ無礼講と決まって……」


「だ~め~~~!」


 まるで子供のように両手を上げて詰め寄るアンリ先生。

 その時、フェオの目がキラリと光った。なんだろう、嫌な予感がする。

 ノゾムが妙な胸騒ぎを感じていると、フェオが威勢よく口を開いた。


「ならアンリ先生、勝負や! ワイが負けたらおとなしく酒はやめる。ついでに説教でも罰でもなんでも受ける! その代わり……先生が負けたら脱いでもらうで~~!」


「はあ~~!?」


 フェオが突然言い出した言葉に大声を上げるノゾムとマルス。よく見るとフェオの顔も赤くなっている。

 一体誰だ! アイツに酒飲ませた奴はとノゾムとマルスは内心悪態をつく。

 ただでさえ楽しいことやお祭り好きのフェオ。普段は多少理性で抑えてくれているのかもしれないが、今はその理性が残っているのかどうかも怪しい。

 周囲にいる男達はフェオの言葉を聞いた途端に騒ぎ立て始めた。アンリのような美人のあられもない姿が拝めるかもしれないと思った途端、客達のテンションは一気に最高潮に達し、彼らの雄叫びが牛頭亭の建物をビリビリと揺らし始める。

 その場にいた男達が淀みのない連携を見せて賭けの場を整えていく。

 テーブルの上に乗った器や酒瓶をあっという間に片づけていく。げに恐ろしきは男の欲望。

 フェオとアンリは準備が整えられたテーブルを挟んで向かい合う。

 フェオはまるで悪の親玉のように脚を組んで椅子に背中を預けているが、アンリの裸を想像しているのか、顔がニヤけていて鼻の下が伸びている。酒で赤くなった顔と相まってまるで猿のようなその顔のおかげで、せっかくの悪の総帥のような雰囲気は台無しだった。

 対するすアンリ先生の雰囲気はいつもと変わらない……しかし、酒で赤くなった顔にノゾムは嫌な予感しかしなかった。


「じゃあ~。先生が勝ったら~罰として、先生自らお仕置きするからね~」


 ノゾムの予感が的中し、賭けを受けてしまうアンリ先生。やっぱり正常な判断ができていない。

 しかもお仕置きすると言いながらアンリが持ちだしたのは、彼女の得物である黒色の鞭だった。

 いや、アンリ先生ちょっと待って下さい。さすがにそれでお仕置きは痛いどころじゃすまないです。


「望むところや~~! むしろバッチこ~~い!」


「「ちょっとまてー!!」」


 今のところまともな精神状態を維持しているノゾムとマルスが叫び声を上げる。

 まあ無理もないだろう。はっきり言ってアンリとフェオ、どちらも学生とか教師とかそんな自分の立場を完全に忘れてしまっている。常識とか理性とか、それ以上にもっと大事な何かとか。


「アンリ先生! 何で鞭打ちなんですか!? それにあなたが騒ぎに乗ったら意味無いでしょうが!」


「こらフェオ! この店で大暴れされちゃ困るんだよ! 俺がエナとお袋に殺される!」


「そうそう……って、違うだろ! 問題はそこなのか!?」


「当たり前だろ! 唯でさえこの間の一件で大目玉食らってんだ。今度問題起こしたらどんな目に遭うか分からねえよ! 知ってるだろ! 切れたエナはキクロプスより怖いんだぞ!」


 先の一件とは、この前の特総演習後に荒れた時の事だろう。あの時以来、マルスはエナとハンナに頭が上がらない。元々彼のこの家でのヒエラルキーは低いが。

 マルスの必死な説明にノゾムは一瞬同意しかける。確か以前彼女が切れたときはカウンターの椅子でマルスを殴り殺しかけたような……。


「というかハンナさん達はどうしたんだよ! こんな時に一番頼りになる人達だろ!?」


「無くなりそうな酒の買い出しに……」


「デルさんは!?」


「今、一気に客が来たせいで注文が殺到して厨房から離れられない……」


 ノゾムは頭を抱えた。この場で最も頼りになる戦力が全て手を離せない。それでは自分達だけでこの2人を止めなくてはならないのか?

 店にいる常連客達は既にノリノリでこの勝負を見守っている。

 まさに孤立無援の2人。援軍は見込めない。


「それじゃあ開始~~~!」


「あ、こら! ムグ!」


「ちょっと待って、二人共……のわっ!」


 ノゾム達の苦悩を他所に、アンリの掛け声とともに勝負の火蓋が切って落とされる。

 なんとか止めに入ろうとしたノゾムとマルスだが、周りにいた常連客たちに抑えこまれてしまった。後ろにいた客が口を塞ぎ、隣にいた客が足と腕を抑えこむ。

 なんとも息のあった連携である。それが男の欲望に染まりきった行動であることを考えると頭の痛い話だが。

 必死に抵抗するノゾムとマルスだが、相手の数が多すぎて全く引き剥がせない。

 相手が一般人である以上、下手に気術を使うわけにも行かなかった。


「勝負はカードや。決着の方法は簡単、まずカードの山から5枚引く。カードの交換は2回までで、手元のカードの数字や絵柄の役が相手よりも大きい方が勝ちや!」


「いいわよ~~」


 騒ぎ立てる常連客達の中心で、睨み合う二人の勝負が開始された。








 勝負が開始されてから10分弱。思ったよりも早く、2人の決着はついていた。


「ば、馬鹿な……」


 床に手をついて項垂れるフェオ。結論から言えば、勝負はアンリ先生の圧勝だった。

 フェオもかなり場数を踏んでいたのか、相当自信があったのだろう。

しかし、結局彼は思うように勝てずに追い詰められていった。

 この手の勝負は相手との読み合いなのだが、アンリ先生の表情が勝負の最中全く変わらなかったので、フェオはアンリの手の内を読みきれなかった。

 しばしの間拮抗していた両者だが、勝負の行方が決まったきっかけはフェオが犯してしまった僅かなミスだった。

 アンリはフェオの僅かなミスに浸け込み、傷口を徐々に広げていく。

 終始アンリは全く表情を変えないまま、至極冷静に次の手を打ち続けた。その姿はまるで得物に音もなく忍び寄る蛇のごとし。

 気がつけばフェオは船底に亀裂が入った船のように、沈没寸前の状態になっていた。


「じゃあ~お仕置き決定ね~~」


「や、優しくして下さい……」


 鞭を片手にフェオに歩み寄るアンリ。フェオが負けたにもかかわらず、周囲の熱狂はとどまるところを知らない。もう楽しければどっちでもいいのだろう。

 その時、牛頭亭の入り口が大きな音を立てて開かれた。

 その場にいた全員の注目が集まる。そこにいたのは白髪の老人だった。


「ゾ、ゾンネ?」


 探るように声をかけるノゾムだが、肝心のゾンネはツカツカとまっすぐ項垂れているフェオの元に向かっていく。


「……情けないぞ、狐」


「へ!?」


「それでもお前はこの場にいる男達の代表なのか? 男ならせめて目の前の美女の首掛けの一枚ぐらい脱がせてみせろ!」


 突然、今までの彼からは聞いたこともないドスの利いた声がゾンネの口から発せられた。

いきなりの出来事にノゾムを含めたこの場にいる全ての人間の意識が硬直してしまう。

 当のゾンネは周囲を取り囲む常連客たちを一瞥すると、吐き捨てたように口を開いた。


「不甲斐ない男どもめ。仕方ない、ここはワシが真の男というものを見せてやらなければなるまい!」


 いや、真の男って誰よ……。

 ノゾムとマルスが頭の中でツッコミを入れている内にゾンネはテーブルに付き、まっすぐにアンリを睨みつける。その姿はまさに王のごとし。


「さて、今度はワシが相手だ。その衣、一枚残らず脱がせて見せよう!」


 威厳たっぷりの空気を纏いながら、なんとも情けない台詞を口にするゾンネ。大きく広がった鼻の穴からはプシューっと蒸気が漏れ出し、鼻の下も伸びている。どう見てもいつも通りのスケベ爺の顔だった。


「いいわよ~。負けたらお爺さんもお仕置きね~」


「ワシに後退の文字はない! どこからでもかかって来るがいい!」


 ゾンネの宣言とともに、先程よりも常連客達のボルテージはさらに高まる。

 完全に置いてけぼりを食らっているのはこの騒動を止めようとしていたノゾムとマルス。

 2人はもはや打つ手なく、ただ項垂れることしか出来ない。

 そしてゾンネとアンリ先生の第2戦が始まった。

 互いにカードを引き、捨てると決めたカードを捨てて再び山札からカードを引く。

 準備が整い、互いに視線を交わすと一斉に手元のカードを相手に見せる。


「え?」


「ふふ、ワシの勝ちのようだな」


 ゾンネが不敵な笑みを浮かべて勝利宣言をする。沸き立つ周囲の観客たち。

 アンリ先生はしぶしぶといった様子で首にかけてあるスカーフを外す。


「まだまだ!」


「当然だ。勝負はこれからよ!」


 そして再開される馬鹿げた勝負。アンリ先生は相変わらず先を読めない笑顔でゾンネを翻弄しようとするが、エロ爺はそんなアンリ先生のことなど一切合切無視して自分の道を付き進み続ける。


「えっ!? 嘘……」


 強引とも呼べる手腕でアンリ先生から次々と勝利をもぎ取るゾンネ。その姿はまさに国を支配する暴君のようだった。はたまた再犯を繰り返す露出狂だろうか。

 アンリ先生はゾンネの猛攻の前に一枚一枚と服を脱がされていき、ついに後一枚で下着を見せてしまう所まで追い詰められてしまった。

 そして……。


「またワシの勝ちだな」


「うっ……」


 ついに最後に残ったシャツか、スカートに手をかけなくてはならなくなった。周囲の興奮は最高潮。ふんぞり返るエロ爺の後ろにはフェオの姿もある。

自分では全く刃が立たなかったアンリの痴態を強者の影に隠れて興奮している様はまさに虎の威を借る狐。情けない事この上ない姿だった。


「さあ、お嬢さん。どちらを選びますかな?」


「う、うう、う~~~」


 恥ずかしさから顔を赤くして、涙目になりながら俯くアンリ先生。その仕草だけで周囲の男どもが生唾を飲み込む。

 体付きは妙齢の女性であるが、纏う雰囲気は正しく初な少女というアンバランスさが男の情欲を掻き立てる。

ノゾムとマルスも自分の顔が紅くなってくるのを感じていた。


「さあ、さあ! さあ!!」


 鼻息を荒くして煽るエロ爺とその他大勢。

 その時、ノゾムとアンリの目線が交差した。

怯える少女のような彼女の瞳。縋るようなその視線にノゾムは最期の理性を振り絞って押さえつけている常連客達に抗う。


「おおおお!」


 右手に気を極圧縮して炸裂させる。

 相手を傷つけないように威力を調整しながら、衝撃で右手の拘束が緩んだ隙に腕を引き抜く。そのまま左手を拘束している相手の手を捻り上げて体勢を崩し、相手をそのままマルスを拘束している相手に叩きつけた。


「うわ!」


 マルスを拘束していた相手がバランスを崩す。マルスの拘束が緩み、彼は一気に拘束している客達を跳ね飛ばす。

拘束から逃れたノゾムとアルスがアンリ先生のもとに駆け寄る。

 

「アンリ先生!」


「ノ、ノゾムく~~ん!」


 駆け寄ってきたノゾムにアンリがすがりつく。ノゾムはそっと彼女と抱きとめると、自分の上着を彼女の肩にかけてあげた。


「お前ら……ちょっとオイタが過ぎたみたいだな」


 マルスが周囲にいるゾンネやフェオ達を睨みつける。

 さすがに堪忍袋の尾が切れたのだろう。高ぶった感情が体内の気を揺り起こし、彼の体が気の膜で包まれていた。


「何を言う! 美女の裸が見たい! そして触りたい! あわよくば自分のものにしてあんなコトやこんなコトをしたい! それは男の本能だろうが!」


「こ、こいつら……」


 ゾンネが胸を張って宣言した内容は、やはりお世辞にも胸を張れない内容だった。

この十数分でどれだけ頭を痛めただろうか……。何度目か分からない頭痛にノゾムは大きく天を仰ぐ。


「マルス、この手の類の老人に言葉は無意味だ。力ずくで黙らせないと……」


 ノゾムがアンリを背中に庇いながら、ゆらりとマルスの隣に並ぶ。


「そうだな……ちっと大騒ぎになって、何人か男として再起不能になるかもしれねえけど、別にいいだろ。特にあの爺は……」


「ああ、どうせ師匠と同じで話をしても聞いてなんてくれないんだ。なら、力づくしかないよな……」


 ノゾムが腰に差していた刀に手を掛ける。さすがに抜刀する気はないが、目の前の爺にそれなりに痛い目にあわせてやるという気持ちはあった。

 過去のトラウマ故か、ノゾムはこの手のタイプの老人に容赦する気持ちはない。

 今の彼はまるでティアマットに幻覚を見せられていた時のような濃密な殺気で、眼の前にいる諸元の悪を睨みつけている。

 マルスもまた全力で気を高ぶらせ、両手に風の塊を纏わせていた。


「皆! 奴らはワシらを裏切った裏切り者だ! 遠慮は無用! 目の前の美女をワシらから連れ去ろうとする大罪人を断罪するのだ!」

 

「おおおおおおおおおお!」


 建物が壊れるのではないかと思えるほどの雄叫びが響き渡る。大勢の色欲と嫉妬に狂った男衆がノゾム達めがけて殺到しようとした時……。


「……これはどういうことですか?」


 冷徹な声が周囲の温度を一気に奪い取っていった。

 店の入り口に佇むのは一人の少女。普段は可愛らしい容姿と明るい笑顔で訪れたお客を癒す天使。しかし、今の彼女はまるで地獄から這い出てきた鬼のような表情だった。


「もう一度聞きます。これは、どういうことですか?」


 まるで聞き分けの悪い子どもに言い聞かせるように、ゆっくりと一言一言を丹念に口にするエナ。

 一気に静まり返る男衆。先程まで威勢よくアンリに迫っていたゾンネも完全に目の前の少女に圧倒されていた。


「お店をメチャクチャにしたのは、あなた達ですね……お客様なら饗すんですけど、そうでないなら……」


 エナがカウンターの椅子に手を掛ける。

 彼女の全身から気が溢れ出し、風となって周囲を駆け巡り始める。

 ノゾムは自分の背中に冷や汗が流れるのを感じていた。隣にいるマルスにいたっては病人のように顔面蒼白になっている。


「お、お嬢さん。これは聖戦なんじゃ! 美しい女性は男達の共通財産! 美女を独り占めする愚か者どもに、ワシらは鉄槌を下さねばならん。そうしなければ世界は変わらんのじゃ!」


 般若の形相で笑いかけてくるエナに完全に及び腰になっていたゾンネだが、それでも自分の気持は偽れないのか、残った勇気を振り絞って胸を張る。

 そんなゾンネの勇姿に力を貰ったのか、後ろにいた男達が次々と口を開いで自分の思いの丈をぶちまけ始めた。


「そうだ! 俺なんて ついさっき振られたんだぞ! 貴方のこと、嫌いじゃないけど御免なさいって……」


「バカ! 告白しようとしたら目の前で別の男に告白されていた時よりはマシだろ! しかも相手は自分よりイケメンだったり……」


「何いってんだ! 俺なんて告白する以前にその子に嫌われているって分かっちゃったんだぞ! いつも笑顔で微笑みかけてくれているから悪くは思われていないんだなって考えたら……物陰で……う、うぐぅ……」


 いったいその時何を言われていたのだろうか。言いようのない哀愁が男達を包み込んでいく。

 ノゾムとしても彼らの姿に共感できる部分はあるので、何だかこのまま叩きのめすことに罪悪感を覚え始めていた。もっとも、あちらの人間になりたいとは到底思えなかったが。


「……いずれにしろ。店で大騒ぎしたあなた達をこのまま返すわけには行かないんです。きっちり落とし前つけてもらいますから、覚悟してくださいね」


 可愛らしい顔で笑顔と殺意を振りまき始めるエナ。もはや彼女を止めることが出来る人間はここにはいなかった。


「こ、ここでワシらを倒しても、いずれ第2、第3の戦士たちが……」


 ゾンネの言葉は最後まで発せられることはなく、アルカザムの一画にあるとある酒場で局地的な嵐が荒れ狂った。

 ちなみに、フェオが賭けで稼いだ金はすべて店の備品の弁償代に消えていき、彼は再び極貧生活を送ることになるのだが、それはどうでもいい話である。



無理矢理ギャグを書いた結果がこれですか……。

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