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第5章終幕

お待たせしました。第5章終幕です。


「キシャアアア!」


 竜像が金切り声の様な咆哮を上げて大空へ飛翔する。

 空に輝く月に向かって羽ばたいて、人の手では絶対に届かない上空へ舞い上がっていった竜像はその身をくるりとその身を翻すと、今度は月の光を背に受けながら一直線にノゾム達めがけて急降下してくる。


「コァアア……」


 急降下してくる竜像の口から白い光が漏れる。口腔から輝く光が一際大きくなった瞬間、竜像の口から巨大な光弾が地上にいるノゾム達に向かって発射された。

 あっという間に迫ってくる巨大な光弾に、まるで星が落ちてきたかのような錯覚をノゾム達は覚えた。


「危ない!!」


「ちい!」


「え~い!!」


 咄嗟にティマ、フェオ、そしてアンリ先生が前に出て、3人で3重の魔法障壁を展開する。一拍の後、障壁に光弾が着弾した。


「ぐうぅう……」


「あああ!」


「きゃ!」


 轟音と閃光を撒き散らして光弾が炸裂する。

 爆風で障壁を張った3人と前衛にいたマルス、ミムルが吹き飛ばされ、展開した魔法障壁はガラスが割れるような音と共に霧散してしまう。

 上空では再び高度を取った竜像が急降下してくる。その口からは先程光弾を発射したときと同じ光が漏れていた。


「また来るぞ!」


 マルスの掛け声と共に、再び発射される光弾。その破壊的な光は再びノゾムに向けられていた。


「まず……ぐあ!」


 ノゾムはすぐさま立ち上がろうとするが、全身に走る激痛に呻いてしまい、気が付いた時には既に回避する機会を逸してしまっていた。

 高速で迫ってくる光弾。避けることは間に合わず、ティマ達の魔法障壁も間に合わない。元々魔法は使えず、今は気術も満足に扱えないノゾムに竜像のブレスを防御することなど到底不可能だ。

 何とか目の前にいるアイリスディーナとシーナだけでも逃がそうと腕に力を篭め、彼女達を突き飛ばして光弾の進路上からに弾き飛ばそうとするが、彼の腕にはそんな事をする余力すら残ってはいなかった。

 

「くっ……!!」


 動かない身体に鞭を打ち、無理矢理光弾の進路上に自分の身体を割り込ませようとするノゾム。

 前触れもなく復活した屍竜。その体は金属化していたり、吐き出すブレスも炎の吐息ではなく光の塊になるなど著しく変質している。

 何が起きているのは分からないけど、とにかく彼女達でも……。

 そんな思いに突き動かされるように、ノゾムは必死に体を動かそうとする。

 だが、ノゾムがアイリスディーナ達を庇うよりも速く、彼女達が逆にノゾムを庇うように彼の前に躍り出た。


「シーナ君!」


「分かってるわ!」


 アイリスディーナが彼女の名前を呼ぶよりも早くシーナが動く。素早く矢筒から矢を引き抜いて弓に番え、同時に魔力を叩き込む。

 アイリスディーナもまた魔力を猛らせ、即時展開で瞬時に術式を構築。その手に一抱えほどもある闇に包まれた一本の槍を作り上げた。


“深淵の投槍”


 術者の魔力を闇に変換し、限界まで槍状に凝縮して投げ放つ魔法。

 凝縮して放つ点が“尖岩舞”と似ており、槍という形状から分かる通り、一点突破に適した形状をしている。

 隣にいたシーナの矢にも魔力の光が迸っており、彼女は迫りくる光弾を睨みつけながら、狙いを絞っている。


「はあああ!」


「ふっ!」


 アイリスディーナが手に持った深淵の投槍を投げ、シーナが番えた得た矢を打ち放つ。竜像の光弾に対してアイリスディーナの槍、そしてシーナの矢が空中で正面衝突した。

 深淵の投槍と星海の天罰は竜像の光弾にめり込むと、次の瞬間に魔力を撒き散らしながら炸裂した。

闇と光を撒き散らしながら竜像のブレス弾の前側半分を吹き飛ばし、形状を維持できなくなった光弾が光の粒になって消えていく。だが……。


「ギリャアアア!!」


「なっ!」


「しまっ……!」


 空中で舞い散る光の粒を掻き分け、一直線に竜像がノゾムめがけて突っ込んできた。そのまま金属化した顎でノゾムに食らいつこうとする。

 大技を使用したことで隙を晒していた2人は対応が間に合わない。ノゾムは身動きが取れず、治療に専念しているノルンもまた動けない。


「させっかよおお!」 


「てえええいやあ!」


 だがその時、大声を上げながら横合いからマルスとミムルが突進してきた。竜像が高度を取っている内に体勢を立て直した彼らは、アイリスディーナ達のフォローの為に全身に気を巡らせて待機していたのだ。

 瞬脚で一気に間合いを詰め、マルスは風の刃を纏わせた大剣を竜像の脇腹に叩き込み、ミムルはマルスとタイミングを合わせてドロップキックをぶちかます。

 同時にマルスは塵風刃を解放。ミムルは両足に込めていた風の魔法を発動した。

 荒れ狂った風が、家ほどもある竜の巨体を横方向に吹き飛ばす。突進してきた竜像の顎はノゾムを捉えることなく、その巨体は横に逸れて地面に叩きつけられ、土を削りながら森の中に突っ込んでいった。

 自分の身体で押し倒した木々に埋もれる竜像。土煙を巻き上げながらもがいている竜を横目にマルスが大声を張り上げる。


「ティマ! フェオ!」


 マルスの掛け声に呼応するようにしてフェオとティマが倒れこんだ竜像に追撃をかける。

 フェオが懐から5枚の符を引き抜き、ティマが掲げた杖に魔力を込めていく。

 空中に紫電が走り、炎が踊りながら寄り集まっていく。

 フェオは5つの雷球を作り上げ、ティマは巨大な炎塊を作り上げる。


「ギャルルルル……」


 耳が痛くなるような呻き声を上げながら、自分の体にのしかかっている木を跳ねのけて竜像がむくりと起き上がる。竜像の青い瞳が2人の雷群と炎塊を捉えた。

 竜像はすぐさま翼をひろげ、大空へ飛び上がろうとする。彼にとって空は庭だ。飛ぶことのできない人間では到底至れない高みへと彼は飛翔することが出来る。

 空間を自由に使うことが出来る空中でなら、フェオの雷群もティマの炎塊も容易く躱すことが可能だ。

 剣を並べたように鋭い羽根を持つ背中の翼を広げ、大きく羽ばたかせる。


「させないよ!」


「もうちょっと大人しくしててね~」


 その巨体が一瞬宙に浮き、今まさに飛翔しようとしたその時、突然地面から現れた2つの魔方陣から土色に光る鎖が出現して竜像を縛り上げた。

 拘束魔法を発動させたのはアンリとトム。この竜相手では拘束は長くは保てないだろうが、フェオとティマの詠唱時間を多少稼ぐことは出来た。


「いくでぇ!」


 まず初めにフェオが5つの雷球を竜像めがけて打ち放つ。

 バチバチと青色の光を放つ雷球が飛翔し、魔法の鎖で拘束された巨体に着弾。弾けるような音と共に、竜像の身体に雷が走る。


「キシャアアア!」


 突然体の自由が利かなくなり、攻撃を受けたことに奇声を上げながら、さらに激しく暴れる竜。だが、フェオの雷弾は竜像の金属化した皮膚に弾き返され、さしたる効果を上げられなかった。

 しかも、拘束魔法が限界を迎え、バキンという音と共に拘束していた鎖が破壊された。術式を失った魔素が空中に散っていく中、自由になった竜は改めて翼を広げて大空へ飛び立とうとする。


「まだ!」


 そうはさせないとばかりに、ティマが限界まで魔力を叩き込んだ “咎人の禍患”を放つ。

 術者本人の身体よりも遥かに巨大な灼熱の炎塊は翼を広げた竜像めがけて一直線に飛翔して着弾。轟音を伴った爆風が吹き荒れ、周囲を土煙が充満する。

 さすがSランクの魔力資質を持つ術者というべきだろうか。爆発の際に生じた熱風は、一番離れたところにいたはずのソミアですら焼けるような暑さを感じさせていた。爆発の中心部での熱量は想像を絶しているだろう。

 直撃すればあの竜もタダでは済まないのでは……。そう思えるほどの熱を周囲に振り撒いたティマの咎人の禍患。着弾地点には未だに土煙が舞い、その場にいた竜像の様子を窺い知ることは出来ない。

 もしかしたら倒せたかも……。そんな考えが彼女達の頭をよぎった時、巨大な影が舞い上がる煙を斬り裂いて大空へと飛翔していった。

 竜は咎人の禍感が着弾するよりも速く空中に逃れ、直撃を回避していた。しかし、至近距離からの爆風と襲いかかってきた鉄すら容易く溶かすほどの熱には無傷とはいかなかったのだろう。その身には所々に煤けたような跡や、熱で溶けて歪んだような跡が見て取れた。

 

「くっ!」


「この!」


 空中を駆ける竜像めがけてアイリスディーナとシーナが魔力弾を放ち、矢を射かけるが、竜は舞うように優雅で鳥のような機敏な機動で自分に向かってきた魔法や矢をすべて回避してしまう。

 再び高度を取った竜は再び急降下すると、今度は空中からノゾムめがけて立て続けに光弾を放ってきた。


「まずい!」


「ノゾム君!」


 空を飛ぶ竜に向かって矢や魔法を放っていたアイリスディーナ達はすぐに攻撃を中断し、魔法障壁を展開して竜像のブレスを受け止める。

 着弾して炸裂した光弾の爆風が、アイリスディーナとシーナの魔法障壁を紙屑のように吹き飛ばし、防ぎきれなかった爆風が彼女達の身体を直撃する。


「ぐあっうう!!」


「アイリス! シーナ!」


 呻き声を上げながら吹き飛ばされ、地面に叩きつけられるアイリスディーナ達。ノゾムの胸を突くような声が響くが、竜像はそんな事はお構いなしに、再びノゾムめがけて光弾を放つ。


「我が願いに応えよ、四辺の守り人。我が心を糧とし、円環の理を持って友に仇なす全てを退け!」


 ティマの詠唱が空に響く。

 彼女を中心にして四色の魔方陣が形成され、その場にいた仲間達すべてを包み込む結界が出現した。ノゾムめがけて放たれたブレス弾は結界に阻まれ、光の塵になって霧散する。


 結界魔法“四廻の箱庭”


 ティマの持つ魔法の中では最高の防御力を持つ結界魔法。

 以前、ルガトの使い魔相手にティマが使用した“四廻の封縛陣”と同じように、四属性の力を反発させることなく循環させてより強固な結界を形成することを可能とした、この大陸でもティマしか使えない魔法。

 その防御力は先の通り、竜のブレスすら真正面から防ぎきる。

しかし……。


「く、ッうう……!」


 必死に歯を食いしばり、ブレスの圧力に耐えるティマ。足元に展開した魔方陣は不安定に明暗を繰り返し、かすんで今にも消えそうになっている。

 結界魔法はその効果範囲を広げるとともに制御が難しくなる。おまけに今彼女が使っている結界魔法は“四廻の封縛陣”と同じように、元々制御に難のある彼女にとっては使いきれているとは言い難い魔法の1つ。以前のように使い魔一体を拘束するならまだしも、この場にいる全員を守るように展開した場合、術式を維持する難度は劇的に跳ね上がる。

 さらに彼女を追い詰めるように、上空を飛んでいる竜像から追撃のブレス弾が放たれ結界に衝撃が走る。


「ああっ!」


 ティマの口から苦悶の声が漏れた。

 先程よりも威力は低いが、ほとんど間隔を開けずに襲い掛かってくるブレス弾。おまけに竜は一定高度を保ち、ノゾムを中心に旋回しながら光弾を放ってくる。

 降り注ぐ光弾の雨。術式の制御にすら手一杯のティマは瞬く間に追い詰められていく。

そして、途絶えることのないブレス弾の猛攻の前にティマが限界を迎えた。


「うっ……!」


 一際大きな炸裂音と共に、彼女の結界魔法が砕け散る。同時に、ティマの体が崩れ落ちるように地面にうずくまってしまう。

 竜像は結界を張っていたティマには目もくれず、執拗にノゾムめがけてブレス弾を放ってきた。まるでそれ以外興味が無いように。


「くっ……。みんな! ノゾムを中心に円陣を組むんだ! 同時に各々が全力で魔法障壁を展開! 何としても防ぎきるんだ」


 ティマが動けなくなると同時にすぐさまアイリスディーナ達が動き出す。

 マルスが崩れ落ちたティマを抱えてノゾムの傍で彼の治療をしているノルンの元に運ぶと、円を描く様に位置を取った各人が全力で魔法障壁を展開。決して光弾の雨を通すまいと立ち塞がる。

 

「ぐうう!」


「っつうう!」


「んん~~!」


 立て続けに閃光が炸裂し、重圧が彼女達の展開した魔法障壁にのしかかる。

 アイリスディーナ達の口からうめき声が漏れ、炸裂音が響くたびに振るえる両腕が竜像の放つブレスの威力を物語っていた。

 必死に歯を食いしばり、叩きつけられ続けるブレス弾に耐えるアイリスディーナ達。しかし、彼女達は決して“逃げよう”とは言い出さず、大粒の汗を額から垂らし、それでも障壁を維持し続けようとする。 


「みんな、俺の事はいいからティマさん達を連れてここから逃げろ! 森の中に入れば逃げ切れるはずだ!」


 ここから逃げろと全員に呼びかけるノゾム。明らかに竜像はノゾムを狙い続けており、自分が1人になればアイリスディーナ達は逃げられると判断した。何より、自分の所為で彼女達が機これ以上傷つくことが耐えきれなかった。

 もちろん、今のノゾムが竜像と戦っても勝ち目などない。

 全身に負った裂傷と大量に失った血液。既に立ち上がることにすら出来ない身体なのだ。

 おまけに竜像は常に空を舞っている。気も使えなくなったノゾムの刀は上空にいる竜像に届くことはなく、戦えば逃げることすらままならずに一瞬で殺されるだろう。


「く! 何とか打撃を与えられないか!?」


「ティマなら出来るかもしれないが無理だ。今、魔法障壁を解いたらノゾム君達がやられる! とにかく耐え続けるしかない」


「なら耐え切るしかないな! ったく、あのトカゲしつこ過ぎる!」


 しかし、アイリスディーナ達はノゾムの必死の呼びかけを無視して彼を守ろうとし続ける。

 降り注ぐ光弾を防ぎながらも、彼女達の胸には様々な思いが去来する。


 その太刀筋に憧れた。魂を助けてくれた。大切な妹を助けてもらった。大切な友人の妹を助けてくれた。散々酷い事を言った自分を見捨てたりせず助けてくれた。親友との仲を取り持つきっかけをくれた。単純に気になったから、戦ってみたらもっと気になった。初めての友人とこのまま別れたくなかった。傍にいてほしいと願った。少しでも彼の力になりたいと思った。

 心の奥からこみ上げる思いは複雑で、まるでほつれた糸の様に絡み合い、とても一度には言い表せない。


 ただ、心に浮かぶ思いは一つ。今背中にいる彼を守り、もう一度一緒に歩きたい。

 そんな思いを胸に彼女達は只管に上空にいる竜像を睨みつける。


「何、へばったの。嫌なら逃げる!?」


「バカ言え! ノゾムを置いて行けるか……ってまた来たぞ!」


 シーナの軽口を即座に返すマルス。

 必死に耐え続けるアイリスディーナ達の表情は強張り、余裕は全く感じられないが、彼女達は互いに声を張り上げながら必死に士気を保っていた。


「くっ……」


 逃げようとしてくれない仲間達の姿にノゾムの顔が辛そうに歪む。

 ふとノゾムが横を見ると、自分の傍にソミアが駆け寄ってくる姿が見えた。


「ソミアちゃん。君だけでも……」


「ノルン先生! 私は何をすればいいんですか!?」


 せめて彼女だけでも……。そう思い、ソミアに逃げるよう言い含めようとしたノゾム。

 だが、彼の言葉はソミアの大声にかき消されてしまった。

 

「ノゾム君が動かないように押さえてくれ。彼に下手に動かれると治療に専念できなくなる」


「はい!」


 冷静なノルンの指示をハキハキした返事を返して、彼女は手当を受けているノゾムの身体をその小さな両手で押さえる。

 ソミアの幼い手がノゾムの血で染まっていく中、ノルンは素早く手当をしていく。患部からの出血を治癒魔法で止め、包帯を巻いていく。

 

「ノゾムさん。今はじっとしていてくださいね!」


「ソミアちゃん。何で……」


「魔法は一通り習っていても、私は姉様みたいに戦えません。悔しいし、悲しいけれど皆さんの隣に立っても足手まといにしかなりません。なら私は今自分が出来ることをやらないと……」


 そう言う彼女の両手がほのかに光を放ち始めた。同時にノゾムの身体からほんの少しずつではあるが、痛みが引いていく。治癒魔法の光だ。

 周囲では耳をつんざくような爆音が響き続けているが、彼女は臆することなく、拙いながらもノゾムの身体に治癒魔法をかけ続ける。

 こんな状況でも必死に自分の出来ることをやろうとしているソミア。やはり姉妹だからなのか、その姿は目の前で奮闘してくれているアイリスディーナと瓜二つだった。

 辛い時もうつむかず、前を向き続ける真摯な姿にノゾムは胸を突かれるような思いだった。

 その時、一際大きな爆発音が轟いた。


「きゃあ!」


「なろ!」


 防ぎきれなかった爆風に小柄なミムルの身体が吹き飛ばされる。すぐさまマルスがフォローに走り、ミムルの空いた穴を補う。


「大丈夫か!?」


「う、うん、大丈夫! マルス君は!?」


「しばらくは耐えられる! マズくなったら交代してくれ!」


 元々魔法が苦手なマルスやミムルも、互いに入れ変わり続けることで何とか竜のブレス弾を防ぎきっていた。

 アイリスディーナは即時展開で多重防壁を展開し、フェオは持っている符を湯水のごとく投入して障壁を維持。トムは常に持ち歩いている触媒で強化した魔法障壁で耐え続け、アンリはティマ程ではないが全員を覆うような結界を作り上げて、みんなの負担を少しでも減らそうとしていた。


「くっぅうう!」


「っううう!」


「お、おお!」


 響く轟音と瞬く閃光。竜像のブレス弾が着弾の度に土が衝撃波で巻き上げられ、アイリスディーナ達に覆いかぶさってくる。

 降りかかってくる光弾を防ぎきれずに爆風の余波で吹き飛ばされる者もいるが、入れ替わりに空いている者が代わりに入ることで彼らは必死に魔法障壁を張り続ける。

 その光景にノゾムは胸が抉られるような気持ちだった。

 竜像こと元屍竜が何故自分を狙うかは全く分からないが、今しがたアイリスディーナ達を斬りかけたノゾムにとって、自分のみを狙ってくる竜像相手にアイリスディーナ達が戦い、傷付いていく様を見せつけられることは全身を業火で焼かれる様な感覚だった。


「なんでだ。なんでみんな逃げてくれない!」


 ノゾムの悲痛な叫び声が木霊する。


「ノゾムさん……」


「逃げればいいじゃないか……。俺を置いて、逃げれば……」


 ノゾムの肩に手を当て、治癒魔法をかけていたソミアが、胸が詰まる思いで彼の姿を見つめている中、ノゾムの瞳から熱い滴が流れ落ちていく。

 いくらティアマットに幻覚を見せられていたとはいえ、殺そうとまでした自分を庇って傷を負っていく彼女達。

 もちろんノゾム自身に責があったわけではないが、自分が取り込んでしまったティアマットの力の暴走を何よりも恐れていたノゾムは、この切羽詰まった状況に対して異常なほど責任を感じてしまっていた。


「く、うう……」


「ノゾム君……」


 とめどなく流れ続ける涙が地面に落ちて、まるで夜空に瞬く星のような後を幾つも作り上げている。

 目の前で傷付き続けるアイリスディーナ達の姿がノゾムの心を絞めつけ続ける。しかし同時に、胸の奥から後悔や懺悔とは違う思いがムクムクと湧きあがってもきていた。


「くう!」


「アイリスディーナさん! 大丈夫!?」


「ああ! このぐらいじゃ退けないよ!」


 多重結界を抜けてきたブレス弾の余波で吹き飛ばされかけるが、歯を食いしばって耐えるアイリスディーナ達の後姿。耳に届く彼女達の奮戦の声。

 その声と姿は湧きあがり始めた思いは恐怖や後悔、不安で凝り固まってしまった心に徐々にノゾムの心に染み渡ってくる。


「ずあっ!!」


「はい、交代ね! マルス君は少し休んでて!」


「すまんミムル。少しの間頼む!」


 障壁維持の限界を迎えたマルスの代わりに、再びミムルが前衛で魔法障壁を張る。


「フェオく~ん。大丈夫~?」


「ワイ自身は大丈夫や! でもこれ以上は財布の方がヤバイ……アンリ先生お願いや。ワイと代わって!」


「ごめんね~。私、今は手が離せないの~。先生お給料も安いから~、自分で何とかしてね~」


 高価な符の大量消費に涙目になるフェオ。符術に使用される式紙は特殊な加工が施されているためそれなりに高価である。

 もちろん出費を抑えるために術式を自分で刻むなどの努力は重ねてはいるが、これだけ大量消費すれば、いくらギルドで依頼を受けて稼いだとしても、フェオの出費もかなりの額になってしまうだろう。


「何言ってんですか! 先生の給料は下手な騎士より高いでしょうが! シーナ、マルス! お願いや! これ以上散財したら今月は水と小麦粉で生活せんといかなくなる!」


「シーナ!そっちは大丈夫か!?」


「今は大丈夫。取りあえず、約一名まだまだ余裕な奴がいるから!」


「ちょ! 無視!? 無視なん!? ワイが餓死することはええの!? そもそも術式の発動にはどっちにしろ魔力使っているからそろそろ限界近いんやけど!」


 フェオの懇願を軽く聞き流すシーナとマルス。自分の扱いの悪さにギャーギャー喚いているフェオの文句を右から左へ聞き流し、背の後ろにいるノゾムを守ることに傾注する。

 染み渡り始めた思いが徐々に熱を持ち始める。


「俺、俺……」


 ホウッと胸の奥に感じるぬくもり。その温かさを感じた時、ノゾムは湧き上がってきた感情が喜びであると理解した。

 理由がどうであれ、剣を向けた自分を命懸けで守ろうとしているアイリスディーナ達。

 その姿がノゾムに、彼女達が言った“もう一度友人になりたい”という言葉が、今でも彼女達の中で活きているのだと実感させてくれる。

 もし、彼女達がノゾムをもう友人として見ていないのなら、こんな化け物級の相手と対峙しようなどとはしないはずだ。

 彼女達の顔は土と汗で汚れており、ブレス弾の余波で吹き飛ばされ続けたことで服はボロボロ。体にもあちこち傷を負っているが、それでも立ち上がり続けるその姿は、ノゾムを守ろうとしている意思をはっきりと彼に伝えてくる。

 義理や義務感からではない。心の底から想うが故の必死で一途な顔。

 心を真綿で締め付けられるような感覚を覚えていても、アイリスディーナ達の懸命さがノゾムの胸の奥に焼けるような熱を生み出し続けていた。

 溜め込まれ続ける熱はノゾムの心に炎を灯し、心を縛る真綿を燃やし始める。

 ここまで本気になってくれる仲間達の姿は、千の言葉よりも雄弁にノゾムに語り続けてきた。

 君が何を言っても、もう私達の友人だ……と。

 あの学園でひたすらに孤独だったノゾム。もう、その思いだけで十分だった。


「っ! ノルン先生。ほんの少しでいいから、俺の体を全力で動けるようにできますか!?」


 突然のノゾムが言い放った言葉にノルンの表情は驚きで凍りついた。

 無理もない。今のノゾムの身体は本来なら即ベッドに寝かせて安静を保たなければならないほどの傷を負っているのだ。

 特に左腕を貫通した刀は未だに突き刺さったままで、迂闊に引き抜けば動脈を傷つけて大量出血を招いてしまうかもしれない。

 大量に血が一気に失われれば下手をすればショック症状を引き起こし、ノゾムの命も危うくなる。

 これ以上闘うことなど到底不可能で、命を預かる者として絶対に許可できない話だった。


「君は……自分の状態が分かっているのか!? 全身に負った裂傷と筋肉の断裂。左腕を貫通した刀に失った血の量も無視できない! 何より今君がその力を解放したら、またティアマットが君を取り込もうとしてくるぞ!」


 そう、何よりノゾムが抑圧を解放すれば、再びティアマットはノゾムを取り込もうと干渉してくるだろう。かの龍の目的が自身の復活で、そのためにノゾムを壊そうとしているならこの状況はまさにうってつけだ。

 

「君は、アイリスディーナ君達の思いを無駄にする気か!?」


 ノルンの叱咤が響く中、ノゾムは彼女の言葉を否定するようにゆっくりと首を振った。

 そんなことなどする気はない。したくなどなかった。ただ、自分をここまで信じてくれた彼女達の思いに応えたかった。


「……いや、そんなつもりはありません。いえ、無駄にしたくないと思っているから、俺はここでやらないといけない!」


 殺されそうになったにも拘らず、自分を守ってくれるアイリスディーナ達。

 彼女達から伝えられた想いに答えたい。もう一度、友人になりたいと言ってくれた彼女達に“自分ももう一度友達になりたい”と伝えたい。

 ノゾムは自分の左腕を貫いている刀に手を掛けて引き抜く。


「くっ……うううっ!」


 ビシュッという音と共に刀が引き抜かれ、ドクドクと流れ出た新たな血が地面に紅く広がっていく。

 幸いにも動脈は傷つけなかったようだが、ノルンとソミアは慌てて傷口を抑えて治癒魔法を施す。


「俺は、ずっと逃げてきた人間です。今もそうだ。みんなが歩み寄って来てくれたのに、自分が怖くて、信じられなくて目を背けてしまった……」


 治癒魔法で徐々に塞がっていく傷口を眺めながら、ノゾムは再び自分自身を顧みる。逃げてきた自分自身。独りになることが怖くて、怯えて縮こまってしまっていた自分の心。

 でも、こんな最低の自分だけど、それでもみんなは自分を呼んでくれた。

 ティアマットに干渉されていた時、みんながどうやって奴の幻術を破り、何を言ってくれていたのかは分からなかったけど、それでも自分の名前を呼ぶ声は聞こえていた。

 呼んでくれていたから、自分はここに帰ってくることが出来ている。

 今まで周りから目を背けて、逃げている事に気付いても足踏みしたまま前に進めなかった自分だけど……。


「でも、それももう終わりにしたい。もう、一度、皆の隣に立ちたいんだ……」


「ノゾムさん……」


 ノゾムの瞳に目を奪われていたソミア。ノルンはただ黙ってノゾムの視線を受け止めている。


「うう……!」


 その時、気絶していたティマが目を覚ました。

 意識がはっきりしておらず、虚ろな表情を浮かべていた彼女。だが徐々に意識が鮮明になり、周囲の状況を理解した時、跳ね上がるようにその身を起こした。


「っ! 急いでみんなを助けなきゃ!」


 慌てて戦線に復帰しようとするティマ、彼女の肩を血塗れのノゾムの手が押し止めた。


「ノゾム君……?」


「頼みがあるんだ……力を貸してほしい」


 ティマとノルン、ソミアをまっすぐ見据えて、ノゾムはアイリスディーナ達が自分に示してくれたように “みんなの傍にいたい”という意思の元にもう一度行動しようとしていた。 






 

 何とか竜像の攻撃を防いでいたアイリスディーナ達だが、反撃が出来ない事で徐々に追い詰められていた。

 相手は空中を自在に飛び回りながら悠々と立て続けに光弾を放ってくるが、こちらは防御に手一杯でまったく反撃できない。

 相手が上空にいる以上、攻撃手段は魔法かシーナの弓ぐらいしかなく、天高く舞い上がり、金属化した屍竜相手では有効打が見込めない。

 ティマが気を失っていなければ何とかなったかもしれない。この大陸でも最高峰の魔力資質を持つ彼女の魔法なら、あの竜像相手でも有効打が見込めた。事実、彼女が放った“咎人の禍患”を受けた竜像の皮膚は僅かではあるが溶けている。

 だが有効打が打てない以上、彼女達は防御に徹するしかないが、それでもアイリスディーナ達は奮戦を見せていた。


「ぐうう!」


「大丈夫か、キツネ野郎!」


「当たり前や! この戦いにワイがいくら注ぎこんだと思ってるんや!? もう竜でも精霊でも悪魔でも何でも来やがれってんじゃい!」


 フェオの張っていた障壁に光弾が直撃して甲高い音と共に光の守りが消滅する。

 彼は懐からさらに符を5枚取出し、ヤケクソじみた口調で魔力を叩き込んで魔法障壁を張り直す。既に大散財が確定しているのか、その口調とは裏腹に背中には哀愁が立ち込めていた。


「生きて帰れたら昨日の詫びに一回くらいは奢ってやるよ!」


「マジ! じゃあワイは南の香辛料を使った豚の丸焼きと西の鯨の瓶詰と東の……」


「遠慮ねえなオイ、ちょっとは遠慮しろ! 頼むからせめてうちの店の品にしてくれ!」


 切羽詰っている状況に変わりはないが、それでも軽口を叩きあうマルスとフェオ。

 一度竜との戦闘を経験しているからだろうか、マルスの様子からは先の特総演習時に術を暴走させた時のような焦りはほとんど感じられず、窮地に追い込まれても戦場で精神的な余裕を持って戦うことが出来るようになりつつあった。

 ちなみに、フェオが注文した物は現地ならともかく、このアルカザムではそれなりに高いもので、彼の注文の全て答えていたら間違いなくマルスの財布は空になるどころかマイナスに落ち込んでしまっていただろう。散財の反動だろうが、注文に容赦がない。


「クッ……ミムル、無理はしないで! 少しでも術式に維持が難しくなったらマルス君と交代するんだよ!」


「分かってる! 心配しなくても大丈夫だよ、トム」


「ハア、ハア……どうするの? このままじゃどの道ジリ貧よ?」


「ノルン先生がノゾムの治療を一通り済ませたら森の中に撤退する! 私とシーナ君、アンリ先生は殿だ。アンリ先生いいですね!?」


「もちろんよ~。大丈夫、先生に任せなさ~い」


 お互いに声を掛けあうトムとミムル。冷静にこの場の状況を判断しながら次の手を考え、実行しようとするアイリスディーナ達。

 度重なる強敵との連戦が彼女達の精神的成長を促したのかもしれない。状況はひっ迫してはいたが、それでも諦める者は1人もおらず、彼女達は冷静に行動していた。


 しかし、それも限界が訪れる。

 いい加減飽きたのか、竜像の口腔から今までよりも強い光が漏れ出した。それと同時に竜の眼前で見たこともない六芒星の魔方陣が展開。その中心に輝く光の光球が出現する。

 吐き出され続ける光の粒が竜像の眼前で輝く光球に寄り集まり、収縮してさらに大きな光弾を形成する。その大きさは竜の頭の数倍の大きさだった。


「まずい! 全員構えろ!」


 アイリスディーナの掛け声と共に、魔法障壁を張っていた全員が全力で障壁に魔力を流し込む。一際強い光を放つ障壁。

 次の瞬間、巨大な光弾がアイリスディーナ達目掛けて放たれた。

 まるで隕石の様に上空から落ちてくる巨大な光の塊は一拍の後に障壁に着弾。轟音と閃光を撒き散らし、アイリスディーナ達が全力で張った魔法障壁を一瞬で破壊した。


「きゃあ!」


「があっ!」


 爆風で吹き飛ばされるアイリスディーナ達。彼女達の得物が地面に落ちて空しい音を上げる。まるでもう決着がついたと言わんばかりに。


「くっ!!」


 それでも彼女達は何とか立ち上がる。

 天から自分達を見下ろす竜像。月の光を受けて輝くその姿は醜悪な魔獣ではなく、まるで神の使いのようにも見えた。

 竜像の口腔が再び光を放ち始める。アイリスディーナが再び障壁を張ろうとするが、屍竜と操られたノゾムとの連戦で彼女達もすでに限界だった。

 何とか立ち上がって術式を展開しようとするが、突き出そうとした手はだらりと垂れさがり、頭の中の靄がかかった様にぼんやりとしていて足元も覚束ない。


「キシャアア……」


 大きく息を吸い込むように胸を張り、首を引く竜像。アイリスディーナ達は崩れ落ちそうになる身体を必死になって支えていたが、それが今の彼女達に出来る精一杯。

 今まさに光弾が放たれる瞬間、アイリスディーナ達の横を何かが高速で駆け抜けた。


「ギャアアウゥア!」


「え?」


「な、何!?」


 周りに風の渦を巻きながら、空を飛ぶ竜像めがけて一直線に駆け抜けていく風の塊。限界まで圧縮した“駆け抜ける風塊”はブレス弾を吐こうとしていた竜像に直撃し、次の瞬間、爆発的に膨張した空気の塊がかの竜に襲いかかる。

 炸裂した風塊に大きくバランスを崩した竜像は、呻き声を上げながら地上めがけて落ちていく。

 突然の出来事に呆然とするアイリスディーナとシーナ。力が抜けたことで遂に自分の身体を支えることが出来なくなり、地面にへたり込みそうになる。

 だが、崩れ落ちそうになっていた彼女達の身体を、誰かが後ろからやさしく支えてくれた。


「2人とも、ありがとう……」


「え……」


 こんな戦場とは対照的な穏やかな彼の声が耳に響く。

思わず声を漏らした時、アイリスディーナとシーナの目に駆け出して行くノゾムの姿が飛び込んできた。

 

「ギジャアアア!」


 ティマの“駆け抜ける風塊”の直撃で高度を落とした竜像だが、地面に激突する前に体勢を立て直すと、そのまま低空飛行をしながら突っ込んできた。

 かの竜の瞳には仲間達から離れて、こちらに向かって走ってくるノゾムの姿が映っている。

 最優先目標を確認した竜像は即座に全力での攻撃を決断。眼前に陣を形成して自分の体を構築する源素を限界まで集約し、己が作ることができる最大級の光球を作り上げる。


「はあ、はあ、はあ……」


 痛む体に鞭を打ち、ノゾムは全力で走り続ける。

 竜像が作り上げた魔法陣には、先程よりもさらに大きな光球が形成されている。

 相手の攻撃は十中八九ブレス弾による砲撃だろうが、竜像がどんな手を打ってくるにしても、今のままの状況ではノゾムには手も足も出ない。相手は空中におり、ノゾムに空を飛ぶ術はないのだから。

 だが手段がないわけではない。

 そのためにティマに頼んで上空から低空へあいつを追い落としてもらったのだから。

 残る条件はノゾム自身の問題を彼がどうするかだが、こればかりは彼が何とかするしかない。

 自分とティアマットを縛る不可視の鎖に手をかける。これを外せばもう一度あの光景が眼前に蘇るだろう。焼け落ち、崩壊したアルカザムと充満する死の匂い。自身の復活のために、奴は間違いなくノゾムに干渉をしてくるはずだ。でも……。

 ノゾムは今一度、肩越しに後ろにいるアイリスディーナ達に目を向ける。

 剣を向け、殺してしまいそうになった自分を、彼女たちは決して見捨てたりせず、それどころかその身を呈して助けてくれた。

 それだけで十分だった。

 師と最後に戦った時と同じ。もう一度、彼らとの関係を始めるために、前に踏み出す。

 改めて彼女達の姿を目に焼き付け、ノゾムは能力抑圧を解放した。


「ぐっうう!」


 全身がバラバラになりそうなほどの痛みが走り、先程治療したばかりの傷口から再び血が流れ出す。

 目の前に広がっていた森は消え去り、焼け付くような灼熱の世界が眼前に広がる。


「ハア、ハア……やっぱりか、いい加減にしろよ」


 再び広がる悪夢の光景。しかし、ノゾムはもう惑わされないとばかりに、はき捨てるように呟いた。

 彼は眼前の惨状には目もくれず、火の粉が舞う暗がりの空を見つめて話しかけている。奴に届くかは分からない。それでも……。


“忌々しい奴だ……”


 虚空から奴の声が響く。やはり奴は自分を監視しているのだと確信したノゾム。

 汗が滲む手の平をギュッと握りしめながら、自分を見ているであろうティアマットに向かって言い放つ。


「もうお前の幻には騙されないぞ。せめてこの瞬間だけはおとなしくしてもらう!」


 ノゾムの宣戦布告に応えるように周囲から感じるティアマットの圧力が増す。同時にこの世界全体がギシリと音を上げ、ノゾムの生存本能が最大級の警告を放ってくる。

 背筋は氷槍を突き刺されたように凍え、冷や汗が一気に噴き出してきた。

 次の瞬間、ノゾムの頭に激痛が走る。ティアマットの干渉が始まったのだ。頭を抱えてうずくまりながらも、ノゾムは歯を食いしばって干渉に耐えようとする。


「ぐっ!」


“今度こそ、貴様の心を壊す……”


「ぐっう、あああああああ!!」


 ノゾムの絶叫が廃墟の街に響く。

 彼の脳裏には様々な死の形が渦巻いており、それはすべてがノゾムの手によって行われている光景だった。

 アイリスディーナを切り殺すノゾムの姿。

 シーナを自分の手で貫くノゾムの姿。

 マルスの頭蓋を砕くノゾムの姿。

 アンリの体を陣断で血塵に変えるノゾムの姿。

 そして、リサの首を絞めるノゾムの姿。

 その映像が何度も何度もノゾムの脳を貫き、頭の中をグチャグチャにかき回していく。


「っ! あっぐ! ぐうううう!!」


 もはやまともな声も出せず、悶絶するノゾム。それでも自分の心だけは渡すまいと必死に抵抗するが、ノゾムの心はまるでヤスリをかけたように徐々に削り取られ、小さくなって虚空の中に拡散していく。


“み、みんな……”


 ノゾムの脳裏に一瞬、目に焼きついていた彼女達の姿が映る。

 刹那の間、目の前に蘇った自分の帰ることができる場所。帰ることを許された場所。

 その時、ノゾムの耳に暗闇の中で、滴が水面に滴り落ちるような音が聞こえてきた。

 音は洞窟の中で反響が繰り返されるように広がり、同時に、拡散しかけていたノゾムの意識が急速に戻ってくる。


「っ! いい加減にしろよ! てめええ!!」


“なっ!”


 頭に残る死の映像を叩き出すように、ノゾムが大声をあげて地面に自分の頭を叩きつける。

 目の前に閃光が走り、鈍い痛みが走ると同時にノゾムの頭を侵食していた映像が途切れた。どうやらティアマットの干渉から逃れたらしい。


“ば、バカな! なぜこの程度で我の干渉を振りほどける!”


 はじめて聞くティアマットの動揺の声。

 額から血を流しながらも、ノゾムは眼前に広がる廃墟を睨みつける。

 これは偽りのアルカザム。奴がノゾムを陥れるために作り上げたまやかしの世界だ。

 ならば偽りの世界を叩き壊して、本当の意味で奴の干渉をはねのける。そのために必要なものをすでに自分は持っていたはずだ。

 ノゾムは右手を掲げて大きく息を吐き出すと、覚悟を決めて自分の胸を一気に貫いた。


「がっふぅ!」


 口から血反吐を吐きながら、ノゾムは目を閉じて自分の内側を探り続ける。

 暗闇に閉ざされた視界の中、さながら底の見えない谷底に落ちていくような気分だった。

 もっと深く、もっと深く、ノゾムは限りない深淵に向かって落ちていく。

 どのくらい深い場所に来たのかも分からないくらいに落ちた時、光りを放つ小さな光の球が目の前に現れた。

 まるで混沌を表すように、5色の光が入り乱れながら輝く玉。間違いない。ノゾムが取り込んだティアマットの力だ。

 ゆっくりと自分の胸から手刀を引き抜くノゾム。その手には鮮やかに輝く光球が握りしめられていた。


“それは……貴様!!”


 掲げた右手で光球を握りつぶす。

 拳から溢れ出た5色の光が腕に絡みつき、ギシギシとノゾムの腕を締め上げていく。

 

「うおおおお!」


 掲げた右手を地面にたたきつける。

 次の瞬間、拳を叩きつけた地面から5色の絵の具を混ぜ込んだような混沌の光が噴出した。

 噴出した光の奔流が触れた物全てを塵に帰していく。燃え盛る炎も、崩れた建物も、倒れ伏す人々も。

 火の粉が舞う空に罅が入り、卵の殻が剥がれるように崩れて偽りのアルカザムが消え去っていく。

 ティアマットが造り上げた偽りの世界が5色の光に呑まれて消えていく中、ノゾムはただ真っ直ぐに前を見据えて全力で駆け出し、ひび割れた世界の裂け目の向こうに身を躍らせる。


 駆け出したノゾムの目の前に広がっていたのは、現実世界である森の中。低空をこちら目がけて突っ込んでくる竜像の姿が見える。

 竜像の眼前には奴が作り上げた巨大な光弾が眩い光を放っており、解き放たれる瞬間を今か今かと待ちわびていた。


「ギシャアア!」


 そして、竜像の咆哮と共にノゾムめがけて極大のブレス弾が放たれた。 

 ノゾムの身長よりも大きな光の砲弾が、大気を引き裂きながら、まるで隕石のように迫りくる。


「っ!!」


 能力抑圧はすでに解放されている。あの偽りの世界を破壊したおかげか、ティアマットが干渉してくる気配もない。

 ノゾムは有り余る気を刀に叩き込み、半身を引いて刀身を突き入れるように掲げると、円を描くように一気に切り払った。


 気術“扇帆蓮”


 次の瞬間、切り払った刀の軌跡をなぞるように、気で作られた巨大な円形の膜が出現した。

 気で作り上げた障壁だろうか? アイリスディーナ達が見守る中、ブレス弾が気の膜に衝突する。

 その時、まるで風を受けた帆のように気の膜がたわみ、包み込むようにブレス弾を受け止めていた。


「おおおお!」


 ノゾムは右手を掲げて、握りこんだ拳を気の円膜越しにブレス弾に叩き込む。

 すると、たわんでいた膜が受け止めていたブレス弾をまるで弓矢のように打ち出した。

 竜像に叩き返される極大のブレス弾。

 まさか跳ね返されるとは思っていなかったのか、竜像は突然の出来事に回避することもできず、自身のブレス弾の直撃を食らってしまう。

 

「ガギャアアア!」


 耳を突く絶叫とともに爆音が響きわたる。

 舞い上がった煙を切り裂いて現れた竜像。その姿は傍から見ても明らかに重傷を負っていた。

 表皮を覆っていた白銀のような鎧は剥がれ落ち、奥には血管のように広がる管から心臓のように鼓動する青い光が漏れている。

 片目はつぶれたのか光を灯してはおらず、名剣を束ねたような翼はあちこちに罅が入り、黒ずんで汚れていた。

 

「ギリュリゥアアア!」


 それでも竜像は諦めない。その巨体そのものを武器とし、ノゾムめがけて突進してくる。

 巨大な質量をもつ自分自身の体でノゾムを押しつぶす気だ。

 ノゾムと竜像の視線が交差する。白く濁ったではなく、青く輝くその瞳はかの竜が未だに自分の意思を持っていることをノゾムにはっきりと伝えてくる。


「ふぅ……」


 ノゾムは抜いていた刀を鞘に納めて大きく息を吐く。すると、今まで猛っていたノゾムの剣気が突然霧散した。

 構えを解いたノゾムにアイリスディーナ達が慌てた様子を見せる。

 彼の身体からは相変わらず膨大な気が漏れだしているが、不思議とその姿に威圧感を感じない。

 巨大な金属の塊がもはや執念と呼べる意思でノゾムに迫りくる中、彼は瞑目し続ける。


「ノゾム!」


「っ!!」


 このままでは巨大な金属塊に押しつぶされてしまう! アイリスディーナの叫び声が響いた瞬間、ノゾムの目が見開かれた。

 次の瞬間、解放された極大の剣気が竜像を襲う。

 まるで迫りくる黒い壁のような濃密な波動を放つノゾム。物理的な圧力すら感じられる剣気を放ちながら、ノゾムは自分が取りこんだティアマットの力を本当の意味で解放した。

 溢れ出している膨大な力が5色に染まり、鉄砲水のように竜像に叩きつけられる。

 ノゾムは開放した力を極圧縮し、右足に叩き込みながら一歩前に踏み込む。

 極強化された右足が地面を砕き、土砂が舞いあがる。

 そのまま膝、腰の筋肉を一切の無駄なく連動させながら、筋肉の動きに合わせて極強化すらも連動させる。

 筋肉の連動によって動く人体。全身を覆う筋肉を無駄なく連動させれば、人間は爆発的な力を発揮できる。

 さらにその連動している筋肉を幻無で使用するような気の極圧縮を利用して極強化を施せば、最終的な威力は計り知れない。

 だが、人間の体を覆っている筋肉は非常に多く、その動きも複雑極まりない。たとえ一切の無駄なく筋肉の連動を行えても、それに気の極強化すら連動させるなど普通に考えれば不可能だ。

 しかし、自分の時間が加速したのではと思えるほどの集中力がそれを可能とする。

 極限の集中力の元、スローモーションに映る世界の中で、ノゾムは一切の無駄を排した動きを連動させていく。

 ブチブチという筋肉の断裂音がノゾムの耳に響く。

 完全に開放したティアマットの力を受け止めるにはノゾムの身体は脆弱すぎる。ツギハギの身体はいともたやすく限界を迎え、血液が一気に流れ出てノゾムの視界が暗くなっていく。


「っがあ!!」


 霞んでいく意識の中で、唇を噛み切りながらノゾムはそれでも気術を放とうとする。

 師から受け継いだ最高の技。

 最適な動きを極強化し、自身が放てる最高の一撃を放つ。

 その意志の元、ノゾムは納刀した刀に開放した力を極圧縮させる。

 5色の光が渦を巻いてノゾムの刀に集まっていく。

 混沌とした光を宿し、赤熱化するノゾムの刀。彼は迫りくる竜像を見据えたまま、一気に刀を抜き放った。


「あああああ!」


 気術“幻無-閃-”


 自分自身の最高の一撃を見舞う技が放たれた。

 ノゾムの刀は抜刀の瞬間、ティアマットの力に耐えきれずに爆散。しかし、極圧縮された力の刃はそのまま腕の軌跡をなぞり、竜像に牙をむく。

 力の刃は竜像の体に音もなく食い込み、混沌に染まった刀身はノゾムの腕には何の抵抗も感じさせないまま、閃光のように振りぬかれていた。

 さらに、刀身が砕けた時に溢れた力の余波が竜像の体を、首と足、翼の一部だけを残して消し飛ばす。混沌の力を受けて、塵も残さず消え去る竜像の胴体。

 一瞬の静寂。竜像の残骸が地面に転がる音のみが響く中、ノゾムは残心のまま佇んでいる。

 刀身が無くなった刀を柄のみの刀を鞘に納め、ノゾムは振り向いて一礼する。

 魔獣の頂点に座すものとして最後まで戦い続けた屍竜に敬意を示すように。

 もはや光を灯さない竜像の両目が、自分を倒した猛者を称えていた。







 目の前の光球に映る映像を、フードの人物はただ茫然とした様子で見つめていた。


「まさか、奴の力を直接使うとは……」


 開いたままの口がようやく発した言葉は、ティアマットの力を直接引き出したノゾムに対する驚愕の言葉。

 奴の力を使った時間はほんの一瞬。しかも、その力も奴が持つ力の総量から見れば極一部でしかない。それでも、ただの人間が、あの混沌の力を刹那の時間とはいえ御したことは驚嘆に値する事実だった。


「それに、奴の干渉をはねのけた事実。やはり、変質が始まっているのか……」


 フードの人物の見つめる先で、佇んでいるノゾムが突然倒れた。

やはり、ティアマットの力を直接行使することは負担が大きすぎたのだろう。全身からの出血はひどく、特に抜刀術を使った右腕は焼け爛れたようになってしまっている。


「しかし、予断を許さない状況なのは変わらない。やはりあれは必要か……」


 顎に手を当てながら黙考する正体不明の人物。

 一応、一定の目的は達したが、まだまだ全ての目的を完遂したとはいえない。

その時、彼の眼前に小さな光の球が出現した。

ゆらゆらと蝋燭の炎のように揺らめく光の球。それは屍竜が竜像に変質した時に出現した光球だった。


「御苦労。無理をさせてすまなかったな……」


 フードの人物はその光球を両手で大事そうに抱えると、その光球に語りかける。


“グルル……”


 光球……いや、屍竜の魂はまるで“気にするな”と言うように小さく唸る。

 生きるためとはいえ、仲間達すべてを手にかけながらも生き延びようとした竜。

 しかし、自らも死したことに気付かず、ただひたすらに渇きに突き動かされたこの竜が今何を思っているのかをうかがい知ることはできない。しかし、映し出された自分を倒したものを見つめるその様子は、どことなく満足そうだった。

 フードの人物は屍竜の様子に自嘲するような笑みを口元に浮かべ、その魂を天に掲げる。


「さあ、帰るがよい。己の仲間が待つ場所へ……」


 次の瞬間、掲げられた屍竜の魂が弾けるように四散し、光の粒となって空中に舞い散った。

 しばらくの間、フードの人物の周りを回っていた光の粒は、突然吹いた風に導かれるように飛んでいき、やがて消えていく。

 吹いた風にフードが剥がれ、白い髭と白髪が月の光の下にさらされる。積み上げた年月を物語るようにその頬には皺が刻まれ、英知を宿した瞳は再び映し出されたノゾムへと向けられる。

 

「油断は出来ぬ。懸念はいくらでもあるのだ。まだ安心するには早すぎる……」


 厳しい視線をノゾムに向け続けていた老人。

 しかし、突然ほっとしたように息を吐き、その顔を綻ばせた。


「しかし、一時とはいえあの力を御し、あのガーディアン……機殻竜を倒した。とりあえず、見事じゃといわざるをえん。奴を相手によくやったな、小僧……」


 目の前に映るのは、倒れたノゾムに駆け寄る彼の仲間達。これ以上の覗き見は無粋だろうと老人、いや、ゾンネは映し出された映像を消し去り、踵を返してこの場を立ち去っていく。

 月の光に映し出されたその顔は、どことなく満足そうだった。


いや、長かった。そして課題満載の章でした。

途中で書き直したり、修正したり。それでも無理やり終わらせた感があるので何とも言えません。

とりあえず、第5章はあとは後日談を書いて終了です。

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― 新着の感想 ―
[一言] 最高
[一言] ノゾムがティアマットの力を反動無く使うためにはもっと身体の性能を上げる必要があるんだろうけど彼の場合、抑圧状態での鍛錬は解放状態で発揮されるんだろうか?そうで無いなら力の制御はかなり難易度が…
[良い点] ダラダラ長いだけ読んでいて疲れる
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