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第5章後日談

“うっ……”


 部屋の中に呻き声が小さく響くと、ベッドの上に寝かさていたノゾムの瞳がゆっくりと開かれた。


“……こ、こは、どこだ?”


 寝かされていたノゾムの目に飛び込んできたのは、灰色に染まった世界と木をくみ上げて作られた天井。だが、寮にある自分の部屋の天井ではないし、フランシルト邸のような豪奢なものではない。


“一体、何が……くっ!”


 そもそも自分は森の中にいたはずだ……。そう思いながらもベッドから起き上がろうと試みる。

 しかし、体に走る痛みに体を起こすこともままならず、ベッドに倒れ込んでしまう。

 よく見れば全身にはあちこちに治療の跡が見て取れた。特に両腕にはこれでもかと包帯が巻かれ、決して動かせないようにガチガチに固定されている。

 開けられた窓からは太陽に光が差し込み、森での戦いからかなりの時間が経過しいていることが如実に感じられた。

 ノゾムは体に負担がかからないようにゆっくりと動かして、もう一度起き上がろうと試みる。

 相変わらず体には鈍い痛みが走るが、少しずつ少しずつ這うように体を起こし、窓の奥の景色を覗き込む。

 今ノゾムがいる部屋は建物の2階にあるのか、正面には向かいの家の屋根に鳥が止まっている景色が目に飛び込んでくる。下を見下ろすと通りを行きかう人たちの姿が見えた。

 その時、ノゾムは自分の体に違和感を覚えた。


“あれ? おかしいな。音が聞こえない。それに目も……”


 窓の奥に見える景色……いや、視界のすべてが白と黒に染まったままで、向かいの家の屋根に止まっている鳥のさえずりも、通りを行きかう人たちの喧騒も聞こえない。

 試しに“あーあー”と言葉を発しようとするが、やはり自分の耳には何も聞こえなかった。


“まさか、あれが原因か?”


 思い当たることは能力抑圧の解放と、かの龍の力を直接行使したこと。

 ティアマットの力を使う以前は耳も目も正常だったことを考えると、原因は間違いないだろう。

 ノゾムは大きく息を吐きながら天を仰ぐ。

 とにかく生き残れたことは嬉しい。正直、死んでもおかしくない状況だった。

 突然復活し、襲いかかってきた屍竜と本格的に自分を乗っ取ろうとしてきたティアマット。さらに倒したはずの屍竜は再び復活し、大きく変貌した姿で再び襲いかかってきた。


“みんなは、無事なんだろうか……”


 彼女たちの安否が気になるノゾム。

 状況を考えれば彼女達がノゾムをここまで連れてきたということなのだろうから、無事だとは思う。しかし、姿が見えないことには胸の中にこびり付いた不安は消えてくれない。

 だが、今のノゾムは碌に動けない。

 視覚と聴覚の異常を抱えて、全身に負った傷もまだ癒えていない。出歩くことはとても出来る様な状態ではなかった。

 それでも何とか立ち上がろうとベッドの縁に腕を掛けて起き上がり、仲間たちを探しに行こうとする。

 その時、ノゾムの視界の端に見えていたドアが開かれ、誰かが部屋の中に入ってきた。


“あっ……”


 灰色に染まった視界の中、ノゾムと部屋に入ってきた人物達との視線が交差する。

 流れるような長髪と吸い込まれるような瞳をもつ2人の少女。一人はエルフ特有の長い耳を持っている。アイリスディーナとシーナだ。

 ノゾムの手当てをしに来たのか、彼女達は両手には包帯やガーゼを抱えている。

 起き上がっているノゾムを見た彼女達は慌てた様子で何かを叫ぶと、ノゾムの傍に駆け寄ってきて無理矢理彼をベッドに寝かせる。

 よほど慌てていただろう。傷に痛みが走り、ノゾムは呻き声をあげてしまう。

 痛みで顔を顰めたノゾムの様子を見た2人は慌ててノゾムを抑えていた手をどけると、シーナが踵を返して部屋を飛び出していく。おそらく他のみんなを呼びに行ったのだろう。

 アイリスディーナはノゾムにこれでもかと顔を近づけて何かを叫んでいる。

 ノゾム本人には何も聞こえないのだが、なにやら叱りつけるような雰囲気だ。時折ノゾムの体を触って傷の状態を確かめてもいる。

 そして心配そうな顔をしながら傷を確かめ終わると、再び目を顰めて説教モードに突入するアイリスディーナ。

 ノゾムとしては声が聞こえないので、今一真剣さというか臨場感に欠けるので、心配してくれる彼女の想いに頬が緩みそうになるのだが、その度にアイリスディーナの目つきが鋭くなる。

 アイリスディーナがさらにノゾムに詰め寄ってくる。

 さすがにこれ以上怒らせるはまずいと思ったのか、ノゾムも何とかアイリスディーナをなだめようとした。

 しかし、ノゾムにはいま彼女が何を言っているのか分からないので、どうにも答えようがない。

 ヒートアップしていくアイリスディーナと、どうにもできずにオロオロするノゾム。その時、複数の気配が部屋に入ってきた。


 ノゾムとアイリスディーナの視線が入ってきた人達に向けられる。

 そこにいるのはやはりあの時森にいた仲間達。誰一人欠けた様子もなく、これといった重傷を負っているものもいない。

 その姿にノゾムはほっと胸をなでおろす。少なくとも、仲間達があの窮地から脱することができたのなら、自分の感覚が欠けたことも無駄ではなかった。

 ノルンがアイリスディーナに何か言うと、彼女は恥ずかしそうに顔を赤らめてノゾムから離れる。

 モジモジしながらノゾムを恨めしそうに睨むアイリスディーナ。その姿に先程まで互いの息がかかるほどの距離まで顔を近づけていたことに気付き、ノゾムの顔も今更ながら赤くなってくる。

 その時、両手を上げて呆れるようなしぐさをしながらノルンがノゾムの傍に寄ってきた。

 何を言われたのか分からないが、アイリスディーナが頬を膨らませている。

 ノゾムの傍に来たノルンは傷の様子を確かめながら何かを言ってくる。

 しかし、耳が聞こえなくなっているノゾムは首をかしげることしかできない。

 その時、様子がおかしいことに気付いたノルンの表情が一瞬厳しいものに変わる。

 寝ぼけている頭を起こすように、ノゾムはブンブンと首を振った。それが功を奏したのかは分からないが、徐々にノゾムの視界に色が戻り、辺りに響く音が聞こえてくるようになる。


「だ、大丈夫です。ちょっと寝ぼけていたみたいで……」


「そうか……とりあえず傷の様子を診るから、みんなは外に出ていてくれ」


 ノルンが診察をするからアイリスディーナ達に外に出るよう促すが、ノゾムが心配なアイリスディーナやシーナが口を挟んできた。


「え? しかし……」


「ノルン先生、診察くらいなら別にここにいても……」


「診察だから服を脱いでもらうことになるな。アイリスディーナ君、シーナ君、君はノゾム君の裸が見たいのかい?」


 ノゾムの裸……。

 その言葉を聞いた2人の顔が見る見るうちに赤くなっていく。


「うっ……」


「し、失礼します」


 アイリスディーナとシーナが慌てた様子で部屋から出て行く。

 彼女達に促される様に他のみんなもぞろぞろと部屋から出て行き、扉が閉じられる。アンリはノルンの手伝いをするためか部屋に残っており、彼女達は改めてノゾムと向き合った。


 事態がよくわからず、戸惑うだけのノゾムの様子を観察しながら、ノルンはテキパキとノゾムの上着を脱がせると診察を始めた。

 ノゾムの身体を触診しながら怪我や体の内側の状態を調べる。その手には魔力光が輝き、診察に魔法も併用しているのが見て取れた。

 ノルンが触診をしながらノゾムに問いかけてくる。


「ノゾム君。もしかして、さっきは耳が聞こえなかったのかい?」


「はい……。今は一応聞こえていますが」


 ノルンの問いかけに答えるように頷くノゾム。

 その言葉を聞いた彼女は頭の中でその原因をいくつか思い浮かべながら、ノゾムの診察を続けていく。


「君が倒れてから5日ほど経過している。ここはアンリの部屋で、君はあの後すぐにこの部屋に運び込まれたんだ。体は他にどこか異常を感じるかい?」


 ノルンの質問にノゾムは頷くと、先程まで聴覚だけでなく、自分の視界も灰色に染まったままだったことを話していく。

 まだ聴覚は正常に戻っておらず、どこか遠い声の様に耳の奥で反響していたが、とりあえず話の内容は聞き取ることは出来た。


「それはおそらくあの力の解放が原因で体内の気脈や神経系統が一時的にマヒしてしまったことが原因だろうな」


 気脈は体内に流れる生命力の流れだ。

 生物はこの世界に存在する源素を呼吸や食事などのあらゆる手段で取り込み、利用している。

 大まかに分ければ肉体の力である気と、精神の力である魔力に分けられ、気術は気脈の流れの一部を汲み上げることで使用する。

 気脈が生命力の流れである以上、これに異常をきたせてしまうと最悪の場合、シノのように死に直結する事態になりかねない。


「正直、酷い怪我だった。出血は中々止まらないし、意識も戻らない。薬を湯水のごとく使って治癒魔法をかけ続けていたから助かったけど、そのままだったら間違いなく失血死していただろうね」


 ノルンはノゾムの体を手に魔力を込めて触診しながら、慎重にノゾムの気脈を探っていく。

 彼女の言葉通り、ノゾムの身体は過剰な力の連続使用で衰弱してしまい、治癒魔法の効果も減退してしまった。

 治癒魔法は怪我人の治癒能力を促進する魔法なので、怪我を負った本人の生命力が低下すると、どうしても効力が落ちてしまうのだ。


「傷自体は君が寝ている間に診断した時より良くはなってきているし、気脈自体も損傷しているわけじゃない。感覚の狂いは一時的なものみたいだし、体が快調に向かうにつれて治ってくると思うが、今は安静にしたほうがいいだろう」


 診察の結果を簡潔にノゾムに伝えたノルンだが、今度は少し叱るような口調で、ノゾムをたしなめてきた。


「無茶をしすぎだ。今回は偶々運が良かったが、下手をすれば死んでいたし、一生残る障害を背負っていてもおかしくなかったんだぞ?」


 ノゾムはノルンの言葉に頷くとアイリスディーナ達が出て行った扉に目を向ける。

 5日も寝たままだとしたら、彼女達にも相当心配をかけただろう。


「みんな心配していたよ。私とアンリで交代しながら君を診ていたのだが、アイリスディーナ君達も夜遅くまでここにいて手伝ってくれたよ」


 ノルンの言葉が彼の考えを肯定する。

 困ったな。心配させるつもりはなかったんだけど……。

 ノゾムが困った様子を見せていると、診察が終わったのか、ノルンがノゾムの肩に上着を掛けてくれた。


「でもまあ、こっちは私とアンリに任せておきなさい。今はしっかり休むといい。体がよくなれば、彼女達の心配も消えていくだろうからね」


「はい……」


 ノルンの後ろにいるアンリに目を向けると、彼女はいつもと同じように笑みを浮かべて頷いた。

 アイリスディーナ達のことは確かに気になるが、ノルンの言うとおり、今はとにかくこの体を治すことに専念しようと考えるノゾム。

 ノルンが椅子から立ち上がり、部屋を出て行こうとする。

 しかし、彼女は戸惑うように足を止めると、もう一度ノゾムに振り返った。


「ノゾム君、君の中にいるあの龍についてだけど……」


 何処か戸惑うような声がノゾムの耳に響く。心配そうな瞳で自分を見つめてくるノルンの視線を、ノゾムは真っ直ぐに受け止めながら彼女の言葉を受け止めていた。


「ノゾム君。君もあの力の危険性は十分認識していると思うが、医者として、教師としてあえて言わせてほしい。あの力を使うことは……」


「……分っています。アレを使い続けたらどうなるか。アイツ自身から嫌って程、頭の中に叩き込まれましたから」


 自分が死ぬだけならまだいいだろう。だが今回のことは、周囲にいる人達にその力が向けられる事を現実に示してしまった。

 今回は誰も死なずに済んだが、ノゾムがティアマットの力を抱えている限り、暴走の可能性は常にあるのだ。

 ノゾム自身も十分に理解している。その身で思い知っている。それが原因で悩みを自分の中に抱え込んでしまい、今回アイリスディーナ達と険悪な雰囲気になってしまったのだから。


「でも、逃げることもできません。逃げても結局は俺の周りが傷つきます。そして一番最初に傷つくのはアイリス達……俺はそんなの御免です」


 しかし、現状ではこの力をノゾムから引き剥がす方法がない。

 ならば、彼に出来る選択は二つしかない。あきらめて何もかも投げ出すか、それともこの力と向き合い、自分と融合したティアマットを完全に御するか。

 そして、ノゾムはもう前者の選択を選ぶことは出来ない。

 自分達が殺されるかもしれないのに暴走した自分達を止めようとしたアイリスディーナ達。そこまでして自分を受け入れてくれた彼女達に背を向けることは出来なかった。


「もちろん、俺とアイツの力の差は歴然です。でも、もう惑わされたりしません。たとえ死んでもこの意思だけは譲る気はありません」


 ギュッと拳を握りしまながら宣言するノゾム。その言葉は何よりも自分自身に向けられていた。


「できると思うかい? 相手は伝説の巨龍だよ?」


 ジッと目を細めてノルンはノゾムを見つめる。

 まるで今の彼を見極めるようなその視線を受けとめながら、ノゾムは一度大きく息を吸うとはっきりとした口調で言い放つ。


「俺一人では無理でしょうね。でも大丈夫です。俺にはちゃんと帰れる場所がありますから……」


 そう、今の彼はもう一人ではない。

 そう言い切ったノゾムはどこかに漂い、消えてしまいそうな雲ではなく、荒野に根付いた一本の樹を思い起こさせる。

 それは彼が手に入れた絆。

 まだ小さくて心許ないが、迷い、悩み、道を見失った時に指標となる道標の1つ。

 ノゾムの心の中で芽吹いた小さな芽が、大きく育ち始めた瞬間だった。


「そうか……ならその気持ちを忘れないように、アイリスディーナ君達を大事にしなさい」


 その答えに満足したのか。ノルンは強張っていた瞼を緩めると、口元に笑みを浮かべながら踵を返す。

 ノルンの言葉にノゾムはゆっくりと頷くとベッドに横になり、改めてアイリスディーナ達の顔を脳裏に描きながら瞳を閉じた。

 やはり体は休息を求めているのか、ノゾムはすぐさま寝息を立て始める。

 アンリとノルンが彼に負担を掛けないように音を立てずに部屋を出る。扉の向こうはすぐにリビングになっており、暖炉やテーブル、椅子などの家具が置かれている。

 橙色のカーテンや明るい色で統一された内装はアンリが住む部屋らしく、暖かい女性特有の匂いが漂っていた。

 リビングではアイリスディーナ達が心配そうにこちらを見守っている。やはり話の内容が気になっていたらしい。


「さて。ノゾム君の状態だが、解放したあの力のせいで一時的に感覚が狂っていたみたいだ。今でも少し音が聞き取り辛いらしい」


「っ!!」


 その言葉にアイリスディーナ達の顔に緊張が走る。


「大丈夫、さっきも言ったけど一時的なものだし、とりあえず峠は越えている。ゆっくり休んで体を治せば問題ないよ」


「そうですか……」


「…………」


 ノルンは努めて明るい口調でノゾムの容体を説明する。

 しかし、一応の返事は返してくるものの、アイリスディーナたちの表情はみな一様に暗い。

 ノゾムの事が気になって仕方ないのか。視線はノゾムが寝ている部屋のドアに釘付けになっている。


「……心配かい?」


「はい……」


 ノルンの問いかけに力なく答えるアイリスディーナ。

 彼女たちの気持ちを察したのか、ノルンとアンリは小さく笑みを浮かべていた。


「私達はちょっと外に買い出しに行ってくる。薬が底をつきそうだからね。診察の後、彼はすぐに寝入ってしまったが状態は安定している。しばらくすれば彼も目が覚めるだろうから、他のみんなは彼の様子を見ていてくれないか?」


「はい、分かりました」


 アイリスディーナの返答を聞いて部屋を出ていくノルン。

 一応荷物持ちとしてフェオとマルスをつき従えて、彼女は街の喧噪の中へと消えていく。


「さて、私はとりあえずお茶を入れてくるわ~。ノゾム君が起きるまで時間があると思うし、少し休憩しましょう~」


 アンリがお茶を入れるためにカップや茶葉を用意し始め、アイリスディーナたちも手伝おうとする。

 ノゾムの意識が戻るまで交代しながら彼の様子を見守り続けてきたが、たとえ休んでいても彼の容体が気になって碌に眠れなかったことは確かだ。

 ノゾムの容態が一応の峠を越えたことが分かり、とりあえず少しではあるが気持ちに余裕が出来てはいる。

 しかし、緊張の糸は張り詰めたままで、まだ本当の意味で安心できていなかった。

 それも見越した上でノルンはアイリスディーナ達に休むように言ったのだが、心配なものはしょうがないのだ。

 とりあえず、お茶の支度をしながらも、彼女達の意識はずっと壁板一枚隔てた隣の部屋に向けられ続けていた。









 ノゾムの事が気になりながらも一息入れ、天に上っていた太陽が沈み始める頃、アイリスディーナは悪いと思いながらもノゾムのベッドの傍で彼の寝顔を眺めていた。

 彼が起きたら何を話そうか。何を聞こうか……。

 今まで遠慮してしまい、聞けなかったことがたくさんある。話したいことがたくさんある。


「……ノゾム」


 目の前で眠る人の名を呟きながら、そっと彼の頬に触れる。

 まだ傷が治りきっていないからだろうか。触れる肌はまだ熱っぽく、トクン、トクンという脈打つ鼓動をアイリスディーナの手の平に伝えてくる。


「大変だったけど……よかった」


 傍で眠る彼の顔は安堵に包まれており、窓から吹き込むそよ風が優しく彼の顔をなでていく。


「……アイリスディーナさん」


 ドアをノックする音とともにシーナが部屋に入ってきた。

 彼女はアイリスディーナの隣にやってくると、同じようにノゾムの寝顔を覗き込むと頬を緩めた。

 彼女が見る先には安心した顔で眠るノゾムがいる。

 今ここにちゃんと彼がいて、今生きていることを肌で感じ取れる。

 彼女達の心の奥で張り詰めていた緊張の糸がようやく解けてきた。


「んっ……」


 その時、ノゾムの瞼がゆっくりと開かれていった。やや呆けた様子の瞳が自分を覗き込んでいる2人の顔を映している。


「起きた……のか?」


「あ、ああ」


 アイリスディーナの呟きにノゾムがやや擦れた声で答える。


「っ! 私達の声が聞こえるの!?」


「う、うん。目も問題ないみたいだし、耳もちゃんと聞こえているよ」


「よかった……」


 ノゾムから耳がちゃんと聞こえるようになった事を聞いたアイリスディーナとシーナが安堵の息を漏らす。

 その時、ドアを開けて隣の部屋にいたマルスたちが駆け込んできた。


「ノゾム、大丈夫か?」


「ヤッホー! ノゾム君。まだ生きてる?」


「ミムル、不謹慎だよ。よかった、ちゃんと感覚は戻っているみたいだね」


 先程の話を聞いていたのだろう。

 ノゾムの感覚が戻ったことに安心した様子でマルス達はノゾムに声をかけてくる。


「みんな……心配させてすまない」


「全くや、おかげでワイは大散財やで。なあノゾム。そこで相談があるんやけど、あの刀、ワイに譲って……ぶっ!」


「何言ってるのよ。こんな時によくそんな浅ましい事言えるわね」


 フェオの場の空気を読まない発言にシーナの拳が飛ぶ。

 鼻っ面に強打をくらったフェオが痛そうに鼻を押さえ、涙目でシーナを睨みつけていた。


「殴らんでもええやないか! 冗談に決まってるやろ! 場を和ませようと思ったワイの気遣いや! ……まあ、貰えるんならありがたく貰うんやけど」


「無事でよかったわ。もう、あなたは心臓に悪いことばかりするんだから……」


 シーナに文句を言いながら、ノゾムとの交渉を再開しようとするフェオ。

 もちろん刀云々は冗談で、彼なりの気まずくならないように気を使っての行動なのだが、彼の気遣いは文字通りシーナに一刀両断されてしまう。


「ふふ……あなたも私の事言えないんじゃないの? 私よりもよほど馬鹿かもしれないわね」


 微笑みを口元に浮かべながら、ニコリとノゾムに笑いかけるシーナ。

 初めて会った時の刺々しい雰囲気が微塵も感じられない慈母の様な笑顔に、その場にいた親友のミムルも驚きの表情を見せる。


「あの~。ツッコミはあらへんのですか? ワイ1人だけボケるのは悲しいんですけど。せめて一人ぐらい乗ってくれても……」


「でも、ちゃんと帰ってきてくれて嬉しいわ。これからもよろしくね」


 シーナが手を差し出し、ノゾムに握手を求める。

 本来なら感動的な場面だが……。


「…………」


 後でいじけている狐尾族の少年が思いっきり台無しにしてしまった。

 笑いを取ろうと思って張り切ったら、存在すらも無視されたフェオ。哀れと言えば哀れである。

 暗い影を背負いながら、部屋の隅に蹲る彼の背中に乗せられたマルスの手がさらに彼の哀愁を誘っていた。


「う、うん、みんなよろしく。ところで、あの刀って……」


「これの事だ」


 差し出されたシーナの手を戸惑いながらも握り返したノゾムの問いかけにアイリスディーナが答える。

 彼女が差し出したのはひと振りの刀だった。

 簡素な柄と鍔をつけただけでこれといった装飾はないが、この刀そのものに込められた何かが、不思議と見る者を惹きつける。


「これって……師匠の刀」


「この刀は炎を免れたらしくて、小屋の焼跡の傍で見つかったんだ。大事なものだと思ったし、これからの君に必要になるんじゃないかなって思ってね」


 そう言いながらアイリスディーナはノゾムに刀を手渡す。おそらく小屋の扉に立て掛けてあったこの刀は、小屋が崩落した時の衝撃で屍竜のブレスの範囲から逃れたのだろう。

 師からその想いと共に譲られた刀。今までは持つ勇気がなく、あの小屋に置いたままにしていた。

 しかし、手渡された刀はまだ振ってもいないのに、不思議とノゾムの手に馴染んだ。まるで、もうすでに彼を主として認めているように。


「ありがとう。本当に……」


 万感の胸に抱いて、ノゾムはアイリスディーナ達に礼を言う。

 ノゾムの礼を満面の笑みを浮かべながら受け取るアイリスディーナ達。

 彼女はベッドの傍にある椅子に腰かけると、そのままノゾムの顔を覗き込む。


「ノゾム。聞かせてくれないか。君のことを、もっと……」


 もっと彼の事が知りたい。胸の奥に疼いている熱が増していくのを感じ取れる。

 以前はあれだけ迷っていたことが嘘のように、アイリスディーナはノゾムに話しかけることが出来ていた。


「そうだな、何から話そうか……。俺の故郷は周りは山に囲まれていて……」


 彼女の端正な顔立ちと艶のある白い肌に鼓動が高鳴るのを感じながら、ノゾムはゆっくりと故郷のことを話し始める。

 穏やかに時間が流れ、夜の帳が下りる。

 でもその日、小さな部屋の明かりは途絶えることはなく、みんなの笑い声が辺りに木霊していた。







 夢を見ている。灼熱の業火と助けを求める人達の声が響き渡る地獄の光景。

 崩壊したアルカザムの中でノゾムは再び、唯一人佇んでいた。


「アイツか……」


 肌を焼く熱と周囲にまき散らされたかつて人だった者から発せられる異臭。現実としか思えないその光景がノゾムの目の前に広がっている。

 しかし、ノゾムはその光景を今までとは違う感覚で眺めていた。

 5感は目の前の地獄の様相を正確にノゾムに伝えてくるが、まるで幕がかかっているような感じを覚える。


「…………」


 今のノゾムは目の前の光景が幻覚であると認識できていた。

 ノゾムは無言で能力抑圧を解放。取り込んだティアマットの力を全て解放し、右腕に集約すると、全力でその拳を地面にたたきつける。

 解放された5色の力が再び灼熱の地獄を蹂躙し、偽りの世界を砕いて塵に帰していく。

 アルカザムが砕け散った瞬間、ノゾムはあの暗い湖畔に立っていた。目の前には山のような巨体がそびえている。


“グルルルル……”


 忌々しそうにノゾムを睨みつけるティアマット。その視線には、目の前にいる矮小な人間を焼き尽くさんばかり憤怒が篭められていた。

 ティアマットが5色の翼を広げ、空中に無数の光球を作り上げる。

 闇に染まった空を埋めつくさんばかりに広がる5色の光球。まるで夜空の星々のように光球が瞬く中、ノゾムはただまっすぐに目の前にいる巨龍を睨みつけていた。

 幻覚でノゾムを絶望させることが出来なかったティアマット。今度は力ずくでノゾムの精神を破壊しようとしてくる。

 腰を落とし、全身に気を行きわたらせる。右腕には先程放った全力の滅光衝で激痛が走っているが、それでも構わない。

 天を覆い尽くした無数の殺意の塊がノゾムに向けられる。

 背筋が凍るような感覚と押し潰されそうな圧力。気が付けばノゾムの右手が小刻みに震えていた。

 

「っ! 相変わらず……シャレになってない」


 背中に流れる冷や汗と、壊れそうな勢いで鼓動する自分の心音を聞きながら、ノゾムは必死に萎えそうになる精神に活を入れる。

 彼我の力量差は考えるだけ無駄だ。でも、譲ってなんてやらない。あの極炎のブレスに灰にされたとしても、絶対に譲らない。

 自分の帰る場所を頭に思い浮かべる。手は……もう震えていなかった。

 彼女達の顔を今一度脳裏に焼き付け、ノゾムは腰に差してある刀に手を沿える。


「ガアアアアアア!」


 奴の咆哮とともに、天を埋めつくした光球が一斉にノゾムめがけて降り注ぐ。

 空が落ちてきたのではと錯覚するほどの殺意の塊が迫りくる中、ノゾムは瞑目しながら、再び自分の内にある巨龍と同質の力を再び呼び起こす。


「うぐっ!」


 全身に走る激痛に真っ白になる視界。

 奥歯を砕くほど噛みしめながら、それでも必死に自分の意識を保とうとするノゾム。

 混沌の光がノゾムの体を包み込み、全身が悲鳴を上げる。

それでも己に迫ってくる光の流星群を睨みつける。5色に輝く光の尾を引き連れて、ノゾムは迫りくる光群に向かって駆け出した。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 小さな誤字とか指摘するより読み進める方を優先してましたが >簡素な柄と唾をつけただけでこれといった装飾は これはさすがに気になったので 師匠の形見に唾つかないでください 鍔ですね
[良い点] 師匠の刀を使わないってってなんかのフラグなんだろうなと感じていましたが、ここで回収したんですね。これからは師匠と一緒に戦っていくノゾムに期待です。
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